世界最強のエクソシストは長生きがしたい

南京中

第1話

「サン=リバティ教会学園1年アニー・イザベラ、そなたを国境拡大の任務に就かせる」


 放課後の臨時集会で、私はそう告げられた。

 背後に並んでいる全校生徒がざわめく。その声の大半は同情だった。


「なんであの優秀なアニーが?」

「なんか犯罪でもしたのか?それくらいじゃないとこの罰にはならねえ」

「残念だな。あの可愛いのが見れなくなるなんて」


 みんながざわついている通り、国境拡大の任務に就くということはこの国では死刑に等しい。

 国境拡大。文字通りこのサン=リバティ教国の領土を広げるための任務なのだが、この任務に就いた者ののうち9割は生きて帰ってこれない。

 なぜなら領土拡大の際、開拓隊はみな国を囲む壁の外に出る必要がある。それが問題なのだ。壁の外を出た瞬間、私たちは天使の加護を受けられなくなる。

 天使の加護が無ければ私たち人間は弱い。悪魔や魔物の攻撃でひとたまりもない。

 それでも、悪魔に打ち勝つために街は拡大させなければならない。誰かがやらなくちゃならないが死の危険が高すぎて誰もやりたくない任務。それが国境拡大。

 だから通常、罪人や非サン=リバティ教徒がやらされる。私のような学園生が任に当たるなんて初めてじゃないだろうか。

 反論したいのをぐっとこらえて、なるべく穏やかな言葉を探す。


「一体どうしてでしょうか、グレゴリウス副学園長」


 理由は分かっている。

 まさにこの目の前にいる、私に追放宣言を告げた張本人、このサン=リバティ教会学園の副学園長にして枢機卿のグレゴリウスのセクハラを拒否ったからだ。

 目の前でパンツを下ろしたこいつに反射的に全力の聖魔法を放ったのも良くなかった。グレゴリウスはこれでも聖人だから、浄化されることなく衝撃だけが伝わって窓の外まで吹き飛ばされ、欄干に肉が挟まり外にぶら下がる格好になってしまったのだ。

 かくしてセクハラはもみけされ、一連の事件は「窓が開いているのに気づかずうっかり外に落ちかけたグレゴリウス副学園長を居合わせた私がとっさに助けた」という美談へと作り変えられた。

 だが、グレゴリウスは私への逆恨みを忘れていなかったみたいだ。


「みんな、何か勘違いをしているようだが、これは罰などではない。彼女の高い実力を社会で活かすための校外学習さ」


 私の脇を通り過ぎて生徒たちの前にたち、たるんだ腹を揺らして、嘘八百を並べるグレゴリウス。


「入学時の成績は一位。その後もトップを取り続けている彼女にはもはやこの学園は狭すぎる。きっと国境の外でも見事な働きを見せてくれる。私たち教師陣はそう期待している。これはその表れと思ってくれたまえ」


 ぶよっと、グレゴリウスの菓子パンに指毛をはやしたような手が私の肩に乗せられた。

 全身にサブイボが立ったのをこの阿呆に気づかれただろうか。

 いや気づいていない。

 ぬっと私の耳元に顔を近づけたグレゴリウスは、勝ち誇った口調で、


「これでお前も終わりだ。私のいうことを聞かない聖女などこの学園には要らないのだよ」


 と湿った言葉をささやいた。

 私はグレゴリウスを睨みつけて足早に講堂を後にした。

 出入口を両手で押し開けてそのまま渡り廊下を歩いていたら、校庭の隅に立っている銅像が目に入った。


 私のあこがれの人。

 最強のエクソシスト、ヒュー・コンスタンティン。

 魔王ルシファーをあと一歩のところまで追いつめて、だけど敗けて死んでしまった偉大なエクソシストだ。

 銅像の彼は、きりっとした顔をしてきちんと修道服を着ている。きっと美化されているんだろうけど、それでもあのグレゴリウスや他の先生たちみたいに、たるんだ腹をしていたり私利私欲を優先したりしない高潔な人だったんだろう。

 エクソシストはみんなヒューみたいな人ばかりだと憧れてこの学園の門を叩いたあの頃の私の幻想は、徐々に崩されて、さっき完全に叩き壊された。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 


