俺が能力者になるまで(仮)

呉須色 紫

強制能力

 ――――。


 うるさい……

 昨日から何者かの声が頭の中に響いている。

 常に一定の間隔で同じ言葉を繰り返している。

 その声が最初に聞こえた時は、自分が特別な存在なのだと舞い上がっていた。だが、全く同じ内容を何度も同じ感覚で聞かされ続け、次第にうるさいと感じるようになった。そして僅か一時間足らずで頭がおかしくなりかけた。

 耳を塞いだところで声が聞こえなくなるわけじゃない。自分の叫び声で掻き消そうとしてもその声ははっきりと聞こえてくる。

 床に頭を打ち付けてどうにか正気を保ったものの、その日の夜は一睡もできず朝を迎えた。

 すり減った精神と睡眠不足が自分という存在を曖昧にする。

 眠りに落ちてしまえば――意識を飛ばしてしまえば楽になれるのにそれができない。頭の中に響く声が無理矢理意識を覚醒させる。

 目に映る世界が揺れる。紛れもなくその景色は現実なのに、まるで他人の視界から世界を見ているような浮遊感がある。

 そんな状態のまま俺は明け方からずっとある場所へ向かっている。

 以前からずっと立ち入り禁止になっている山。なんでも二十年ほど前に起こった土砂崩れで道が塞がれて以来、何も手を付けず立ち入りだけを禁止しているらしかった。

 何故そんなに長い間放置しているのか。噂では、土砂崩れ以降山に近付いた人間はまともな状態では戻ってこられないだとか。

 噂は噂だ。そんなことあるはずがない。例えあったとしても、偶然その時期に不幸が重なっただけだろう。

 そんなくだらない事に怯えて道を整備しないから今俺がこんな目に遭ってるんだ。

 苦しい。辛い。歩くだけでもそれなりに辛いのに、どこにあるかも分からないものを探して道無き道を進んでいる。

 一瞬でも気を抜けば転がり落ちてしまいそうになる。時間がかかってでも一歩一歩確かな足取りで前に進む。

 どれだけ時間が経っただろうか。学校はもうとっくに始まっているだろうか。それともまだ一時間も経っていないだろうか。

 このまま声の導きに従えば、もう聞こえなくなるのだろうか。あるいは新たな導きを示すのだろうか。

 何も分からない。

 確かなことなんてひとつもないのに、どうして俺はこんな場所まで来たんだろう。

 答えなど出るはずもないそんな疑問を抱きながらひたすらに足を進める。

 幸い死の危機に陥るということもなく山頂まで着く。そして、声が示していたであろうものを見つける。

 苔で覆われている石で作られた何か。恐らく灯篭や祠といった類のものだろう。

 周辺にも似たようなものがいくつかあるがどれも壊れている。自然に壊れたようにも見えるが、意図的に誰かが壊したようにも見える。

 軽く見回した中で、壊れていないのは一つだけだった。俺はそれの目の前に立つと、腰を下ろして手を伸ばした。

 指に湿った苔の感触が伝わる。ずっと触っていたいような、それでいて気持ち悪いような、なんとも言えない感触だ。

 俺は苔に覆われた石の、蓋のような形をしている上部分を両手で掴み持ち上げようとする。だがいくら力を込めても全く動かない。

 疲れきって力が入らないからなのか。それとも元々上が外れないものなのか。

 どちらにせよ、これ以上は時間の無駄だと早々に見切りをつけた。

 残り少なかった体力を全て奪われ、その場で膝をつく。

 俺にはこの灯篭だか祠だか分からない石の中にあるものが必要なのだ。頭の中の声がそれを求めているのだ。

 目の前にあるというのにそれを手にする方法がない。このまま諦めたら俺は一生この声を聞き続けることになる。

 俺の一生は何日になるだろうか。少なくとも一週間は経たずに終わるだろう。自ら命を絶つ形で。

 ああ……死にたくない……死にたくない……

 頭が回らない。視界も歪んでよく見えなくなってきた。自分の身体が自分の意思で動いているのか、他人に操られているのか分からなくなる。

 俺はいつ立ち上がったんだ……?

 分からない。

 何故歩いているんだ……?

 分からない……

 どこへ向かっているんだ……?

 分からない…………

 俺は、何を握っているんだ……?

 俺は……俺は……何をしているんだ……?

