羽風と一鳴き
ハヤシダノリカズ
はかぜとひとなき
そこは、人の人生が概念化した世界。
暗闇の中を一歩一歩足を前に動かしている人々。彼らの前に道はなく、彼らの通って来たその後方には彼らの人生という道が出来ている。
人々の人生が概念化されたこの世界では、人々は眠る事もサボる事もなく淡々と同じスピードでずっと歩き続ける。道なき道を歩み続ける彼らは、縁をもった誰かと歩調を合わせるように、いつしか近くて平行な二本の道をその後方に残していくが、その道がまた離れて互いの顔が見えない位に遠ざかってしまう事もある。
現実の彼らの人生で、二人の心理的距離がゼロになる程に近くなれば、この世界に残る彼らの道は一度交差し、その後は非常に密接な平行な道となる。また、心理的距離が離れれば、その二つの道は大きく離れてしまう。
ここは、そんな世界。人の人生が概念化した世界。
この世界には一羽の鳥がいる。スズメのような、カワセミのような、しかしワシのようでもあるその鳥は、誇る事も驕る事もなく、様々な色に輝くその羽を羽ばたかせては、概念化された人の人生を見守っている。
時に誰かと近づき、やがて離れ、か細い一本の孤独な線となって、死というゴールをもって終焉を迎えたその一本の道を見届けたなら、彼はその終端に降り立ち、死で終わったその道を巻き取り始める。死から巻き取り始めて
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ところ変わって、ここは現実世界。一組の夫婦が何やら言い争っている。
「もう、うんざりだ。自分の事は棚に上げて、
「自分の事を棚に上げて
男は頭から湯気も出んばかりに怒りを顕わにし、女は大粒の涙を流しながら同程度に怒っている。
「もう、通用しないからな。泣いても無駄だ」
「そんなつもりで泣いてなんかない。涙が出てくるのは仕方ないじゃない」
怒気を孕んだ彼らの心は赤黒い炎のようだ。永遠に燃え続ける事など出来はしない怒りというものは、その後に何も残さず灰のような悲しみと寂しさに変化してしまうものだが、炎が鎮火するのは大雨のような癒しがあった時か、もしくは燃える材料がなくなった時だけだ。
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鳥はその概念の世界で二人の様子を見ていた。一度交わり、しばらくは密接な平行線だった彼らの道は、今や大きく離れ、二人はまるで違う方向を向いて歩いている。
翼を広げ、俯瞰で彼らの道を眺めていた鳥は、その高度を落とし、歩いている彼らの背中のすぐ傍をサッと通り過ぎる。その時に、それぞれ一鳴き、声を上げて。
「クワァ」と聞こえたのか「ピーヒョロー」と聞こえたのか、彼らが鳥の声をどう認識したのかは分からない。だが、この概念化されたこの世界を歩む彼らの魂は、その背中を通り過ぎた風と鳥の鳴き声に反応して、一瞬立ち止まり、後方を振り返る。
すると、自分たちが歩んで記してきた人生という名の道の遥か後方に美しい鳥が見える。その鳥が佇んでいるその場所は、ただただ
二人の魂はハッとした表情を浮かべ、辺りを見渡す。互いの表情すら見えない距離だが、互いを認識した彼らは少しづつその距離を縮めるように歩き始めた。
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「夢を見たんだ。とても美しい鳥の夢。夢だから、詳細は覚えていないんだけど、夢の中でその鳥はキミとの出会いを思い出させてくれたんだ」
ばつが悪そうな表情を浮かべながら男は言う。
「あなたもなの? 私も夢の中で綺麗な鳥を見たわ。その鳥を追いかけていたら、いつの間にか初めてあなたと出会ったあの講義室にいたわ」
照れ笑いの中に優しさと慈しみを湛えて女は言う。
「もう一度やり直してくれないか」
「もう一度やり直しましょう」
二人はぎこちなくも温かい笑みを互いに向けてそう言った。
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そんな鳥の行動と、人間世界のその一組の夫婦を見ていたのは一つの大いなる存在。唯一の絶対者などではないその大いなる存在は神と呼ぶには足りないのかも知れないが、一人の神が彼らを見ていた。そこへ同等の存在であるもう一人の神がやって来て言う。
「鳥はえらく親切だな。二人の仲を取り持つような、あんな行動をするとは」
すると、話しかけられた神は答える。
「あぁ、あれはな。放っておくと、巻き取る時に苦労するらしい。人間の後悔という情念は厄介なもので、ああいうのを放っておくと、あの交差した部分が巻き取る時に互いにこびりついて大変みたいなんだ。鳥はそれを覚えて、あんな事をするようになったのさ」
羽風と一鳴き ハヤシダノリカズ @norikyo
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