「我が名はアニー。アニー・イザベラ。天使と神と精霊と殉教者の御名において命ずる。名乗れ!!」

「きえあああ……!お前の師は地獄にいるぞ!」


 ギザギザした歯をむき出しにして私に罵詈雑言を浴びせる悪魔。

 その言葉を意に介さず私は、小瓶のふたを開けて聖水を悪魔に浴びせかける


「きええええああああああああ!!!!!」


 焦げるような音が響いて悪魔の肌が焼け焦げる。

 私たちの周りでは開拓隊の面々がそれっぽい呪文を唱えているが、特に効果はない。


「天の座天使、智天使、熾天使も絶えず神をたたえる。聖なるかな、聖なるかな神よ。それゆえ神の御名において命ずる。神の土地から去れ!!」

「ぎえええああああああ!!」


 断末魔をあげて悪魔が消滅する。


「今のがB級悪魔!?弱い」


 爪の先まで黒い霧となって消滅した悪魔に向かって、私はそう叫ぶ。

 初めての実践、学校の訓練とは違うと少し緊張していたのに、ふたを開けてみれば肩透かしだった。


「すげえ、あの学生。さっきから悪魔どもを一撃で……」

「あれがうわさに聞く、サン=リバティ学園1年のエース、アニー・イザベラ!」

「ちょっかいかけなくてよかった……俺たちごとき殺されてる」


 少し離れたところで他の開拓隊員たちが騒いでいる。


「大したことないわ。ヒューは、無詠唱で悪魔を倒せたんだから」


 私の詠唱は短い。それは才能に恵まれたことのあかしだ。

 だが伝説のエクソシストであるヒューは無詠唱で浄化を発動することができたそうだ。


「つまり、私にはこんなところで油売ってる暇がない」


 ところで、初めの方こそ私に舐めた口を利く輩もいた開拓隊員だが、私の実力を見て今や黙って従っている。

 反抗してきたやつもいたが、そいつは今馬車の荷台で転がっている。


「おそらくあの態度のでかい大男。私を殺すためのグレゴリウスの使者ね」


 わざわざ国境の外に出てから私にちょっかいをかけてきたのがその証拠だ。

 なんか「グへへへへへへ。こんな可愛い姉ちゃんを魔物に食べさせるなんて枢機卿も贅沢な方だ。俺が味見してあげよう」とかいって、比喩じゃなくマジで頭皮の匂いを嗅いできたから、マジで気持ち悪くて聖杖で脳天をぶっ叩いちゃった。


