第十二話:人生の開幕は宝石のように

「きゃーっ!」

 コルの期待は大いに外れていた。

 ハスタの運転するバギーは小石や道路の凹凸を気にせず、ましてや急カーブにも難なく乱暴に対応する暴走車だった。三人乗りという無茶を物ともせず、バギーはどんどん下り坂を猛スピードで疾走する。

 オモイ鉱山方面を抜け、居住区や商業区の入り混じる宝石商の中央区へ入ってもそのスピードは下がりはしなかった。寧ろ跳ねながらそれは進み、曲がるときには思いきり車体が斜めになる。そんな乱暴っぷりで、どうしてこんなにバランスだけは安定しているのだろうかとコルは不思議で不思議で仕方がない。

「先生、コルお嬢様! まもなく貴婦人の館でございます!」

 ハスタが元気そうに言う。そんなこと、見ればわかる。けれどコルは目を回してそれどころではなかった。先生がしっかりと自分を抱き留めてくれていなかったら、きっと今頃自分は地面に転がっているに違いない。そう彼女は思った。

 キー! と地面が擦り切れるような音を立ててバギーが漸く止まる。

「到着です!」

 意気揚々と宣言されても、コルはぐったりとして覇気を失っていた。

 よろけながらバギーを降りると、そこには背の高い建物があった。貴婦人の館ーーこのオモイ鉱山こと、宝石商の中央区を牛耳るルク・トゥール貴婦人がいるという噂の場所であることは、明白だった。

 その建物は煌めいていた。屋根が、柱が、外壁そのものが。

 朝日を受けてきらきらと輝く建物は、異様とも言えた。

「……これが貴婦人の館ですか?」

「そうだよ、コル。宝石商の中央区にふさわしい、研磨された宝石たちの砂を練り込んだ煉瓦で作られた、宝石商の中央区で二番目に価値のあるものさ」

「二番目? 一番……ではないのですか?」

「二番目で間違いないよ」

「二番目で間違いございません!」

 先生とハスタの二人にきっぱりと言われ、そうなのか、とコルは渋々頷いた。

 煉瓦造りの建物は荘厳という言葉がふさわしい。それが自然な、目を強く刺激しない程度に陽光を受けて輝いているのだから、さらにその価値が増している。宝石の砂たちが練り込まれているというだけで、こんなにも煉瓦は変わるのだろうか、とコルはじい、と館を見つめる。

「コルお嬢様、急いでください! 貴婦人がお目覚めになってしまいます!」

 ハスタが館の扉を開けようとしているので、コルは慌てて先生へ駆け寄った。

 貴婦人の目覚めまであと数刻もないということで、三人は慌ただしく貴婦人の館を走り抜けた。

 貴婦人の館には様々な、それこそ値打ちが果てしないだろう宝石たちが飾られていた。コルは目を輝かせながら、館の中を走る。貴婦人に宝石を見せられたら、その後ゆっくり鑑賞することはできるだろうか?

 想像を膨らませているとハスタが立ち止まった。

 目の前には重厚な扉がある。それは大きく、煌めき、そして静かな場所だった。

「貴婦人はそろそろお目覚めです。行きますよ……」

 と、ハスタは言う。

 ごくり、と唾を飲み込みコルは構える。

 まず、ハスタはノックをして自分の名を告げた。

「ハスタ・アルビレオです! 宝石を持ち、参上いたしました! 失礼します!」

 その声では貴婦人が目覚めてしまうのでは? と思うほどの声量だった。しかし扉の奥から許可が降りるわけでもなく、拒否されるわけでもなかった。

 沈黙は肯定だとして、ハスタが扉を開ける。

 寝具が一つあるだけの部屋だった。そして大きな窓がある。壁の一面が窓のようだった。そこからはうららかな太陽の光が差し込んでいる最中で、夜と朝との切り替わりを知らせてくれる。

