宝石商の中央区

第十一話:宝石商の貴婦人は朝日を見ない

 大鴉は思っていました。

 どうしてこの世に悪があるのだろうと。どうして善意は悪意に耐えられず、負けてしまうのかと。

 大鴉と出会った男は言いました。それは人に欲望があるからだと。

 ならば欲望がなければ、人は善意を貫き続けるのか、と大鴉は言い返しましたが、男は首を横に降りました。欲望のない人間なんていない。ましてや、そんなものは人間ではないだろう、と。

 神様である大鴉にはわかりません。人間を作った覚えはあるけれど、もうそんなはるか昔のことは、大鴉には薄いスープのような記憶でした。微睡みの中の、けむに巻いた記憶たちは、何も答えてくれません。

 くすくすと男は笑います。じゃあ、欲望の元を作ったらどうだい、と。

 それを観察していれば、君も人間というものがわかるんじゃないかい、と。

 大鴉はそんな酔狂に、乗ることにしました。何せこの男との旅は長く続きそうでした。一つくらい、彼の言うことを聞いてやってもいいだろう。そう考えたのです。

 欲望の源として選ばれたのは、宝石でした。

 それからです。大鴉の翼、と呼ばれる黒いダイヤはこの世の至宝になりました。そして、宝石商の中央区で大事に保管をされ、ずっと主人を待ち望んでいるのです。


 ***


 ガタン、ゴトンと列車が揺れる音がしている。

 コルがこの音を聞くのは久方ぶりだ。何せ学士の街は列車とは無縁である。学士の街は常に勉学のためにある場所であるから、どこかへ赴くーー遊びに行くなどという手段からは当然のように切り離されていた。

 だからだろうか。この定期的に鳴る荷台や車両が揺れる音に心が躍ってしまうのは。

 コルは窓の向こうを見遣った。

 そこには夜空が浮かんでいる。というより、元からその窓は夜空しか映し出していなかった。

 夜汽車ブルカニロ――何処にでも現れ、何処にでも行けるというその夜汽車は、常に夜空を旅している。その神秘を守り、ずっと夜空の中にあった。

 コルは当然のように不思議に思う。夜があれば朝があるものではないだろうか、と。そしてその道理は、夜汽車ブルカニロという神秘であっても、守られるものなのではないだろうか、と。

 思い立ったらすぐ行動するのが、このコルという女だった。

「もしもし、先生。先生」

 彼女はボックス席の向かいに座っているアッシュグレイの短髪をした男の肩を揺らす。彼は眠っていて、丸く開いた口から呼吸をしているようだった。鼻呼吸ではないのか、とコルはなんとなく彼の健康を疑った。

 何度か彼の肩を揺らすと、うう、と小さく身じろぎをした後、その男は目を覚ました。目を擦り、灰色の瞳を左右に動かす。そして胸ポケットからスクエア型の眼鏡を取り出してかける。

「おはよう、コル」

「おはようございます、先生」

 寝つきは悪くとも寝覚めが良いのが先生という人間だった。彼はしゃきりとした瞳でコルを見つめ、にへら、と笑った。

 先生とコルは、旅をしている。旅という名のフィールドワークを。

 各地の文化と生活様式の再発見と考察――は名目上だ。本当はコルの言う「美しいもの」を探す旅をしている。それは不定形なものかもしれないし、実態を持つものなのかもしれない。心を動かし、感動するものをコルは探している。そしてそれを誰かに伝えたい、と願っている。

 そんな彼女の思想に賛同したのが神話学の権威である先生だった。ちょうど先生は自分のフィールドワークの手伝いをしてくれる存在を探していた。数多の生徒が挙手する中、どうしてコルを選んだのかは、彼のみぞ知る理由である。

 ともかく、二人は旅をしている。先生の講演や、彼にやってくる依頼をこなしながら、終着点の見えない旅をしていた。終わりこそ、コルの探す「美しいもの」が見つかった時だろう。