 さて、領土整備のやり方は至ってシンプル。

 まず国境の外に出て、一定の範囲に結界を張る。つぎにその範囲内の悪魔や魔物を全滅させる。そして新たに壁を作れば、見事領土拡大成功。

 口で言うのは簡単だが、ステップ3の悪魔や魔物の殲滅で開拓隊の大半が死ぬ。

 だが私の隊ではいまだに死者が出ていない。

 なぜなら、私がいるから。


「すげえ……俺たち、生きて帰れるかもしれねえぞ!!」


 うおおおおお、と私の後ろで団員たちが喜んでいる。

 元罪人に非教徒、ならず者ばかり。彼らには人権がない。

 同級生たちも先生も彼らのことは見下していて、魔物に襲われていても助けないし、病気の治療もしない。

 それが入学したときからムカついていた。


「でもB級をさっき倒したから、あとは結界張って終わりのはずだけど」

「アニー隊長!!正体不明のものを発見しました!」


 いつの間にか任命されていてびっくりなのだが、ああそうか、さっきぶちのめした変態親父が確か今回の隊長だった。

 それはさておき、部下(年上)の男に案内されて何らかの問題が起きた所まで行く。


「ログ……ハウス……」


 それは森の中にあった。

 国境の外、悪魔がはびこるカオスの世界。そんなところのよりにもよって森の中に、丸太で作ったお家があった。

 森の開けた場所にぽつんと佇む落ち着いた雰囲気の家。

 屋根に葉は載っていないし、軒下の椅子は掃除されている。

 まったくもって有り得ない光景を前に、私たち開拓隊数十人は呆然と立ち尽くしていた。


「まるでさっきまで人が暮らしていたみたいだ」

「ありえないでしょ。ここは悪魔の世界。結界もなしにこんなところで暮らすなんて人間じゃない」


 部下の声を反射的に否定する。

 それはありえないことなのだ。

 この世界の人間は聖魔法で作った結界の外では生きていけない。一歩外に出れば、瘴気に侵されて死んでしまう。それでなくても魔物に襲われる。

 だが目の前の人間用ログハウスは、結界どころか聖魔法で浄化すらされていなかった。

 だからありえない。けれど……。


「でしたらアニー隊長!このブルーベリー畑は、一体だれが手入れしてるんですか!?」

「わからない、わよ。そんなの……!」


 目の前の柵をバンと叩いて、ログハウスの傍らのきれいに整地されている畑を睨みつける。

 上質なハーブ、茶葉、みずみずしい野菜。育つはずがないのに、どれもみんな生命力にあふれていてみずみずしい。雑草もない。

 まるでさっきまで誰かが丁寧に水をやっていたみたいだ。


「……考えられる理由は1つしかない。魔人が住んでいる」

「だとしたら、まずいじゃないすか!!国家存亡の危機ですよ!」


 私の推測に、開拓隊の粗野な男たちが恐怖の悲鳴を上げる。

 無理もない。魔人なんて1人人間界に来てしまえば、国1つが亡ぶ。


「どこかに魔界と繋がる穴が空いてて、そこから這い出してきた上級悪魔が住んでいるとしたら、今すぐにでも報告しないとだけど……」


 かといって、目の前のログハウスからは悪魔の瘴気が感じられない。それどころかこのログハウスの周囲からも感じられないのだ。

 まさか、この家の主が周囲一帯の悪魔や魔物を絶滅させたとでもいうのだろうか。


「どっちにしろ、隊長!こんな不気味なもん放っておくわけにはいけませんぜ!」


 疑問が疑問を呼び、私たちの間に混乱が広がる中、しびれを切らせた隊員の一人が門扉を飛び越えて、ログハウスの敷地内に侵入した。


「待って!よりにもよってそんな危ない入り方しなくても……!」


 とんっと隊員の足が柵の向こうに着いた瞬間、玄関の扉が勢いよく開いて何かが飛び出してきた。

 黒くて大きいシルエット。みんなが大好きなわんちゃんだ。。

 ただ一つ違うのは、頭が3つあること。


「「「「ケルベロス!!??」」」」


 3つの頭が勇ましく吠えながら隊員めがけて走ってくる。口には鋭い牙が並んでいて、確かに地獄の番犬だ。

 隊員は必死の形相で柵のこちら側に転げ落ちるように戻ってきた。

 その隊員から逃げるように、他の隊員たちも一斉に後ろに下がる。というよりかは逃げると言ったほうが正しい。


「も、もう撤退しましょうよ!アニー隊長!このログハウス、危険すぎますって!!」


 迫りくるケルベロスを前に、開拓隊が悲鳴を上げる。


「危険ならなおさら私たちが何とかすべきでしょ!!」


 そう啖呵を切った私は、首からぶら下げた十字架を引きちぎってケルベロスに見せつける。


「……聖十字が反応しない!?悪魔じゃない!?」


 低級悪魔なら見た瞬間に消滅すると言われて学園の先生から持たされた十字架。成績優秀な私のために教皇が聖化してくれたらしいけど、これが反応しないということは目の前の3本首の犬は魔物じゃない?


「我が名はアニー・イザベラ!全能なる神、熾天使、智天使、座天使、大天使、殉教者の御名において命ずる!!消え失せよ!!」


 ありったけの聖魔力を込めて、浄化を発動する。

 私の全力。これで消えなかったら私たちの死だ。

 鋭い白い光がケルベロスを包み込む。

 だがケルベロスは立ち止まることなく、光の中を突っ切ってきた。


「嘘!?ノーダメ!?」


 食い殺されるかと思った瞬間、柵の手前でケルベロスは立ち止まり、


「ワン!!!!」


 と大きな声で吠えた。

 たったそれだけなのに、私たちを覆うほどの衝撃波が放出された。


「聖壁!!」


 開拓隊のならず者たちを背に、私は全力で防御魔法を展開する。

 直撃。

 聖と魔がぶつかり合う時特有の、金属音のようなけたたましい騒音が響き渡る。


「……やっぱり……ケルベロス!なんで!?」


 どうしてログハウスに?どうして浄化が効かなかった?色々な疑問はあるけどとにかく。

 この魔力は、とても防ぎきれない!

