最終話 銀じょうろの聖女さま
「だーかーら! 昨日、魔樹化しそうになった薬草にだけ水をかけて駆除したはずなのに、何で今日見たら、関係ない周りの植物まで枯れてんの!」
「し、知りませんよ! 私だって慎重にやったんですから! アリエスさんだって見てたでしょ?」
私が逆に聞きたい。
相変わらず、畑ステータスの表示は、薬草の状態の項目以外はグリーン。
まあ今回枯れたのは、昨日魔樹化しそうになった薬草の周りにある薬草だけだったけど。
ブツブツ言いながら枯れた薬草を引っこ抜くアリエスの背中を睨みながら、私は大きくため息をついた。
ため息の音を聞いたのか、彼の手が止まる。
「とりあえず、お前の力には効果にムラがあるってことが分かった。何故そういう状況になるのか、一度整理する必要があるな」
「そう……ですね」
「そんな落ち込むな。効果が大きく出たときの状況を残しておけば、いずれ原因が見えてくる。それに……お前の力自体、まだ未知な部分が多いしな」
声色を明るくしながら、彼がこちらを振り返る。その表情はどこかワクワクしていた。
ほんとこの人、興味あることに関しての熱量半端ないなぁ。
その熱量、少しでもこの薬草園の管理に向けてくれないかなぁー。あと、部屋の整理にも。
「そろそろ朝飯にするか」
「そうですね。この魔樹化しそうな薬草に水をかけたら、神官寮に食事を取りに行ってきます」
そう言って私は、銀じょうろいっぱいに水を満たした。
私が初めて魔樹を枯らしたあの日から、すでに一週間ほどが経過していた。
*
銀じょうろから零れた水が、魔樹の本体に降り注ぐ。
水滴に当たった触手の先から溢れていた黒い瘴気の吹き出しが止まった。そしてみるみるうちに、結界内の瘴気が晴れ、辺りの景色がクリアになっていく。
ヴァレリアさまの魔法から逃れようと足掻いていた魔樹の動きも止まっていた。体内の水分が蒸発したかのように、触手が枯れ始めたのだ。
神殿で魔樹を枯らしたときと同じ現象が起こっている。
私たちがモタモタしていたため、魔樹の触手が無駄に暴れ、周囲に被害が出ていた。しかし、結界内を浄化の炎で焼きつくすよりは、まだマシだと思う。
魔樹が朽ち、大きな音を立てて幹が折れて倒れた。
これで……終わったのかな?
あ、こういう言い方をすると、第二形態フラグを立ててしまう!
だけど私の不安は杞憂に終わり、周囲を覆っていた結界が解除された。
魔樹の脅威がなくなり、安全が確保された証だ。
ああよかった。無駄にフラグを立ててしまったかと思った。
ホッと胸をなで下ろすと、私はゆっくりと地上に向かって降りていった。全身を駆け巡っていた熱は失われつつある。供給して貰った魔力が尽きそうになってるみたい。
供給して貰った……魔力……
そう思った瞬間、唇に触れた温もりを思い出し、魔力とは別の熱が顔にあがってきた。
い、意識するな私!
アレは、緊急事態だったから……あのときは、アレしか魔力供給の方法がなかったからなんだからっ‼
そのとき、
「魔樹が枯れたぞっ‼」
「あの方が……あの方の力が魔樹を枯らしたんだっ‼」
「異世界人に魔樹を枯らす力があるなんて!」
ワッと耳に入ってきたたくさんの声に、私は慌てて周囲を見回した。結界の周囲には、たくさんの人々が集まり、歓声を上げていた。
一時的に結界の外に出たときよりも、人数が増えている。
誰かが叫んだ。
「聖女さまだ……」
「え?」
一番あり得ない単語に、目を見開く。
だけど、周囲の歓声は止まらない。
「聖女さまだ! 銀のじょうろで魔樹を枯らす聖女さまだっ‼」
「瘴気の中でも、あの方は自由に動けていた! そんなことができるのは聖女さましかいない!」
いやいや、私が聖女だなんて、召喚数分でただの人認定されているんですけど。
この国の一番えらい人に、お墨付き貰ってるんですけどっ‼
しかし何を叫んでも、この歓声の中では皆に届かない。
困っていると、一際大きな声が辺り一帯を震わせた。
「皆の者、鎮まりなさい‼」
ヴァレリアさまの声だ。
恐らく、魔法で声量をあげているみたいだけど、耳というよりも心に直接響いてくるような感覚だ。
私を取り囲む人の壁が割れて、ヴァレリアさまが現れた。
そしてまだ魔樹の残骸の上に立つ私を見上げながら、鋭い視線を向けられた。
「やはりこの者には聖女の証が見当たりません。よって神殿としては現時点で、セタホノカさまを聖女として認めるわけには参りません」
その言葉に、人々が不服そうに声をあげた。誰かが見間違いではないか、と言ったけれど、そばにいた神官に睨まれ、口を閉ざす。
ヴァレリアさまは、後ろに控えている人々に向き直った。
「今後、ホノカさまの力は、神殿が全総力をもって解明していきます。その結果が出るまでは、ホノカさまは今までどおり、皆と同じこの国の民の一員として働いて頂きます。聖女としての特別扱いは不要です」