 大鴉様の旅立ちだ、とコルは思う。大鴉――この世界の神に等しい存在は、夜を守護し、昼から旅立ち我らを見守る。そんな時間を目の当たりにしているのだと、コルは思った。

 貴婦人は眠っていた。

 ベージュの髪に柔らかく着心地が良さそうな寝巻きを着ていて、すうすうと寝息を立てている。

 次第にその人は身じろぎをして、ゆっくりと起き上がった。

 チャンス、と言わんばかりにハスタが小箱を取り出し、開ける。跪きながら行われるそれはさながらプロポーズのようでもあった。

 けれど、これは儀式なのだ。宝石商の中央区で行われる神聖な儀式。この世の宝石たちの行方を定める、大切なこと。

 コルは見逃すことのないよう、先行きを見守る。

 貴婦人の彗星のような薄青の瞳がじい、と今回の宝石を認めた。宝石はかなり大きく、赤子の手のひらほどあった。赤色に輝きながら、貴婦人の感想を待っている。

「……八十五点ね」

 おもむろに貴婦人が言う。

「はい」

「アルデにも見せなさない。あの子、まだ拗ねているのね?」

「拗ねているというか……難儀なお悩みを抱えていらっしゃるようです」

「同じことよ」

 貴婦人は穏やかな声でハスタとやりとりをしてから、部屋の隅でその成り行きを見つめている先生とコルに気づいた。

 彼女はひらひらと手を振り、会釈をする。

「おはようございます、先生。学士の街からようこそいらっしゃいました」

「おはようございます、ルク・トゥール婦人」

「お、おはようございます!」

 あまりにも美しく貴婦人が手を振るので、コルの背中はしゃなりと真っ直ぐになる。

 貴婦人は本当に美しい人だった。

 髪は絹糸のようであるし、薄青の瞳は今にも溶けてしまいそうな空を彷彿とさせる。太っている訳でも、痩せている訳でもない人間としてちょうどいいその完璧さは、一朝一夕では完成し得ないものだろう。

 それに貴婦人は身に纏う何もかもが輝いていた。ベッド、添えられた椅子、チェスト、家具から始まり寝巻きもほんのりと輝いているように見える。先ほどからずっと輝きを放つものばかり見ているから、目がそう錯覚を起こしているかのようにも思える。

 でも、そうではないのだ。コルは錯覚を起こしていない。彼女が輝きを愛しているからでもなく、それは当然のように光り輝いている。そうあるべきであることを誇示するかのように。

 宝石商の中央区、という名付けを思い出す。

 その頂点に君臨する者は、その街にふさわしく艶やかでなければならないのだ。

「ルク・トゥール婦人。こちらは僕の今回の旅路について着てくれているコルと言います」

「コル・アーノルドです。どうぞよろしくお願いします」

「コルさん。おはようございます。ハスタが何か粗相をしなかったかしら」

 バギーでの一件を話そうとしたが、コルは黙ることにした。首を横に振り、ありません、と伝えれば貴婦人は「そう」と呟いた。

「ハスタは朝から元気すぎるくらいだから。ああ、アルデのことも紹介しないと。彼女は起きているかしら、ハスタ?」

「お嬢様は起きていらっしゃるはずですが……相変わらず引きこもっていらっしゃるようでです」

「……困りものね」

 貴婦人がため息を吐く。

 脇をつつかれてコルは先生の方を向いた。

「アルデというのは、貴婦人の一人娘だ。旦那様は逝去されている」

 なるほど、とコルは頷いた。

 だったらこの宝石の鑑定も本来ならば旦那様が行っていたのだろうか、と想像を膨らませる。それだけではない。選ばれる宝石だって違っていたかもしれない。

 コルが思索に耽っていると、ばたん、と扉をノックもなしに開ける人間がいた。コルと先生は扉の近くにいたので足音を聞いていたのだが、それも乱暴なものだった。

「お母様! 先生がいらっしゃったと聞いたわ。どちら?」

「アルデ。静かになさい。まずは宝石を――」

「そんな石くず捨てて!」

 キッ、と彼女は貴婦人の言葉を切り捨てる。

 貴婦人と同じベージュの髪も、薄青の瞳も可憐であるのに、その目つきがすべてを台無しにしている。

 長躯のハスタや先生と並べば脇にも届かないだろう小さなお嬢様――アルデは、ずかずかと貴婦人の寝室に入っては、きいきいと叫んだ。

 その失礼っぷりと言ったら凄味さえあった。ハスタが持っている宝石を叩き落とそうとしたので、慌ててハスタがバランスを取ってどうにか宝石を落ちぬようにする。それから先生がいると知り、貴婦人が指した方向を見たかと思えば、そちらに向かって睨みながら歩いてくる。

 貴婦人は今にも消えてしまいそうな儚さを持っているのに、お嬢様と言えばその真逆を進んでいる。家族と言えどこんなに変わるものだろうか? コルは目を白黒させながら、先生がどう動くのかを待っていた。

