公園でよく会う彼は(後編)

 その夜、私は夢を見た。

 そこは真っ暗な空間で、何も見えなかった。だが、前方から誰かが歩いてくる気配がした。私は恐ろしさのあまり、その場から動けなくなる。


 やがて、暗闇の中から一人の男が現れた。男は全身黒ずくめで、口元に笑みを浮かべながらこちらに向かってきた。私は恐怖のあまり悲鳴を上げることもできずに固まっていた。


 すると、男が突然ナイフを取り出した。そして、それを振りかざしてくる。私は死を覚悟したが、その刃は私に届くことはなかった。


「――っ!?」


 私はそこで目を覚ます。

 汗びっしょりの状態で起き上がり、呼吸を整える。


(今のは……?)


 私は何が起こったのか分からず混乱していたが、しばらくして冷静さを取り戻した。


(やっぱり、あれはただの夢だったんだ)


 だが、その判断は甘かったようだ。

 なぜなら、それからというもの毎晩同じ悪夢を見ることになったのだから。



 そして、ついに恐れていたことが起きてしまった。

 私が夜道を歩いていると、背後に人の気配を感じた。私は振り返ったが、そこには誰もいなかった。


(気のせいかな……?)


 不思議に思いながら前を見ると、目の前に黒い影が現れ、私ののどに刃物を突き立てようとした。


「きゃあっ!!」


 私は間一髪で避けることができたが、代わりにバランスを崩し転倒してしまった。

 そのすきを狙って、相手は再び襲いかかってくる。

 今度こそ、殺される──!そう思った、その時だった。


「――ぐふぅっ!」というくぐもった声が聞こえたかと思うと、「うおっ!……痛ぇじゃねーかよ! クソがッ!」という怒声が響いたのだ。


「え……?」


 状況が理解できずにいると、私の視界に男性の姿が映った。

 その瞬間、私は安堵あんど感に包まれた。


「あ……」


 それは紛れもなく、あの人だった。彼は私の方を見て言う。

「大丈夫ですか?……怪我はないですか?」と。

 その優しい声音に、私は涙が出そうになったがグッとこらえる。


「はい、なんとか……」


「そうですか。よかったです」


 彼はそう言いながらも、私の方に視線を向けることなく走り去ってしまった。

 私は、その後ろ姿を眺めていることしかできなかった。



 翌朝になると、街では昨夜の事件が話題になっていた。どうやら昨日私を襲った男は、連続殺人犯として指名手配されていた人物だったようだ。

 あの後、警察によって取り押さえられ、現行犯逮捕されたのだという。


 私はその話を聞いてゾッとする。もしも、彼が助けに来てくれなければどうなっていたことだろう。そう考えると身震いした。

 だが、同時に疑問を抱く。


(どうして、彼はあんなにタイミングよく来てくれたんだろう?)


 偶然にしては出来すぎている気がする。まるで予知していたかのような動きだった。

 私は、しばらく考え込んでいたが、結局分からずじまいのまま仕事に向かった。


 それから、私は彼にせめてお礼を言おうと思い、仕事帰りによく公園に立ち寄るようになった。

 だが、彼はいつ来ても居らず、結局会えずじまいだった。



(どこに行っちゃったんだろう……)


