Lv.7 蜘蛛の糸(前)
シド様との約束に心を弾ませて。
その勢いのままに彼等に挑んだものの、身をもって分かりました。
彼等とは、まるで
これはもうきっと、彼等とは出会うべきではないのです。
「ぐだぐだ言ってないで、さっさと行ってこいっ」
この世の中は、理不尽なことだらけです。
◆◆◆
「はあああああ」
この世の終わり、というようなため息を吐くのは、出社してから何度目のことになるでしょう。もう、10回は軽く超えていると思います。
それでも、止まらないものは止まらないのです。
「はあああああ」
「うるせーぞ、リー坊。そろそろ、諦めろ」
隣りに座るシド様が、冷たくも、そんなことを言ってきます。あたしは涙目で、シド様を見上げました。
「だって、だって。クモですよ? よりによって、クモッ。素材班って、あたしとシド様以外にも人いますよね? ねえっ?」
「しょーがねえだろ。城からの依頼で、みんな忙しいんだから」
「そうですけど。違う依頼と交換してくれたって、良いじゃないですかっ。適材適所って、あるでしょう? せめて、綿花とか麻とかの方が良かったです」
「その『適材適所』の結果なんだっての。俺と、おまえぐらいだろ。万が一、襲われた時に、巨大グモと戦えるのは」
「あたしも戦えません」
膝を抱えて顔を伏せたあたしの頭を、シド様が撫でてくれました。優しく、とは言い難いですけど。
「そうだな。今、逃げずに付いてきてくれてるだけでも、偉いよな。あと、隠れてても良いから、ちょっとだけ援護してくれると助かるんだけどな」
完全に妹扱いですけど、褒められるのは、ちょっと嬉しいです。だって、逃げないってことだけでも、あたし的には、がんばってるんですから。
「善処、します」
顔を上げたあたしを見て、シド様は「おう」と返事をして、笑いました。
「まあ、最善は、巨大グモと戦うことなく、糸をいただくことだけどな」
「ですね」
あたしとシド様を乗せた馬車は、森の奥へ奥へと進んでいきます。木々に
ですが、ここは魔物の
まあ、羽虫だったり、列をなすアリなんかも、いるんですけど。
「ところで、シド様。巨大グモとはいっても、魔物ではないんですよね? どれくらいの大きさのものなんですか?」
以前、相対した名前を言ってはいけない茶羽は、自らを魔王と名乗り、人の言葉を解す魔物でした。その体は、思い出したくもないほど大きいものでした。しかし、その大きさは、魔物だからこそなんです。
魔物は、すべて異形です。牙や角が生えていたり、爪が異常に鋭かったり、体が非常識なほどに大きかったりします。今回のクモは魔物ではないので、巨大といっても、たかが知れているはずです。
「うーん。俺も、実物は見たことないから、正確なことは分からんが」
シド様は馬車を操りながら、器用に首を傾げます。
「シュウが人から聞いた話によると、人の子と同じくらいだと」
「ええと、確認なんですけど。魔物、ではないんですよね?」
「そのはずなんだがな」
つい、大きさを想像してしまって、シド様を置いて逃げ帰りたくなりました。
「おい。今更、逃げるなよ」
と、シド様にケープの端を掴まれて、できませんでしたけど。
無情にも、馬車はどんどん進んで行きます。相変わらず鳥の声は聞こえますが、虫の姿は減ってきているように思います。捕食されているのかもしれません。
「近付いてきてる、んですかね?」
「さあ。どうだろうな」
シド様が答えた瞬間に、キラリと光る1本の糸が、視界の隅に入りました。
「止まってください」
あたしの言葉に、シド様が瞬時に反応して、馬車が止まりました。あたしは馬車を降りると、糸に近付きます。糸は、枝から枝へと張られていました。
「クモの糸ですが。これは、小さい個体が作ったもののようですね」
糸自体は平気なので近寄りはしますが、葉陰までは確認しません。奴が潜んでいるかもしれないので。
「あたしは、これを回収すれば良いと思うんですけど」
「そんなんじゃ、全然足らないだろ。奥行くぞ、奥」
「はあい」
ここに置いて行かれるのも、微妙です。諦めて御者台の隙間に乗り込むと、再び馬車が動きだしました。
「そもそも、クモの糸を採取して、何に使うんでしょうか?」
「俺も、詳しくは知らないが。敵に投げつけて動きを鈍らせたり、縄を作ったり、服を作ったりできるらしいぞ。前にシュウと飲みに行った時は、クモの糸には種類が色々あるだの、通常のクモと巨大グモだと糸の成分が微妙に違うだの、熱弁振るってたな」
「用途が色々とあることは分かりましたけど。あたし、シュウ君とは絶対に飲みに行きません」
楽しいはずの席で、虫の話を延々と聞かされるのは、ごめんです。
「まあ、さすがに毎回、虫の話ってことはないけどな。寮の話とか、仕事の話とか、ルルカさんの話とか、虫の話とか」
「虫に戻ってますけど」
「毎回ってわけじゃねえけど、多いんだよな」
さすがのシド様も、苦笑いを浮かべています。それでも一緒に飲みに行くんですから、仲が良い証拠です。
「リー坊は、誰かと飲みに行くことあるのか? あんまり強くなかっただろ?」
「そうですね。基本、外では飲まないことにしてますけど。寮の子に付き合って、食べに行ったりはしま」
目の前の異様な光景に、あたしは言葉を切ってしまいました。シド様からも、返事はありません。同じように、目の前の光景に釘付けになっているのでしょう。
道の両脇に、何本もの糸が張られていました。その1本1本が、指の太さほどもあります。あたしは思わず、ごくりと喉を鳴らしました。
「この糸、剣で斬ることはできますか?」
「正直言って、微妙かもな。火は、いけそうか?」
あたしは近くにある1本を選ぶと、指先に小さな火を灯して、糸に近付けました。炙られた糸は徐々に溶けていき、切れてしまいました。
「火に弱いのは、他のクモと変わらないみたいです」
「よし。とりあえず、板に張り付けていくか。何かあった時は、糸の方を頼む。本体は、俺に任せろ」
「わかりました」
馬車を止めると、あたしとシド様は、荷台から板を取りだしました。
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