子熊殺人鬼とあかねちゃん

平原

子熊殺人鬼とあかねちゃん

 あかねちゃんが港の倉庫にいた。街の明かりは遠く、倉庫群は孤島のように世間から切り離されていた。あかねちゃんは殺人鬼なので都合が良かった、だからここを選んだのだ。

 あかねちゃんは殺人し、遺体を解体した。呪術めいた手順と仕草で儀式を済ませ、不用意な怨恨的転生や怨恨的呪詛の可能性をつぶした。

 殺人を終えたあかねちゃんは帰宅しようと荷物をまとめていたが、暗闇に鈍く閃くものを感じた。振り向くと子熊が包丁を右手に立っていた。左手には人間の頭、長い髪に白い顔がぶら下がっている。千切られた首から血が滴っている。子熊殺人鬼だ。殺人鬼で子熊なのだから、小熊殺人鬼だ。


 子熊殺人鬼は頭を捨てると、あかねちゃんに向かって包丁を振りかざし飛びかかってきた。その跳躍斬撃は熊本来の圧倒的重量感とパワー、そしてスマート子熊が持つ流麗的速度の合わせ技であり、多くの人間を斬殺してきたことは想像に難くなかったが、殺人鬼としてはあかねちゃんに遠く及ばなかった。あかねちゃんは刹那的スピードの体捌きと刀術を用い子熊殺人鬼の攻撃を迎え撃ち、どころかその四肢をばらんばらんに断絶してみせた、それは技ですらない簡単な所作であった。


 砂袋を転がすような音をたて、子熊殺人鬼の体あちこちが床へと散らばった。あかねちゃんは残心ののち、布で包丁の血を拭い今度こそ帰ろうと入り口へ向かっていると、湿った音と柔らかい何かが床を這う気配がした。振り向くと、子熊殺人鬼の切断したはずの部位が今しも繋がり、子熊はその体を起こしているところであった。すぐに体を十全のものとした子熊殺人鬼は、包丁を失った手を上げ、しかし彼独特の身体操作技術によってもとより鋭く硬いその爪を長く伸ばし、暗闇で見るもおそろしい兵器に設てみせた。そして先ほどと同様に、あかねちゃんに向かって唸り声を上げながら飛びかかった。


 技が交わされる前に、気勢の交わりがある。気で負けていては勝負にすらならない。あかねちゃんは子熊殺人鬼の唸りに合するように、子熊の気勢を喰らうように、甲高い奇声を発した。「きえぇぇぇぇ」工場の埃っぽい窓ガラスが打ち震える。

 あかねちゃんは飛びかかってきた子熊の両手首を掴んで受け止める。そのまま巨鯨的筋力で手首を握り潰し細細手首にした。一度は納めた包丁を腰から抜き、右手で小熊殺人鬼の脳天に突き立てる。左拳を岩にし、右手に握った包丁の尻に落雷の如く叩きつけ、そのまま小熊の肛門まで、貫通、切断してみせた。湿った音と共に小熊殺人鬼の中身と体が地面にくずおれる。しかし子熊を形作っていた肉片は蠢き続け、すぐに互いに寄り集まり始めた。あかねちゃんは一歩距離をとった。やはり通常の物理的手段でこの子熊殺人鬼を殺人することはできないと覚る。


 あかねちゃんは子熊殺人鬼が再生するのを待った。再生した子熊殺人鬼は歯をむき出しにし、大量の唾液をこぼしながら元より鋭い牙を伸長させ、一本一本の牙1メートル超の巨大アギトへと身体改造した。

 しかしあかねちゃんは恐れもためらいも見せず、子熊殺人鬼の両手両足を切断、子熊殺人鬼は地面に転がり、アギトばかり凶暴なその体を芋虫そっくりにもぞもぞ蠢かせることしかできない、さらにあかねちゃんは鉄パイプを持ってくると斜めに切断し、鋭くなった先端を子熊殺人鬼のアギトに上から地面に向けて突き刺し、開けず動けぬよう縫い止めてしまった。