 分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない……


 ――突然の激痛で正気に戻った時には全てが終わった後だった。

 血に塗れた両手には自分の頭ほどの大きさの石が握られている。その石にも血がべっとりと付いていた。そして今もその石に血が垂れ落ちている。

 確認するまでもなくその血は額から流れているものだと分かっていた。恐らくは正気を取り戻すため、無意識に額を石に叩きつけていたのだろう。

 殺意を覚えるほどに痛いが正気を失うよりはマシだと自分に言い聞かせながら周囲の状況を見る。

 今立っている場所は正気を失う前にいた場所と同じと考えていいだろう。目の前には、灯篭だか祠だか分からない石が壊れた状態でそこにある。

 先程までは壊れていなかったものがいつの間にか壊れている。恐らくだが指の皮が擦れようと肉が裂けようとそれが壊れるまで両手で握っている石で叩き続けていたのだろう。

 血塗れの見た目からして手もそれなりに痛いのだろうが額の痛みが勝っている。そのせいなのか、そのおかげなのか手は全くと言っていいほど痛みを感じなかった。

 持っていた血塗れの石を横に放り捨てて膝を着くと、砕けた石片をひとつひとつ退かしていく。そして陰に隠れていたそれを拾った。

 黒い硬貨。表と裏それぞれに模様が入っている。どこにでもありそうなおもちゃに見えるが、俺の頭の中の声はこれをずっと求めていたようだった。その証拠に、硬貨を手に取ってから声が一切聞こえなくなったのだ。

 ようやく頭の中が静かになり、思わず笑みをこぼしてしまう。それと同時にここまでの疲労が一気に襲いかかり、俺は重力に身を任せるようにその場に倒れ眠りに落ちた。


『強制賭博を獲得しました

 チュートリアルを確認しますか?』



 何時間経っただろうか。誰に起こされるでもなく自然に目を覚ました。

 おかしな夢を見たがよく覚えていないし、はっきりと思い出せない。

 寝すぎたせいで痛む頭を押えながらゆっくりと体を起こして周囲を見回す。

 暗くなり始めたのか明るくなり始めたのか辺りは薄暗い。今が何時なのかも分からない状況で下手に動くのは危険だ。

 木の幹に背を預け楽な体勢になる。眠ろうにも目が冴えてしまい、ただただ呆けているだけの時間。

 しばらくして空が明るくなっていることに気付いた。つまり、一晩ここで寝過ごしていたということになる。

 よくこんなところで寝られたものだと自分自身に感心しつつゆっくりと立ち上がる。そして山を下り帰路に着いた。

 向かう時は異様なほど長く感じていた道のりだが、思っていたよりも短く、一時間もしないうちに家に着いた。

 何よりもまずシャワーを浴び汚れを落とす。全身を綺麗にして風呂を上がってからようやく今の時刻を確認した。

 時計の針は八時より少し前を指している。そして日付は木曜日と表示している。

 本気で仕度をすれば遅刻は免れるかもしれないが、たかが登校にそこまでする価値はない。

 制服に着替えながら菓子パンを食べる。それから鞄を肩にかけて家を出た。

 もう一限は始まっているだろう。俺はポケットに手を入れのんびりと歩く。

 同じようにこんな時間から学校へ向かう奴がいるが皆焦ったように走っている。今更走ったところで遅刻は確定しているというのに。

 学校に着いた時、既に二限のチャイムが鳴ったところだった。


「はぁ、お前はまた遅刻か。いいご身分だなあ」


 教室に入ると先公が板書していた手を止めて呆れたような声とため息を漏らした。

 皮肉っぽい言い方になんとなく腹が立つが表情には出さず無視して自分の席へ向かう。


「おい、無視か? ……そのふざけた態度、教師を舐めてるのか?」


「舐めてねェよ」


「そもそも昨日は学校にすら来てないだろ。そんなことで進級できると思うなよ?」


「説教なら後にしろよなァ。授業真面目に受けてる奴がいんだからよ」


 真面目に授業を受けてる奴なんて数える程しかいない。そもそもこのクラスは四十人近くいるというのに約半分は空席だ。まだ登校していないか校内のどこかにいるような状態だ。そして教室にいる奴らも、そのほとんどが突っ伏して寝ていたり携帯を弄っていたり喋っていたりと、各々好き勝手にしている。


「お前は真面目に受けるのか?」


「は? 知らねェよ。っつーかあんたは金貰って俺らにもの教えてんだろ? さっさと仕事しろよなァ」


 そう言ってすぐ机に突っ伏した。先公が俺に対して何か文句のようなものを言っていたが無視してそのまま眠った。

 それから五分か十分か。深い眠りに落ちる直前、急に騒がしくなり目を覚ました。

 叩き起されたような気分になり不快な感情を表に出したまま顔を上げると、リーゼントの男――四宮が立っていた。

 四宮鋼。同じクラスの生徒であり、このクラスの約半数を従えている。気に入らなければ即暴力に訴える荒い性格をしている。

 そしてその性格は、真っ直ぐ前に伸びた三十センチほどのリーゼント頭、という見た目からも容易に想像がつく。さらにそのリーゼントは、何か中に仕込んでいるのではないかと思うほど硬い。鈍器というほどではないが、恐らく一般人の拳よりは硬いだろう。

