環境を正そう

鈴ノ木 鈴ノ子

かんきょうをただそう

私、境 環さかい たまきは地歴公民の授業において世界が環境問題の対応に突き進んでいると聞かされた際に、ふと考えたのだ。


 人が生きているから、環境破壊が起こるのだと。


 つまり、環境破壊をなくすには、人口を適切に管理する必要があると言うことに等しい。


 国連がすべき問題は、人口の調整を行うことだ。


 それは虐殺などの最低の手段で行われてはならない。


 生きている人間はそのままにして、生まれてくる人間を調整すべきなのだ。


 つまり出産の統制である。


 人間が増えることが環境破壊に繋がるのだ。それは、極端であるようで極端ではない。


 人が1人増えれば、環境破壊という針は刻み、歩みを進めるのだ。


 つまり、今後生まれてくる人間たちは環境破壊された、いや、環境破壊を遅らせた世界で生活を余儀なくされる。


 それは、権利の侵害に等しい。


 今の生活より、より、悪化した、あるいは、緩やかに悪化していく傾向の世界で生まれてくる命は生きてゆかねばならない。


 これは、もはや、生まれてくる子供たちへの未来を夢見る権利の侵害であり安定生存権の権利の侵害である。


 それはつまり、昔が良くて先は悪いと言うことに他ならない。


 もし、環境を戻すのであれば、我々は退化せねばならない。


 今の状態を維持しながら環境破壊を止めるなどと言う詭弁は止めるべきだ。


 だからこそ、権利を守るために統制をすべきなのだ。


 生活を良くしようとすれば環境は破壊されるのだ。


 これは、今すぐに実行されなければならない。未来を侵害しないために、地球環境をこれ以上悪化させないために。


 そして、人類という名の者たちが絶滅した世界こそ正常なのだ。


 それは極論であって、極端でもあるが、しかし、唯一の道である。


 少子化は災厄であるのではない。


 少子化とは環境保護なのだ。


 そう、少子化こそ、世界を救う道である。


  私はそこまで書いたところで、ふと、未来の人間を思い浮かべた。


 環境に配慮し、遺伝子操作を施され、環境に配慮し、衣食住を統一し、環境に配慮し、同じ容姿となる。


 つまり、宇宙人が未来人であると言うことは間違いない。


 差別なく、そして、環境負荷も統制によって保たれた均一の世界。


 グレイ型宇宙人とは、つまり、我々の未来の姿なのだろう。


 それを行うためには人間のコミュニティーは小さくなければならない。


 だからこそ、今こそ、環境破壊を防ぐために、人口統制をかけるべきなのだ。


 私はそのような内容のレポートを用紙に書いたのち、最後に二行を書き加えた。


 だが、気をつけなればならない、環境問題を理由に世界中で統制が始まれば、それは、圧政になるのだと。


 美しい言葉の裏には、厳しい現実があることを見失ってはならない。


 そして、私は結論へと至る。

 

 人の争いこそが、最大の環境破壊であるのだと。

 

 


 

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環境を正そう 鈴ノ木 鈴ノ子 @suzunokisuzunoki

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