 先生は背筋を曲げることなく、柔和に笑う。

「アルデお嬢様。覚えていらっしゃるでしょうか。僕はしがない神話学者の――」

「先生でしょう。それが分かればいいわ。隣の方は?」

「彼女は僕の付き添いのコルです」

「わかったわ。ねえ先生。わたしの話を聞いてくださる?」

「どうぞ」

 自己紹介を遮られても先生は怒りのひとつも見せなかった。成熟した大人の余裕だ、と思いながらコルは感心する。

 お嬢様ことアルデは、先ほどの貴婦人とは異なるため息を吐いた。

「わたし――不死になりたいの。妙薬を教えてくださらない?」

 そんなけったいなもの、見つかるものか! コルは思わず叫びそうになった。


 アルデにはアルデなりの理由があるのだと、そう説明をするだけで彼女は具体的な理由を言わなかった。

 だからだろうか。先生は上手く言葉を濁しながら、アルデの詰問を抜けることができた。

 そもそも先生は不死の妙薬を知っているのだろうか? コルは不思議に思ったが、あの夜汽車ブルカニロの存在を秘匿していたところを思えば、不死の妙薬の一つや二つ知っていてもおかしくないような気配がする。

 アルデは先生が何も答えたくないのだと勘付くと、キッと先生とコルの二人を睨み、寝室を去った。

「我が娘がご迷惑をおかけしました、先生」

「いいんです。ああいった質問は、よくあります」

「不死の妙薬について問う輩が他にいるだなんて、私には思えませんわ。誰だって死は遠い隣人のはずなのに」

 貴婦人は既に達観しているようだった。何か死について思うことがあるのだろうか。問えるほどまだ信頼関係がないことに一抹の歯痒さを覚えながら、コルは先生と貴婦人の会話を聞いていた。

「本日の宝石は八十五点とのことでしたが、名付けはどのようにされるのですか?」

「そうね……どうしましょう。紅玉の岬なんてどうかしら。この尖った部分が岬みたいでしょう。きっとこの宝石のように豊かな夕暮れと朝焼けが見える場所があるはずだわ。そうでしょう、先生」

「そうですね。僕はまだこの宝石に並ぶものを見つけられてはいませんが、きっとそんな景色はあるでしょう」

「ふふふ。私以上に様々なところへ向かう先生がそう仰るのなら、この宝石はいつか現実になるわね」

 くすくすと先生と貴婦人は笑い合った。

 ああそうだ、と先生はコルに説明をする。

「朝一番に貴婦人のところへ届けられた宝石は、その価値を定められ、名付けもされるんだ。今回は紅玉の岬という名前だけれど、それこそ山のような宝石がルク・トゥール婦人によって付けられている。例えば……コル。アルデバランの憂鬱という宝石は知っているね?」

「は、はい! アルデバランの憂鬱は今大鴉様の翼に並ぶ宝石だと聞いています」

「よし。理解しているね。それが見つかったのは今から十三年前。ちょうどアルデお嬢様が生まれた頃だったかな? アルデバラン――アルデという名前からなんとなく想像がつくだろうけれど、アルデお嬢様の夜泣きが酷かった時の名付けのはずだ。そうでしたよね、貴婦人」

「ええ。あの頃のアルデと言ったら、朝から晩まで泣いていて……屋敷の誰もが手をこまねいていたわ。でも宝石を見ると、なんとなくその夜泣きも収まるの。不思議な光景だったわ」

「幼子が宝石を理解していたのですか?」

「そうかもしれないわね。あの子、ああやって今こそ宝石嫌いだけれど、目利きはいいのよ」

 くすくすとルク・トゥール貴婦人は言う。

 コルは想像する。朝日を受けて輝くそれに目を見張る赤子。彼女の薄く柔らかな髪はベージュ色のそれで、まだ小さな瞳がそうっとアルデバランの憂鬱と名付けられる前のそれを見つめて、泣くのをやめるのだ。

 アルデバランの憂鬱。それは確か、貴婦人とアルデと同じように薄青の、様々な光を閉じ込めたように色を変えて反射をする宝石だったはずだ。それを思い出しながら、コルは笑った。あの宝石にもそんなエピソードがあったのかと思うと、値打ちが上がるのも納得ができる。

