法師の章【2】②
伊吹山の祠に続く山道を見上げる。
その途中には、道を塞ぐように木が倒れていた。
「これが決定打だったんだよなぁ」
俺が伊吹山に行けた最後の日、伊吹さんは気が緩んだのか突風を吹かせてしまった。慌てて別の風を作り出してぶつけ、突風そのものは村に届く前に相殺させたけど。
だが、相殺させたこの場所では、二つの強い風がぶつかり合ったことで、木が何本も倒れてしまったのだ。しかも、運が悪いことに村人が歩いていて、危うく下敷きになるところだったそうだ。
いや、怪我もなく下敷きにならずにすんだのだから、運が良かったのか??
しかし、その村人がカンカンに怒って村に帰り、その話を聞いた他の村人も怒り出してしまった。
俺はなんとかなだめようとしたけれど、逆に俺に対しての不信感を煽ってしまい(ただでさえ弁当作って毎日通ってたから)、俺はあてにならないと、伊吹さんを退治するために黒田様が呼ばれてしまったのだ。
ため息をつきつつ、倒れた木をよじ登って越える。
そして、祠を目指して歩き続けた。
「正也!」
遠くから響く俺を呼ぶ声。
だんだんとその嬉しそうな声が近づいてくる。
そして、俺と伊吹さんは、再会した。
「伊吹さん、しばらく来れなくてすみませんでした」
「正也! おいら、正也が会いに来てくれるの待ってたんだ。ちょーっとだけ、もう愛想つかされたのかもって思っちゃったけど」
「そんなわけないでしょ。まだ特訓だって途中だったのに」
「そう、だよな。まだ特訓の途中だったのに正也来なくなるからさぁ」
口を尖らせて、拗ねた表情の伊吹さん。相変わらずの様子に思わず笑いそうになるも、ハッとあることに気付いた。
伊吹さんのまとう神気がいつもと違う。神気が全体的に弱まっているのだ。
このままでは、退治される前に消滅してしまうかもしれない。
「い、伊吹さん。どうしたんですか?」
「ん、なにがぁ?」
のんきな様子で首を傾げているが、そんな場合じゃないぞ、伊吹さん!
「なにがって、伊吹さん。急に弱りすぎですよ!」
「あー……バレたぁ?」
伊吹さんはテヘッと笑うが、全然笑えない。
「いやいやいや、俺、法師ですからそれくらい分かりますよ」
「そっか。正也はさ、その、おいらが退治したいほど村人に嫌われてるって知ってたんだろ?」
「それは……まぁ、知ってましたけど」
「さっきさ、それを隣の山の雷神から教えてもらったわけ。そしたらさぁ、自分でも予想以上にショックだったみたいで、どんどん力が抜けてきちゃって……。ははっ、大丈夫って言ったくせに全然大丈夫じゃないな」
よくよく見れば、伊吹さんは浮いてさえいない。
それなのに、風だけはいつも通りに吹いている。
バカなのだろうか。
自分を消そうとしている村のために、いまだに仕事を全うしようとするなんて。
自分の命を削ってまですることじゃない。
でも、伊吹さんはそれをしてしまうんだ。
嫌々じゃない、強制でもなく、やりたくてやってる。
そんな伊吹さんを見て、俺は何を言えばいいのだろう。
雷神と取引したから、伊吹さんにここを見捨てろと告げるのか?
それは、伊吹さんの大事にしているものを手放せと言っているのも同じだ。
でも、伊吹さんが消えてしまうのを、黙って見てるのも無理だ。
「伊吹さん。とりあえず、もう風を吹かすのはやめて下さい。村人も、今は風を望んでいませんし」
俺は延命のための進言、要は日和ったことしか言えなかった。
村を捨てろと、伊吹さんのことを思うなら言わなければならないのに。
「正也、それは出来ないよ。風が止んだら、村は……きっと困ったことになるから」
「困るって……どのみち村人に頼まれた大法師が伊吹さんを退治しに来るんです。そんなこと言ってる場合じゃないでしょ」
「やっぱりおいらを退治しに都から来たってのは、正也じゃなかったんだな。へへっ、良かった」
伊吹さんが嬉しそうに笑う。
その姿に、どうしようもなく嬉しさが募る。
俺を信じてくれていた。
信じて待っていてくれた。
「伊吹さん……」
あと少ししたら、本当に黒田様が来る。
こんな弱り切った伊吹さん、黒田様にかかれば一振りで消されてしまうだろう。
もう時間がない。
少なくとも、俺がためらってる場合じゃない。
伊吹さんに村を捨てるように告げなくては。
でもそれは、伊吹さんが雷神のもとへ行ってしまうことも意味する。
もう一緒に村のために修行することも出来なくなる。
俺が伊吹さんと過ごしたのは短い時間かもしれない。
でも俺にとっては楽しくて、出世とか変な利害関係もなくて、純粋に人のために尽くしていると実感できる大切な時間だった。
