第27話:融かし解して

「あ、の……」


 長らく人と話していなかったのだろう、しどろもどろで、視線も安定しない。次の言葉を考えながら、沈黙を埋めるように音を発し続けている。

 会話に対して苦手意識があるのかもしれない。であれば、まず行うべきは彼にとっての難易度を一つ下げてあげること。扉の前から動かないカイルに手招きする。


「ほら、おいで。お菓子いっぱい用意したんだ、一緒に食べよう!」

「う……うん」


 カイルは恐る恐る近づいてくる。ティオものっそりと歩み寄ってくるが、猫が怖いのか足を止めてしまった。


 フォローしなければ。


 そう思ったと同時、ティオは見たことのない笑顔を浮かべた。穏やかで優しい、見間違いかと錯覚するような表情だった。


「初めまして、カイル・ペンバートン。私のことはティオと呼んでくれ」

「しゃ、喋った?」

「ハッハッハ、喋る猫は初めて見ただろう? 驚かせてすまないね。物珍しいだろうが、喋ること以外はただの猫だ。身構えず、気を楽にしてほしい」

「わ、わかった……」

「ありがとう。聡明な子だ」


 驚かせてすまない? 驚いたのはあたしの方だ。


 いつものぶっきらぼうなティオはどこへ行った?こんなに紳士然とした口調で話すティオは見たことがない、長い付き合いの中でも初めてだ。

 意地悪で無愛想なティオが基準になっているが、これはあたしが歪んでいるのか? 元々ティオはこういう口調で、あたしが勝手に脳内で変換している?


 なにが真実なのかがわからなくなる。ティオに任せてはいけないと思っていたが、この様子なら大丈夫そうだ。少し思考の整理に時間を使わせてもらおう。


「猫も、お菓子、食べるの?」

「生憎と猫はデリケートでね。人間と同じものを食べれば体を壊してしまうんだ。私も人間なら感想を語り合ったりできたりだろうから、寂しく思うよ」

「そっか。じゃ、じゃあ、ぼくが味を教えてあげる……けど、どう?」

「ハッハッハ、優しい子だね。それじゃあお願いしよう。思うまま伝えてくれ」


 猫と話す方が気が楽なのだろうか。先程までのたどたどしさは少しずつ引いていき、本来のカイルが出てきているような気がする。

 人間関係が原因でハートリウムに囚われたのなら、あたしよりもティオの方が取っ掛かりやすいところもあるのかもしれない。

 カイルが最初に口をつけたのはクッキーだった。用意してあった型を使ったので、可愛い動物の形になっている。実際に作ったのはあたしなだけに緊張はする。緊張感の伴う沈黙に固唾を飲む。


「……甘い」

「甘いのは嫌いかい?」

「ううん、好き」

「そうか、それはなによりだ。甘いお菓子はどこか安心するのではないかね」

「……うん。なんか、胸の奥、あったかい」

「ああ、伝わっているとも。きみの顔を見れば食べずともわかる。お菓子はまだまだたくさんある、時間もね。味わって食べるといい」


 こくりと頷くカイル。そのまま黙々とお菓子を食べ進め、その都度ティオに感想を伝えていた。子を見守る親のような顔で何度も頷き、それを見る度カイルの表情が少しずつ柔らかくなっていく。

 人間のあたしじゃ、この顔は引き出せなかったのかもしれない。やはりあたしたちはふたりで一人前のカウンセラーになっていくのろう。ひとりじゃ半人前というところは悔しく思うが。