「アルデバランの憂鬱は買い手が今のところいないから、大鴉様の翼と同じように保管がされているわ。持ち主がいないというのも悩みものね」

 貴婦人は笑い飛ばした。

 そうやって笑っているところで、くう、と腹の音が部屋に小さく響く。

「あ」

 コルが腹をすかさず抑える。鳴ってしまった。無理はない。まだ早朝で、夜汽車ブルカニロでは何も食べていなかった。

 ああ、と先生もはにかみながら笑った。

「すみませんルク・トゥール貴婦人。朝食をいただいても……?」

「ごめんなさい先生。すっかり忘れていたわ。ハスタ、朝食の準備はできているかしら?」

「はい奥様」

 ハスタが頭を下げ、先生とコルを招く。

 貴婦人は着替えてから食堂に向かうということなので、先生とコルは先に向かうことになった。

 食堂にはアルデがしかめっ面で座っていた。手持ち無沙汰なのかベージュの毛先をいじり、くるくるとパスタを巻くようにしている。

「あら、先生と……助手さん」

「コル・アーノルドと申します。初めまして、アルデお嬢様」

「ちょっと、恭しくしないで。あなた、大人でしょう」

「大人……はあ」

「気にしたことがないの?」

 アルデは目を丸くさせながら問うた。

 実のところ、コルはあまり年齢というものを理解していなかった。酒が飲めるようになっていることと、学士の街での友人であるオーレシアと同い年であることしか興味がなかった。

「お言葉なのですが……大鴉様の受肉を受ければ、その先はあまり興味がなかったのです。あの成人の儀を受ければ、人は大人と認められて、学士の街では一部の書物の閲覧が認められます。学士の街は元々大人も子どもも平等に学べるように、とあるべきものですから……」

「そう……そうだったわね。あそこでは大人も子どもも、書物が読めるかどうかしか関係がないんだったわね」

 アルデは頷き、もういいわ、と手をひらひらと振った。

 ハスタの方にコルは助けを求めると、彼は苦笑した。それからコルをアルデから離れた席に座らせる。

「アルデお嬢様は大人でないことを、たいそうお悩みなんです」

 ハスタはそれだけ言い、朝食の準備をするため厨房に消えてしまった。

 コルは首を傾げながら自分が行った大鴉様の受肉について思い出していた。

 大鴉様の受肉――それは成人の儀のことだ。肉体に変化があるわけでもなく、精神が急に発達するわけでもなく、ただその儀式をされた人間は大人と認められる。大人という境界線は大抵が年齢だ。

 ただ、その境界線は場所によって異なる。学士の街では年齢で、十八歳になった子どもから大鴉様の受肉を受けて成人と認められる。

 宝石商の中央区の前に滞在していた美術神郷びじゅつしんきょうアグラヴィータでは、確か大鴉様の受肉は美術センスのある者から順に、という曖昧な表現だったはずだ。大抵は学士の街と同じ十八歳のはずなのだが、たまに永遠の子どもが出てくるそうな。

「あの、先生」

 コルはアルデに聞かれぬよう、隣に座って手帳に何かを書き留めている先生に話しかける。

「宝石商の中央区では、どうしたら大鴉様の受肉が行われるのですか?」

 先生は手帳とペンをしまい、眼鏡を正す。

「ああ……それはオモイ鉱山の採掘師か、それ以外かで大きく変わるんだよ」

 アルデのことを察してか、先生も声を絞りながら言う。

「オモイ鉱山の採掘師は仕事を行える十五歳から。それ以外の人々で、大鴉様の受肉を受けるには、宝石を買う、ということが必要なんだ」

「宝石を……買う?」

 となれば、アルデは宝石商の中央区と名付けられているオモイ中央区に住みながら、それを管理するような立場であるのに、宝石を買うことが成人する条件になる。

 どういう意味か、コルはすぐに理解することはできなかった。

 そうだよね、と先生は頷く。

「あとで話すよ。とにかく今は、朝食を頂こう」

 先生の言葉とほぼ同時にテーブルに朝食が並べられていく。

「お嬢様は無垢鳥のサラダしか朝はお召しにならないのですが、先生とコルお嬢様にはオモイ鉱山の採掘師風の朝食をご用意致しました。オモイ鉱山の採掘師たちは何せ、力仕事が中心です。なので朝から野菜と無垢鳥を使ったスープに小麦の団子を加えたものを食べます。オモイのスープと言えば、これです」