言葉だけだと厳しいように思える。
だけど、こちらを一瞥されたときに浮かべていた微笑みを見て、ヴァレリアさまが私にしてくださった配慮に感謝の念が湧き上がった。
ヴァレリアさまは、今回の一件で聖女としてもちあげられそうになった私を助けてくださったのだ。
過度な期待をかけられぬよう、今まで通り、普通の一般人として生きられるように。
私がまた、他人の期待に応えようと、自分を失わないように――
この国で一番偉い方がそう仰ったのだから、人々も従わざるを得ないだろう。
ヴァレリアさまが立ち去ると同時に、アリエスが神官に肩を貸されてこちらに歩いてきた。でも私と目が合うと、神官から離れ、自分の足でこちらに向かって来る。
多分、弱った自分を見られたくないんだろう。
プライドが高いのか低いのか、ほんと分からない人だ。
ということで、早速隠そうとした身体の不調を気遣ってあげる。
「身体、大丈夫ですか?」
「……ま、まあ誰かさんが魔石をなくしちまったせいで、ちょっと瘴気を吸い込んでしまったが、すぐに浄化して貰ったからもう大丈夫だ」
私の意図を感じ取ったのか、アリエスはいつものように嫌みったらしく言葉を返してきた。
アリエスは魔力供給後、結界の外に避難した。瘴気が満ちた空間の中で頭部を覆う結界をかけ直すと、結界の内側に瘴気が入り込み、使い物にならないからだ。
その際、少しだけ瘴気を吸い込んでしまったんだろう。
嫌み混じりの言葉だったけれど、不思議と気にならない。
っていうか、彼の顔を見るとどうしても魔力供給のことを思い出し、恥ずかしさで心が一杯になってしまう。
なのに、
「ほら、さっさと下りてこい」
アリエスが私に向かって手を伸ばした。
この男は……ほんっと、こっちの気も知らないで……
だけどこの不満を口にするわけにもいかず、かと言って、まだ本調子じゃない人の手を無情にも払えるほど、私も人の心を失っていないわけで。
もの凄く複雑な気持ちを抱きながら、彼の手をとった。
ゆっくりと引き下ろされ、無事両足が地面につく。
地面の固さを足の裏に感じながら、周囲を見回した。そして、後ろで倒れている魔樹を改めて見る。
「これが、お前が望み、動き、出した結果だ」
「そう、ですね」
「……怖くなったか? お前が本当に嫌なら、仕事を辞めてもいいんだぞ?」
「えっ? 辞める?」
「ああ。こうなった以上、お前の力は今後、魔樹を枯らすことに使われる。もちろん危険も伴う。もし無理だと思うなら、この仕事を辞めたほうが良い。俺が適当に理由をつけるから、その辺は安心しろ」
私の身と気持ちを案じてくれてるの?
だけど、残念でした。
私の答えはもう決まってる。
「……辞めませんよ」
「え?」
「辞めないっていってるんですよ! せっかく、私の欠点を長所として生かせる仕事を見つけたし、薬草園の仕事、結構気に入っているんです。それに――」
困惑している彼を見上げて笑う。
「私がいないと、あなたの研究の時間が無くなるでしょ? またお客さんを怒らせて、大切な時間をとられてもいいんですか?」
「……それは、嫌だな」
そう呟くアリエスが一瞬、嬉しそうに口元を綻ばせたのは……気のせいだった?
こうして私は、薬草園で働き続けることを決めた。
そして今は、神官寮ではなく、薬草園の管理室でアリエスと一緒に暮らしている。
魔樹の被害が出たとき、一緒の場所にいたほうが伝達が早いというヴァレリアさまの提案の結果だ。
でも今思うと、日々の暮らしが壊滅的に終わってる上司の生活の世話をさせようという、ヴァレリアさまの策略だったんじゃないかって気もする。
優しい顔をして中々やりおるな、あのお婆ちゃん。
銀じょうろで水をあげながら、胸元で揺れる魔石のネックレルに触れる。
魔石のネックレスのチェーンは、あの後さらに強固なものに取り替えられ、ちょっとやそっとじゃ切れないようになった。思いっきり引っ張ると、逆に私の首が痛くなるほどの耐久性。きっと百人乗っても大丈夫。
アリエスも、安全に私が水を撒けるよう新たな拘束魔法の研究をしているし、もう二度と魔石が無くなるなんていうアクシデントはないはず。
なのに今でも思い出すと、気持ちが酷く乱される。
未だに恥ずかしくて堪らない自分がいる。
なのにアリエスは、全然気にした様子がないのが何だか癪だ。
いやだ、もうなんなの、この気持ち……
思い出したらまた恥ずかしく――
「って、おいホノカ、枯れてる! 他の薬草まで枯れてるっ‼ てか、俺の目の前で、畑全体が枯れてるっ‼」
「え? えええええ⁉」
アリエスの叫びに意識を戻され、私は慌てて銀じょうろの傾きを真っ直ぐにしたけれど、時すでに遅し。
目の前に広がるのは、無残に枯れてしまった薬草畑。
しおしおとリアルアイムで枯れていく姿を見たのは、初めてだ。
お、おかしくない?
