タバコと嫌われ者の俺
うつりと
星メルカド
俺はタバコが好きだ。
好きというより生活必需品に近い感じがする。75歳になった今も、タバコを吸わない日はない。ここ十数年でタバコは大きく値上がりしたが、1日2箱以上は吸っている。
俺には家族がいる。カミさんと二人の息子たちだ。俺以外は誰もタバコを吸わない。だから年がら年中「たばこ臭い!」「ここでタバコを吸わないで!」厄介者扱いである。特にカミさんと長男はタバコを心底嫌っている。そんなに嫌わなくたって良いじゃないか。
ここ数十年で、喫煙者はどんどん狭い立場に追い込まれている。「タバコを吸える場所」がどんどん少なくなり、今じゃタクシーやレンタカーの中ですら禁煙の場合がある。俺としてはタクシーやレンタカーは移動手段としては勿論、その「空間」も買っていると考えているので、禁煙を申し渡されると何となく納得がいかない。しかし、禁煙を申し渡された以上、タバコは吸わない。
あの「加熱式タバコ」ってやつは何なんだ?
一度だけ試したことはあるが、あんなもんタバコと呼ぶには程遠い存在だ。あんなもんに「タバコ」なんて名前を付けないで欲しい。
時は今から十数年前に遡る。
ある日突然、カミさんが宣言をした。
「私は福島県南相馬市に移住する。ついてきたい人はついてきなさい。東京に残りたい人は残りなさい」
福島に移住するには一つの理由があった。長男は中学に入学してすぐ腎臓病を患い、中学時代は長期入院や自宅療養を繰り返していた。
学校を欠席した分、勉強が遅れていたこともあるが、とにかく身体への負担を第一に考え、高校は自宅近くの定時制高校に入学した。だが、高校入学直後よりまた体調を崩し、一学期が終わる前に退学し、自宅療養をしていた。
勉強は好きなようで、自分で本を読んだりしてコツコツと好きなことを学んでいた。
だが、長男は腎臓を患ってから東京の汚い空気や人混みを嫌うようになった。東京は空気も水も不味い、空気がきれいな富士山の麓に引っ越したい、そう言っていた。
俺もカミさんも福島には縁もゆかりも無かったが、病気の子供を持つ親の会の全国大会か何かで仲良くなった人が福島県民で、移住するならサポートする、と申し出てくれた、という。その人を頼って移住する、というのだ。
「転地療養」といえば良いだろうか?
福島県南相馬市原町区……
東北の地図を広げてみた。
福島県の浜通りで、冬でもあまり雪は降らないらしい。
「野馬追祭り」というのが有名らしい。
海も近いし、住環境としては良さそうだ。
だが、ちょっと待ってくれ。俺は東京で生まれて育って、60歳を超える今まで東京以外に住んだことはない。
正確に言えば、東京都内でも渋谷区と世田谷区以外は全く知らない。
長男の治療にはプラスになるかもしれないが、いきなり福島なんて言われたって「おいおい、チョット待ってくれよ」としか言えない。
しかし、俺一人東京に残ったところで、生活していけるのだろうか?
息子たちは二人ともカミさんに付いていくと言っている。
仕事仲間の飲み会に出たときに、福島移住の話を相談してみた。
「カミさんに見捨てられる前について行け」
皆、なだめるような口調でそう言う。
やっぱりそうなのか。
俺は腹を決めた。福島に移住しよう。
東京の我が家を売り、福島に土地を購入し、その一角に我が家を建てることにした。
が、ここで大きな問題になったのが俺のタバコだった。
カミさんと息子たちからこんな文句が出た。
「お父さんはタバコばっか吸ってるから、部屋がタバコ臭くなる」
「副流煙で肺がんになったらどうするんだよ?!」
「お父さんとはもう一緒に住みたくない!」
相変わらず、嫌われ者の俺、というかタバコ。
話し合った結果、母屋と離れを作り、カミさんと息子たちは母屋に住み、俺は一人で生活できる離れに住むことになった。
寝起きするスペースと仕事をするスペースがあり、シャワーやトイレは付いているし、食事は1日3回、カミさんが運んできてくれる。
母屋に食べに行こうと思っても、俺が入ると露骨に嫌がられるので仕方がない。
いざ住んでみると、一人の生活も中々悪くない。
好きな時間に寝起きできるし、何よりもタバコを吸っても誰からも文句を言われないというのが一番いい。
だが、一人は孤独である。
そんな俺に、素敵な相棒ができた。
「メイ」と名付けた黒と茶色の中型の雑種犬だ。柴犬のように立ち耳だが、耳の先がペコリと折れているところがチャームポイントだ。
我が家の敷地内に迷い込んで来たところをカミさんが保護した。
