キツネの嫁入り

香久山 ゆみ

キツネの嫁入り

「ユマちゃん、雨!」

「うそっ」

 見上げると、雲ひとつない青空なのに、ぽつぽつと雨が降ってくる。傘なんて持っていないのに!

 ユマとカグの姉妹は慌てて近くのいちばん大きな木の下へ駆け込む。

「久しぶりに会えたのにね」

「せっかくいっぱい遊ぼうと思ったのにねー」

 へんなお天気! そうしてコナラの木の下で雨宿りをすることにしたふたり。

 しくしくしく……。

 しとしと雨の音に紛れて、誰かの泣く声がする。姉妹は顔を見合わせるけれど、当然お互い泣いてなんていない。なら、一体誰の泣き声?

 泣き声を辿って、ユマがおそるおそる草むらをかき分けると、白無垢を着たキツネがしくしく泣いている。

「あの、どうしたんですか?」

 こんなきれいな格好して草むらで泣いているなんて、ただごとではない。

「……今日はわたしの結婚式だったのだけれど、逃げてきてしまったの」

 しくしくとキツネの花嫁さんが着物の袖で顔を覆う。

「ええっ。なんで?!」

「なんだか怖くなってしまって……」

 またしくしく泣き出す。

 花婿さんが悪い奴なのかな。カグがひそひそ言う。うーん、どうかな。他に好きな相手がいるとか? ユマもひそひそ。聞いてみる? でももっと泣いちゃうかも。どうする? どうしよ? ユマもカグもこういう話は得意じゃない。

「あーもう、やだやだ! へんな天気だわ! ぬれちゃった!」

 そこへちいちい声を上げながら大きな荷物を抱えたネズミが雨宿りに飛び込んできた。

「……あら、どうしたの?」

 深刻な先客の様子に、ネズミは首を傾げる。ユマから事情を聞くと、ネズミは小さな胸をぐいっと張って言った。

「なるほどなるほど。マリッジブルーってやつね。このネズミの奥さんが相談に乗ってあげましょ」

 堂々としており、大変頼もしい。キツネもようやく泣きやんだ。

「……けれど、初対面でそんなご迷惑を」

「なあに、雨の日は恋話をするものだって大昔からの定番よ。しばらくやみそうにないしね」

 だから話してごらん。ネズミの奥さんに促され、キツネはぽつりぽつりと話し出す。

「夫になる方とは、お見合いで一度会ったきりなんです」

「なるほどなるほど。どんな相手か分かんないから不安なのね」

 あたしも親が選んだ相手と見合い結婚だったからね。分かるわ。なんか世界で一番強い男を婿にするんだって言ってね、太陽に見合いを申込みに行ってね。でもネズミと太陽だもの、上手くいくはずなくて。ほかに風や壁とも見合いしたけど、結局最後にお見合いしたネズミが今の夫よ。そりゃ太陽に比べればネズミなんてこーんな小ちゃいからね。はじめは不安も不満もあったけど、長く一緒に暮らすうちに仲良くなるものよ。今や毎朝ちゅっちゅって。

「いえ。夫はハンサムで気配りもできて、話も上手で。わたしはお見合いの時に夫に一目惚れしたんです」

「あらなあになあに、だったらなにが不安なの?」

 体は小さくとも懐のでかいネズミの奥さんは話を遮られたことも気にしません。

「夫は旅商人をしていて、全国津々浦々を回る仕事なんです」

「なるほどなるほど、いいじゃない。新婚旅行気分でふたりであちこち巡れるじゃない」

 キラキラ目を輝かせるネズミと対照的に、キツネは沈んだ表情のまま。

「今までずっと一緒に暮らしてきた両親と離れるのがつらいんです」

「なるほどなるほど……」

 ネズミは一族で一つ所に住んでいるので、家族と離れ離れになった経験はありません。ううむ、と口を噤んでしまう。やっぱり誰にも分かってもらえないのね。キツネはまた俯いてしまった。その時。

「わかるよ」

 代わりに返事したのは、カグだった。

 キツネの花嫁さんもネズミの奥さんもじっとカグに視線を送る。こんなに小さい子が、本当に分かっているのかしら?