「なぜ私を狙うのですか」


 あかねちゃんは子熊殺人鬼に問うたが子熊殺人鬼は唸るばかりだ。あかねちゃんは鋭く巨大な牙を一本根元からへし折った。歯根が埋まった歯茎から血が流れる。子熊が唸る。痛みに耐える唸りだ。


「なぜ私を狙うのですか」


 子熊殺人鬼は答えない。あかねちゃんは折った牙を子熊の左目に突き刺し、掬い取るようにして眼球を眼窩から抜いた。眼球裏から筋肉と視神経の束が脳へと繋がっている。子熊殺人鬼は高音の楽器をごちゃごちゃに鳴らすような悲鳴を上げた。


「なぜ私を狙うのですか」


 あかねちゃんは眼球を左手の上に載せる。繋がった紐に右手で触れ、ぬるぬるシコシコとしたそれを指でしごいた。紐状の筋肉と運動神経が収縮と弛緩を繰り返し、その度に左手の上の眼球がころころと転がった。視神経はしごかれる刺激を受け、小熊殺人鬼の視界には白い光が何度も走った。子熊殺人鬼は痙攣しながら悲鳴を上げ、体をくの字に折り曲げ、泡状のげろが歯の隙間から血と共に溢れた。自らの吐瀉物で気道をつまらせ、咳をするたびポンプのようにげろが吹き出した。

 あかねちゃんはしごく指を止めた。子熊殺人鬼の唸りの中に言葉のような形を拾えたからだ。子熊殺人鬼はなんとか話そうとしていたが、閉じられた口、痛みと感情の高ぶりで意味のある言葉は作れずにいた。


「なぜ私を狙うのですか」


 あかねちゃんは視神経と筋肉を一本一本丁寧に包丁で切りとり、眼球を完全に切り離した。小熊殺人鬼の悲鳴は今や、未知の動物が言葉を交わす鳴き声のようで、どこか美しい響きがあった。

 あかねちゃんは包丁の先を残った右目に向けた。


「いあうぃあ」


 子熊殺人鬼は牙で縫い止められた傷口を出血と共に少しずつ拡張しながら口のひらける範囲を確保した。


「ひ、あうぃあ」

「あいあ?」


 子熊殺人鬼は一息一息を丁寧に全力で絞り出しながらわずかにでも呼吸を整える。


「ひ、ふぃ、ひ、が、い、、さ、しゃ」

「ひがいしゃ? 被害者?」


 子熊殺人鬼は痛みに耐えながら刺された牙を上下するように頷いた。あかねちゃんは牙を引き抜いた。


「それは、あなたが、私の被害者、ということですか」

「がふ、ふぅふぅ、ひぃひぃ、そういう意味だ」


 子熊殺人鬼は自由になった口からげろや血を吐き出し、呼吸し、肯定した。


「それというのも」


 子熊殺人鬼が経緯を語った。あかねちゃんは今まで、世のため人のため、自分のため、多くの殺人を行ってきたが、その内の一件が彼だったのだ。彼は殺されたのちに子熊として転生し、復讐を果たすためあかねちゃんのもとへとやってきたのだ。あかねちゃんはこのような事態を避けるため、密教的呪術的作法を修め、要らぬ呪いや転生の類が起こらぬよう注意を払っていたが、子熊殺人鬼はそのような技術を修める前の被害者だったのだ。


「仕方ない、この時が来たのだ」


 あかねちゃんは包丁を捨てあぐらをかいて座った。コンクリの床は埃っぽくひんやりとしていた。

 あかねちゃんは殺人し、同時に自分の被害者が来た時には殺人される覚悟をとうに決めていた。あかねちゃんもまた殺人鬼の被害者遺族だったからだ。世のため人のため、多くの殺人鬼を殺人してきた。今夜殺人した殺人鬼も裏社会を一部騒がせているという噂を人伝に聞いていた殺人鬼だったので殺人したのだ。しかしあかねちゃんが躊躇うことなくあまた殺してきた殺人鬼とはいえ人間である。加害者にも被害者にもなりうる。そして今晩、あかねちゃんが加害者として復讐され殺人されるのだ。


