5
勾留請求まで、ギリギリの時間だった。検察は、最後の追い込みをかけてきた。
祇園さんと天神さん、それぞれに、司法取引の結論を聞くために、検事による取り調べが行われた。僕がいない間に。接見予定時間を、捜査のためとずらされて、その時間になる前に、検察による確認が行われてしまっていた。完全に、検察に出し抜かれた。やられた。
僕が慌てて駆けつけたときには、もう、話が進んでしまっていた。弁護士不在の中で話を進めるなんて、検察もよほど司法取引に賭けていたらしい。
僕は、2人とのそれぞれの接見を、始めた。もう、手遅れであると感じながら。
「神田さん、ごめんなさい。もう、証言しました」
天神さんは、心底申し訳なさそうに言う。
「……なんて証言したの?」
検事から伝えられてはいたが、確認した。
「私です。私がやりました、祇園は無罪です、って、言いました……」
天を仰ぐ。そんな。
「記憶が、戻ったの?」
天神さんが、ふるふると首を横に振る。
「戻ってないです。でも、犯人がいるなら、それは私だと思います」
天神さんは、まっすぐに濁りのない眼でそう言った。
「記憶もないのに? 記憶喪失状態での証言は、無効になる可能性が高いんだよ?」
「こうすれば、誰も傷つかずに済むでしょう?」
そう言う彼女の顔は、今まで見た中で、一番の笑顔だった。柔らかくて暖かい、笑顔。
「待て。ちょっと待ってくれ。まだ、結論を出すのは待ってくれ」
もう手遅れだと言うことは、もちろん、わかっていた。
「ねえ、弁護士さん。私、証言しちゃったんです」
晴れ晴れとした顔で、祇園さんが言う。
「聞いてる。なんて言ったの?」
もちろん、なんて言ったかなんて、知っている。
「天神は、私にとって大切な友人です。だから、犯人は私です」
バカな。そんな言葉が何になるって言うんだ!
「そういうことを聞いているんじゃない」
僕は、自分の愚かさを反省した。ああ、そうだ。一番愚かだったのは、僕だ。
「殺したのは私です。記憶のない天神は犯人じゃない。殺人犯は、私です」
一言一句、違えることなく、検察が聴取した言葉、文言と一致した。
僕と祇園さん、2人の間に屹立するアクリル板を、僕は無意識のうちに叩いていた。
「そういうことを聞いているんじゃない!」
自分でも驚いてしまうほどの、大きな声が出た。僕はバカだ。バカは、僕だった。
状況から言って、どちらが犯人でもおかしくない。ただし、それは、「証言を信じれば」という前提が必要になる。祇園さんがまとめてくれた証言では、アパートで3人で言い争いをして、その結果、どちらかが男を殺したと言う。
『殺したのは、私です』
どちらもが、殺したのは自分だと言う。
でも、本当は、証言そのものが違ったのではないか? 僕の推理はこうだ。
事件の直前、祇園さんのアパートには、祇園さんと彼氏が、2人きりで過ごしていた。コンビニの弁当を食べたのは、祇園さんと、彼氏だった。本来なら、21時が門限で、そこにいるはずのない天神さんが、2人の浮気(?)を疑い、アパートに乗り込んできた。自前の包丁を握りしめて。
なぜそう考えるか?
