8 新しい朝
フードゥルとトルム達三人は山を下りると、兵士が用意した馬車に乗って王宮まで送られた。その間、気休めながらもロイは手当てを受けたが、かろうじて弱い息はしているものの,意識は未だ戻らないままだった。
「チビのくせに、なかなかしぶとい奴だな」
冗談交じりにそう言うトルムの声には張りがない。
もし、これで王がフードゥルの要求をはねのければ、ロイの命の灯が消えるのを黙ってみているしかない。そもそも、トルムたちは王にとってただの行きずりの旅人だ。フードゥルはあんなことを言っていたが、国宝と旅人の命、どちらが上かは火を見るよりも明らかだ。
王の前に通されたフードゥルは、そこで先ほどと同じセリフを繰り返した。クラカ王は、兵士とともにフードゥルの隣に立つトルムの表情をちらりと見ると、腕を組む。
「株ではなく、つぼみとの交換ではいけないのか」
「ええ。たった一つのつぼみでは、とても国民を救える量の薬は作れません」
王の前であるからか、フードゥルはトルムたちや兵士たち相手とは違い、敬語を用いている。
「だが、青バラは百年に一度、一つだけついたつぼみが開く、特殊なバラだ。たとえ貴方がバラを手にしたとしても、次の薬を作れるのは百年後となってしまうのではないか?」
王の横に立つ側近がそう尋ねた。
「私も独自に青バラについて調べさせていただきました。この国はたしかに、バラの栽培に最も適した土と気候を持っています。しかし、青バラが求めるのは、もっと徹底して温度、湿度が管理された環境。その条件さえ整えば、普通のバラと同じように毎年いくつものつぼみをつけることが可能になるそうです。その環境の調整は、能力を使えば容易に行えるでしょう」
「気象を操る能力、か・・・」
王は沈黙してしまう。交渉の成り行きを見守るトルムの心臓は、珍しく早鐘を打っていた。自分の仲間の命が、王の決断にかかっている。そんな状況では、何があろうとマイペースを貫いてきたトルムでも、冷静さを保っていられない。
その時だった。突然トルムの背後の扉が音を立てて開かれる。
「突然の入室を、お許しください。イオニアマイグス様!」
慌てた声で飛び込んできたのは、王宮の医者だった。どくん、とひときわ大きくトルムの心臓が鳴る。
「申し訳ございません。我々も手は尽くしましたが、もうこの国の医術では持ちこたえようがありません。最期の時を迎える前に、どうか、シャーヤ様のお傍へ居てくださいませ」
それを聞いて、フードゥルはクラカ王へと告げる。
「迷っている時間はありませぬぞ、王様。どうか、ご決断を」
王は、口を開いた。
「・・・そなたに、青バラを渡すわけにはいかぬ」
トルムはその言葉に踵を返して、医者とともに部屋を出ようとする。
「だが、わしは救うことのできる命を見捨てるような真似はしたくない。フードゥル・タン殿、わしからの提案だ。そなたには今すぐ、庭園の青バラを用いて薬を作ってもらいたい。シャーヤ殿がそれで回復するのを確認できたならば、そなたを王宮付きの庭師として雇い、青バラの管理権限を授けよう。そなたの国の病が消え去るまで、青バラを用いて薬を作ることを許可し、作られる薬をすべてそなたのものとする。この条件では、駄目だろうか」
トルムは足を止め、王とフードゥルの方を振り返った。王の言葉を聞き遂げたフードゥルは、ひざをつき、最敬礼でひざまずく。
「わかりました。お任せください」
そうして立ち上がると、隣に控えていた兵士に、今すぐ青バラのつぼみを摘み取り、ロイのいる部屋に持ってくるように言いつけた。急いで庭園へと向かう兵士の後ろについて、フードゥルも部屋を出ると、兵士とは反対方向、トルムと医者が向かった先へと廊下を早足で歩いていく。
王宮内の客間には、何人もの医者や看護師が集まっていた。輪の中心にあるのは大きなベッドで、そこにはロイが静かに寝かされている。枕元で膝をつくティナは、何も言わずにロイの手を握っていた。自分を呼びに来た医者とともにトルムが部屋に入ると、人々はすぐに気づいてベッドまでの道を開けてくれる。
「オセユア」
トルムが声をかけても、ティナは真っ赤になった目をこちらへ向けるだけで、一言も話さない。
「タン殿が、青バラの薬を作ってくださるそうだ。王様の許可も下りた」
そう伝えるが、ティナの希望を失った表情は変わらなかった。
「本当に、間に合うのですか」
かすれた声は、何を言っても彼女の心に届くことはないと確信してしまうほど、低く、暗い。
「信じるしかないだろ」
トルムもそれを理解し、ただ一言そう言って、ティナの隣に立ってロイを見つめる。
「道を開けろ」