「先生、どうしてブルカニロには夜しかないのですか?」

「ええと……まずは理由を聞こうか。どうしてそんなことを思ったんだい?」

「だってこの夜汽車ブルカニロに乗ってから、景色はずっと夜空ばかり。朝がやって来ることなど、見たことがありません」

 端的なコルの質問に、ふむ、と先生は顎に手を置いた。

「どうしてだろうね。夜汽車ブルカニロだからかな?」

「それは理由になっていません。どうしてでしょう……?」

 二人が首を傾げていると、靴音がした。かつん、かつんとわざとらしい足音に先生は眉を顰め、コルは目を輝かせた。

「それはこの夜汽車ブルカニロが纏い、動力にしているものが大鴉様の恩寵である夜、だからですよ」

 現れた彼はこの夜汽車ブルカニロの車掌だった。金髪をひと結びにした男女の区別のつかぬ麗人は、恭しく頭を下げる。

「それはどういうことですか?」

「夜汽車ブルカニロの乗車賃とは別に、動力、というものがございます。それが大鴉様の恩寵こと、夜の暗闇でございます」

「夜の暗闇?」

「……ああ、そうか。黒鉄粒子くろがねりゅうしのことを言っているんだね?」

 先生が車掌に問う。「その通りでございます」と車掌は微笑んだ。

「古来より黒鉄粒子は存在を否定され続けた大鴉様の翼が黒い理由、でございます。その粒子を、夜の空から――大鴉様の翼から頂戴して、このブルカニロは動力源としています」

「黒鉄粒子は存在するのですか? それはそれは……学士の街の人々が聞いたら、ひっくり返りそうな話です」

 コルは学士の街で物理学を専門としていた人々を思い出す。いや、ここは錬金術だろうか? 様々な勉学に励む人々が「黒鉄粒子の存在を解明する!」と言いながら頓珍漢な論文を書いていたのが浮かんだ。彼らが聞いたら、きっとひっくり返るどころか泡を吹くかもしれない。

 あはは、と先生は笑う。

「そのひっくり返る理由が言えないことがわかっただろう、コル」

「ええ、わかりました。先生が想像以上に秘密主義ということも」

 夜汽車ブルカニロは神秘だった。魔法の存在だった。誰もが羨む、おとぎ話のはずだった。

 だのにこうして乗車しているのは、先生がゆえだった。彼はある日夜汽車ブルカニロに乗ってみようと画策し、それに成功した数少ない人間だった。しかしその事実を公表せず、今日まで黙秘していたのだという。

 コルだって、夜汽車ブルカニロが存在しているとは思ってもみなかった。けれど、先生が空から降って来た――美術神郷びじゅつしんきょうアグラヴィータでの出来事を思い返せば、夜汽車ブルカニロが存在していることを信じるしか他ならなかった。

 事実、彼女は今ブルカニロに乗車しているし、なんの不自由もなくいる。車掌の話によれば、もう少しすると次の目的地である「宝石商の中央区」に到着をするらしい。

「いや、そういうわけじゃないよ。ただこの世には不思議であって欲しいものもあるじゃないか。例えば――どうして宝石は輝いていると思う?」

 コルは首を傾げた。

「宝石が輝くものだからじゃないですか?」

「コル。それは美しいものは美しいから、美しいものだ、と言っているようなものだよ。そうだな……黒鉄粒子のようなものがある、というものだったら、君はどういう反応をする?」

「それもそれで浪漫がありますが、そうすると宝石が輝く理由と共に、様々なものが輝く理由が黒鉄粒子になりかねませんか?」

「それもそうだね。だから、まず黒鉄粒子のようなものではない、と先に断言しておこう。似たような成分はあるかもしれないけれどね」

「それじゃあ……私たちの瞳が、宝石を輝くもの、と認識するようにできている説はどうですか?」

「その共通認識は何処から発生するものだい?」

「それは……ええと」

 コルは言い淀む。

「残念だけど、それは無理な話だね。何故なら宝石を宝石とわからぬまま扱う種族だってこの世には居ることだろうから。その価値を知っている者は、宝石を宝石として扱っている人々だけだ」

