7 奇跡のバラの秘密

 浮いている。

 気が付いたティナが初めに感じたのは、自分が宙に浮いていることだった。次に、びりびりと激しく痛む右腕の感覚。さらに、上から押し寄せてくる熱風。一瞬何が起きているのかわからなかったが、すぐに、ロイが燃えたぎる油の中に水を投げ入れて、爆発を起こしてしまったということを思い出した。

 使われ人であるティナの仕事は、主にロイの世話をすることであったが、できる仕事は増やしておきたいという思いから、厨房の仕事も時間があるときに教わっていた。その時学んだことの中に、燃えた油を水で消そうとしてはいけないというものが含まれていたのだ。

 なんでも、水が沸騰する温度よりもはるかに高い温度となっている油の中に水を入れると、水は一瞬で沸騰して何百倍にも膨れ上がり、爆発して燃えている油をあたりにまき散らしてしまうという。そんなことも、そもそもあの炎が油を燃料に燃えていたことすら知らなかったロイは、何の警戒心も持たずに水をかけてしまった。その結果大爆発が起きて、もしかしたら床が抜けてしまったのかもしれない。だから自分は今浮いているんだ、とティナは考えた。

 突然、ティナの背中にどんと衝撃が加わる。地面に落ちたか、と一瞬思ったが、それにしては痛みがない。おまけに落下している感覚も無くなっていないし、耳元を切る風の音もそのままだ。

 ただ、落下していた勢いが弱まっている。ということは、落ちていく速さがだんだん遅くなっているということ。数秒後には、ティナの体は優しく床へと降ろされていた。

 自分の身の安全を一瞬で確認し、ティナは即座に起き上がって主人たちを探す。その視界に、同じように起き上がっているトルムと、一人立っているフードゥルが入った。

 フードゥルは伸ばした右手を下ろす。今まで彼は能力を使って風を起こし、自分とティナ達三人を安全に下の部屋へと運んでいたのだ。そのことに気づいていないティナは主人を探し、後ろを向いたときに、倒れたまま動かないロイを発見した。

「ご主人様!」

 ティナは飛び上がり、転びそうになりながらもロイに駆け寄った。その目が見開かれ、声にならない悲鳴が、喉の奥で鳴る。

 炎のすぐ傍に立っていたロイの全身は、重度の火傷でおおわれていた。つやつやだった髪は大部分が燃えてくすんだ色に変わってしまい、白かった肌は熟しすぎたトマトのような赤や、炭のような黒になっている。目を閉じてぴくりとも動かず、果たして生きているかどうかすらわからない。続いて小走りで近づいたトルムもあまりの光景に、とっさに声を出せなかった。

「ご・・・主人・・・様。ご主人様、ご主人様!」

 かすれていたティナの声はどんどん激しくなっていき、最後には慟哭に変わっていた。両目から大粒の涙を流し、床に両手をついて何度も何度も泣き叫ぶ。

「いやです、いやです、目を開けてください!私、私は、何があろうとお守りいたしますと、誓ったのに!うわああん!」

 声をかけることもできず、一歩離れたところで立ち尽しているトルムは、自分の脇をフードゥルが通り過ぎたことに気づけなかった。ティナも悲しみで頭が一杯になっており、近づくフードゥルに気づかない。フードゥルがロイの傍でかがみこむと、ようやくティナはその存在に気づき、瞬間的に長刀を繰り出した。フードゥルは後ろに飛び退って長刀を避け、非難するように言う。

