第十三話:御令嬢は宝石がお嫌い

 むっすりとしていた。アルデは目の前で注がれる琥珀色をした紅茶には目もくれず、むっすりとしていた。

 一瞬で理解ができる、その機嫌の悪さというものは、コルや先生にはどうしようもなかった。二人の間には、どうしてアルデがトゥールの人間をやめたいのか、という疑問が浮かび続けている。けれどそれをアルデがなかなか話そうとしないので、コルと先生は顔を見合わせて悩んだ。

 紅茶を注ぎ終えた使用人が下がる。通されたアルデの私室には、ハスタとアルデ、コルと先生しかいない。

 切り出したのはハスタだった。

「ルクスミリオの哀悼をご存じですか?」

 それが宝石の名前だろうことは、想像に容易かった。

「ああ、アルデバランの憂鬱と並ぶほどの宝石だったはずだったかな」

「その通りです先生。ルクスミリオの哀悼は、かのアルデバランの憂鬱に肩を並べる宝石でした」

「でした?」

 コルがハスタの言葉を掬う。あはは……とハスタは笑い、「それが……買い手がついたものですから」と続けた。

「買い手がつくと、値打ちが変わるのですか?」

「そういうことではありません。ただ、買い手がつく、ということはこの宝石商の中央区では、誰かのものになり、誰かの名前になるということです。先生からお聞きになったかと思われますが、この中央区では誰も彼もが一人前の大人になるために必死です。最高の宝石を手に入れ、その値打ちを見定め、家に戻りおまえは良い宝石商になると言われるまでが一連の流れです」

「それが十五歳になったら始まるのですね」

「ええ。この地の大鴉様の受肉がその過程なのです。宝石商の中央区では、儀式ではなくその結果を重視します」

 成人の儀は各地によって異なる。学士の街のように単なる儀式で終わり、その先が問題であるのか、ではないことは読み取れた。

「さて、どうしてお嬢様がトゥールの人間をおやめになりたいのかと言うと、それは大鴉様の受肉に関わるからです」

 ハスタはアルデに目配せをする。

 アルデは黙って手をひらりと振った。その動作はあまりにも適当で、やけになっている人間のものだった。

「い、いいのですか、聞いても」

 思わずコルは確認してしまった。コルにはアルデが話して欲しくないように見えたからだ。

 遮ったコルのことを、アルデはキッと睨みつける。

「それはどういうこと? 聞きたくないって言うの?」

「そういうことではないのです。ただ……ええと、自分からお話されるのが一番なのではないか、と思って」

「私が自分のことも話せない臆病者だって、そう思っているの?」

 コルの問いかけは挑発と受け取れたようだった。アルデはため息を吐き「いいわ」とハスタに言った。

 そういうつもりではなかっただけに、コルはなんとも形容し難い苦い気持ちを抱いた。挑発をしたかったわけではないし、無理やり話をさせたいわけでもなかった。けれどアルデはどうしてもピリピリしていて仕方がない。

 アルデは琥珀色の紅茶を飲み、ハスタのいない右方を向いた。

「トゥールの人間はオモイ鉱山のために死ぬのよ」

 飛躍した発言だった。大鴉様の受肉とは全く違う話が始まり、思わずコルは首を突っ込みそうになった。が、先生が彼女のことを止めた。まだ耳を傾けるべきだと、先生は合図した。

「トゥールの人間はオモイの――宝石商の中央区で一番の目利きとされているわ。だからその目利きが、最も良い宝石を生み出す糧になると思われているの。だから必ずトゥールの人間はオモイ鉱山の頂に埋葬される。私はそれが……それが嫌なの」

 アルデの言葉にはかなりの重量があった。

 彼女は深呼吸をして、続けた。

「大人になれば、トゥールのしきたりから抜け出して、旅に出ても良いと言われたわ。旅に出て、私はどこか遠い場所で死ぬのよ。オモイ鉱山の頂点なんかじゃない場所で……それか不死の妙薬を見つけるしかないでしょうね。そこに埋葬されないためには」