 あかねちゃんが待っていると転生小熊殺人鬼の傷が治り切断した四肢が集まってきた。無数に湧いた蛆のような、小さな湿った音を立てながら肉片が意思を持つように蠢き寄り集まり紡がれていく。この不死能力も転生に伴う呪術めいた異能であった。


 体が元通りになった転生子熊殺人鬼は右腕の具合を確かめてからあかねちゃんの包丁を拾った。先程の巨大な牙は元の大きさに戻っている。包丁での殺人に決めたのだ。


 転生子熊殺人鬼は包丁の先端を口に含んだ。もむもむと歯を使わずに冷えた金属を咀嚼する。たくさんの唾液を分泌し、口の端から二筋垂れている。口吸いでもしているように、尖った刃先に何周も舌を這わせ、口から包丁を離した時には唾液が重そうに糸を引いていた。対象の肉を刺し貫く前に得物の刃先を舐めるのはこの者の生前の癖であったが、転生子熊殺人鬼となった今では分泌された唾液に含まれる呪的毒成分を相手の体内に送り込み確実に呪的死をもたらすプラクティカルな意味合いも付与されていた。


 転生子熊殺人鬼は今この瞬間を楽しでいるような緩慢とした動作で包丁を掲げた。


「ぐおーっ、きえぇーっ」


 しんとした空気を破る気魄の絶叫をあげ転生子熊殺人鬼は高く跳躍した。あかねちゃんの頭上高くに一瞬の浮遊ののち、両手で包丁をしっかと構え、重力加速度を乗算しながらあかねちゃんの頭頂部へその刃先をずぶりと突き刺す、その時、あかねちゃんは転生子熊殺人鬼の手首を掴み攻撃を受け止めた。


「その仕草」


 腕を掴まれた転生子熊殺人鬼は腕力と体幹力を発揮、空中で体姿勢を維持。


「その包丁の先を舐める仕草。お前、家庭殺人鬼か」


 あかねちゃんの握力が化け物アナコンダじみた締め付けを示し、転生子熊殺人鬼の左腕尺骨橈骨がきれいに折れた。


「いかにも。俺はかつて、家庭の殺人のみを行う家庭殺人鬼だった。殺人した家庭は数知れず、殺人の際、得物は家庭内にあるものを使ってきた。例えば台所に必ずある、この包丁とかな。ぐるる」


 今や転生子熊殺人鬼へと転生したかつての家庭殺人鬼が唸った。剥き出した歯から粘度の高い唾液が垂れて伸びて、あかねちゃんの頭から顔を汚した。「ぐるる」

 あかねちゃんが転生子熊家庭殺人鬼を放り投げる。転生子熊家庭殺人鬼は中空で体勢を制御し上手に着地してみせた。右手に視線を落とす。握っていたはずの包丁がない。あかねちゃんがゆっくりと立ち上がる。柔らかく握られた右手の中に包丁があった。


「今日で最後だ」


 あかねちゃんがポケットに手を入れる。


「お前は覚えていないだろうし思い出さなくていい。私の家庭を殺人したお前をずっと探していた。お前を殺人するために今日まで生きてきた」


 実際には多くの殺人鬼を殺す過程で気付かぬ間に家庭殺人鬼も殺人していたのだが、そこは人間、納得の上で殺さなければ納得しないのである。


「覚えているさ、覚えていないはずがない。家庭とは形而上概念、人間に観測されなければ存在し得ない、私は家庭を殺人する際、必ず殺人された家庭を観測する対象を一人残す。覚えているぞ、私が両親や兄弟を殺人していても逃げる素振りや涙すら見せなかった少女が一人いたことを。ぐるる。今日は特別だ、家庭ではない、個人であるお前を殺人してやろう、ぐるる」


