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 当日何があったのかは、弁護士さんにも教えてない。

 大まかなところは、刑事や検事が捜査した状況から、作り上げられたストーリーがあった。だけど、その核心については、誰にも伝えていない。弁護士さんはいい人だと思う。人を殺したかもしれない、凶悪犯罪者の可能性がある、しかも、たかが女子高生の私たちの言葉を、ちゃんと真剣に聞いてくれる。真剣すぎて、むしろこっちが心苦しくなるほどに。ただし、いい人だからと言って、伝えていいことじゃない。絶対に。


 私と天神は、中学時代からの親友だった。でも、高校生になって、天神は変わった。理由ははっきりしてる。彼氏ができたせいだ。2人とも、中学時代は地味なオタク系の陰キャ人間だったのに、高校に入って、お互いにちょっとだけバイトもして、自由に使えるお金を手に入れてしまった。メイクをして、髪に色を入れて、2人で動画を撮って、SNSに上げて。

 ちょっとだけ夜遊びもするようになった。私は安くてボロいアパートに一人暮らしだったから、基本的に時間は自由だったけど、天神は、一応家族と暮らしているから、門限があった。21時までに帰らなくちゃいけない。バイトと、私と遊ぶ予定のどちらかで夜の予定はできてたはずが、いつからか、家族には私と一緒にいると言いながら、別の人と遊ぶ機会が増えていっていた。

 バイト先で知り合った男性だった。確かにかっこよかったけど、お金に無頓着で、いつしか、天神がバイトで稼いだお金を使い込むようになった。男としては、ちょっと可愛いめの、でも世間ずれしてない、自分の都合のいいように遊ぶことができる、数いる彼女のうちの1人、といった具合なのは、誰の目から見ても明らかだと思った。唯一、当事者である本人、天神だけがそれをわかってなかった。

 だから、天神に忠告した。あいつとは別れろって。大げんかになった。

 それが、あの夜に起きたこと。その日が、天神が初めて門限を破った日。


「別れろ? どうしてそんなこというの。まさか、嫉妬?」

 結構長い付き合いだったけど、そこまで怒る天神の姿は、見たことがなかった。

 私のアパートで、コンビニバイト上がりでくすねてきた廃棄の弁当を食べ終わってから、意を決して話を切り出した結果が、冷たい眼をして睨まれること、だった。

「違う。純粋に心配なだけだから」

「純粋に心配。何それ。あんた、私の親なの?」

「なんでわかってくれないの?」

 心臓が早鐘のように鳴り響く。言わなきゃよかった。こんなに怒るなんて。でも、もう後戻りはできない。なんとか、しっかりと向き合おうとする。だけど、目の前には、私の知らない、いつものほんわかした天神じゃない、鋭い目をした天神の顔がある。まともに見ることもできない。

「心配って、嘘でしょ」

「は?」

 続けて、天神が、およそ天神らしからぬことを言い出して、私は更に驚いた。

「わかってるんだよ。ホントは、あんたも、彼のこと好きなんでしょ。だから別れさせたいんだ」

 私が、彼のことが好き? だから、別れさせたい?

「そうだよ」

 まさかの図星だった。天神にしては、珍しく勘が働いてる。こうなったら、本当の意味で覚悟を決めるしかない。

「それがどうしたの?」

「開き直るの?」

 後戻りすることはできない。こっちにだって、譲れないものはある。

 天神から、最初に彼を紹介された時。彼も私も、直感でわかった。ああ、お互いに必要としている、と。3人で、渋谷を買い物しながら歩いたとき、そこに天神がいるにもかかわらず、彼は、さりげなく私に触れた。偶然触れたのではなく、明確な意思を持って。一度ならず、二度、三度、いや、それこそ数え切れないくらいに。だから、こっちからも触れ返した。もちろん、さりげなく。天神にはまったく気づかせずに。物理的な接触だけじゃない。彼氏が天神の頭をなでながら、その笑顔の中の眼は、じっと私を見つめている。天神は、もちろん、気づかない。

 慣れていると思った。こんなにうまくできる人が、1人の女で満足してるはずがない。そんなことはすぐにわかった。だから、数ある女の1人が天神だし、その数ある女の1人に、私もなるんだ、と思った。思ったけど、それと同時に、数いる女の中で、私が一番になる、そんな予感もしていた。

 それくらい、私と彼の相性はよかった。それでもまだ、建前上は、彼は、天神の彼氏で、私は、あくまでも天神の友人だった。

「あんたみたいな馬鹿が、あの人と付き合ってるなんて、反吐が出る。どうやって籠絡したのか、一度聞いてみたいよ」

「聞いてみればいいじゃん」

 それでも、彼女、という立場にいる自分が有利だと思ってる。そんな天神が、可愛く、同時に、とてつもなく可哀相になってきた。

「だから、呼び出した」

「はぁ? 馬鹿なの?」

 天神の彼氏を、私は自分のアパートに呼び出していた。チャイムが鳴る。

 何食わぬ顔で部屋にあがる。玄関で靴を脱ぐのもそこそこに、いつものように、私に抱きつこうとする彼の姿を、天神が見た。彼は、そこに天神がいることに驚いていた。天神が、彼に詰め寄る。