それを手放したくない。
ギリっと、歯をくいしばる。
しかし、伊吹さんがここに留まれば、黒田様に退治される。
それを止めるには俺が黒田様と戦わなければならない。
つまり、俺は星見宗に逆らうことになる。
黒田様から伊吹さんを守れたとしても、俺はおそらく反逆者として生涯命を狙われるだろう。
そして、伊吹さんのもとには、新たな刺客が星見宗から送られてくるだけだ。
俺が死んでからも。
どれだけ考えても、村を捨てて雷神のもとへ行くのが、悔しいけれど伊吹さんにとって最善だ。
「正也? どうした? 眉間にしわ寄ってるよ」
伊吹さんが俺をのぞき込んでくる。
俺を信じて待っていてくれた伊吹さんを……
俺より永い時を生きる伊吹さんを……
俺は重い口を開いた。
「伊吹さん、雷神のところへ行ってください」
「……は? なんで正也が雷神のこと知ってるの?」
伊吹さんの声が低くなった。
漂う空気も、ピリッとしたものに変わる。
「やっぱり怒りますよね。要は村を捨てろってことですから」
「それもあるけど。そうじゃなくて、なんでその話を知ってるのかってことだよ」
「実は、さきほど雷神が俺の前に現れたんです」
「雷神、しれっと正也に会いに行ったの? おいらだって正也に会いたかったのに。そんなのずるい」
「いや、そういう問題ではないでしょうが」
「そーゆー問題なの。それで、雷神に頼まれたってこと? はぁ、余計なことを」
「心配してるんですよ、伊吹さんのことを」
「分かってるよ! 有り難いとも思ってるよ。でも、おいらは村を離れる気はないの」
伊吹さんは今にも泣きそうだ。
なぜ、そこまでこだわるのだろう?
ずっと不思議だったけれど、ふと、ある考えが浮かんだ。
俺の生まれる遥か昔から、伊吹さんはこの村と共にあったのだ。
想像するしかないけど、伊吹さんにとって村は、家族のような存在なのかもしれない。
生み出してくれた親であり、一緒に過ごしてきた兄弟であり、見守ってきた子供達なんだ。
どれだけ喧嘩してムカついても、本気で家族を捨てるなんて出来ないのだろう。
その考えにたどり着いた途端、ごちゃごちゃしていた頭の中がスッと片付いた。
きっと、伊吹さんは雷神のもとへ行っても幸せじゃない。
命だけ助かっても、永遠に後悔し続けるに違いない。
伊吹さんにそんな苦しい想いをさせ続けるなんて、俺には出来ない。
だから、俺は別の道を提示する。
「伊吹さん」
「なに?」
「俺に封印されてください」
裾野の方から、人が上がってくる様子が見えた。
先頭には黄金色の袈裟の人物がいる。
黒田様だ。
もう、本当に時間がない。
伊吹さんの返事を待たずに、俺は指で印を結び、法力を練り始める。
ただでさえ攻撃よりも苦手なのに、完璧に封印をしなくてはならないから、発動までに時間がかかるのだ。
「封印……でも、それじゃ」
伊吹さんはまだ迷っている様子だ。
「大丈夫です。俺を信じて」
「正也を、信じる?」
「そうです。俺は、村の住職として、伊吹さんも村も見捨てません」
あぁ、山を登ってくる足音がだんだんと近くなってくる。
「そっか……うん。正也は村に来てくれた住職だもんな」
きっと、伊吹さんが必要になる時が来る。
伊吹さんが身を削ってでも風を吹かせ続けた理由がきっとあるはず。
だから、その時が来るまで封印して伊吹さんを守る。
そう、俺は村を守るために伊吹さんを封印するのではなく、伊吹さんを攻撃から守るために封印するのだ。
そのためには、大法師の黒田様ですら解けない封印をしなければならない。
少しの油断が、封印の穴を作ってしまう。
かつてないほど集中して、法力を練る。
でも、これだけは伝えておきたい。
「ね、伊吹さん」
「なに?」
「法師じゃない、俺自身のワガママもあるんです」
「ワガママ?」
「あなたとの修行の時間は、とても楽しかった。純粋に人々のために頑張っていることに充実感を覚えていたんです。そんな素敵な時間をまた過ごしたい」
悲しくなんてないはずなのに、勝手に涙が出てくる。
いや、嘘だ。本当は悲しいしつらい。
存在はそこにあったとしても、封印したら簡単に会うことは叶わないのだから。
「正也、泣かないで」
「これは……ただの汗です」
「いやいや、分かりやすい嘘をつくな」
「ほら、決めてください。大法師が来ちゃいますよ」
「あー、うん。すごい強い人が上がって来てる」
伊吹さんは目を細め、黒田様の姿を確認すると、そわそわしだした。
体に巻いた布で手を拭ったかと思えば、その手で髪をねじねじといじり、何かを言いたげに口を尖らせている。