「何をする」

「ご主人様に、近寄るな」

「泣くことしかできない子供は邪魔だ。そこをどけ」

「ご主人様には、指一般触れさせません」

「何もできないのに横にいられても迷惑なだけだ」

「できます。私はまだ戦える。あなたにご主人様は、絶対に渡しません」

「なら、俺の代わりにやれ」

 ティナは怪訝そうに眉根を寄せる。

「クレーイアの姫君の手首をとれ。脈をみろ。姫はまだ生きているのか、死んでいるのか、判断しろ」

 フードゥルの言葉に困惑しながらも、ティナは彼から視線を離さないまま、ロイの手首をとった。

 かすかに、ほんのかすかに、動いているのがわかる。

「生き・・・てる」

「本当か!?」

 トルムも反対側に駆け寄ると、同じように脈をみて、驚きの顔をティナと見合わせる。そこに、頭上からざあっとシャワーのような大量の水が落ちてきた。見ると、フードゥルが手を伸ばして、三人の上に小さな雨雲を作っている。

「なにを・・・!」

「ただの雨だ。火傷は冷やさなければ回復が遅くなる。もっとも、ここまでの火傷から持ち直せるかどうかはわからないが」

 ティナはゆらりと立ち上がり、髪の毛から雫を垂らしながら、フードゥルを見つめた。

「どうして、ご主人様を助けようとなさるのですか。生きておられれば、利用できるからですか」

 フードゥルはそれに答えず、雨雲を維持させたまま手を下す。

「逃げるぞ、ここもじきに火が回りきる」

 炎台からあふれた炎と油は四人と一緒に落ちてきたので、ティナたちのいる下の部屋の絨毯やソファーなどに燃え移り、めらめらと赤い舌を大きく伸ばしていた。フードゥルが再び手を伸ばすと、扉の手前にもう一つ小さな雲ができて、細い雷が床に落ちる。扉が開いた。

「ついてこい」

 二人に背を向け、フードゥルは廊下へ向けて歩き出す。

「オセユア、行こう」

 トルムがロイを横抱きにし、フードゥルの後を追った。それを目で追っていたティナは、トルムが急かすように振り返ったのを見て、足を踏み出す。ティナが部屋を出るのを待っていたかのように扉は閉まった。

 廊下を進んでいったフードゥルは階段へ向かい、さらに上の階へと歩を進める。

「タン殿」

 トルムが口を開いた。

「先ほどのオセユアの問いに答えていただけないでしょうか。貴方はなぜ、シャーヤを助けようとなさるのですか」

 フードゥルが生み出した雨雲は、トルムが抱くロイに付き従って、雨を降らせながら動いている。黙ったまま階段を上り続けるフードゥルに、これ以上待っても答えは返ってこないと結論付けたトルムは、別の質問を投げかけた。

「では、貴方はなぜ、私たちを倒してまで青バラを奪おうとされるのですか」

 これにも返事はない。

「答えてください。そうでなければ、私たちは貴方にどう対するべきなのか判断ができません」

 最上階まで階段を登り切ったとき、ようやくフードゥルが声を発した。

「外に王はいるか」

「・・・おられないでしょう」

 腹立たしさがうっすらと感じられる声で、トルムは答える。

「お前たちは三人だけでこの山に登ったのか」

「いえ・・・数名の兵士とともに」

 廊下を歩き続け、突きあたりにあった大扉の前で、フードゥルは立ちどまった。

「俺はお前たちと共に、王に謁見する。俺の思惑が通れば、姫の命は救われるだろう。だが、王が俺の要求を拒めば、どうなるかはわからない」

「それは、青バラを貴方に差し出さなければ、シャーヤを助けないということですか」

「助けない、ではない。・・・まあ、王との話を聞けばわかることだ」

 フードゥルが手を上げ、扉の前に雷を落とす。扉がゆっくりと開き、その間から光がこぼれた。


「イオニアマイグス様!」

「シャーヤ様!?」

「オセユア様!」

 扉が開き、一番に聞こえたのは、兵士たちの大声だった。

 三人がフードゥルと戦っていた間に、外はもう夕方になっていたようだ。木々の間からこぼれる赤い光にトルムとティナは目を細める。

 外に並んでいたのは、最初よりも人数の増えた兵士たちで、全員が武器を手に、フードゥルを油断なくにらんでいた。トルムたちが出てきたこの場所は、地図に示されていた目的地である。三人と分断された後、兵士たちは応援を呼んで山を登り、この場所にたどり着いたのだ。