 苦々しい顔をしながらアルデは言い切った。

 埋葬されたくないという理由のためだけに、大人になりたいと願い、不死の妙薬という途方もないことを探している。

 それが大そうな理由になるのかはともかく、必死であることはコルには理解できた。これはアルデにとって、とてもとても重要なことなのだ。

「大人になるためには宝石が必要だわ。しかもお母様のことだから、単純な宝石では認めて下さらないでしょう。だから私は、アルデバランの憂鬱や大鴉様の翼に並ぶ宝石を――ルクスミリオの哀悼をまた見つけないといけないのよ」

「また?」

「ええ、またよ」

 アルデは忌々しげに返事をする。

「また――いいえ、二度目ね。ルクスミリオの哀悼は、一度は買われた宝石よ。お父様への哀悼の品は、どこの誰かもわからぬ骨に買われてしまった。今となっては所在不明の、透明な輝きを、どうやって見つけろと?」

 自虐的な物言いだった。

 アルデはなんとなく気づいているのだろう。自分の望むものは見つかりようがないのだと。

 先生もコルも語らないのを見て、上手く呑み込んだのだとアルデは判断したようだった。

「私、嫌よ。自己犠牲なんて馬鹿のすることだもの。身分の高い人が低き者たちに施しをするのも幻想よ。それは自己満足だわ。求められていない施しは、ただの優越に他ならない。だから嫌なの。このトゥールに蔓延る生贄のような制度だって、結局はこの地位にかまけているだけなのよ。身分があぐらをしているだけ!」

 せき止められない感情を、そのままアルデは口にした。それは鋭く、誰にも邪魔されない意思の総合だった。

「私は……私は自己犠牲なんかしないわ。私は自分のために生きて、自分のために死にたい。それが……それが人生ってものじゃないの……?」

 最後にはアルデは目元に涙を浮かべて、ぐずり、と鼻を啜った。すかさずハスタがアルデの目元を拭うための用意をする。

 その時だった。

「じゃあ僕らが探しましょう」

 けろり、と先生が今までの話を無視したように切り裂いたのは、その時だった。

「は、はあ?」

 思わずコルの声が裏返る。

「先生、聞いていました? 私が大人になるための宝石はルクスミリオの哀悼――お父様の形見だけでしょうし、それが所在不明であることまで、お聞きになっているはずでは?」

「ええ、だからこそ探しがいがあるよ。アルデ嬢、まずは帳簿を用意してください。それから取引先一覧もいただきたい」

「だから、先生――」

 コルが口出しをしようとした矢先、先生に止められた。

 先生は灰色の瞳を好奇心で染めながら語る。

「大人になりたいお気持ち、なれない葛藤。重々承知いたしました。アルデ嬢。僕らにとっても些細であり、貴女にとっても些細かもしれませんが、お手伝いができるでしょう。僕らの出立の時まで、調べ尽くしてもよろしいですか?」

 先生の言葉にアルデはむっすりとした表情のまま「ええ」と頷いた。

「見つけられるのでしょうね」

「見つけられるか、ではありません。あくまでお手伝いです。見つけ出し、買い戻すのは貴女の役目だ」

 きっぱりと先生は言う。

 アルデはその言葉にハッとしたようで、退屈そうな瞳に息吹を吹き込んだ。

「そう……そうね。その通りだわ。先生、お手伝いいただけるかしら」

「もちろんです。コルも手伝います」

 しれっと先生はコルを仲間に引き入れていた。

「先生!」

 コルが叫んでも先生は聞かない。

 こんな無理をどうして先生は受理してしまうのだろう、とコルはめまいを起こしそうだった。先生の好奇心はどこへでも向かってしまう。だから学士の街などという、広大な知識の巣窟で権威になったのかもしれないが。

 目を輝かせていたのは先生だけではなかった。ハスタがアルデよりも前のめりになって「ありがとうございます!」と叫んだ。

「先生のお力が借りられれば、ルクスミリオの哀悼は必ず見つかるでしょう! お嬢様もこれで成人される……願ってもみないことです!」

 感極まれり、と言った様子のところ、意外そうな顔をしたのはアルデだった。

「へえ、ハスタ。あなた、私に出て行って欲しいのね?」

「そうではありません。お嬢様の願いが叶う予感がして、嬉しいのです」

「そう。まあ、いいわ。とにかく、先生、コルさん。よろしくお願いしますわ」

 アルデが冷たい視線を先生とコルの二人に送る。はい、と返事をしたのは先生だけだった。

 アルデはそのまま立ち上がり、去っていく。


 ***


「どうしてあんなことを仰ったんですか!」

 取り残されたコルは大きく叫んだ。

「ルクスミリオの哀悼は、一度は買われたものなのでしょう? それを買い付けるために、所在不明を見つけ出すだなんて! この世界のどの地にもあるかわからないものを、砕かれているかもしれないそれを見つけるだなんて!」