「ちょ、時間無いんですから、もじもじしてないでさっさと言えって!」
「えー、ここでキレるの? 泣いたりキレたり忙しいやつ」
「だから泣いてませんしキレてません」
「ふふっ、やっぱりいいな。おいら、正也とのこういうやりとり好きだったなぁ」
「茶化さないでくださいよ!」
すると、おもむろに伊吹さんが背筋を伸ばした。
「いーよ。おいら、正也に封印されてあげる。ちょっと疲れたし、ゆっくり寝るよ」
「え、いいんですか?」
「正也が言い出したんだろ?」
確かにそうだけど、あっさり受け入れたから拍子抜けしたというか。
まぁ、時間もないし良かったんだけど。
「なぁ正也。起きる時間になったら、起こしてくれる?」
明るい口調の伊吹さん。
だから、俺もあえて冗談ぽく話す。
「もちろんです。叩き起こしますよ」
「そこは優しく起こせよ」
伊吹さんが苦笑いを浮かべた。
あぁ、もう時間だ。
封印のための法力が練り上がる。
封印のための印を結ぶ。
光の粒が伊吹さんを囲み、次第に伊吹さんの姿を飲み込んでいった。
「伊吹さん……」
残ったのは、空中に浮く光る玉。
俺は、涙をこらえて、光の玉に呼びかける。
手のひらにのる程度の小さな光の玉。
よくよく見ると、小さくなった伊吹さんが笑顔で手を振っている。
俺は、両手ですくい上げ、光の玉をそっと抱きしめる。
『正也――――』
伊吹さんの小さな声が、俺の中に響いた。
「ちょっ、そういう重要なことは、先に、言ってくださいよ!」
聞こえてきた内容に、俺は慌てて顔の前に光の玉を掲げる。
玉の中の伊吹さんは、ばつが悪そうにしていた。
『正也、大丈夫だから。おいらを、そして村を、諦めないでくれてありがとう。正也……来て……良かっ……』
かすかに聞こえていた声も、聞こえなくなってしまった。
光の中の伊吹さんは、もう目を閉じている。
封印は完成された。
俺は祠の扉を開け、伊吹さんが封印された光の玉をそっと置く。
すると、背後で足音がした。
「正也、何をした」
黒田様だった。
村人たちは、少し離れた位置で俺たちを見ている。
おそらく、黒田様が村人の安全を考えて、離れて見ているよう言ったのだろう。
でも、その配慮は不要だ。
もう退治する対象は、封印されてしまったのだから。
「風神は弱り切っていたので、黒田様のお手を煩わせるのも申し訳ないと思い、わたしが封印しました」
「封印か……村人は退治することを望んでいたが?」
「申し訳ありません。わたしの実力不足で、封印しか出来なかったのです。でも、全力を持って封印しましたから、弱っている風神が中から封印を解くのは不可能、また、外から解くこともよっぽどの実力がなければ不可能。この状態ならば、退治したのと変わりありません」
俺はペラペラと喋る。
黒田様は、祠の中を見つめていたが、しばらくするとため息をついた。
「はぁ、確かにその封印、簡単には解けそうにないな」
お手上げだと、黒田様は苦笑いした。
「つまり、これ以上何かをするつもりはない、ということで宜しいですか?」
「あぁ、そうだ。村人にも俺からちゃんと説明する。正也が村のために力を尽くしたとな」
「黒田さま……ありがとうございます」
俺は深々と頭を下げた。
話の通じる相手で良かった。
俺は静かに祠の扉を閉める。
***
その後、村人たちとはいさかいもなく過ごしている。
黒田様が村人に対して話してくれたことも大きいが、何より俺が直接手を下したという事実が大きかった。
村人は、俺のことを、村を守るために風神を封印してくれたと思っている。
でも本当はそれだけじゃない。
伊吹さんを守るためなんだ!って叫びたい衝動に駆られることもあったけど。
でも、伊吹さんを起こすまで、俺はこの村にいなくてはならないから。
無用な軋轢は生むべきではない。
遣る瀬ない思いを飲み込み、今日も祠へ向かう。
「伊吹さん、今日も良い天気です」
手を合わせ、挨拶をする。
封印の見張りと称して来ているため、毎日会いに来ていても、村人に呆れられることもなく、逆にお礼を言われている。
以前は、寺を空けてばかりだと文句を言われていたのに。
そして、俺は伊吹さんに語りかける。
「雨は……降りそうにありません」
(了)
風が強くて強くてひたすら強くて…ちょっとポンコツ過ぎないか?!~出世だと思って村の寺に来たら厄介な風神がいた件〜 青によし @inaho
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