第8話 安堵しろ

 指し示す先には、先ほど僕を受け止めてくれた生き物の皮膚が散らばっていた。あれほど大量にあった汚い液体は大部分が揮発して、もはや水たまり程度しか残されていない。


 グロッフ。それがこの死体の種族名だ。今は肉片になってしまっているが、本来は楕円形の風船のような巨大な体躯を、おまけ程度の小さな四肢で支えながら四足歩行している。

 依頼内容はこいつを生け捕りにして持ち帰ってこいというものだった。依頼者が生け捕りされた状態のこいつを欲しがる理由は、たっぷりと詰まった体液の性質にあった。この汚くて臭い液体は、この地方で昔から回復薬の材料として根強く重宝されている。液体の特徴としては揮発性の高さが挙げられ、空気に触れると先ほどのように沸騰しながら悪臭を遠慮もなく放出し、そのまま気体と化していく。それ故に、依頼を受けた者たちは大きな個体を殺さずに運ぶという面倒な手順を踏まされる。それに加え、生息域が地下深くに限定されている。これらの理由から支払われる報酬は大抵気前の良い額になっていた。

 

 「ちゃんと持ち帰れば今後一週間は飲み食いに困らなかったのにねぇ。グロッフちゃんぐちゃぐちゃになっちゃってるじゃーん」

 声のする方に目を向ける。華美な顔立ち、華美な服装をした女は責めるような言葉を発しつつも、その顔はにやけており、楽しそうに肉片が散らばるあたりを歩き回っていた。彼女、ロイザもパーティのひとりだ。

 「ほら見て、顔が落ちてる」満面の無邪気な笑みを浮かべている彼女の指さす先には、グロッフの千切れた青白い顔が地面に貼りついていた。ロイザとは対照的に、死体の口角は下がりきっており、到底成仏できそうにない悲痛な表情を浮かべていた。「泣いちゃってるよ?ラヴァちゃんのせいで~」彼女は下がり切った口角をつま先でいじりながらクスクスと笑った。

 こんな見るに堪えない悪趣味な振る舞いにさえも、無事生還したことを実感させられてしまう。心地よい安心感によって、体は急激に弛緩した。

「生き永らえたぁ」安堵の声が思わず口から漏れ出た。


 「何と遊んでたんだ?俺たちが仕事してる間」ガリウスは怪訝そうに尋ねた。

 僕は大まかに事の顛末を話した。

 「クラフの群れに立ち向かった?あの剣で?」

 「ダメだよーラヴァちゃん。あいつら大分硬いから内側から燃やすとしないと」四角は手に持った杖を左右に振りながら言った。

 「あいつが行けって言ったんだよ。しかもちょっと勝てそうだった。そんな雰囲気だったんだけど」

 「それで騙されて、剣も捨てて涙目敗走。挙句の果てに飛び降り自殺か」三角は呆れた顔で言った。

 「いや死ぬつもりはなかったんだ。あいつが飛び降りろってまた指図してきて」

 「それで無事生還かぁ。相変わらずまどろっこしい能力だねぇ」


 「まぁ無事なのは何よりだが。そんな緊迫した逃走劇の結果、お目当ての代物が爆散しちまったって訳だ」

 「お財布もう空っぽなのにね。ごめんね」僕は伏し目がちに謝った。「まぁ悪いのはしつこく追いかけてきた怪物たちなんだけど」

 「責任転嫁をするな二日酔い野郎」ガリウスが手にしている小ぶりな杖で横っ腹を突いてくる。


 現在、パーティは慢性的な財政難に陥っていた。資金が底をついては、小銭稼ぎ程度の依頼を受注するというサイクルを繰り返しており、計画性のない生活をパーティ一体となって送っていた。今回のグロッフ生け捕りの依頼もその一環で受注したものであったが、僕の命と引き換えにそれは失敗に終わってしまった。このまま地上へ戻ったら飲み食いすらままならなくなることが目に見えていた。


 「あっ、じゃあさ!代わりにクラフちゃん達殺せばいいんじゃない?」ロイザは思いついたようにそう言った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

指示待ち勇者 @momomomom

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