 転生子熊家庭殺人鬼は鋼鉄の爪を恐ろしく伸長させ、地獄のような牙をこれまた恐ろしく伸長させた。それは戦うための武器というより、殺人と家庭崩壊への怨呪念おんじゅねんが具象化したものであった。具現化系能力者みたいなものだ。


 あかねちゃんはポケットから手を抜いた。小指ほどの長さと細さのお札がつままれており、そこには密教呪術めいた文様と漢文が綴られている。あかねちゃんは大きくベロをだした。つまんだお札を畏れるような敬うような慎重な仕草で舌に乗せ、たくさんの唾液と共にもみゅもみゅと咀嚼した。それから絡まったお札を再び伸ばすように口から引き出した。あかねちゃんは糸引くお札を親指の腹に乗せ、札の文様を擦り付けるように、包丁側面、根本から先端に擦り付けた。霊的エンチャントである。


「エンチャント:/=¥#呪殺のけん」


 包丁は瞬くあいだ何色でもない光を放ち、錯覚であったかのように元の静謐な鈍色に落ち着いた。


「きえぇーーーーーいえぇぇぇぇあぁぁぁぁぁ」


 あかねちゃんは跳躍する、高みに身を投げ出し回転する、ぎらりぎらりと不気味に不規則に、包丁が夜光を受けて閃く。転生子熊家庭殺人鬼は霊的エンチャント包丁の放つオーラとあかねちゃんの魂までをも震わす奇声に名状し難い恐怖を覚え、恐怖感覚が骨髄にまで染み入り逃げることすら叶わなかった。ただ震えながら庇うように爪の生えた両腕を掲げるのみだ。


「よんぎり」


 それは数字のし、4であった。あかねちゃんがよんの字に包丁を振るい着地する。多くの人間の肉骨にくぼねを容易く裂き砕いてきたであろう爪も牙も、まるでなきが如く、空気が如く、包丁は線を描き、転生子熊家庭殺人鬼の体をばらんばらんに切断した。


「4とは死のことであり、四方、四面、四散、と離れたあちらこちらを指す。物事が4になる時、それは結合した事物がばらんばらんに離れる様相を指すのである。さらに!」


 よんぎり、よんぎり、よんぎり、あかねちゃんが肉塊に向かい包丁を振るう。血飛沫が跳ね、肉片が散らばる。


「4の四乗、すなわちもうどうしようもないほどに、肉も骨も、欲望も魂も来世もばらんばらんである」


 血に濡れたもふもふの毛と肉塊が転がっている。場には修羅場を越えたと思えぬ穏やかな静謐が冷えた夜気にたゆたい、漏れる月光が幾筋かの帯となり血沼に下りていた。


 転生子熊家庭殺人鬼は今度こそ再生する気配がない。素直な死体である。あかねちゃんはほとんどマッハの速さで包丁を振るい、血滴ちしずくの全てを床に放った。包丁をしまうと死体の周りをゆっくりと歩き、あちこちで、なにやら密教呪術めいた挙動と一人呪言をつぶやき、殺人後の儀式も全て終え帰宅の徒となった。


 終わったのだ。


 復讐も、あかねちゃんの殺人鬼生活も、今夜この時をもって終わりである。唐突な運命の訪れであったが、唐突が常態である。家族が殺人された時も、殺人鬼人生が始まった時も、好きな小説の第二巻刊行発表の時も、世の中の大体のことが唐突である。だからこの先、今夜のように、ある日突然誰かがあかねちゃんのもとへと復讐にやってくるのだろう。そういうものだと覚悟した上で、あかねちゃんはほぅっと息を吐いて、重荷と包丁をその場に捨てて工場を後にした。


(人生がつづく)

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