迷い犬なので、警察と保健所には届け出を出したが、一週間経っても誰も引き取りに現れなかったので、うちで新しい家族として迎えることになった。
メイはいたっておとなしい犬であったが、大きな音を怖がった。
母屋で暮らしていたが、カミさんが掃除機をかけると怖がって掃除機に向かって吠えた。
ある夏の夜、カミさんとメイが散歩に出たら、遠くで行われていた花火大会の大きな音を怖がり、リードをつけたまま一目散で我が家まで走って帰ってきた。
そして、母屋には入らず、入り口を開けっ放しにしておいた離れに飛び込み、俺の布団の中に体を突っ込み、そのまま出てこなかった。
それ以来、メイと俺は一緒に暮らしている。
メイと俺は寝る時も、起きている時も、いつも一緒だ。
俺が仕事をしている時は近くでじーっと見ているか、布団に潜って寝ているかのどちらかだ。
散歩はカミさんや息子たちに任せっぱなしであったが、犬を飼ったのは初めてではなかったので世話の仕方は心得ているし、何よりタバコを吸ってもメイは文句を言わない。犬の相棒も良いものだ。
今まで仕事でイライラしたり、何となく手持ち無沙汰になったり口寂しくなったりするといつもタバコに火をつけていたが、今ではそんな時はメイと遊んだり撫でたりすることでメイが嬉しそうにするので、それを見ていることで気分が落ち着き、タバコの本数が若干減った。
年月が流れるのは早い。福島に住んで10年以上が経った。
東日本大震災も経験したが、俺もカミさんも息子たちも福島での生活を気に入り、移住して良かったと思った。
移住したときに60歳過ぎだった俺も、今じゃ75歳のじいさんになった。
メイは3年ほど前に天国へ行ってしまった。
保護したときの年齢がわからないので、正確な年齢がわからなかったが、黒毛の部分にだいぶ白髪が混じっていたから、それなりの年齢だったのだろう。
朝起きても隣にメイが居ない。
食事をしていても隣でいつも俺の食べてるものを欲しがっていたメイはいない。
「ホントにいっちまったんだなあ……。なあメイ、俺と居て楽しかったか?」
と、タバコを吸いながら天井を見つめ、独り言を呟いてみたりした。
ある日、痰が絡むので吐き出してみたら血が混ざっていた。ついでに、何だか息苦しい。
カミさんに付き添われて、かかりつけの内科に行ったらレントゲンを撮られ、それを見た医師が言った。
「肺がボロボロですね。水も溜まっています。とりあえず水を抜かなければならないので、南相馬市立総合病院に入院しましょう」
内科で救急車を呼んでもらい、市立総合病院に転送された俺。
病院で肺に溜まった水を注射器で抜き、いろんな検査をされ、入院病棟の大部屋に移され、ベッドの上に仰向けになり殺風景な天井を眺めた。
「俺は、いつまで生きられるんだろう? そんなに長生きしなくても良いんだけどな」
タバコが恋しかったが、病院の建物内は勿論、敷地内は全面禁煙だった。
全く、建物内だけならともかく、敷地内全てを禁煙にする必要なんかあるのか?
肺がボロボロと言われたが、そんな時こそ何故かタバコが吸いたくなる。
検査の結果「今すぐ入院の必要なし。自宅で経過観察」となり、俺は4日で退院した。
なんだ、入院なんていうから死ぬような病気なのかと思ったけれど、大したことなかったんだな。
家に帰ったら思う存分タバコを吸おう。病院からの帰り道、そんなことを考えた。
家にたどり着き、タバコを一本吸ってみた。美味しくない……何故?
もう一本吸ってみたが、やはり美味しくない……何故?!
やっと吸えたタバコなのに、何でこんなに美味しくないんだ?
肺がボロボロのせいなのか?
4日前までは、こんなに不味いと思わなかったんだけどな。
結果……
俺は半世紀以上愛していたタバコをやめた。
というか、吸いたいと思わなくなった。
タバコをやめた途端、食事が美味しいと感じるようになった。
肺はボロボロかもしれないが、消化器は至って正常なので、色んな物食べている。
食事時以外寝てばかりいる生活じゃ、確実に太るだろうな。
タバコは吸わなくなったが、身体や服に長年染み付いたタバコの臭いはそう簡単には落ちず、カミさんと息子たちからは相変わらず「たばこ臭い」と言われている。
でも、以前ほど煙たがられなくなったかもしれない。
これも、メイのおかげだったのかもなあ。メイ、ありがとう。
今は全くタバコを吸いたいと思わない。
また吸いたくなる日が来るんだろうか?
その時は、またタバコを吸うまでだ。
タバコと嫌われ者の俺 うつりと @hottori
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