 きっぱりと、しかし的確に先生は論を展開させていく。

「どうしてだと思う? ヴィ――車掌さんの意見も聞こうじゃないか」

 先生は車掌に話を振った。その場に背筋をまっすぐにしたまま立っていた車掌は、胸元のネクタイを整え「そうですね」と前置きした。

「その逆はどうでしょう。お客様が仰ったように、我々が宝石を輝くもの、と認識しているのではなく、宝石が私たちをあれは輝くものだ、と認識させているのです」

「宝石が惑わせている――と言えば大仰だけど、そういうことかな?」

「その通りでございます」

 車掌の言葉にコルは言い負かされたような気分がしてあまり良い気持ちにはなれなかった。

「つまり僕らは宝石に踊らされている傀儡かいらい、という見方も出来るというわけだ。あはは。それは面白いね。いい解釈だ」

「ずるいです車掌さん。先生からそんな台詞を頂くなんて、なかなかありません!」

「ふふふ。なかなかどうして、こういう発想は尽きないものです。ですが先生、真実はどうなのですか?」

 車掌が先生に問う。

「じゃあ答えよう。真実は――綺麗にカッティングされているから、というのが通例だ」

「カッティング?」

 聞き慣れない言葉にコルが問い返す。「カッティングだよ、コル」先生が念入りに言う。

 先生は右手の人差し指と中指を器用に動かしながらはさみの動きを表現する。

「ああこうじゃないな……こうか」

 次に先生は、左手で何か物体を持つような角度に指を折り曲げ、それに添える形で右手を添えた。その右手は何か、ナイフのようなものを握っているかのように見えた。

「こう、りんごのように宝石を削るんだ。削った結果が、あの宝石だ」

「ほ、宝石を削る!? 削って……削った後はどうするんですか!?」

 コルは光るものに目がなかった。予想どおりの反応をコルがするので、先生は苦笑しながら言う。

「宝石商の中央区では家具などに利用されるんじゃなかったかな。その削った結果の――砂、だったかな? それらは非常になめらかで、いろんなものに使えるらしい」

「そ、それはわかりました。でも、削ることで宝石は輝くのですか? 原石は磨いて輝かせるもの、だという言葉もあるくらいですが……」

「研磨だから、それも結局は削っているのさ。だから、宝石というものは、元は輝かぬものであり、削られてその内側を露出させて、輝きを見せているに過ぎない」

 淡淡と先生は言う。それがおそらく事実だろうということは、コルは信じるしかなかった。

「……なんだか夢を壊された気分です」

 はあ、とコルがため息を吐く。

「あはは。なんだか悪いことをしちゃったな。でもコル。次に向かう宝石商の中央区は、宝石を採掘から研磨、値をつけるところまで一貫して行っている場所だ。君にぴったりのものもあるかもしれない」

「もう、先生。そんなこと言ったって、私の心は落ち着きません」

 ぷい、とコルはそっぽを向く。

「それに光るものが好きだからと言って、宝石ばかりが好きというわけではありません。ほら見てください。この鉱石だって!」

 コルがぱんぱんのトランクを開けて、中から鉱石が入ったケースを取り出す。それは九つの区切りがあり、透明な蓋できっちりと封がされていた。きらきらと煌めく九つの輝きは、車内の照明を反射している。コルのコレクションは品の良い輝きをしている。先生はそう思った。

「わかった、わかったから。でも、きっと君のめききにかなうものがあることを祈っているよ」

「ええ。それはそれで楽しみです。もしかしたらボックスを買い換えなくてはいけなくなるかも知れません」

「あはは。君の財布が心配だよ」

 先生が笑う。コルはコレクションをしまい、「そんなに値打ちのするものなのですか?」と聞く。

「宝石だからねえ」

 コルはまた首を傾げた。車掌にも視線を送る。

「宝石ですから」

 車掌も同じ事を言った。

「え、でも……宝石でも大きさなどで全然変わりますよね? 安いものもあるでしょうし、他にも……」

「……残念ながらコルの手に届くような宝石は、宝石商の中央区にはなさそうかな、という意味だよ」

 先生と車掌が揃えてうんうん、と頷くのでコルはそんなに宝石は高いものだっただろうか、と考える。宝石は高いものから安いものまで様々だと考えていたが、宝石商の中央区にあるものはすべて高級志向――すべからく高いものなのだろうか?

 おずおずとコルが尋ねる。

「その……宝石商の中央区は、着飾った方々ばかりなのでしょうか?」

 コルの頭の中には、宝石ばかりを身につけた貴婦人が大きな扇子をひらひらと振っている。豪華絢爛な屋敷の踊り場で、おほほ、と笑うその貴婦人は、どう見ても金持ちというこってりとしたイメージで作られていた。