 寂しい気持ちを抱えながら、公園へ通うこと数週間。

 今日もいないだろうと思っていたのだが、予想に反して彼はいた。


「お久しぶりですね」と彼は微笑む。

 私は嬉しくなって駆け寄り、彼に抱きついた。


「ちょ、ちょっと! いきなり何をするんですかっ!」と慌てる声が聞こえる。


 私は構わずに彼の胸に顔を埋めて言った。

「ありがとうございました!」と。


 彼は最初こそ戸惑っていたが、すぐに優しく頭を撫でてくれる。

「無事で良かったです」とつぶやきながら。


 私はその心地良さに幸せを感じつつ、さらに強く抱きしめるのだった。



 それから、私たちはお互いに自己紹介をした。よく会っているのに名前も知らないというのは変だと思い直したからだ。

 彼の名前は『桐生真司きりゅうしんじ』さんと言うそうだ。年齢は予想通り、私より年上だった。


「あなたのことは、どうお呼びすればよろしいですか?『楠本くすもとさん』? それとも、『美樹みきさん』?」


「できれば、名字ではなく下の名前で呼んでほしいんですけど……。ダメでしょうか?」


「いえ……そういうことでしたら、喜んで」


 少し照れくさそうな様子で答える彼。私もつられて恥ずかしくなり、うつむいてしまう。


「それじゃあ、真司さんでいいですか?」


「ええ、もちろんですよ」


 こうして私たちは、お互いの名前を知ることになった。

 その流れで、私は気になっていたことを尋ねてみる。


「どうして、あの時すぐに駆けつけることができたんですか?」と。すると―――。


「実は……。僕は、刑事の仕事をしていましてね」


「け、警察の方なんですか!?」


「はい。といっても、まだ新人なのですが……」


 私は驚きで目を見開く。まさか、こんなところで警察の人間と出会うことになるとは思わなかった。


「僕は、ついこの間から、この街に配属になったばかりなんです。……美樹さんと初めて会ったのも、ちょうどその時期でした」


 真司さんは私に視線を合わせると、ゆっくりと語り出した。

 彼の話によると、この街にやってきて早々、隣の街で例の連続殺人事件が発生し、急遽きゅうきょ応援要請を受けたらしい。


「だから、公園に来れなくなったんですね……」


「はい……。美樹さんに、何も言わずに姿を消すような形になってしまい、本当にすみませんでした」


 真司さんは申し訳なさそうに頭を下げる。

 私は慌てて首を横に振った。


「謝らないでください!……それより、続きを聞かせてもらってもいいですか?」


「はい」と彼は返事をして、再び話し始めた。



 真司さんを含む警察たちは、殺人犯の逮捕に全力を尽くした。だが、捜査はあまり進展せず、犠牲者が増えていく一方だったという。

 そんな状況の中、殺人犯がこの街へ拠点を移そうとしているという情報が入った。


「そこで、僕たちはこの街に戻ってきたというわけなんですよ」


「そうだったんですね」


 私は納得して相槌あいづちを打つ。


「でも、どうして私のところへ?」


 すると、彼は苦笑いを浮かべる。そして、少し言いづらそうに答えた。


「その……美樹さんに初めて会った時、一目惚れしてしまって」


「えっ?」


 私は驚いて聞き返す。


「僕からも話かけようと思ったのですが、なかなか勇気が出なくて。でも、あなたの方が話しかけてきてくれて……とても嬉しかった」


「そ、そんなことがあったなんて、知りませんでした……」


 まさか、彼が私に好意を抱いていただなんて思いもしなかった。


「例の連続殺人事件の犯人は、女性ばかりを狙っているという話でしたので、もしかしたら狙われるかもしれないと思ったんです。それに、あなたは……。か、可愛らしい人ですから……心配になって」


 彼は顔を赤くしてそう話す。私も釣られるように頬が熱くなった。

「あ、ありがとうございます」と何とか言葉を絞り出す。


「僕は非番だったのですが、どうしても気にかかってしまいまして。それで、様子を見に来ていたんですよ」


 その言葉を聞き、私はハッとする。

 彼が毎日のように公園にいた理由が分かったのだ。おそらく、私を心配してくれていたのだろう。

 そのことに気付くと、犯人かもしれないと疑っていた自分が情けないと感じた。


「あの……勘違いしないで聞いて欲しいんですが、別にストーカーをしていたとかじゃないので!」


 私が黙り込んでいるのを見て、誤解していると思ったのだろう。彼は必死に弁明を始めた。


 私はそんな彼を見ながら思う。

(やっぱり、この人は悪い人なんかじゃなかった)と。そう確信すると、私は自然と笑みがこぼれた。


「ふふっ。大丈夫ですよ」と私が言うと、彼はホッとした表情を見せた。

 そして、気まずい雰囲気を払拭ふっしょくするように明るい口調で言う。


「あぁ、もうこんな時間ですね。遅くなる前に、早く帰った方がいいですよ」


「あ……」


 時計を見ると、既に夜十時過ぎだった。

 いつもなら九時には帰っているのだが、彼とのお喋りに夢中になっていて気付かなかったようだ。


「すいません、引き止めちゃって」


「いえ、僕の方こそ長々と付き合わせてしまって」


 私たち二人はお互いに謝罪し合う。それがおかしくて笑ってしまった。


「……では、また明日」


「はい、お気をつけて」


 私は名残惜しさを感じつつも、その場を離れることにした。


 それからというもの、私は仕事終わりに必ずと言っていいほど、あの公園に立ち寄るようになった。それは、真司さんも同じだったようで、よく会うようになった。

 その度に、他愛もない話をするのが日課になっていた。



 そんなある日のこと。


「――あの、もしよかったら一緒に食事に行きませんか?」


 突然、彼はそう切り出してきた。私はドキッとして固まってしまう。


(ど、どういうこと……?)


 意味が分からず混乱するが、どうにか平静を装う。

 彼は真剣な眼差しでこちらを見つめてきた。その瞳には不安の色が浮かんでいるように見える。


(あ……)


 その瞬間、私は理解した。彼はきっと勇気を振り絞ってくれたのだ。その気持ちが嬉しくて、私は胸がいっぱいになる。

 私はコクリと小さくうなずいた後、笑顔で答えることにした。

「はい。ぜひ、ご一緒させてください」と。

 すると彼は安堵したのか、「良かった……」と呟いて微笑んだのだった。

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いつもの公園で 夜桜くらは @corone2121

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