「お二方!魔法使いは我々に任せて早くこちらへ!」

「動くな、魔法使い!シャーヤ様たちを解放しろ!」

 兵士たちは口々に叫んでいる。

「静まれ」

 フードゥルが右手を差し出し、兵士たちの目の前に雷を落とした。一瞬驚き腰が引けた兵士たちだったが、さすが訓練を受けている者たちで、すぐに気を取り直し、先ほど以上に警戒した様子でフードゥルの動向を観察し始める。フードゥルはそれにも関わらず、朗々とした声で兵士たちに言った。

「俺がこの国の天候を制御していた魔法使いの卵だ。王と取引をしたい。王宮まで案内しろ」

 兵士たちはその言葉にぎょっとしている。

「王に謁見するだと・・・?」

「国に仇なしていたものを、そうやすやすと王の御前に出すことなどできるものか」

 さざめきの中、隊長の兵士がフードゥルに向けて言った。

「我々国民を苦しめていたお前を、簡単に王にお目通りさせるわけにはいかない。が、一応内容だけ聞かせてもらおう。お前は何の取引をするつもりだ」

「国の天候を元に戻すことと、青バラとの交換だ。それも花開く前の、つぼみの状態の株を渡してもらう」

 再び兵士がざわめく。ティナは胸の前に置いた左手をぎゅっと握りしめ、トルムはフードゥルを見つめ続けていた。

「なぜ、つぼみである必要があるのだ」

「お前たちは、何も知らないのだな。青バラのつぼみは、ある薬の材料となる。その効能は、どんな病や傷でもたちどころに治してしまう、まさに魔法のような薬だ」

 トルムがはっとして口をはさむ。

「もし、貴方が青バラを手に入れれば、薬を完成させ、シャーヤの火傷を治してくださると・・・?」

「ああ」

 フードゥルは横目でトルムを見、答えた。

「俺はこの薬を完成させるために、遠くの国から旅をしてきた。俺の故郷では謎の病がはやり、毎日何人もの国民が命を落としている。医者も手の打ちようがないこの病を治すには、青バラの薬しか方法がなかったのだ。しかし、この世界に残る青バラは、この国に残るもののみ。それも成長は遅く、百年に一度しか摘み取るチャンスは得られない。今年、ようやく巡ってきたこのチャンスを逃すわけにはいかないと、青バラを奪う準備が整うまで、天候を操りバラの成長を遅くしてきたのだ」

「しかし、青バラは国宝であり、重要な観光資源。王が首を縦に振られるわけはないだろう」

「俺が天候を操り続ける限り、青バラどころか通常のバラも育つことはない。青バラ一つでこれまで通りバラ製品を売ることができるのなら、どちらのほうがより利益を得られるか、分からないか?」

「選択肢は他にもある。我々がここでお前を倒せば、青バラも天候も、同時に手に入る」

 隊長の言葉に、兵士たちは武器を持つ手に力を入れた。しかし、フードゥルは涼しい顔で、トルムの抱くロイに視線を向ける。

「そうするのならば、この娘の命は永久に失われることとなるだろう」

 ティナの瞳が大きく揺れた。

「この娘は火傷を負い瀕死の状態だ。命をつなぐには、青バラの薬を飲ませるのみ。娘とこの二人は、旅人でありながらもこの国のために働いた、いわば恩人ではないのか?そんな人間を見捨てるなど、他国からの信頼を著しく損ねることになると思うのだが」

 隊長は言葉に詰まり、ほかの兵士と相談を始める。

「娘に残された時間は少ない。決断するのなら早くしろ」

 ティナはトルムの隣に移動し、そっと見上げた。トルムは真顔で前を見つめているが、その表情にはわずかに焦りの色が見える。やがて、隊長が告げた。

「我々だけでは判断がつかない。わかった。お前を王宮へと護送する」

 フードゥルは満足げにうなずいた。

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