 彼女の言葉に先生と車掌は顔を見合わせた。次の瞬間、くはは、と二人は噴き出す。

「違うよ、コル。寧ろ宝石商の中央区は労働者が集う場所だよ」

「ええ、そうですお客様。あそこは労働者が――採掘者が集う場所。誰もが一攫千金を目指す、オモイ中央区の別名です」

「オモイ中央区……が宝石商の中央区、ということですよね?」

「左様でございます。オモイ鉱山という場所は、この世の宝石が集いし鉱山。そこから採れる宝石たちを目的に採掘師は集まり、宝石商もやって来て、貴婦人が値を決めるのです」

 車掌は丁寧かつゆっくりと説明をした。その声は何処かアナウンスのようでもあった。

 次の瞬間だった。 

ガタン、ゴトンと音を立てながら進んでいるはずの夜汽車ブルカニロから、その音が消えた。

 車掌は告げる。

「――到着でございます。宝石商の中央区でございます」

 ゴトン、列車が揺れた。停止している様子から、車掌の言う通り宝石商の中央区に到着したのは言うまでもないようだった。

 車掌の言葉を聞いて先生が荷物をまとめ始めるので、コルもそれに続いた。彼らの荷物はぱんぱんに膨れ上がったトランク程度だけれども、その蓋を閉めることこそが一番の問題だった。読み耽っていた書物やそれこそコルのコレクションが折れ曲がったりしないよう、細心の注意を払いながら、なんとかしてトランクに鍵をかける。

 すく、と先生がトランクを持ち上げて立ち上がった。

「行こう、コル。煌めく世界が待っているよ」

「はい、先生。あ、でも……」

「どうかしたかい?」

 コルが立ち止まり、ポケットの中を探り始める。

「乗車賃を払わないといけないのではありませんか? ちょっと待ってくださいね。今お金を……」

「乗車賃ならば、既に大鴉先生から頂いております」

「ええ?」

 さらりと言い放つ車掌に、コルは目を丸くさせた。いつ、一体どのタイミングで支払ったのだろう。乗車のタイミング――ではなかったように思う。先生は財布すら出していなかった。自分が先生と座っていたボックス席から離れて、レポートを書いている時だろうか。それとも自分が寝台車両で眠っている時だろうか。

 驚くコルをよそに先生は車掌に言う。

「次に会うのはいつだろうね」

「またのご乗車、いつでもお待ちしております。先生」

「あはは。それはまた無理を言う。今度は本物の列車に乗ることにするよ」

 笑ったのは先生だけだった。車掌はコルから見えない位置で、先生に向かって表情を消した。車掌はそのような二面性を持つ人間だった。

「コル!」

「はい!」

「ブルカニロが出発してしまう。君だけ取り残されても、この旅はしょうがない。さあ、早く!」

「わ、わかりました!」

 先生に急かされてコルは重たいトランクを持ち上げた。

 夜汽車ブルカニロは不思議な場所だった。夜空が何処までも続き、無いと言われていた黒鉄粒子で動く汽車。その存在は誰もが知っているのに、誰もが乗ったことがない。

 生き証人になった、とは大仰な言い方だがコルは何処か誇らしい気持ちになっていた。また一つ、美しいものを知った。そんな気分になっていた。

 ブルカニロの降車口に立ち、先生は早々にブルカニロを降りた。

「車掌さん」

「はい」

 コルは振り返る。金髪の麗人がそこには居て、穏やかにコルと別れるべく微笑んでいた。

「またお会いしましょう!」

 コルは車掌がするように――と言っても、彼女のなけなしの知識では、車掌はそのようにするもの、というだけだったのだが、敬礼をした。

 車掌はその翠玉色の瞳を見張り、その笑みをくすぐったそうなものに変えた。

「ええ、お待ちしております。お客様」

 車掌も敬礼を返す。

 そしてコルは夜汽車ブルカニロを降りた。


 ***

 

 地面に足をつけると、そこが草のない大地であることに気づく。焦げ茶色、しかし黒色寄りの土が足元に広がっていた。

 後ろを振り返れば、夜汽車ブルカニロはもう消えていた。

「……本当に不思議な汽車旅でした」

「降りても夜ではなく、朝というのが本当に不思議なところだよ」

 先生が腕時計を確認しながら言う。どうやら時計は狂っていないようで、空を見れば朝日が昇り始めるところだった。

 空は快晴というわけでもなく、やや曇りと言ったところか。

 先生はポケットからコンパスを取り出す。

「コル。見えるかい。あそこが宝石商の中央区だ」

 彼は東の方角を指し示す。そこには街が見えた。最奥には大きな屋敷が見える、階層がしっかりと分かれていそうな街だった。まだ近づいていないからなんとなくの想像でしかないが、おそらくは身分でその住む階層が異なっているのではないか、とコルは予想する。