 私は聖壁を上に動かして、衝撃波を空に逃がした。


「はぁ…はぁ…魔力を、全部持っていかれた……」


 私は倒れるように膝をつく。

 全力の聖壁でもケルベロスの衝撃波は防ぎきれなかった。

 全身のいたるところが魔力に汚染されてしまった。

 火傷みたいな痛みが身体中に走る。


 ケルベロスの方は吠えた後に何かをしてくることもなく、ただ姿勢を低くして私たちを見ている。

 衝撃波に押されて、私たちが警戒範囲の外に出たからだろう。


「も、もう嫌だ!!助けてくれえええ!!!」

「バカ!お前隊長を置いて逃げんな!!」

「てめえだって走ってんじゃねえかよ!!」


 開拓隊のならず者たちがしっぽを撒いて逃げ出した。

 チラッと横目で見ると肩を借りている者や足を引きずっている者もいたが、一番の理由は気持ちが切れてしまったからだ。


「私だって逃げたいんだけど……!」


 はっきり言って勝てる気がしない。だが、こいつを止めるのが私の仕事だ。


「たとえセクハラの濡れ衣で背負わされた労役だとしても……こいつをここで止めるのが私の義務……!

 次の一撃を考えながら、擦り切れるほど読んだ伝記を思い出す。

 ケルベロスは、ヒューに倒されたはずだ。


 大魔王ルシファーを倒すべく魔界に単身乗り込んだヒューを最初に待ち受けていたのが、番犬ケルベロス。

 常人なら近づいただけで死ぬ瘴気を纏いながら襲い掛かるも、ヒューには太刀打ちできずあっさり浄化され、真っ白な3匹のポメラニアンになって人間界に走っていった。

 そう伝記には記してある。


「今日は噓が多い日ね……私の夢がどんどん砕けていく」


 開拓隊が逃げ出したことで結界が弱まってきた。身体に瘴気が入り込んでくきて、思考がどんどんマイナスになって、自暴自棄な気分になる。


「どうせあんな腐った教会に戻る気もないし、ならいっそ、ヒューみたいに……!」


 決心した私は最強の呪文を唱え始めた。

 セルフサクリファイス。自分の命と引き換えに、聖魔力を爆発させて周囲一帯を浄化しつくす最終魔法だ。

 私が呪文を唱え始めた途端、突如ケルベロスが耳を立てた。

 さすがに私の命を賭した攻撃に身構えているのだろう。

 自分でも驚くくらいの魔力が体内で暴れまわっている。

 もうすでに爪の先が裂け始めているし、口の中は血の味で一杯だ。


「天国に行ったら、会えるかな……ヒュー。私のあこがれのヒーロー」


 セルフサクリファイスを放った者は天国行きが約束されると教わった。

 もし天国でヒューに会えたなら、私のこの最期を褒めてくれるだろうか。「よくやったな」って言ってもらえたらいいな。


「へっへっへっ」


 だが、ケルベロスは嬉しそうな鳴き声を上げてしっぽを振っている。

 なんで?完全にナめられてる!?