「コル。ルクスミリオの哀悼は絶対に見つかるよ」

「どうしてそんな……そんなに自信があるのですか、先生!」

「砕かれているのならば、トゥール夫人がそれを許さない。彼女は完璧な程に、夫を愛していたはずだ。だから彼女は所在をわかっていて――見つけ出させようと思っているのだと思う」

 先生の推測はコルにとって遠いもののように感じた。トゥール夫人が知っているのならば、あとは金額を提示してアルデが買い付ければいいだけではないか、とコルは思う。

「トゥール夫人から教えてもらってはいけないのですか?」

「それでは課題にならないよ。見つけ出し……大人にならなければ、アルデ嬢は飛び立てない」

「飛び立つ……」

「コルも言われただろう? 大鴉様の受肉の時に、飛び立つよう言われたはずだ。あの学士の街で、存分に学び、ありとあらゆるものを知り、為すべきものを為せ、と」

 学士の街ではそのように言われていたのをコルは思い出す。そうだ。そのように言われていた。学士の街では一部の文献の閲覧が許される代わりに、そう命ずるのだ。存分に学び、知り、為す。それがどのようなものでも良い。後世に残されるものでなくとも良い。学士の街で学び、知り、為すと言うことは、彼らの好奇心を殺した日のことだ。

 コルはハッとした。アルデは今のままでは、飛び立てない。好奇心の殺し方さえ知らないのだと。それでは世界の歩き方を知らないのと同義であると、そう気づいた。

「先生は……先生は、アルデお嬢様を飛び立たせたいのですね?」

 生徒の言葉に、先生は頷いた。

「僕は一応教師……教授と言ったほうが正しいかな? 人を導かんとする立場だからね。こういうものには、首を突っ込みたくてしょうがないんだ」

 頭を掻きながら先生は言う。

「さて、コル。ルクスミリオの哀悼の調査を手伝ってくれるかな?」

 先生はコルを誘った。コルの答えはもう決まっていた。

「はい、先生。私がアルデお嬢様の飛び立ちを手伝えるのならば、とても素晴らしいことだと思います」

 差し出された手を、コルは取った。先生は微笑む。コルもそれに倣う。

「すっ、素晴らしい、です! アルデお嬢様は愛されている!」

 その様子を部屋に残って見つめていたハスタは、うっ、うっと呻きながら感動をしていた。彼は腕まくりをした天鵞絨の服で目元を擦り、その琥珀色の瞳に涙を浮かべていた。

 この使用人、相当主人であるアルデのことを好いているらしい。コルと先生は感動で涙の止まらぬハスタを見つめて、苦笑いを浮かべるしかなかった。

「ハスタ。泣いているところ悪いのだけれど、帳簿と取引先一覧を持って来てくれないかな。それまで僕たちは、この中央区を探索することにするよ。それからあるツテに連絡をしてみようと思う」

「かしこまりました! 先生、コルさん。どうぞよろしくお願いいたします!」

 先生に声をかけられ、ハスタはしゃなりと背筋を伸ばした。彼はその逞しい腕で、繊細な食器たちを片付けて部屋から退場した。

「じゃあコル、行こうか」

「中央区の探索ですか? なら、ノートとペンを持っていきます。先生は玄関で待っていてください」

「わかった。僕も僕で、準備をしよう。ああ、コル。一つ聞きたいんだけど」

「なんですか?」

「便箋は持っているかい?」

 それは話の流れからして、不思議な登場だった。

 便箋とは、手紙になるものだ、とコルは再定義する。

「持っていますけれど……それはどうしてですか?」

 確かにコルは、学士の街に住む友人――オーレシアをはじめとした人々に旅路の連絡をするため、便箋を所持していた。それも何枚かではすまない量の便箋をだ。コルにとってこの旅には書ききれない思い出ができるだろうと、そのオーレシアからのアドバイスで、大量の便箋を持ち歩いていた。