「何考えてんの!?」

「これでわかったでしょ」

「わかんないよ! ふざけんな!」

 天神が、今まで見たことも聞いたこともないレベルで、怒りをぶちまけてきた。手近にあるものを掴んでは、こっちに投げてきた。スマホ、バッグ、充電器、筆入れ、化粧ポーチ、鏡、時計……手持ちのものを投げ尽くすと、今度は部屋に置いてあるぬいぐるみや灰皿を投げつけてきた。彼が吸うためだけに置いてある灰皿。彼のためだけの、モノ。

 状況が飲み込めていなかった彼が、暴れる天神を殴った。平手打ちだったけど、天神は、今まで誰にも殴られてことがなかったのか、呆然として、次の瞬間、更に暴れ始めた。振り回した手で、私が殴られた。キレた。殴り返した。お互いに髪の毛を掴んで、引っ張って、考えられる限りの罵詈雑言を、お互いにぶつけ合った。これまでの仲のよかった時間が全部嘘であるかのように、憎悪だけが2人の間にあった。

「殺してやる!」

 その言葉を最初に言ったのがどっちだったのか、よくわからない。わからなくなるくらい、何度も何度も言った。その言葉を発して以降、まるでそれしか言葉を知らないかのように。

 はっきりとした時間は覚えていないが、おそらく2時間ほどは、3人で怒鳴り合い、つかみ合いをしていた。日付が変わって、すでにけっこう経っていた。いつからか、1人が、大人しくなっていた。床に横たわって、静かにしている。動きもせず、声も出さない。呼吸音どころか、心臓が動く音も聞こえない。ただ、紅い液体だけが、止めどなく流れていた。

 彼氏の身体に包丁が刺さっていた。瞳孔が開いている。

「やばいよ。どうしよう……」

 天神の疑問はもっともだけど、

「どうしようっていわれても」

 私にだって、わかるわけない。ここにいるのは、ただの高校生が2人。医学部に行くような学力もなければ、司法試験を目指すような法律に詳しい人間でもない。そんじょそこらのガキンチョが持っている知識なんて、人を殺したら、警察に捕まって、裁判にかけられて、死刑になる、そんな程度のことだけ。

「逃げよう!」

 天神の提案に、飛びついた。


 彼は、ワンボックスの軽自動車に乗ってきていた。見た目にもカラーリング的にも、可愛らしい車で、あんまり男らしくないよね、と一度問い質したことがあったが、この方が女ウケするんだと普通に返してきた。何人の女を助手席に乗せてきたのかは、聞かなかった。永久にその答えを知ることはできないけど、今となっては知る必要がそもそもなくなった。

 彼氏のジャケットのポケットからキーを取り出し、車を盗んで、私たちは走り出した。私だって天神だって、免許は持ってない。せいぜい、ゲーセンでレースゲームをした程度のレベルだ。天神を、運転席に座らせた。最初は自信がないからと嫌がったが、むりやり運転させた。エンジンをかけて、ギアをニュートラルから変えて、アクセルを踏んだら、後はハンドルを回すだけ。深夜の道路は、車の通りが少なかったから、どうにかこうにか走り出すことができた。

「……深夜のドライブだね」

「何言ってんの?」

「本当はさ、祇園と、こうして2人でいるの、一番楽しいのかも……」

 天神が、ぶるぶる震える手でハンドルを握りながら、しおらしいことを言ってくる。

「どうせなら、こんな真っ暗な夜じゃなくて、太陽の下でドライブしたいよ」

「だよね。祇園ならそう言うよね」

 天神が、明るく笑う。ああ、この子のこと、やっぱ、好きだわ。

「ごめん、ちょっと黙ってて」

 だからこそ、天神が、気を紛らわせるように冗談めかしていった言葉も、取り合うことはできなかった。そんな場合じゃない。

 どこに逃げるかなんて、あてがあったわけじゃない。ただとにかく、あの場所にはいられなかっただけだ。どうしよう。床の清掃代、家賃とは別に取られるのかな。現実的なのか現実的じゃないのか、よくわからないことを考えた。

 走り出してすぐ、検問に引っかかった。まさか、もう彼氏の死体が見つかった? と思ったが、まったく関係なく、飲酒運転の取り締まりで行われていた検問だった。でも、警察に車を覗かれた私たちは、当然、無免許運転がバレそうになった。

 急発進。逃げた。逃げたところでどうなるものでもないという判断はできなかった。ひたすら逃げた。警察が追ってきた。当然だ。パトカーが増える。1台、2台……5台までは確認したけど、最終的には6台だったらしい。

 そして、警察の調書にあるとおり、事故に遭って捕まった。白いワゴン車の女性は無事だったかな。巻き込んでごめんと言うより、邪魔すんな、という感じなので、謝るつもりは毛頭ないんだけど。機会があれば、文句の一つや二つ、言いに行きたいくらいだ。ついでに、5、6発殴りたい。邪魔すんな。

 とにかく、結果、私たちが病院へ搬送されて検査を受けている間に、無免許運転がばれ、車のナンバーから彼氏の名前が把握され、そのままの流れで、私のアパートで死体が発見された。全てが、警察によって暴かれた。

 ただ一つの事実を除いて。どちらかが、あいつを殺した。

 そのこと自体は、否定しない。


『でも、私は……』

 そうだ。司法取引。

『いったい、どうすればいい?』

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