 怒り交じりに睨みつけて気づいた。焦点が私の後ろに向けられている。


「あ~、ちょっと待ちな姉ちゃん。今死ぬのはよくないな」


 やる気のない男の声が聞こえたと思ったら、次の瞬間私の両肩にそいつの手が乗せられた。

 破裂寸前、体のあらゆるところから光の筋が出始めていた私から途端にエネルギーが失われていく。


「え…え…解除されていく…なんで?」

「天国なんて、死んでまで行く価値ねえよ」


 発動寸前の聖魔法を解除するなんて高等テクニック、少なくとも教会学園でできる人は誰もいない。

 混乱と驚きで振り向いた私の目に飛び込んできた人を、私は見たことがあった。


「……ヒュー?」

「ああ、そうだが。お前の思うヒューかどうかは知らんぞ」



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「本当にヒュー?ヒューストン・コンスタンティン?」

「確かにヒュー・コンスタンティンだ。趣味は家庭菜園。まあなんだ、俺ん家の番犬が悪いことしちまったな」


 ヒュー・コンスタンティンを名乗るこの人がログハウスの家主で、ケルベロスの飼い主だった。

 今私は弱っているところをログハウスに連れ込まれ、身体にいいとかいう自家製ハーブティを飲んでいる。


「畏れ多いというか……」


 名前こそ私のあこがれの人と同じだが、身なりは似ても似つかない。

 銅像と違ってキャソックを着ておらず、白いシャツに黒のズボンという暑すぎてやる気が出ない神父みたいな恰好をして、ソファーに横になっている。

 私のセルフサクリファイスを止めたのだからかなり腕の立つ聖職者には違いないけど。

 それに何より、聖職者が魔獣なんて飼うわけがない。


「畏れ多い?」

「だってルシファーをあと一歩まで追いつめたあの英雄と同じ名前だなんて」

「ああ、今は、そう伝わってんのか」

「なにそれ?」


 悲しいような寂しいような複雑な表情を浮かべたジョンはふっと窓の方を向いた。

 横顔が本当に肖像画や銅像のヒュー・コンスタンティンにそっくり。

 ほんとにヒュー・コンスタンティンなのだろうか?

 でもそれはありえない。だってジョンは100年前に死んだはずだから。

 仮に伝説が間違いで生きていたとしてもおじいちゃんのはずだ。


「ヒュー・コンスタンティンの伝説を知らないなんて、はっきり言って怪しすぎる。あんた、ほんとに聖職者?」

「……早い話がだ、お前、ヒュー・コンスタンティンは好きか?」

「もっちろん!!」


 何をわざわざ聞いているのだろうか。この国でヒューのことを嫌いな人なんていない。

 私は同じクラスの子に語りすぎてうんざりされた英雄譚の朗々と語り始めた。

 さすがに全部は長すぎるので、ケルベロスのところからルシファーに敗けてしまうところまでだ。

 ヒューを名乗る男はなんだか居心地悪そうに、私のエピソード一つ一つに口を挟みたいような顔をして聞いていた。


「……憐れ、ヒューはルシファーに敗けてしまいました。ですが、ルシファーはこの闘いで深手を負い、悪魔たちは地獄の奥深くに息をひそめることになりました。現在の平和な世の中は神の使い、天使の代理人、ヒューストン・コンスタンティンがもたらしたものなのです」