すると、二人の背後からフードゥルの声がした。振り返った二人は、クラカ王と、左手に手のひらに収まる大きさの瓶、右手に入り口の横にあった小さなテーブルを持ってやってくるフードゥルを目にする。
彼はベッドの横にテーブルを置き、続いてやってきた召使いからランプを受け取ると、ほやを外した状態で火をつけ、ふたを開けた小瓶を鉄のはさみで持って熱し始めた。
「それが・・・」
「ああ。あとはつぼみを入れるだけの状態になっている」
瓶の中の緑の液体が沸々としてきたところで、「バラをお持ちしました!」と先ほどの兵士が駆け込んでくる。フードゥルはそれを受け取ると、天井に向かって投げた。つぼみが落ちてくる前に、彼の左手からとても小さな竜巻が生まれ、つぼみを吸い込む。竜巻は数秒後に瓶の上でふっと消え、後には風の力で切り刻まれて、青緑色の粉になった青バラが現れた。それが瓶の中の液体に触れた瞬間、液体はさあっと透明に変わる。
「水を」
液体の色が変化したのを確認すると、フードゥルは瓶を火からおろした。器に入った水がやってくると、その中に瓶を浸けて粗熱をとり、近くの医者から借りた注射器で、中身をロイに注射する。
変化はすぐに表れた。腕や顔のやけどが見る見るうちに消えていき、髪も元通りのつややかな黒に戻っていく。
「なんという回復力・・・」
「これが青バラの力なのか・・・」
医者たちは信じられないというようにつぶやきを漏らした。ティナとトルムも、あっという間に元の姿に戻ったロイに、驚きを隠すことができない。
ロイのまぶたが動いた。
黒の瞳が、目を見開くティナの顔を映す。
「・・・ティナ」
「っ・・・ご主人様!」
ティナは大声を出し、トルムは足の力が抜けて座り込んだ。声が大きいと顔をしかめたロイに言われ、ボリュームを下げたティナは、矢継ぎ早に問いかけ始める。
「ご主人様、痛いところはありませんか。私の声は聞こえていますか。周りの景色は見えておいでですか。何が起きたのか覚えておられますか・・・」
「多い多い多い。大丈夫、なんともないわよ。痛いとこもおかしくなったところも、一つもない。炎にまかれたのが嘘みたいだわ」
「本当ですか、隠してなどいませんよね」
「隠してない、隠してない。信じてちょうだい」
「そうでしたら・・・本当に、良かったです、ご主人様・・・!」
ティナはベッドに突っ伏し、ひっくひっくとしゃくりあげ始める。体を起こしたロイは、その頭をやさしくなでてやりながら、自分の周りに大勢集まっている医者と、トルムの隣にいるフードゥル、そして王の姿を見てびくっとした。
「え、えっと」
「シャーヤ殿、目覚めたばかりで恐縮ですが、診察をさせていただいてもよろしいでしょうか」
一人の医者がそう聞き、ロイがうなずくと、男性であるトルムとフードゥル、クラカ王とその側近は部屋から出される。
ばたんと扉が閉まると、フードゥルは王のほうを見た。
「王様、これで薬の力は証明できましたか」
「うむ、確かに」
クラカ王からの視線を受けた側近は、何も言わず一つうなずきを返す。フードゥルに向き直った王は、改めて彼に告げた。
「明日より、そなたを青バラ専門の庭師として登用する。どうかわしに、青バラの本来の姿を見せてほしい。そして、そなたの祖国の者が、一人でも多く病から解き放たれるよう切に願う」
フードゥルはそれに対し、胸に手を当ててこうべを垂れ、うやうやしく答えた。
「ありがたく拝命いたします。バラの国の仁君」
明るい日差しが窓から差し込み、穏やかな風がカーテンを揺らす朝。
小鳥の歌声をバックに、ロイはソファに腰かけて、ティナから自分が気を失っていた間に起きた出来事を説明してもらっていた。
「へー、私が倒れてた間に、そんなことがあったのね」
「本当に怖かったです。ご主人様、もう二度と目を覚まされないかと・・・。もし、タン様が助けてくださらなければと思うと、ぞっとします」
「今思うと、魔法使いの卵の隠れ家に行ってから私、ずっと二人に助けられてばかりだったわね。感謝しなくちゃ」
「そう思うのなら少しくらい手伝ってくれ」
さっきからずっと持ち物をリュックに詰め込んでいるトルムが、手を止めて文句を言った。三人は今日この国を出る予定なので、荷造りをしているのだ。
「だって私病み上がりだもーん」
「じゃあ、オセユアを手伝わさせてくれ」
「ティナだって、病み上がりよ」
隣に座るティナの肩を寄せて、ロイは意地悪を言う。ティナ本人は、困った顔でロイに訴えた。
「私は大丈夫です。タン様に頂いた薬で傷は完全に消えていますから。イオニアマイグス様に申し訳ないので、お手伝いさせてください」
「ほら、そう言ってるぞ」