「そして後ろに見えるのがオモイ鉱山――宝石商の中央区が所有する、この世の宝石の在り処だ」

 言われてコルは先生が次に指し示した方向を見る。

 そこには高い山があった。整備がされているようで、採掘のために穴が開けられ、鉱石を運ぶのだろうレールが敷かれている。トロッコも遠くに見えた。

 トロッコとレールは、オモイ鉱山近くの施設のような場所に続くように敷かれている。その施設は大きいわけではなく、細かに点在していた。けれど宝石商の中央区という街よりかは小さい規模のようである。

「……労働者のための場所、という印象です」

「その通りさ。美術神郷アグラヴィータが美術に情念を燃やすアーティストたちの街ならば、宝石商の中央区はさっきも言ったけれど、一攫千金を夢見る労働者の街だからね」

「一攫千金……」

 コルには想像もできなかった。コルはお金に困ったことがないし、特別欲しいものを金で買った覚えもなかった。たまたま運よく手に入ったものが、自分の欲しいものだっただけーーというのは、なかなかに幸運なことなのだと彼女は噛み締める。

 一攫千金を夢見る人々は、どのような人物たちなのだろう。コルは想像をする。やはり貧困層だろうか。それとも何か必要に迫られて金を求めて宝石商の中央区にやってくるのだろうか。それともただの娯楽か――想像は膨らみ、早く真実を知りたいと心が騒ぐ。

「早く行きましょう、先生!」

 コルは宝石商の中央区へ向かうべく、歩みを進めた。

「ああ待って、コル!」

 瞳を輝かせた彼女がなかなか止まらないことを先生はよく知っていた。足早に下り坂を進む彼女を、転がるように先生は追いかけた。

「コル! 待つんだ、コル。いいかい、今の時間は朝方なんだ。だから宝石商の中央区じゃなくて――こっちだ!」

 コルに追いついた先生は息を整えながらオモイ鉱山の方を示す。

「どうしてですか?」

「それは見ればわかる。いいかい、コル。宝石商の中央区で採掘をするということは、その研磨までもを一律して行うということだ。昼は鉱山で掘り、夜な夜な研磨をして、朝にその宝石たちは商人たちのところに届けられる。届けられた宝石たちは朝からオークションにかけられ、その価値を見出される。つまり採掘師たちは殆どが昼夜逆転生活をしていると言ってもいい」

「と、いうことは今、宝石商の中央区――いえ、オモイ鉱山で盛り上がるのは、あの施設らというわけですか?」

「そういうことだよ。……ほら、始まった!」

 先生が声を上げると同時に、辺り一面に音が響き渡る。

 コルは耳を澄ませた。聞こえてくるのは、人の怒号。男の声、女の声、老人の声、若者の声、子どもの声。それら全てが混ざり合い、一つの音となってコルの耳に届いてきた。

 これは一体何の音なのか、コルには判断ができない。

 先生は興奮気味にコルの手を引き、駆け出した。向かうべくはオモイ鉱山。その点在する施設たちの方だ。

 そして目にしたのは、大勢の人々だった。

 よく見ると彼らの手には煌めいた何かがある。……宝石だ。研磨に研磨を重ね、彼らが思い描いた美しさがそこにはあった。

「あんなにも多くの宝石が……すごい」

 コルは感嘆の声を漏らす。

 その隣で先生は眼鏡の位置を直しながら、オモイ鉱山のしきたりについて語る。

「オモイ鉱山のしきたりはこうだ。――その日一番の宝石を貴婦人に渡すこと」

「その日一番? ということはこれが毎日行われるのですか?」

「いや、毎日どの施設……正しくは家ごとにあるんだったかな、あれは。家ごとに宝石が見つかる日とそうでない日があるから、まちまちだけれどね。けれど、このオモイ鉱山で宝石が見つからない日は存在し得ない。それほどの量の宝石が見つかるんだ。毎日のようにね」

「そんなに……」

「また、宝石商の中央区を占めているのは貴婦人ルク・トゥール。宝石商の貴婦人は、朝日よりも宝石を求めている。だから彼女のお眼鏡に合うものを、何よりも早く一番に渡すこと。それが求められているんだ」