 終わりの口上を言い終えると、ヒュー(仮)は頭をポリポリ掻きながら、やる気のない拍手をした。


「なるほど……なるほど…とても高潔なエクソシストだな、そのヒュー・コンスタンティンってのは」

「そ。っていうか、それを知らずに名前名乗ってたの?」

「まあその……なんだ」


 ヒューはソファーから身を起こし深く座ると私をじっと見つめた。


「1つ、ケルベロスはポメラニアンにしてない。それと、ルシファーとは闘ってない。仲はよくないがな」

「うそ」


 今日は本当に、私の夢をぶち壊す輩が多すぎる。

 目の前の偽物が淡々と私に言い聞かせる。


「アニー。目がくらむほど何かを信じるのは純粋さであり弱さだ」

「うるさい!あなた何様のつもり!?」

「ヒュー・コンスタンティンの名において言う。アニー。お前が闘うべきは天使であり、神だ」

「これではっきりした!!」


 私は全身から聖魔力を放出させて立ち上がる。


「幻覚で惑わせる魔人!ヒュー・コンスタンティンの名を騙り私を引き込もうったってそうはいかないわ!」


 啖呵を切るが早いか、私は詠唱を始めていた。


「熾天使、座天使、智天使がたたえる。聖なるかな聖なるかな聖なるかな!」

「おいおい。先が怖いな、この魔力」」


 私の全力の詠唱を聞いてもヒューを名乗る悪魔は動じない。

 聖杖を触媒に聖魔力を増幅させる。


「神と真のヒューストン・コンスタンティンの御名において、汝に命ずる!正体を…」


 詠唱が言い終わろうかという瞬間、突如として間合いに入ってきたヒューは私の杖を掴んだ。

 その途端、私が詠唱をして蓄えた聖魔力が消滅した。


「ディ、ディスペル……」

「わかるだけ偉いが……」


 私の目の前にいるヒューは、じろじろと杖と私の身体を交互に眺めながら首をひねる。


「お前さん、優等生のはずじゃないのか?なのになんでそんな無駄な詠唱と魔力の使い方を?」

「……あんたいったい何なのよ!」


 さっきからこいつ、でたらめだ。

 今日は本当に私のプライドがズタズタになる。せっかく頑張ってヒューと同じ教会学園に入ったのにしょうもない濡れ衣で国外追放になるし、追放された先でヒューの偽物にたぶらかされるし、弱いとか言われるし。


「ほんとにもう、なんなのよ……」


 目の前に敵がいるにもかかわらず、私はへたり込んでしまった。

 どっちみち全力を出して戦ったところで、これだけ実力に開きがあれば私が敗けるのだが。


「いや、その、あ~……ドンマイ。アイドルとかも実際会ってみたらこんなもんかっていうのあるじゃん」

「……」


 へたりこんで涙ぐんだ私に何もしてこず慰めの言葉をかけてくるあたり、少なくとも魔人ではないのかもしれない。

 室内に気まずい沈黙が流れたおかげで、庭で寝そべっていたケルベロスが窓をひっかき主人に何かを伝えようとしていたことに気づいた。


「……参った。10分遅れてた。ちょっと俺、ハッパ食ってくるから、少しソファーにでも横になってろ」

「ハッパ?」


 言うが早いか、ヒューはいそいそと玄関から庭の家庭菜園の方に向かっていった。それはまるで、一日中喫煙所を探し求めてようやく見つけたヘビースモーカーのような足取りだった。

 窓に張り付くとヒューの動きがよく見える。家庭菜園で栽培しているハーブの葉や根、効能のある場所を採ってはその場でかじっている。

 血行促進と整腸作用、イライラ防止……。

 それ以外にも見たことないようなハーブを摘んで、畑の奥の方へと進んでいくヒュー。


「死にかけのじいさんみたい。何してんのかわかんないけど、チャンス」


 ログハウスに私しかいない今こそ、あの偽物の正体を暴いてみせる。

 リビングもダイニングも見たところ怪しいものはない。

 となると後は、隣の寝室だ。

 カギはかかっていなかった。

 中は一人用のベッドがあるだけの簡素な部屋。


「強いて言うなら、怪しいのはクローゼットか」


 ワイシャツの替えや下着類は全部衣装ケースにあるのに、部屋の隅にやけに古びたクローゼットがある。

 カギはかかっていなかった。


「……うそ」


 中に入っていたそれらを見た瞬間、私の中を色々な感情が駆け巡った。

 嬉しさと落胆と、悲しさと申し訳なさと。

 思わず私は走り出した。

 何を言っていいかはわからないけれど、聞きたいことがたくさんある。


「ヒュー!!」


 教会学園の制服は、創立以来何度かモデルチェンジしている。向こうは男子用で私は女子用だが同じ学生服を着れたと喜んだ私を落胆させたのがこの事実だった。

 115年前、ヒューが着た学園の制服はデザインが異なっていて今私が来ているのとは違う。

 そしてもう一つ。史上最強のエクソシスト、ヒューストン・コンスタンティンには、彼だけが着ていいキャソックがあった。

 それは黒。うやむやにされていたものの、当時は教皇の白より大きな力を持っていたという。


 息を切らせて玄関から飛び出た私は、家庭菜園の向こうに見える憧れの人の後頭部に向かって叫ぶ。


「ヒュー!あなたどうして、神を捨てたの!?」

「おい!これ以上、外に出るんじゃない!」


 私の問いかけにかぶせてヒューが叫ぶ。

 ログハウスから出た私を見て露骨に焦っている。

 一体何がどうしたのだというのだろう。

 そう思った瞬間、身体が誰かに捕まれたみたいに動かなくなった。


「だ、誰……?」


 私を拘束する大きな力の何かを睨みつけるも、何の反応もない。


「透明の、悪魔!」


 全身から聖魔力を放出するもびくともしない。

 なすすべもないまま私は宙に浮かばされて、そのまま地面にたたきつけられた。

 硬い衝撃が全身に響いたのもつかの間、再び空中に浮かばされて、再び地面にたたきつけられる。

 4回目までは数えたあたりで反抗する力が無くなってきた。

 感じたことのない痛みが全身に走っている。

 

