19話 使徒。太郎ぽ。女海賊。

「カッシウスの啓示?」


 グリンニス・カドガン伯は、不思議な味わいも感ぜられる、手書き原稿に目を落としながら呟いた。


 ラムダ聖教において「啓示」と言えば、「モトカリヤの啓示」である。


「うひゃひゃ――コホン――そうです」


 長らく道化を演じ命脈を保ったハンス・ワグネルは、咳払いをして染み付いた滑稽な笑声を抑えた。


 グリンニスの屋敷に幽閉されてから、彼は「ベネディクトゥス 観戦武官の記録」以降の出来事を文字にしたためている。


 城塞を求めていたグリンニスの要請に応じての事だ。


「半年に一度、エルヴィン・ベルニク子爵の屋敷に集まっていたのです」

「例の地下ね?」

「ええ」


 頷くハンスの瞳が、懐かしい日々を思い出すかのように揺らめいた。文字とはされていない部分に、彼の青春が秘されていたのかもしれない。


「ニクラス達を匿うだけの場所ではなかったのね――」


 ベルツに吹き荒れた異端審問から、ニクラス・ベルツと、鹵獲した旗艦で捕らえた女――レナの二人は、ハンスの手引きでベルニク領邦へ逃れている。


 トールの父エルヴィン・ベルニクは、ECMを張り巡らせた屋敷の地下に二人を住まわせた。


「元々は別の客人――つまりは、ガイウス・カッシウス殿をもてなす為の場所でした」

「――船団国の氏族」


 氏族である彼は、やがてカッシウス・レギオンの総督に就任する。だが、ポンテオの奸計によって、カッシウス家取り潰しの憂き目に遇う。


 結果、カッシウス家の多くは処刑、または奴隷に堕とされた。


 ルキウス・クィンクティに救われ養女となったアドリアなどは、実に幸運だったと言えるだろう。


「博識、博学、何より希望を強く信じている御方でした」


 ――物事には常に良い側面がある。


「処刑された執政官殿の口癖でもあったようですな。彼もカッシウスの啓示を受けたひとりなのでしょう」

「そこが――読んでも良く分からなかったのよ、ハンス」

「おや、説明不足が私の悪いところでして――」


 と言いながら、グリンニスから自身の原稿を受け取り読み返す。


 ――屋敷の地下に定期的に集まった人々は、ガイウス・カッシウスと時を忘れて語らった。

 ――彼の知識は多岐に渡るが、中でも先史文明に関する知見は、帝国のいかなる歴史学者も遠く及ばない。


 先史文明は、ポータルやEPR通信に代表される全てのテクノロジーをオビタルに遺しながら、聖教会が悪魔と任ずる超越知性体群メーティスと共に姿を消している。


 ――話を聞き、問いを重ね、やがて聴衆には共通の認識が形成された。


「次よ。分からないのは」


 ――我々は単なる番犬なのではないか――と。


「これが、啓示ということなのかしら?」

「おお――これは申し訳ありません。確かに唐突が過ぎましたな。つまりは――」


 何かを説明しかけたが、ハンスは腕を組んで考え込む様子を見せた。


「私ですと長い時を要する話しになります。ガイウス殿であれば、ビジョンで共有出来たのですが――」

「ビジョン?」

「ええ、使徒とも言うべき我々は、それを啓示と呼んでいます」


 またも聞き馴れない言葉が出て来た事に、本当に説明不足な人ね、と内心でグリンニスは嘆息する。


 ――けれど、仕方のない事かもしれないわ。


 長い辱めの日々を過ごしたハンス・ワグネルの人生は追憶の中にのみ在ったのだ。


 道化に堕とされた男が、ハンスとして生きた過去を幾度も自身の中で反芻するうちに、あらゆる事象が説明不要な原風景にまで昇華されているのだろう。


「疑問が尽きないのだけれど――」


 とはいえ、自らの奇病を癒す為の情報としての価値は下がっている。


 グリンニスが求めるのは今や城塞ではなく、トール・ベルニクその人なのだ。


「使徒――が気になるわ」


 多くの不幸を招来した古典宗教において、救世主を自称する人物に付き従った中核的な集団を差す呼称である。


 当然ながら使徒には、屋敷の主人であったエルヴィン・ベルニクも含まれると、グリンニスは解釈した。

 つまりは、トールの父である。


 ならば、そちらの方が、意味の分からぬ啓示などより重要な情報と思われた。


「あなたと、エルヴィン子爵、そしてニクラス夫妻。他にも使徒は居たのかしら?」

「当時はまだ夫妻ではなく、ニクラスとレナですが――」


 ハンスにとって重要な訂正をした後に言葉を継いだ。


「様々な立場の方々が集われたのです。例えば――」


 そう言って彼の並べた名前は、グリンニスにとっても驚くべき人物が連なっていた。


 最も興味を惹かれた名は、アーロン・ウォルデンである。

 

