法師の章【2】①
俺の目の前で、勝手に物事が進んでいく。
なんで?
どうして??
そう叫びたいのに、喉がカラカラで声も出ない。
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伊吹さんを特訓する日々は充実したものだった。
村のためにも伊吹さんのためにもなるし、少しずつ上達していく伊吹さんを見ているのは楽しかった。
だから、毎日毎日、早朝に起きて住職の仕事をこなし、それが終われば弁当作って伊吹山へと出掛けていた。
そう、俺は傍目から見ると、かなり浮かれ野郎に見えていたらしい。
村人にしてみれば、寺に俺を訪ねて来ても不在なことが多い。そして、行き先は伊吹山。しかも弁当を持ってだ。
明らかに討伐しようとする奴のやることじゃない。むしろ、風神に懐柔されたのだと村人が考えるのも仕方ない。
俺に不信感を持った村人たちは、星見宗本山に連絡をしたのだ。
その結果、今回は伊吹さんを退治する為の大法師が来てしまった。
(俺は寺の住職として呼ばれているので、正確には伊吹さんを退治する為に来たわけではない)
大法師の黒田様が、俺を見下ろしている。
「正也、お前は今まで何をしていた。村人がこんなに困窮してるというのに」
「黒田様……それは、あの、風神の力を制御させようとしていました」
「力の制御? そんな甘っちょろいことをやっているうちに、この村は立ち直れなくなるぞ。その証拠に、山道を塞ぐ倒木の件はどう説明するんだ」
「そ、それは……しかし、風神は村のために風を吹かせているんです。苦しめようとしているわけではないんです」
「は? まさか本当に風神にたぶらかされたのか。あの正也がな」
黒田さんが鼻で笑う。
「ち、違います。寺の住職として、最善だと判断したからです。昔は風神と村人との関係は良好でしたが、村人の信仰心が減るにつれて風神の力も不安定になった。だから、風神の力が安定すれば、村人の信仰心も復活して、再び良好な関係が築けるはずなんです」
だから、俺は伊吹さんを特訓していたのだ。
「正也、もうアレは土地神などと呼べるものではない。祟り神だ」
なんだと?!
祟り神という言葉に、プチンと何かが切れる。
「違う! 伊吹さんは祟ってなんかない。純粋に村のために働いてるだけだ」
俺は黒田様に喰ってかかっていた。
「伊吹さんのこと何も知らないくせに! 伊吹さんはな、今でも村のことが大好きなんだ。信仰心が薄れても、それでもここを離れずに自分の仕事を全うしようとしている真面目で不器用な神様なんだよ! いなくなってから後悔したって遅い……この村とともに伊吹さんは存在してなきゃダメなんだ!」
大法師だろうと構ってられない。
この人を止めなければ伊吹さんは消されてしまう。
「『伊吹さん』か……名を呼ぶほどとはな。正也、もう言い逃れ出来ないぞ。お前は風神にたぶらかされている。これは本山にも報告するからな」
「ぐっ……したければどうぞ。俺は間違ったことを言ってるつもりは微塵もないですから」
「もういい。少し頭を冷やせ」
そう言って、黒田様は俺を冷めた目で睨みつける。
そして俺は、数人がかりで寺の御堂に閉じ込められてしまったのだった。
***
俺は御堂の扉の隙間から、外の様子を伺う。黒田様が指示を出して、着々と準備を進めているのが見えた。村人達もノリノリで手伝ってるし。もう本気で討伐待った無しの状況だ。
冷や汗がタラタラと垂れてくる。
脱出を試みるも、御堂の扉はムダに重厚に出来ていて、体当たりしてもビクともしない。今でこそ寂れた村だが、寺の建物はとてもしっかりした作りをしているから。昔は栄えてたと聞くし、その頃に建てた寺なのだろう。
扉以外からなんとか脱出できないかと、床や天井を調べる。床は綺麗に貼られており、何か道具がないと剝がせなさそうだ。
じゃあ天井は?