「神よ……助けて…ヒュー…」

「神は助けてくれねえよ」


 右手を掲げたヒューがこちらに歩いてくるのが掠れた視界に映る。

 その姿は私の思い描いていた憧れのエクソシストとは違っていた。


「あれは……悪魔の力…?」

「少し違う。魔力も聖魔力も本質は一緒なんだ。そしてお前に取り憑いているのは悪魔じゃない」


 言うが早いか、ヒューは私の腹に右ストレートを打ち込んだ。

 魔力の乗った重たい拳。普通なら悪しき力でこの身が焼きただれるはずだが。


「ん…」


 なのに私の身体には、心地よい感覚が満ちている。

 人生で初めて悪魔祓いをされる側を経験した。

 ずるずるっと私の背中から羽化みたいに取り憑いていたものが現れる。


「なるほど。お前が出てこれるってのは、確かにアニーは逸材だわな。ラファエル」


 ラファエルとヒューが呟いたのを聞いたと同時に、私はそのラファエルに胸を踏みつけられて地面に押さえつけられた。

 私を足の下に置いたムカつく野郎は、白い衣装をまとった金髪で巻き毛の男性だった。

 線が細く優しそうな顔つきをしている。


「そうですね、コンスタンティン。彼女は立派なエクソシストになれると思いますよ」

「ラファエル……能天使の指揮官」


 地獄の悪魔と闘う天使のリーダーがなぜ私の背中から?


「人間風情が気安く私の名を呼ぶな」


 私の声がよほど耳障りだったのか顔をゆがめたラファエルは足をぐりぐりさせて私の胸を踏みにじる。


「天使よ……なぜ私にこのような仕打ちを……?」

「おい、そんな本性だしたらせっかくの逸材が辞めちまうぞ」

「君がそのつもりだから、僕がわざわざ出てきたんじゃないか。僕は彼女を天使にしに来た」


 天使。それは善い行いをした者が死後なれる存在。

 それをなぜヒューは止めるの?