祇園さんは、料理をしない。家具も最低限のものしか置いていない。台所には、調理器具なんてありはしない。せいぜい、お箸とお皿があるくらい。包丁なんて使わないから、そもそも常備していない。これは、警察の実況見分でも、確認されている。包丁はどこから持ってきたか? 調べれば、天神さんの家から、包丁が一本消えていることがわかるはずだ。
天神さんが、当初、祇園さんと男の、どちらを殺そうとしたのかは、今となってはわからない。ただの脅しのつもりだったのかもしれないし、奏でないのかもしれない。殺意の有無をどこまで立証できるかはわからない。だけど、包丁を持って乗り込んだことは事実。そして、結果として、男が死んだ。
「違う! そんなの、事実じゃない!」
祇園さんが、僕の言葉を遮る。その眼は、僕を殺さんばかりの鋭さで見つめている。
「あなた方は警察に捕まる前に、一計を案じた。一方は犯行を否定し、もう一方は、『記憶喪失になった』と嘘を吐く。いずれ、証拠不十分で、検察が殺人罪での起訴を見送ることを狙って。それが、あなたたちの目論みだった」
力一杯、首を横に振りながら、
「嘘なんか吐いてません。私は何も覚えていない!」
天神さんが否定する。もうそれも、全て虚しいだけなのに。
「ところが、決め手を欠いて業を煮やした検察から、まさかの提案があった」
「……司法取引」
それは、車で逃亡しながら計画を考えた祇園さんにとっても、予想外で、どうしていいかわからない事態だった。
黙秘を続けるか、それとも、真犯人の犯行を自供するか。タイムリミットまでに結論を出さなければ、2人とも余罪のみの追及になるが、しかし、それは20日間の拘留期間の延長の間に、更に厳しい取り調べが行われることも予想される。もし、どちらかが犯人だとわかれば、犯人はそのまま殺人罪で起訴されるが、もうひとりは釈放される。そこに賭けた。
お互いに干渉することはない。会話はできない。相談することはできない。だけど、それぞれが考えた。友達のために。そして2人ともが、自分こそが犯人だと言い張った。
僕の考えを聞いて、天神さんが、ひと言。
「何のことかわかりません」
「なぜ、こんな結論になったんだ?」
僕は、至極もっともな疑問を投げた。
「なぜかって? 私たちが、親友だからに決まってるでしょう!」
祇園さんが、激昂して答える。違う。激昂したいのはこっちだ!
「だから、失敗したんだ! どちらかがどちらかを裏切れば、それで済んだのに。親友を見捨てることができれば、どちらか1人は助かったのに! 2人ともが、お互いのことを考えすぎたんだ!」
「何言ってるの?」
天神さんが戸惑う。
「弁護士さんは、」
「神田さんは、」
『私たちの味方じゃなかったの!?』
2人ともが、同じ言葉で僕を責めた。
「味方のつもりだったよ! だって僕は、弁護士にあるまじき、そう、被疑者のうちの一人を、好きになってしまったんだから!」
『えっ』
「ああ、そうだよ。途中まではうまくいったのに。不用意な発言には注意しろと言ったのに! なぜ、記憶にない友人を、『祇園』と呼んだ? なぜ、『記憶のない天神』と言ってしまった? 僕は伝えていない!」
2人がお互いに干渉することは、できない。会話はできない。相談することもできない。留置の間、接見できるのは、担当になった国選弁護人のみ。つまり、2人を繋ぐことができるのは、唯一、僕だけ。
その僕が、伝えていない。天神さんには、友達の名前が「祇園」だってことを、祇園さんには、天神さんが「記憶喪失」になっているということも。
「なのにお互いが、お互いの状況を、知っていた! 相談もできないのに!」
『あ!』
全てが、手遅れだった。2人の証言は、すでに検察の把握しているところだ。
検察は2人の言葉を聞き逃さなかった。司法取引は、すでに崩壊した。天神さんは、凶器を用意したこと、加えて、自らの手で男を刺し殺した殺人罪で、祇園さんは、余罪と偽証罪に殺人の共犯・隠匿も含め、それぞれに起訴されます。
「……残念です」
僕としては、それで全てが終わったと感じていた。起訴されれば、検察は、その証拠固めに入る。日本の司法における、起訴後の有罪率は99%を超える。それほど、確実な状態を、検察は作り出したと言うこと。これから先は、たかが一介の国選弁護士風情が、どう争ったところで、勝てるはずのない負け戦だ。
それがわかっていて、それでも、僕は、彼女らとの接見を、最後まで辞めることができない。負けるとわかっていて、それでも、僕は……
「ねえ、弁護士さん。最後に教えて……」
祇園さんが、優しい声で呟いてくる。
「神田さんが、好きになったのは、」
天神さんが、これまでで最高の笑顔を向けてくる。
『私と、あの女の、どっち?』
僕は、僕は……
アクリル板越しに、どちらかの彼女と、キスを交わした。
太陽道路 くまべっち @kumabetti
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