「いつかはここから出て行くって分かってたけど、本当に出て行くのはこわいの。……もう会えないかもしれない。遠くに行っている間に忘れられちゃうかもしれない」

 カグが一生懸命ことばにすると、キツネはそうなのよ、と強く頷いた。

「旅商人だから、次に帰ってくるのはいつになるか分からない。父も母も背が低いから、高い木の実はいつもわたしが獲っていたの。だからわたしがいないときっと困るはずなのに、へいきだって言うのよ。うちのことは心配するな、お前は新しい家族としあわせになれって。わたし、そう言われるとかなしくって……」

 しくしくとキツネは顔を覆う。ユマにはなにがかなしいのか分からない。なのに、カグは「わかるよ」と言う。

「新しい所へ行っても、ずっとお父さんとお母さんと家族でいたいんだよね。なのに、うちのことは気にするなって言われると、もう自分は家族じゃなくなったのかなって気がするんだよね」

 そんなわけないじゃない。ユマはそう言いたかった。けど、そんなことは皆分かっているのだ。今必要なことばを見つけるには、ユマにはまだ経験が足りなくて、もどかしくて唇を噛むしかできない。

「なるほどなるほど」

 ネズミの奥さんが言う。

「親はいつでも子どもの心配をしているものよ。うちの親だって娘のあたしにしあわせになってほしいからって、太陽に結婚を申込んだくらいなんだから。キツネさんのとこも、ただあなたにしあわせになってもらいたいから、実家のことは気にせず自分のしあわせだけを考えればいいんだよって伝えたかったのね」

 けど、しあわせってとてもむずかしいのよね。太陽と結婚していたらあたしきっと今ごろ丸焦げだったし、夫とも出会えなかった。あなたのご両親にとって、あなたのしあわせは、新しい家族と末永く平穏に暮らすこと。けど、あなたにとっては、ご両親なしでしあわせはありえない。お互いのしあわせを擦り合わせる方法は、一つしかないわ。ネズミは小さな人差指をピッと立てた。

「行動あるのみ!」

 対話することも行動の一つよ。

 ネズミが立てた人差指でそのままキツネの背後をビシッと指す。ガサガサッと草むらが揺れ、ひょこっと大きなしっぽが三本飛び出す。

「父さま! 母さま! コン太郎さん!」

 キツネの両親と花婿が心配して迎えに来たようだ。ずいぶん探したようで、皆立派な着物が雨にぬれている。

「かわいい娘よ、いつでもうちに帰ってきていいんだよ」

「ひとりで悩ませてごめんよ。年に数回はこの町に帰ってくるよう旅商の計画を立てるようにしよう」

 両親と花婿に囲まれて、キツネの花嫁さんはまたしくしく泣き出した。けれど、今度はうれしい涙だと分かったので、ユマとカグとネズミの奥さんはほっと胸を撫で下ろした。

「さてと。雨もやんだようだし、あたしも行くわね。うちで七匹の子ども達がちいちいお腹を空かせて待っているからね」

 よいしょ、とネズミの奥さんは小さな体に大きな荷物を抱えてとことこ森の中へ消えていった。

 見上げると、確かにいつの間にか雨がやんでいる。

「カグ、行こうか」

「ユマちゃん、行こう」

 ふたりは大きな木の下から出た。雨上がりの道を行く。カグは途中で立ち止まっては、雨にぬれた草花のにおいをくんくんとめずらしそうに嗅ぐ。

「……カグ」

 思い切って、ユマは声を掛けた。

「さっきの話。……家族じゃなくなるみたいでかなしいって、カグもそう思ったことがあるの?」

 カグは決まり悪そうに、そろりと顔を上げた。

「……ほんとは言うつもりじゃなかったのにな」

 やっぱりカグが本当に思っていたことだったんだ。ユマは胸の奥がぎゅっとなった。「対話することも大事」だと言ったネズミの奥さんの言葉を思い出して、勇気を出して聞いた。

