Lv.7 蜘蛛の糸(後)

 あたしとシド様は手分けして、持ってきた板という板に、クモの巣を貼り付けていきました。

 板には、あらかじめ黒い布が貼ってあります。クモの糸を視認しやすいようにするためです。クモの糸には数種類あるそうですが、あたしたちでは判別が難しいんです。

 なので、とりあえず板に貼り付けた状態で持って帰り、企画班に仕分けてもらう手はずになっています。


「うーん。これだけ太い糸だと、黒い布でなくても、はっきりと見えますね」


「そうだな」


 あたしとシド様は、それぞれの手に持った板を眺めました。太い糸は、ぱっと見では1本に見えます。けれど、よく見ると、何本もの糸が寄り集まっているのが分かります。


「クモのことは好きになれませんが、すごいなーとは思うんですよ。体内で糸を作るだなんて」


「魔法で体内に作ったりとかは、できないのか?」


「仮に作ったとして、どこから出すんです?」


「口から、とか? あー、悪かった。そんな顔するなよ」


 ジト目でシド様を見ると、シド様は素直に謝りました。

 口から糸を吐きだすだなんて、想像しただけで微妙な気分になります。イモムシじゃないんですから。

 あたしは長く息を吐くと、板に糸を貼り付ける作業を再開しました。


「たとえ魔法で何かを作ったとしても、永久に保てるわけじゃないんですよ。維持するにも、魔力が要りますから」


「だから魔法使いも、武器や防具なんかは、店に頼るんだな」


「そういうことですね」


 話している間にも、糸を貼り付けた板は、どんどん溜まっていきます。壊れかけた巣であっても、5歳前後の子供の身長と同じくらいの大きさがあります。なので、すぐに板が、糸で埋まるんです。

 草取りよりも、楽な作業かもしれません。


「これだけあれば、大丈夫じゃないでしょうか?」


 荷台にびっしりと並べられた板を見て、あたしは、ふうっと息を吐きました。

 板と板の間には、指1本分くらいの空間があります。糸を保護するためで、倒れないよう固定もしてあります。

 シド様は、まだ糸が貼られていない板を数えました。


「残り4枚か。もう少し、新しめの巣も採れると良いんだがな」


 今、採取できているのは壊れかけた巣と、クモが移動時に使用したと思われる糸です。新しい糸を採るためには、本体に近付く必要があります。


「もっと奥に行ったとしても、新しい巣が見つかるとは限りませんけど」


「そうなんだよな。あんまり深追いしすぎると、帰りが遅くなるし」


 今日はシュウ君がいないので、身の安全を顧みずに虫に向かって突っ走る人はいません。あたしは、『命を大事に』が座右の銘のようなものです。シド様も、意外と無理はしない人です。


「そうですよね。そうと決まれば、その辺の糸をさくさく採取して、さっさと帰りましょう」


「そうと決まったわけじゃないけどな。まあ、採取はできてるし、いいか。近くに巨大グモが隠れてるかもしれないってのに、よくがんばったよ」


 シド様の許可も出ましたし、無事に帰ることができます。

 あたしは鼻歌を歌いながら、板を片付けていきます。固定具の最終確認も忘れません。現場には極力、ゴミを残さない決まりとなっているので、それも確認します。


「固定具、確認完了です。周囲に、ゴミもありません」


「よし。じゃあ、帰るか」


 そう言って、御者台に乗り込もうとしたシド様の頭の横を、白い何かが通り過ぎていきました。


「な、なんだ?」


 シド様は頭を固定したまま、なんとか横目で確認しようとしています。あたしは、人差し指の先に、火を灯しました。


「動かないでください。糸です」


 あたしは、『来るな、来るな』と念じながら、糸を溶かしました。多くの場合、願いは神様に通じないんですけど。

 糸が溶けきるのと、音もなく近付いてきた巨大グモが飛び掛かってくるのは、ほぼ同時でした。


「来るなって言ってるんですよっ」


 あたしは振り向きざまに、火炎をお見舞いしてやりました。

 しかし、巨大グモは怯んだ様子を一瞬見せただけで、炎の中を歩いてきます。


「怖い、怖い、怖い、怖い。あたしたち、あいつの獲物ってことですか?」


「たぶんな。リー坊は、糸を見てろ」


 シド様は、鞘から剣を抜き放つと、クモのお腹の袋から噴き出される糸を避けながら、クモに走り寄ります。

 シド様の剣が、クモの足を薙ぎました。

 しかし、「かってえ」という声と共に、シド様は後退します。その後ろに、キラリと光るものが見えました。


「それ以上、後ろはダメですっ。横に飛んでくださいっ」


 シド様は咄嗟に体を捻ると、地を蹴りました。


「俺たちを、あらかじめ張った巣に追い込もうって腹か。あいつ、ほんとに魔物じゃねえのかよ」


 ぼやきながらも、シド様は再度、地を蹴りました。人並外れた跳躍力で、軽々とクモの遥か上にまで達します。

 しかし、何もせずに下りてきてしまいました。


「ダメだな。背中は、しっかりと殻で覆われてる」


「どこかに、弱点があると良いんですけど」


 勝つためには、観察して見極めなければなりません。が、なかなかクモを直視する勇気が持てません。


「とりあえず、関節狙ってみるか」


 こちらの様子を窺っているのか動かないクモに、シド様が走り寄っていきます。あたしは火を操って糸を溶かしながら、ちらちらとクモを見てみました。

 人の頭ほどもある本体。伸ばしたら、あたしの身長くらいあるんじゃないかと思える脚。殻は、光沢の無い黒。鎌のような鋭い足先。

 そして、何やらうごめいている腹。動いているのは、袋ではなさそうです。

 あたしは、目を見開きました。


「待ってください。子供がいますっ」


 あたしの言葉に反応したシド様は、地を蹴って、あたしの傍まで後退します。


「嫌いな割には、優しいことを言うな」


「だって、クモの子を散らすって言うじゃないですか。親を倒して、子供たちが散り散りになったりしたら。ああああっ、無理ですっ」


「そっちかよ。で、どうするんだ?」


「逃げましょう。全力で。倒せという仕事は、請け負っていないはずです。あたしが壁を作ってみますから、シド様は馬車をお願いします」


「わかった」


 シド様は御者台、あたしは荷台に素早く乗り込みました。


「火がダメでも、いろいろとできるんですよ」


 あたしは馬車が進むごとに、魔法で様々な種類の壁を立てていきました。

 土の壁に、水の壁。風の壁に、蔓の壁。石の壁に、雷の壁。

 この時、道の横に防御壁を張って、森林破壊を最小限に抑えることも忘れません。巨大グモ以外は、害も罪もない生き物たちなので。


「おい、リー坊。すごい音がしてるが、大丈夫か?」


「大丈夫です。森を抜けるまで、シド様は前にだけ集中してください」


 総仕上げに、枝の成長速度を速めて絡めた木の壁で、道を塞ぎます。

 森を抜けて距離を置いてから、馬車が止まりました。森を振り返り見たシド様は、「おい」と声を漏らします。


「完全に魔窟じゃねえか。クモ1匹で、ここまでするか?」


 木の檻と化した森の中からは、落雷と台風と砂嵐が同時に来たような、鼓膜とお腹に響く破壊音が聞こえてきます。


「人を追い込んできたんですから、しかたありません。さあ、早く帰りましょう」


 にっこりと笑うと、シド様はどこか疲れたような表情を見せました。


「俺は、クモよりおまえの方が、よっぽど怖えよ」

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