 色とりどりの野菜と裂いた無垢鳥の肉が入ったスープが両手ほどの大きさのボウルに入れられて出される。小麦の団子は沈んでしまっているようで、どんな大きさかもわからなかった。

「ぐ、具だくさんのスープですね……」

 朝から食べるには少々刺激的だろうと言いたいのを堪えながらコルはハスタに言う。

「ええそうです。小麦の団子には家々によって異なりますが、野菜あんが入っていることが殆どです。今回は葉野菜を中心に刻んだものを使いました」

「それが沈んでいる、と」

「左様でございます」

 ハスタが溌剌とした声で説明をする。が、頭にはなかなか入ってこなかった。

 コルは目の前のスープをどうやって食べるかを悩んで、先生の方を見た。

「コル。これがオモイ鉱山の……朝食だよ」

 コルは、そのジョークを聞かなかったふりをして、スプーンを持った。


 美味しいかと言われたと言われたら、宝石商の中央区の食事は美味しいものだった。

 栄養を加味しながらも、きちんと体力がつきそうなメニューだった。しかし、重いことには変わりなかった。

 腹にずしりとかかる圧迫感になんとも言えない顔をしながら、コルはルク・トゥール婦人に用意して貰った部屋で荷物の整理をしていた。ぱんぱんに膨れ上がったトランクを開けて、中身を取り出していく。たくさんの書物に、コレクションしている鉱石。それらを包むように準備されている衣服。美術神郷びじゅつしんきょうで買った葬式用のドレスまである。

 コルは荷物を広げすぎないようにしながら、部屋を見渡した。学士の街にある自分の部屋よりずっと広い。赤を基礎として豪華な印象を与える部屋だった。流石は宝石商の中央区、絨毯や壁など様々輝いている。

 絨毯に練り込まれているのだろう宝石たちの砂を観察するべく、コルはしゃがみこむ。どうやら繊維にそれは練り込まれているようで、そっと部屋の隅の、角をほつれさせれば一本の糸にほぐれる。糸が朝日に照らされて、また輝いている。

 ほぐれた糸をまた解けば、その砂は見れるのだろうか? と考えたが試す方法がわからなかった。コルは部屋の隅から窓へと糸を照らしながら、その輝きに目を細めている。

「コル? コル、いるかい」

「はっ、はい!」

 ノックと共に先生の声がかかる。コルは慌てて部屋の中央に戻り、いかにも作業をしていました、トランクの中身を取り出していました、とアピールするように手を動かす。

 どうぞ、とコルが言えば先生が入ってくる。彼はコートを脱ぎ、ボルドーのタートルネック姿に変わっていた。

「大鴉様の受肉について補足をしようと思ったんだけど……邪魔だったかな?」

「いえ! 大丈夫です。今トランクを閉めます」

 えい、とコルは押しつぶすようにトランクを閉める。

「良かった。なら貴婦人の館を歩きながら話そう。ハスタの案内はないけど、大丈夫。僕もある程度この場所は知っているからね」

 二人は貴婦人の館を巡りながら話すことにした。

 コルもいつも着ているケープを脱いで、部屋を飛び出した。

 部屋を出るなり、先生はしれっと語り始める。

「オモイ中央区――宝石商の中央区で大鴉様の受肉を受けるには、採掘師であれば十五歳になれば自動的に儀式を受ける資格ができる。仕事をするには大人である必要があるからね」

「どうしてですか? 仕事は子どもでもできませんか?」

「いいや、採掘師というのは命の削り合いなんだ」

 先生が廊下を右に曲がったので、コルもそれに倣う。

「彼らの宝石が一段と輝くのは、命を削っているからだと言われている。労働は過酷、生活はできる限り丁寧に――と言われているが四六時中宝石を探し、削るような日々が始まる。だからある日、ぷつりと死んでしまうかもしれない恐ろしさが潜んでいる」