「言って。カグが思っていること、教えて」

 カグがもじもじ言う。

「カグがいなくなったあと、ユマちゃん、新しい犬を家族に迎えたでしょ」

「モモのこと?」

「うん……。カグ、かなしかったの。本当はひとりでここに来たのもかなしかった。カグのいない家にモモちゃんが新しく迎えられたのもさびしかった。でも、なにより……」

 カグが少し言いにくそうにする。ユマはじっと待った。

「なにより、ユマちゃんが何も言ってくれないのがかなしかった。ユマちゃん、家にモモちゃんが来たよって話してくれなかったでしょ。カグ、もう今の家族じゃないんだって思って、かなしかった」

 ユマははっとした。カグは甘えん坊だから、自分以外の犬が家に来たのを知ったらショックを受けると思って、だから言わなかったのだ。それがカグを傷つけていたなんて。

「カグ、ごめんね……」

「ううん。もういいの。分かったから」

 カグはふるふると首を振った。

「ユマちゃんが来てくれたから、今もカグのこと大好きって思ってるって分かったよ。それに、今日気付いたの。家族はずっと同じじゃないんだよね。新しく作っていくものでもある。けど、もとの家族がなくなっちゃうわけじゃないんだよね」

 ユマちゃんが家族を作ると、カグにも家族ができるってことなんだよね。まるで大きな木が枝を伸ばしていくみたいに。家族はかたちを変えながらも互いを思いやって前へ進んでいくんだよね。上手く言えないけど。えへへ、と笑う小さな妹をユマはぎゅっと抱きしめた。まだまだだめなお姉ちゃんだけど、ただ大好きだってことはいつでもこの小さくて甘えん坊で寂しがりやの妹にちゃんと伝えたいから。

「カグもユマちゃんたちのこと大好きだって、いっぱい伝えるからね。……カグ、モモちゃんのこときらいじゃないからね」

 もじもじしながら言うのがかわいい。

 本当はそんなことしなくたって、カグが家族のこと大好きだって、もう十分に知っているのだ。ただ時々ほんのちょっぴり不安になっちゃうだけなんだ。だから何度だってきみのことを想うし、きみが望むなら何度だって会いにくる。

「ユマちゃん、もう帰らなきゃ」

「うん、私もパパもママも、カグのことずっと大好きだからね!」

「知ってるよ」

「またね!」

「またいつか!」


   *


 ユマが仔犬のモモと散歩としていると、ぽつり。突然の雨に、シャッターの下りた商店の軒先に入る。雨宿りしていると、ばたばたと、幼馴染のカズヤも飛び込んできた。

「おっす。まいったな、図書館の本ぬれなかったかな」

「雲一つないのに、急に雨だもんね」

 軒先から青空を仰いだカズヤが言う。

「狐の嫁入りっていうんだぜ」

 雲は高度1000メートル以上でできるが、地上に到達するまでに5分から20分かかる。その間に雲が流されると、地上に雨が降る時に空を見上げてもすでにそこに雲はないなんてことが起こる。そんな天気雨のことを、まるでキツネに化かされたみたいだから「狐の嫁入り」っていうんだ。

「なるほど」

 ユマも空を見上げる。

 透明の雨の向こうにはどこまでも青空が広がっている。今度は逃げ出すことなくちゃんと結婚式ができたかな。

 雨宿りの間、カズヤから宇宙のうんちくを聞かされる羽目になった。モモは足元で大きなあくびをしている。

 じきに雨がやむと、モモとユマは軒下から飛び出した。やんちゃなモモは草花には見向きもせず、遠くに犬を見つけるとワンワン大声で挨拶しながら駆け寄っていく。カグとは全然ちがう。……カグは本当にへいきなのかな。西日を受けて、ユマは目を細めた。

「見てみろよ」

 追いついたカズヤがユマの背中をぽんと叩く。

「うわあ」

 振り返ると、大きな虹。

 ――大好きだっていっぱい伝えるからね。

 ユマが見上げると、さっきまで騒がしかったモモもじっと虹を見上げて、ぶんぶんとしっぽを振った。

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