踏み台になるものはないかと見渡す。
如来様の台座……いやいや、それは流石にダメだ。
いくらなんでも、それをやったら法師を名乗れない。
他にないかとキョロキョロしていると、不意に気配を感じた。
「アンタ、閉じ込められているんすか?」
俺しかしないはずの御堂内に、問いかける声が響いた。
気配の方向を見ると、装飾品をじゃらじゃらとつけた派手な男がいた。浮いているので人ではない。この神力からするとどこかの土地神だろうか。
「……誰?」
「ここのご近所さんっすよ。しかし、アンタは……ここを出たいみたいっすけど、出てどうするんです? 風神を退治するっすか?」
「あ、あなたは、伊吹さんを知ってるんですか? あの、俺――」
「問いに答えろ!」
彼の声が、ビリビリと空気を震わす。
これは、かなり怒っている。
「あ……俺はここを出て、退治するのを阻止しなきゃならないんです」
「つまり、アンタは伊吹っちを退治する気はない、ということでいいんすか?」
「はい、もちろんです。おれは伊吹さんを助けたい!」
「なるほど。なら、ここから出してやらんこともないっすね。だけど、その代わりにやってもらいたいことがあるっすよ」
「交換条件ってことですか? それは……内容次第ですね」
人ならざるものとの取引は、慎重に行わなければならない。一歩間違うと大惨事になる。自分の命をかけることになったり、または多くの民を巻き込んでしまったりする可能性があるから。
「ここを出て伊吹っちに会い、雷神、つまり俺のもとへ来て眷属になるように説得するっす」
「……は?」
言ってる意味が分からない。
しかし、俺の驚愕は置き去りに、雷神は淡々と話を進めてくる。
「ここの土地神のままだと、伊吹っちは討伐されるか、信仰がなくなり消滅するかのどちらか。今のうちにここの土地と縁を切らなければ、伊吹っちに未来はないっす」
「つまり、この土地と縁を切れば、伊吹さんの力の拠り所は村ではなく、あなたの加護する土地ということになる……ということでしょうか?」
「そ、だから退治される前に村と縁を切るよう説得してほしいっす」
雷神の声はどこか必死に聞こえた。
たぶん、雷神も伊吹さんのことが心配なのだろうと思う。
「俺にとって伊吹っちは、大事な仲間だし、恩人でもあるんす。見返りとか無しに、困っている相手を助けようとしてしまう、そんな伊吹っちだから……」
眷属が増えるということは、神にとっては手駒が増えると同時に負担も増える。言い方は悪いが、伊吹さんは神としてはポンコツだ。手駒として使えるとは思えない。
ということは、負担だけ増えるような神だとしても守りたいのだということになる。
「さあ、正也。どうするっす? ここを出て伊吹っちを救うか、ここで伊吹っちが討伐されるのを待つか」
酷い二択だ。どちらにしろ、俺の前から伊吹さんはいなくなってしまうんだから。
だが、討伐は阻止しなければならない。そうなると、俺の選択肢は一つだけということになる。
伊吹さんを、雷神のもとへ行くように説得するしかない。
でも……なんか嫌だ。伊吹山にいない伊吹さんなんて。
村のことが大好きな伊吹さんに、村を捨てろと言うのか?
そんなの……嫌だ。伊吹さんの気持ちを無視するようなこと言いたくない。
だけど、伊吹さんがこの世からいなくなるなんて、それこそもっと嫌だ。あんなに心優しい神に会ったことないから。もっと上から目線で気まぐれに加護を与える神の方が多いのだ。
それに、風を吹かす修行をしていた時間は、俺にとっても楽しい時間だった。一緒に村のためにがんばったのだ。神と人だけど、俺にとってはもう仲間と言って良い。
だから伊吹さんをどうにか助けたい。その為には、ここから脱出しなくてはならないし、村との関係もなんとかしなくてはならない。
考えろ。
二択以外の、第三の道はないのか??
「正也、早く決めろ。俺も暇なわけじゃないっすから」
容赦なく急かしてくる。
焦るな。
何かきっとあるはずなんだ。
「もうこれ以上は待てないっす。結論は?」
あぁ、もう、この手しかないのか。
でも、雷神の力がなければ俺はここから出られない。
「…………雷神、俺はここから出たい」
苦々しさを飲み込んで答えた。
「それは、交換条件をのむということでいいんすね」
「えぇ。伊吹さんに、あなたのところへ行けと言えばいいんでしょう?」
「そう」
「なら取引は成立ですね。早くここから出してください」
「……わかった。伊吹っちのことはアンタに任せるっす」
雷神がそう言った途端、神気がぶわっと広がる。
そして、気がつくと俺は村の外、伊吹山の入り口にポツンと一人で立っていた。
「ありがとうございました、雷神」
もう雷神の気配はない。
けれど、俺はお礼を言う。
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