 公爵領を受け継ぎ、希代の美女シャーロットとの間に一女をもうける以前、彼はベルニクを訪れ怪しい集いに参加していたのだ。


 女帝ウルドに対し面従腹背を貫く決意を固めたグリンニスであったが、何かに利用できるかもしれない情報として心に刻む。


「それに、エルヴィン様が眉をひそめるような方もいました」


 異端審問から逃れた者と連れ合いの蛮族を、己の屋敷で匿った男が眉をひそめたのである。


 余程の相手と思われた。


「誰なの?」


 好奇心を抱いたグリンニスが尋ねると、ハンスは悪戯っぽく微笑んだ。


「エドヴァルド・モルトケ」

「え――!?」


 オビタルで、その名を知らぬ者は居ない。


「故人となりましたが、大海賊の首領ですな」


 ◇


「うわぁ、何だか可愛いですよ」


 白亜の大邸宅の前に辿り着いた一行を出迎えたのは、皺だらけの顔面に大きな瞳を持つ身長一メートルほどの生物だった。


 大扉の前に立ち、庭園の中央に設えられた歩道から訪れた客人を見詰めている。


「小人さんです」

「か、可愛い――ですかね?」


 極一般的な感性を持つロベニカには、太古の生物工学が生み出した忌み子としか思えなかった。


「こ――これ――は――」

「ひぃ、しゃしゃ喋りましたよ」


 突然に口を開いた小人に驚き、悲鳴を上げてロベニカが後ずさる。


 他方のジャンヌは、サマードレスの裾を風になびかせ、素早くトールの前面に立って左腕を構えると手甲の辺りに右手を添えた。


「閣下――。人に似せた怪しい下手物げてものですわ。無暗に近付かれない方が宜しいでしょう――否ッ、即座に排除致しましょう」


 大海賊の妻であり、自身も女海賊として名を馳せた者が暮らす屋敷である。


 良からぬ仕掛けがあって当然だとジャンヌなどは考えていた。


「大丈夫ですよ、大佐。ほら」

「あぁ――か、閣下」


 猛々しい気配を放つジャンヌの脇を通り抜け、小人の傍に近付いたトールは、腰を屈めて相手と目線を合わせた。


 その様子を最後方から眺めていたケヴィンは、予想通りの展開になったなと思い秘かに息を吐いている。

 彼が前線で常々感じている事を、二人の女性と共有できる点は心強くもあった。


「こんにちは」

「こ――これは――タロウポ」


 小人は自身の胸に人差し指を当てる。


「あ、なるほど。自己紹介だったんですね」


 得心のいったトールが笑みを浮かべる。


 ――タロウポって、太郎ぽ、かな?

 ――まさかね、アハ。


「ボク等は、ここの御主人――ええと、フレイディスさんに用が有って来たんです」


 フリッツとは既にEPR通信で連絡を取っており、先方とのアポイントは取れているのだ。


「聞いてませんか?」


 小人――タロウポとは使用人的な立場なのだろうと判断し、トールは来訪の意図を伝えた。


「これ、これは――」


 タロウポが何かを言いかけた時、威勢よく大扉が開放されて一人の女が現れた。


「ベルニクッ!!!!」


 赤いジュストコールの映える女、フレイディス・モルトケである。


「よく来たねぇ」


 片頬を上げ獰猛に笑んだ後、剥き身のカットラスの刀身を長い舌で舐めた。


「話はベルヴィルのガキから聞いたし、よぉく考えた上で――アタシは、もう決断しちまったのさ」


 実際に彼女の考えた時間が、余人にとっても「よぉく」であったか否かは分からない。

 恐らくは、座って話し合うのが面倒になったのだろう。


「だからさ――もう、さっさと行こうじゃないか」


 髑髏どくろとキューピットの矢があしらわれたアメフラシ帽のひさしを、人差し指の先にある朱色の爪で押し上げる。


「裏切り者と、ロマンの糞禿げを、ぶち殺しにさ」


 ロマンの糞禿げ――ロマン・クルノフ男爵の事だろう。


「疼くんだよ」


 そう言って彼女が腰を軽く振った瞬間、トールの喉がゴクリと鳴ったのを、ロベニカとジャンヌは見逃しはしなかったのである――。

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