 先生はコルの返事を聞いて「じゃあそれを……一枚と、封筒を持ってくるように」と言う。

「シーリングスタンプは必要ですか?」

「そんな畏まったものでもないよ。ただ知り合い……ではないな。ツテである部族に依頼の連絡をする程度だからね」

 彼はさらりと新情報を出した。ツテである、部族。コルにはそんなものがいるなど話したことがなかった。

「せ、先生! 私、その部族について知りたいです!」

「あはは。でも教えるわけにはいかないな。だって僕らはこれから調査を始めなくてはいけないからね」

「そこをどうか、どうか!」

「大丈夫だよ。すぐに彼らにも会えるだろうから」

 のらりくらりと先生はせがむコルを躱す。コルはそれに噛み付くように追撃する。そんなことをしながら、二人はお互いの部屋に入り、準備をした。

 二人はほぼ同時に部屋を出て、顔を見合わせた。その頃にはコルはお願いをする気にはならず、じっと先生を見つめて、黙しながら訴えかけるだけだった。

「本当だよ、コル。なんなら先に連絡をしてもいい。君だってアグラヴィータのことをそろそろ友人に伝えたくて仕方がない頃なんじゃないかな?」

「それは……そうですけど」

「なら、先に連絡をしよう。君はできるだけ簡潔に手紙を書くこと。僕の依頼書が書き終えるまでにね」

 先生はコルへ説明をしながら、二人一緒にラウンジへ移動した。

 手頃なソファとテーブルがあったので、二人はそこに腰掛ける。先生はコルから便箋を受け取り、さらさらとペンで文章を書き出した。

 早くしないと、先生が文章を書き終えてしまう。コルは急ぎつつ、美術神郷で起きたことをまとめながら、オーレシアに手紙を書いた。オーレシアの息抜きになるよう、謳えるようにと文をしたためる。

 コルが手紙を書き終え、顔を上げると先生は文書を書き終えていた。丁寧に文書を折りたたみ、封筒にしまう。

「早かったね」

 先生はくすりと笑った。

「急かしたのは先生です」

「わかっているよ。でも何事も簡潔に書くことだって必要だ。特にコル。君の論文はそういう粗が多い」

「うう……」

「大切な友人への想いを短くしろ、というわけではないよ。ただそれを、的確な言葉で伝えることも必要さ」

 先生の言葉はもっともだった。コルは確かに、まとめる作業が苦手だった。何もかもをノートに書き出し、掻い摘むのにも時間がかかる。

 コルは何も言えなくなり、できるだけ鬱憤を手紙にぶつけないように折りたたむ。封筒にそれをしまって、ふう、と息を吐いた。

「それで、この手紙をどうするんですか?」

「配達してもらうだけだよ」

「配達って……ネグイルスの民に?」

「そうさ。有翼種イルスのネグイルス。彼らの知り得る地にのみ、すべてを配達する大鴉様の一翼さ」

 有翼種イルスは、その通り翼を持つ人々のことだ。

 彼らは飛べるが、何処にもはいけない。大鴉様との制約より、知り得る地にのみ降り立つことができる。有翼種イルスは、自由ではない。大空という大鴉様の監視のもと、その黒き翼で人々の役に立つよう言われている。

 その中でも配達という役目を担っているのがネグイルスの民だった。彼らの黒き翼は、時として虹色に輝く。

「それって……普通のことですよね? 手紙を配達するよう、ネグイルスの民に依頼をするのは、普通のことじゃないですか」

「コル。有翼種イルスはネグイルスの民だけではないよ。この地続きの大地であるノルニルには、他にも有翼種イルスがいる」

「知っています。配達を担うネグイルス、列車や移動を担うイルノルス、ニグノルスは確か……あ!」

「そう。情報収集のニグノルス。ノルニルの一部ニュースペーパーは彼らが情報を集め、学士の街のまとめ屋が作っている。彼らにかかれば、ものの数日である程度の居場所は掴めるだろう」

 ニグノルスは情報収集の専門家だ。彼らはほぼ学士の街の専属と言ってもおかしくない。各地の情報や近況を知り、学士の街の人々が現地調査や論文を書き連ねる。彼らと学士の街は切っても切れない関係にあった。