「だーめ。ティナ、あの時ずっと痛みがひどいの隠して、黙ってたでしょ。ティナの大丈夫は信用できない」
「ご主人様ぁ・・・お手伝いしたいです・・・」
「だめ。主人の命令聞けないの?」
その一言で、ティナは口をとがらせて黙り込んだ。
「うーわ暴君だ、暴君がここにいる。お前将来絶対ろくな女王にならなかったな。少しは仁君クラカ王を見習え」
「どこが暴君かしら?臣下のことを一番に考えている仁君じゃない。それに私次女だから王様にはなれませんよ、はい残念」
「ほんと口の減らない奴だなお前」
「知識だけのトルムと違って、頭の回転が速いんですー」
「あの、質問いいですか」
からかいが口げんかに移行しそうな気配を察知し、ティナが手を挙げる。
「『じんくん』って何ですか?」
「ご主人様、出番だぞ」
「物知りイオニアマイグス様が答えてくれるって」
「お前の代わりに荷造りしてるの見えないか?」
「雑学披露ぐらい荷造りしながらでもできるでしょ」
「どちらでもいいので教えてください、気になります!」
なんだかんだ言いつつも優しいトルムが、打楽器の数を確認しながら答えた。
「『じんくん』は『仁君』と書いて、思いやりがある王という意味だ。クラカ王は国の宝である青バラより、他国民のシャーヤやタン殿の国の人々の命、バラ製品による国民の経済復活を優先した。その点で俺もタン殿も、王様を『仁君』だと評価している」
「なるほど」
ティナはうなずく。
「そうでしたら、ご主人様は仁君ですよ。だって、私が雷に撃たれた時も、ご主人様は私のことをとても心配してくださいましたし、人々が自分の意志で生きることを妨げないようにと、能力を消す力を持つ魔法使いを探しておられます。もしご主人様がクレーイアの王となられていたならば、きっと素晴らしい政治を行われたと思います」
ティナがまじめな顔で言うのを聞いて、ロイは恥ずかしそうに頬を赤く染めながら「ありがとう」と言う。トルムは、すこし気まずそうな表情でどさっとリュックを床に置くと、立ち上がって腰を伸ばす。
「ほら、お前らの分までやってやったぞ。少しは感謝しろ」
「はーい、ありがとう」
「申し訳ありません、ありがとうございます!」
ロイは軽くお礼を言い、ティナは深く頭を下げると、自分の荷物を持って、トルムと共に部屋を後にした。
三人は、町はずれの門の前に立つ。ここから馬車に乗り、次の目的地へと向かうのだ。
馬車の用意ができるのを待っていると、後ろから声がかかった。
「出発するのか」
やってきたのはフードゥルだった。
「ええ」
トルムが答える。
ロイが一歩、フードゥルへ足を踏み出した。
「タン様、先日は私の命を救ってくださり、本当にありがとうございました。私が今こうしてここに立っていられるのは、あなたのおかげです」
スカートの裾をつまみ、丁寧にお辞儀をする。
「礼を言う必要はない。俺は青バラの薬を得るために、お前を利用しただけだ」
「ですが、救ってくださったことには変わりありません。ティナから、ご自分の国民を助けるために青バラを求めていらしたということを聞きました。あなたは、とても心優しい方なのですね」
花のように微笑まれると、フードゥルは居心地悪そうに視線を逸らした。その頬はわずかに紅潮している。
「・・・お前もこれにやられたのか?ナーグの王子殿」
「・・・否定できないのが辛いですね。能力なしでもこれですから、困ったもんです、この天然は」
ひそひそと話す男二人を見て、ロイは不思議そうに小首を傾げた。
「お前たち、次はどの国に行くつもりだ?」
「海の方へと向かおうかと。ここから南に向かって、コスタを目指します」
「コスタか。確かにあそこは、海を割り大地を削って国を作った王が収めているという話がある。魔法使いか、もしくは卵かは定かではないが」
「はい。なので、実際に行ってみて確かめるのがよいかと思いまして」
「ああ、それが良いだろう」
ティナが二人に声をかける。
「ご主人様、イオニアマイグス様、お話のところ申し訳ありませんが、馬車の用意が整ったようです」
「それでは、私たちはここで失礼します」
「ああ、お前たちの旅が良いものとなるよう、祈っている」
トルムたちは荷物を持ち、フードゥルに頭を下げると、馬車に乗り込んだ。
空を覆っていた灰色の雲はもうない。抜けるような青空とかげり一つない真っ白な雲、太陽が金の光を国中に振りまく。
馬車が去った門の傍には、一輪の真っ赤なバラの花が咲いていた。
(おわり)
魔法使いをさがして 水車 @micro_water
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