「天使ってのは生物兵器ってことだろう。悪魔と闘うための鉄砲玉。天国は人間を釣るエサ」

「ああ人聞きの悪い。あなたはルシファーに誑かされているんですよ。せっかくあなたにも天国行きのパスポートを与えたというのに」

「欲しいなんて言ってねえよ。お前らが勝手に寿命を縮めたせいで俺は苦いハーブを食う羽目になってんだ」


 さっきから天使とヒューは何を話しているのだろう。

 ただひとつわかることは、私と学校と親が救ってくれるとずっと信じてきた天使に私は踏みつけられているということ。

 そして私の意識が徐々に消えていっていること。


「アニーといったかな。君はとてもいい天使になるよ。そしたらまずはコンスタンティンを殺してもらおうかな」

「す、するわけないじゃない!!」

「君の意見は聞いてない。もっとも、意識自体もうすぐ消えるがね」


 ラファエルに冷たく見下されて、自分の背中に何か生えてきているのに気づいた。背中をよじって手を入れると何かふさふさしたものが当たった。試しに摘み取ってみると。


「羽……」


 白い羽を見た途端恐怖が襲ってきた。私は今、徐々に自分でない何かに作り変えられている。

 助けて、ヒュー。


「そろそろそこ、どいてくれるか」

「やけにこのシスターにこだわるじゃないか。昔の自分みたいだからか?」


 ラファエルがそう言った瞬間、ヒューの手から何かが飛ばされた。

 軽く指ではじいただけなのに弾丸みたいな速度でラファエルの額に衝突。

 ラファエルの額が煙を上げてただれ始める。


「ルシファーの血…」

「旧友との日々を思い出してほしくてな」


 ヒューはそういうと歩きながら枝2本と柔らかい茎で器用に十字を作り手早く聖化した。

 今まで見てきた誰よりも速い。

 そうして出来た聖十字を折ると、目の前にいるラファエルに向かって投げつける。


「これに何の意味が?」

「ただの挑発だ。ケル!」


 ヒューがそう呼ぶと、今まで気配を消していたケルベロスがラファエルの背後から翼にかみついた。

 と、同時にヒューの右ストレートがラファエルの顔面に打ち込まれた。

 私が見ても分かる。拳にとても濃い悪魔の力が宿っていた。


「くッ……!!」


 ラファエルはバランスを崩して地面を転がる。

 それでも衣服が汚れないのはさすが天使、そんな余計なことを考えるくらい私はもはや他人事だった。


「いいかアニー。お前に確認しなきゃならない」


 きっと緊急事態だというのにヒューはどこか淡々としている。

 私をお姫様抱っこして、顔が間近にあるというのに、冷静な態度を崩さない。


「今から俺はお前の天使化を止めるつもりだが、もしそれをしたら、お前はもう二度とエクソシストにはなれない。親や先生たちから褒められる立派な人にはなれない。それでもいいか?」

「止めなかったら?」

「お前は天に昇って、神のもとで働き、地上のみんなからは聖女とあがめられるだろう」


 遠くの方でラファエルとケルベロスが闘っているがラファエルを止めることはできていない。


「アニー!今まで積み上げてきたものを思い出すんだ!聖女として天に旅立ち神に奉仕する。そのときが少し早く来ただけじゃないか!」


 ケルベロスを蹴散らしラファエルが近づいてくる。その顔には明確に焦りが浮かんでいる。そんなに私を天国に連れていきたいのだろうか?


「……もし私がいいって言ったら、弟子にしてくれますか?」

「どういうことだ?」

「天使になるより地上で生きていたいって言う私をそばに置いてくれますか?」

「もとより、そのつもりだ」


 その瞬間、私の体内から強力な魔力が引き抜かれた。

 それはまるで錠のような感覚を覚える魔法。


「止めろコンスタンティン!そんな悪魔みたいな所業どこで覚えた!?」

「天国で教えてもらうんだな」


 ヒューがその魔力を力を込めて握ると、いとも簡単に砕けた。


「コォォンスタンティイイイイイイイイン……お前は絶対に天使にする……それが天国の総意だああああああああ……!!!!」


 まるで浄化される悪魔みたいな断末魔をあげて、ラファエルは消えた。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「えっと…ヒュー…先生。なんというか、とにかく一から説明してほしいのですが」

「一夜じゃ語り切れねえな。お前の知識も追いついてねえし、それにお前はいったん帰った方がいい」

「はぁ……」


 ラファエルが消滅してからというもの、何回か事情の説明をお願いしているのに、ヒューはそのたびにこうやってはぐらかす。

 そして私はヒューの説得により、一度サン=リバティ教国に戻ることとなった。

 現在ログハウスの玄関先で帰り支度中だ。

 空はもう暗くなり始めているが、私はこれから馬車で来た道を歩いて帰る。一人で歩いて帰る。

 ほんとに信じて大丈夫だったのだろうか、こいつ。


「途中まではケルが乗せてくから安心しろ。俺はこの後ハーブの摂取とストレッチと足つぼマッサージをしなきゃいけないんだ」


 この人はほんとに伝説のエクソシスト、ヒューストン・コンスタンティンなのだろうか?

 言っていることが健康オタクのジジイでしかない。

 ラファエルから助けてくれた時のヒューは確かに伝記に書かれているとおりで、とてもかっこよくて、素敵で、ついでにセクシーで、つい言う通りにしちゃったのだけど。

 若干の幻滅を覚えつつ私ケルベロスにまたがった。

 明日からまた学園生活か……。


「ああ、それと」


 最後にヒューが呼びかける。


「先生じゃなくていい。俺にとっちゃお前は、相棒だから。これからよろしくな、アニー・イザベラ」


 今日は私の夢が壊されてばかりだった。

 教会学園の先生にセクハラをされ追放されて、何度も読み返したヒューの伝記は嘘ばかりで、挙句、天使に踏みにじられて。一番の夢だった「ヒューの弟子になる」もたった今打ち壊された。

 私たちの物語は、そんな最悪な一日から始まった。

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世界最強のエクソシストは長生きがしたい 南京中 @minamikiochu

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