「だから彼らは集まって……ええと」

「選定をしているんだ。朝日よりも輝く宝石を」

 大勢集まった人々の中で、宝石を手にしているのだろう人々は天高く手を伸ばし、昇る朝日にそれをかざしていた。

 そうしてじいっと宝石を睨んでいるかと思うと、彼らはそろって声を出す。

「これだ!」

 決まった。宝石商の貴婦人に渡す宝石が、その瞬間に決まったのだ。

 そうとなれば宝石を運ばなくてはいけない。貴婦人ルク・トゥールに渡すためにどうするのだろう? コルはなんとなく思い至った。周辺には採掘に使うのだろうトロッコぐらいしかなく、他に移動手段は見えない。

 まさか、あの場所まで走る? と宝石商の中央区方面を見るが、ここから歩くとしてもかなりの長距離であるように見えた。オモイ鉱山から歩いても、朝の時間帯には間に合わないような気がしてならない。

「先生、ここからどうやって――」

 と、コルが先生に喋りかけた瞬間だった。

「お待ちしていました!」

 先生とコルに溌剌とした声がかかった。

 天鵞絨の詰め襟。長袖の制服をまくった腕は逞しい。ハイカットブーツは履き慣れているものなのか汚れがすごい。けれど身なりはきちんとしている印象を与える、土色の髪をした青年がバギーに跨がっていた。

 彼はどうやらオモイ鉱山方面からやって来たらしく、バギーの正面は宝石商の中央区を向いている。

「やあ、ハスタ! 久しぶりだね」

「先生もお久しぶりです! いや、待ちくたびれましたよ! トゥール婦人も先生のご到着を今か今かと待ち構えていたところです」

「それはすまない。美術神郷で少し面白いことに出会ってね」

「そうだったのですか! ああ、そういえば手紙に書いてあったような……ああ!」

 ハスタと呼ばれた青年は先生とひとしきり話した後、コルの方を向いた。

 ぎょろ、とした瞳が琥珀の色をしている。その瞳はコルのつむじから足先までを見つめて、「コルお嬢様!」と声を発した。

「お、お嬢様?」

「今回の付き人のコルお嬢様でいらっしゃいますね? 確かに群青の瞳がアクアマリンのように輝いている! 先生の表現には、婦人もさぞかしお喜びになるでしょう」

 悪意の一つもなくハスタはコルを褒めそやす。以前滞在していた美術神郷アグラヴィータではその瞳の色の褒め方にどことなく下心を感じたものだが、今回の褒め方には気持ちのよいものを感じる。

 とりあえずコルはハスタに頭を下げた。

「コル・アーノルドです。先生と同行をしている生徒です」

「コルさん。では急ぎましょう! そろそろトゥール婦人のお目覚めです。まずは宝石を届けましょう!」

 さあ! とハスタはバキーのエンジンをふかす。

 ハスタの跨がるバギーは二人乗りらしく、空席があった。

 そこに座るのは先生だとして、自分はどうすればいいのだろう、とコルは思う。

 悩んでいるうちにコルの肩を先生が押した。

「バギーの席と席との間に、空間が少しあるのがわかるね?」

「はい。でも先生……え、いやまさか……」

「足の置き場は僕が作るから大丈夫。しっかりと僕も後ろから君のことを支えるから、コルもちゃんとハスタの背中に捕まるんだ。ハスタの運転は荒いから気を付けて」

 背中を押される。そのうちに先生はひょい、と後ろの席に座ってしまう。そしてハスタもハスタで、コルが二人の間に立ち、捕まることを許容しているようだった。

「むっ、む、むむむ無理ですよ! そんなの! だって立ちながら運転されるだとか、落ちてしまったらどうするんですか!」

「そのために僕が支えるんじゃないか。早くしないと貴婦人が目覚めてしまう。コル、早くのるんだ」

「えええ!」

 思わず尻込みをするコル。しかしこの場に誰も助けてくれる人はいない。

 仕方がなくコルは男に挟まれるようにしてバギーの足場に足を落ち着かせ、ハスタの背中に抱きついた。なんだこれは。どういう状況なんだ。コルは何度も自分に言い聞かせる。

「いきますよ!」

 ハスタが嬉しそうに掛け声をする。おー! と先生が呑気に手を挙げて喜ぶそばで、コルは冷や汗しか出なかった。

 ――どうか安全運転でありますように!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る