 カイルを見守るあたしたちだが、不意に視線が合った。なにか言いたげに口を動かしているが、言葉が上手く出てこない様子。


「ゆっくりでいいよ。時間はいっぱいあるしね」

「あ……! う、は、はい……」


 患者とのコミュニケーションにおいて、言葉の選び方は大切だ。

「待っている」と言えば「待たせてしまっている」と解釈しかねない。そうなれば考えがまとまらないまま話し始め、場合によっては自己嫌悪に陥る可能性もある。

 時間を理由にした方が誰かのせいにする必要も薄れるだろう。そう思っての判断だが、有効に働いているだろうか。カイルはじっくりと思考を巡らせているようだった。


 考えがまとまったか、あたしの目をもう一度見るカイルくん。すぐに目を逸らしてしまったものの、搾り出した声はしっかりと届いた。


「……お姉ちゃんも、食べる?」

「え、いいの? 全部食べてもいいんだよ?」

「……一緒に食べた方、が、楽しいかな、って」

「優しいなぁ、カイルくん。じゃああたしも食べちゃうね! ありがとう!」


 ありがとう。単純な言葉だが、その効果は計り知れない。

 普段なかなか言えない、あるいは言われない言葉。ありふれた言葉なのに、胸がいっぱいになる言葉。誰にでも使えて、確かな力を秘めている。ある種の魔法だとも思う。

 傍にいたティオが困ったような笑みを零す。そんな顔、見せたこともないくせに。


「ミライ、食べ過ぎないように気を付けること」

「わかってるよ。一緒に食べるんだもんねー?」

「う、うん……」


 まだ壁はある。目を合わせてくれないところからもそれは伝わっている。いきなりこころを開いてくれるとは思っていない。あの扉を開けたのだって精一杯の勇気を振り絞った結果のはずだ。

 であれば、今度はあたしが頑張る番。クッキーを頬張り、満点の笑顔を見せる。


「ん~、我ながらいい出来!」

「お姉ちゃんが、作ってくれた……ん、だよね?」

「そうだよ、得意なんだ。おいしそうに食べてくれて嬉しかったよ」

「ん……うん、おいしかった」

「へへ、練習の甲斐があった!」

「練習したの?」

「いっぱいしたよ! でもあたしそそっかしくってさ。砂糖と塩なんか何回間違えたかわかんないし、クッキーだっていっぱい焦がしたし、パンケーキは爆発させたし」

「ば、爆発……?」

「びっくりするよね。オーブンがね、ぼんっ! って音立てて。え、なに!? って思って見てみたら、時間の設定一桁間違えてたの。その後すっごい怒られちゃってさ、好きで爆発させたわけじゃないのに! って言っても聞いてくれなかったの……」


 がっくりと肩を落として苦笑する。言葉選びだけじゃない。声音、仕草、表情。疲弊した患者のこころは研ぎ澄まされている。どこかひとつでも違えれば誤った解釈を去れる可能性がある。

 笑い話をしている。それが伝わるように、全身で丁寧に伝える。カイルはしばしぽかんと口を開けていた。もう一押し足りないか……?

 そう思った矢先、ティオがくっくと喉を鳴らして笑った。


「この娘はおっちょこちょいでね、失敗談は絶えない。私は何度も傍で見てきたからね、なんなら私が教えてあげようか」

「ちょっと。あたしが言えばいいでしょー? なんでティオが言いたがるの?」

「ミライよりもっと面白おかしく語れるだろうからね、聞いてて楽しい方がいいだろう?」

「自分で言うのはいいけどティオに言われるのはなんか嫌!」

「ハッハッハ、子供みたいなことを言うものだ」

「まったくもう。はいはいそうですね、お子ちゃまでごめんなさーい」


 これはきっとティオなりの助け舟だ。彼はあたしのことを誰より理解している、はず。あたしがなにをしたいか、なにを思って失敗談を明かしたかが伝わっているはずなのだ。

 ただの失敗談で終わらせず、ひとつの掛け合いとして続ける。猫と人間、それでいて猫の方が大人びている。であればあたしは子供役に徹すればいい。

 人間の親子のようなやり取りを猫としているのだ、珍妙な光景に見えるはず。カイルを一瞥すると――堪え切れなくなったか、ふっと息が漏れた。


「あははっ、やっと笑ってくれた!」

「ふふっ、は……え? あ、ご、ごめんなさい!」

「謝らないで! あたしいま、すっごく嬉しいよ! ああもう可愛いなぁ!」

「え? か、かわ……? えと、ありが、とう?」


 困惑しつつもお礼は言ってくれる。やはりいい子なのだ、この子は。

 あまり愛おしくなってもカウンセリングがままならなくなるかもしれない。必死に抑えつつ、解れた空気に安堵した。ここからが本番ではあるのだが。

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猫とあたしでカウンセラー 小日向佑介 @khntUsk0519

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