 でも、とコルは気づいて、先生に問う。

「先生。ニグノルスの民を、私用で依頼するには、相当の依頼料が発生するのでは……?」

 コルの質問に先生は視線を逸らす。

「それにニグノルスの民を利用しては、ルクスミリオの哀悼は一瞬で見つかって、アルデお嬢様とハスタさんの感動を無にするのでは……?」

「そんなことはないよ」

 次の質問に先生は即答した。

「僕がしたいのは、黒を探すことではなくて、白で埋める作業なんだ。白いカンバスに落ちた黒ではなく、黒の周りを白――何もないで埋める作業を、ニグノルスの民に依頼する。そうすることで僕の想像が正しければ、ルクスミリオの哀悼の発見自体は、アルデ嬢自身ができることのはずなんだ」

「アルデお嬢様が勝手に見つける、ということですか?」

「そうだよ。僕らはヒントをできるだけ与えることしかできない。彼女が飛び立つためには、その程度しか手伝ってはいけない」

 まるで子育てだ、とコルは思った。程よく手伝い、程よく手放す。そのようにして、アルデの過程を見守っていく。

 コルには何故か遠いことのように思えてしまった。コルはまだ、結婚であったり、恋人というものに興味がない。その先の子育ても、あまりはっきりとしたイメージがつかない。いつか一生をともにする相手が見つかるだろうか、という不安もなく、ただただ今を謳歌している。

 けれど自分は他人の、この成長していく過程が好きだ、とコルは思った。コルは美術神郷びじゅつしんきょうで出会ったセティのことを思い出しながら、彼のこれからについて想いを馳せた。

「納得しました。学士の街の人々が成長という学びを得たように、アルデお嬢様もまた成長し、大人にならなければならないのですね」

「その通り。大人はいつだって、子どもの世話をするものだよ」

「ですが先生。もう一度聞きますが、ニグノルスの民に私用で依頼するには、多額の……それも別荘が買えるほどの依頼料がかかるのでは……?」

 先生は、またコルから視線を逸らした。

 彼はふう、と息を吐く。

「コル。この世には気にしてはいけないものが三つある」

「はい」

「一つ目はフィールドワークの最終日、二つ目は締め切り前の睡眠。そして最後は……研究費だ」

 格好のつかない先生だとコルは思った。この人の財源が気になると共に、こういう人間だからこそ学士の街の権威になれたのだろうか、と彼女は普通ではない先生のことを心配した。

 それから、コルは疑問を持った。

 ――どうして、あの車掌は有翼種イルスではないのでしょう。

 夜汽車ブルカニロの車掌。その背中には翼がなかった。人間のように思えた。翼をもたない者ども――自分たち、無翼種ホルスと同じように思えた。

「先生。夜汽車ブルカニロのあの車掌は、どうして無翼種なのでしょう」

「どうしてだろう。確かに有翼種イルスでも、彼はおかしくない気がする。何処にでも行ける夜汽車ブルカニロの車掌だなんて、無翼種ホルスの男性にできるのかな」

「男性?」

 コルの引っ掛かりはそこだった。

「女性、ではなく?」

 金髪の麗人。翠玉色の瞳。穏やかな物腰。どちらともとれないが、コルには女性的に見える。

 しかしコルの言葉に先生も引っ掛かった。彼は顔を顰めて、気まずそうにする。

「男性……じゃないかな? ああいうのは、男性的な人だと思うけれど」

「あんなに穏やかな笑みを浮かべる人は、女性的だと思います」

 二人は同じ疑問を浮かべて、止まった。

「齟齬が起きているね」

「起きていますね」

「どっちが本当だと思う?」

 先生の問いに、コルはどちらも選べなかった。

「どちらでもない……かもしれません?」

「疑問形だね。まあ、確かにあの車掌は謎が多いから……仕方がないね。なにせ、あの夜汽車ブルカニロの車掌だ。謎がないほうがおかしいとも言える」

「そうかもしれません。じゃあ先生。この謎は解かないようにしましょう」

「どうしてだい?」

「だって、そのほうがあの車掌さんらしくないですか?」

 コルの提案に先生は「そうだね」と笑った。

 夜汽車ブルカニロの謎も解き明かしたいが、今はルクスミリオの哀悼だ。コルは目指すものにきちんとコンパスを合わせ、貴婦人の館を先生と一緒に飛び出した。

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大鴉先生とコル 伊佐木ふゆ @winter_win

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