「……過労ということですか?」

「過労かもしれないし、仕事を満足に終えたのかもしれない。それは死した者にしかわからない」

 それはそうだ、とコルは頷く。その人生をどのように終えられた、と思うのかは他者が決めることではない。当人にしかわからないものだろう。

 頷きながら、コルはじゃあ、と呟く。

「どうしてその、採掘師ではない人々は、宝石を買うことが大人になるために必要なのですか?」

「それは宝石商の中央区が、宝石に支配されているから……とも言える」

 曲がった先には、バルコニーがあった。

 そこからは宝石商の中央区の居住区というものが見渡せた。質素な家屋など、殆ど存在しない。華美な家々が並び、午前の陽光を屋根が受けている。

 丁寧に清掃されたバルコニーの方へと向かいながら、先生は指さした。その方向には、オモイ鉱山があった。

「鉱山には採掘師の人々が住み、採掘師の――オモイ鉱山に近づくほど、人々の生活は質素になる。貴婦人の館を頂点として、それに近いほど世界は華美になっていく。それは宝石を持っているからだ。宝石こそが彼らの生活だからだ」

「宝石の所持数、ということですか?」

「それに似ているかな。そこに宝石の値打ちも入ってくる。いかに素晴らしい宝石を、その目で見て、判断して、家に持ち帰れるか、ということが宝石商の中央区の――採掘師ではない人々の子どもがまず与えられる課題なんだ。そこから彼らは宝石商としての才覚を発揮していく、ということだね」

 ただ宝石が取得できるから、宝石商の中央区ではないのだ、とコルは思った。

 オモイ中央区という名前から、宝石商が集まり、その名前を共有したという感覚を得た。共存している、と言った方がいいか。採掘師もそうでない人々も、生活を守るために――彼らの役目を発揮するために日々切磋琢磨しているのだ。研磨される宝石のように自分を磨いているのだと思う。

 ただ年齢を顧みず、その宝石商としての才覚だけを求めるのであれば、大人か子どもかの線引きはセンスということになる。

「例えばですが……採掘師ではない、宝石商の方々の中で大人であるのに私より若い子がいることもあるのですか?」

「もちろんあるよ。彼らは輝きを目に留めるプロだ。その瞳が機能しているうちに、為すべきことを為さねばならない」

 遠くて、どうしようもなく難しそうで、自分にはできないことだ、とコルは思う。

 振り返り、貴婦人の館を見る。巨大な館から、まっすぐに居住区はあり、その末端は確かにオモイ鉱山へと続く導線上にある。けれど彼らは、その地位の差に問わず、確かに宝石の真価を見定める力があるらしいのだ。

 不思議だ。その瞳に何があるのか、コルは知りたくて仕方がない。

「先生、街に出ませんか? そして人々の話を聞いて……私はこの宝石商の中央区がどのような生活に包まれているのか、知りたいです」

「いい目をしているね、コル。そうやってどんどん知りたいことを突き詰めるといい。早速貴婦人に断りを入れて、向かうことにしようか」

 先生とコルは顔を見合わせ、こくりと頷いた。

 そして早速貴婦人に会おうと、今まで通ってきた廊下を過ぎ、貴婦人の部屋の前に立った瞬間だった。

「逃がさないわ!」

 アルデのきりりとした声が廊下を埋め尽くした。

 鋭いその声と共に薄青の瞳が二人を睨む。

「不死の妙薬のことは、まだ聞き終えていないわ。お母様がいらっしゃった手前、ああやってすぐに済ませたけれど、わたしはまだ終わった気がしていないの。先生、コルさん、お母様には会わせられないわ。まだわたしの話は終わっていないのだから!」

 ずかずかと歩き、距離を詰めながらアルデが説明する。

 その後ろからハスタが息を整えながら現われた。

「お嬢様! 先生とコルお嬢様の邪魔をしては――」

 言い掛けたハスタをぴしゃりとアルデは両断した。

「うるさい!」

 こうも言われてしまうと、ハスタは何もできないようだった。

 コルは先生を見上げた。ふう、と彼は息を吐く。

「アルデお嬢様。不死の妙薬をどうしてお求めに?」

 彼女は一切の理由を語っていなかった。ただ「不死の妙薬とは実在するのか」を念入りに先生に問い掛けていた。そのことをコルは思い出して、そうだそうだと言わんばかりに頷いた。

 するとアルデはわかりやすく言い淀む。「それは……、だからよ」ともごもごと言う。

 アルデの顔もほんのり赤くなってきたところで、ハスタが前に出た。

「お嬢様は、死にたくないのです」

 不死を求めているのならば、当然のことをハスタは言った。

 だがそれで終わりではなかった。ハスタはふう、とため息を吐き、今にも泣き出しそうなアルデを庇った。

「お嬢様は、トゥールの人間をおやめになりたいのです」

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