だって水がかからないように、魔樹化しそうになっている薬草周辺の植物は、ちゃんと撤去したはずなのに!
っていうか、水がかかっていない普通の薬草まで枯れるって、どういうこと?
もう私が水をあげるとか、関係なくない⁉
目の前の光景を信じられずに見ている私の隣で、特大のため息が聞こえた。
目元を手でおおい、肩を落としているのはもちろん上司。
「ちょっと待てよ……今回は、魔樹化しそうになった薬草の周辺に生えていた植物、全てを避難させたのに、何で畑全体が枯れるなんつーことが起こる!」
「し、知りませんよ‼ 私が聞きたいくらいです‼」
「それに、昨日と全く同じ状況で水をやったのにだ! 一体何が違うっていうんだ……一体……」
アリエスは手を顎にあてながら、ブツブツ呟いている。
確かに、昨日と同じ状況、同じ畑だったはずなのに、何で水をあげた効果が変わってしまったんだろう。
昨日と何が違うのか……
……あ、もしかして、
「……気持ち?」
魔力を口移しされたときのことを、思い出していた……から?
思い出して、何かドキドキしたりむかついたりしていたから?
い、いや、まさか……
……まさかぁ、ねぇ?
「おい、気持ちってなんだ」
「ひゃいっ⁉」
突然、視界がアリエスの顔で一杯になった。
思わず一歩後ずさるけれど、その間に二歩ぐらい間を詰められてしまった。
さらにアップになる彼の顔。
「ち、近い! 近すぎですっ‼」
「お前……もしかして、なんか心当たりがあるのか? 昨日と効果が違うことについて……」
「し、知りませんよ! 何も心当たり在りませんっ‼ ほーら、何も怪しくない」
「……怪しいしかない」
「見てください、この曇りなき眼を! こ、これが嘘を言っている目に見えますか⁉」
両目を見開き、アリエスの瞳を覗きこむ。
目を逸らすな、私!
やられんぞ!
私の鋼の意思を感じ取ったのか、先に瞳を逸らしたのはアリエスのほう。
「目が充血してるぞ。睡眠ぐらいちゃんととっとけ」
そう言ってぷいっと顔を背けると、言葉を吐き捨てた。
心なしか彼の耳の先が赤い気がするけど……気のせい?
そのとき、
「アリエスさま、ホノカさん、街に魔樹が発生したようです!」
慌ててやってきたエリーナさんからの報告に、私たちの表情が真剣なものへと変わった。
真剣だったアリエスの口元が、私を見て意地悪そうに緩む。
「ってことだ。銀じょうろの聖女さま?」
「……そのこっ恥ずかし過ぎる二つ名で呼ぶのは止めてください」
銀じょうろの聖女――これが今、巷で呼ばれている私の愛称だ。
いつでも魔樹が発生しても対応できるよう、銀じょうろを持ち歩いているのが、今ではトレードマークになっているみたい。
ヴァレリアさまが聖女ではないと宣言してくださったけれど、やはり瘴気の中で平気だったり、水をあげるだけで魔樹を枯らす私は、特別に見えるみたい。
あくまで愛称だからと、ヴァレリアさまも禁止はされていない。
期待されている感はあるけれど、今は必死になって期待に応えようという気持ちはない。
ざわざわと心がざわめくこともあるけれど、そのときは無責任な上司になりきって『無理』と呟いている。もちろん、人には聞こえないところでだけど。
でもこれが意外と効果を発揮してくれているみたい。
だから、きっと大丈夫。
今度こそ私は、自分の人生を生きられる。
「それじゃ、行きましょうか。今回もサポートお願いします、アリエスさん」
「ああ、任せとけ」
アリエスが――心から信頼する上司が、満面の笑みを浮かべながら頷く
その笑顔に、私も笑顔で応えると、もうすっかり愛用のアイテムとなった銀じょうろを握りしめ、大きく足を踏み出した。
――私は、瀬田穂花。
異世界アリステリアで、魔樹という植物に水をかけて枯らす簡単なお仕事をしています。
上司の性格は無責任で最悪だし、時には危険も伴うし、私の力も未知数でわけが分からないけれど、私はこのお仕事が――
大好きです!
<了>
銀じょうろの聖女さま~薬草を育てるだけの簡単なお仕事なのに、育てた薬草がことごとく枯れてしまうんですけど~ めぐめぐ @rarara_song
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