 四宮はそんなリーゼントを俺の額に押し当てながら顔を近付けガンを飛ばしている。


「チッ、何の用だよ」


 わざと聞こえるように舌打ちをして不快感丸出しの低い声を出す。


「何の用、ねぇ。……なあ、そこの席の湯川は知ってるよなあ?」


 四宮が窓際に一瞬視線を向ける。


「は? 誰だそれ」


「三日前てめえがぶん殴った奴のことだ」


 三日前。遠い過去のように思える。ただ、誰かを殴ったような記憶はある。


「覚えてねえならそれでいい。てめえがサンドバッグになるっつー事実は変わらねえからなあ!」


 そう叫ぶと同時に四宮は拳を繰り出す。

 真っ直ぐに突き出された右拳。紙一重でそれを避けると、俺は拳を振り上げて顎に叩き込んだ。だがその瞬間、四宮が左拳で俺の右脇腹に拳を打ち込む。

 腰の入っていない手打ちのパンチなのに重い。倒れそうになるのをどうにか踏ん張り椅子から立ち上がると、後ろへ飛び退いて距離を取った。


「いきなり何しやがんだァ? 今先公が授業してるっつーのによォ。脳ミソチンパンジーかァ?」


「てめえを湯川と同じ目に遭わせてやらねえと気がすまねえんだよ!」


「くだらねェ……お前も病院送りにしてやんよ雑魚が!」


 俺と四宮の体格差はほとんどない。四宮を病院送りにできたとしても、その時には俺も相当な傷を負ってるだろう。それに、そうなる前に先公共に止められる。

 既に先公はここを出て職員室に向かっている。他の先公共を呼ぶまで、長く見ても五分程度だろう。だから速攻で片を付ける。

 腰を落とし拳を構えて戦闘態勢に入る。そして床を蹴り距離を詰めようとした瞬間後頭部に衝撃が走る。

 痛みよりも先に視界が揺れ倒れた。体を起こし飛びそうになる意識を必死に繋ぎ止めながら背後にいる奴を睨みつける。

 そいつの手には金属バットが握られている。そして金属バットには血が付いている。


「これで雑魚がどっちかはっきりしたなあ!」


 煽ってくる四宮の声を聞いて自分の身に何が起こったのか、状況を察し、声を出して笑ってしまった。

 危機的状況。このまま何もしなければ病院送りは確定、下手すれば死ぬかもしれない状況だ。だからこそ面白い。

 俺は自分の額を床に叩きつけ、飛びそうな意識をはっきりとさせる。そしてそのまま頭を軸にして、背後にいる奴の足に回し蹴りを入れた。

 体勢が崩れた。今、金属バットで何かを仕掛けることはできない。

 額を床に叩きつけたことで、意識の覚醒とともに揺れていた視界もだいぶ落ち着いた。ただ、それも一時的なものだろう。

 決めるならここしかない。これを逃せば敗北は確定だ。

 俺は即座に立ち上がる。そして四宮との距離を詰めようとした時、突然目の前に文字が現れた。


『強制賭博が発動します

 賭金:一ヶ月間の正常な生命活動』


『鳩尾への右ストレート』『顎への肘打ち』


 瞬時に理解した。そして思い出した。最善と最悪の選択を強制してくるおかしな夢を。強制賭博は俺に与えられた能力きせきだと。

 四宮が繰り出す拳を避けずに真正面から胸で受け止める。

 肺から空気が押し出され怯みそうになるのを気合いで持ち堪える。そして四宮が再び拳を振るうよりも先に腕を掴み、一気に引き寄せて顎を肘で打ち抜いた。

 四宮が崩れるようにして倒れる。

 確実に脳を揺らした。意識を失っていなかったとしても、しばらく立ち上がることはできないだろう。

 俺は静かに視線を落として四宮を見下ろす。

 認めたくはないが喧嘩の腕なら四宮の方が上だ。普通に戦っていれば俺が負けていただろう。

 だが四宮は確実な勝利を求めた。金属バットで後頭部を打ち、絶対の勝利を収められる状況を作った。

 勝利を確信した状況で一時も油断しない者などいない。どれだけ気を張っていようと無意識に油断をする。だから強制賭博が発動した。


『強制賭博が発動します

 賭金:仲間からの信頼』


 最悪だ。自分の意思とは無関係に発動する。面白い能力ではあるが、これから先この能力と付き合っていくのかと思うと気が滅入る。

 ついさっきこの力を能力きせきと表現したが、俺はどうかしてたみたいだ。

 誰が何と言おうと断言できる。これは欠陥能力ポンコツだと。

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俺が能力者になるまで(仮) 呉須色 紫 @gosuiro_murasaki

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