青冬夏
香久山 ゆみ
青冬夏《せいしゅん》
「マフユさんは
中学二年、夏休み前の放課後。私とナツは、他数名の落ちこぼれとともに、校門を楽しげに出て行く生徒たちを横目に、バタバタとまるで溺れているみたいな無様な格好を水面に晒していた。水泳の補習授業。その時に先生に言われた。私はすごく納得した。名前も正反対の私たち親友を上手く対比している。
――思考のマフユ、行動のナツコ。
「ねえ、マフ! 早く行こうよ!」
どこへ遊びに行こうか。そんな時でも。私が慎重に考えている間に、ナツはさっさと結論を出して、いや出さないままに、私の手を引っ張って先へ進もうとする。
ナツは私のことを「マフ」と呼ぶ。男子に「まふまふ」言われると、まるで犬かなんかみたいでむかつくが、なつが「マフ」というのは、ばかみたいでかわいい。
「まふ」ではなく「マフ」。交換日記でいつもナツは私のことをそう書いた。象形文字みたいな筆跡で。それを気に入っている。まふよりもマフ。少し融通の利かない実直な感じが私らしくていい。
親友だった私たち。
別々の高校へ進学して、自然遠のいてしまった。
何度か連絡してみたけれど、繋がらない。私もこういう性格だから、数度試したきり諦めてしまった。切られたかな。なら、あまり連絡すると執念深くて迷惑だろうし。私なんかしたかな。いや。連絡もくれないような親友は、私から切るのだ。
そんな静かな煩悶を知ってか知らずか、ある日ナツから連絡があった。
「あたしたち親友じゃん。こんな感じで切れたらやだよー」
とかなんとか。おいおいって思ったけれど、無沙汰はお互い様だから、互いにあまりこの件には触れず不問に伏すことにした。
二十七歳。
深夜のファミレスで私たちは十代の頃のようにはしゃぎあった。
ナツは相変わらず奔放で、全国各地、職を転々としているようだった。今もアルバイトで生活しているとか。でもまあいいの、どうせ結婚したら専業主婦になりたいし。なんてことを言う。まるで男っ気のない私たちなのに、本当にこの子は大丈夫だろうかと心配になる。
夢を語り合った。とはいえ具体的な展望など何もない。
「ビッグになりたい」とか、「自分の生きたしるしを歴史に刻みたい」とか、「二十代のうちはまだ夢を追っていいよね」とか。ばかみたいに青いことを熱く語り合った。
静かで、賑やかな夜。空が白みはじめる時間までお喋りした。こんなに屈託なく長い時間を二人で過ごせる相手はナツしかいない。
ナツは今度は遠く海辺の旅館で住み込みで働くと言っていた。
そしてまた音信不通になった。
なんか悪いことしたかな。
小説家になりたいなんてゴタクを並べる私にナツは言った。
「それもいいけど。マフは勉強が得意だから、税理士とかさ、資格の勉強したらいいよ」
「ナツもさ、デザイナー目指すの頑張りなよ。何事もやってみなきゃわかんないよ」
それかな。あまりにもいい加減な台詞だったかもしれない。二十代後半。本当の親友ならば、「もっと腰を落ち着けて、正社員の口を探しなよ」とか言うべきだったのかもしれない。
でも。
ナツの中の私はいつまでも中学生のままだ。中学生の頃は勉強ができた方だ。けど今は、自分があまりにも平凡であることを知っている。頭だってせいぜい中の上くらいだ。身を立てるような資格なんてとても。
それに、夢を追いかけたいのは私。自分の限界を知って、それでも自分の可能性を信じたくて。その夢を自分以外の人間に否定されたくなかった。だから私もナツの夢を肯定した。本当はナツの才能を信じてないくせに。
それがだめだったのかもしれない。本当の親友なら、もっと真摯に厳しい言葉を掛けるべきだったのかもしれない。なのに、あんないい加減みたいなことを言ったから、信用を失したのかもしれない。軽蔑したのかもしれない。
いやいやそれとも。
本当にナツは夢を追いかけて、夢が叶うまでは連絡を絶つつもりなのかもしれない。そう信じて待ってみたけれど、一年経っても、二年経っても、ナツから連絡はなかった。いやでも、例えば結婚することになったりしたら、その時には連絡くれるはず。でも、三年、五年、十年経っても、ナツから連絡はなかった。
その間私は。真面目に正社員で働きながら、こつこつ小説を書いた。ナツと語った夢を実現させるために。新人賞受賞の会見で、「一番に伝えたい相手は親友です」と言って、感動の再会を果たすために。私はちゃんと夢に向かっていたんだよ、いい加減なこと言ったわけじゃないんだよ、と言うために。けど、そう上手く実は成らず、しかしはじめにちょっとした入賞経験なんかを得たものだから引くにも引けず、三十過ぎてもずるずると執筆を続けた。
まあ、結婚も成功もなかったのは、そのせいではないだろうけど。
そして会社を定年退職する齢になった。ナツと会わぬまま。
退職後にいっしょに旅行でもしようと言う友人はできた。
けど、いっしょにばかになれるのは、いまだにナツだけだ。
これから独りの時間をどうしようか。いや、私にはやるべきことがある。小説家養成講座に申込み、せっせと執筆を続けた。
その教室からの帰り道。「マフ!」と呼ばれ、振り返るとナツがいた。何年ぶりだろう! 互いに時間があるということで、ファミレスに席を取った。久方ぶりの再会の緊張は、すぐにほぐれた。
ナツはやはり奔放で眩しい人生を送っていた。
――型のマフユ、行動のナツコ。
決して成功はしなかった。でも、それなりに。こつこつ書くことを続けて、時々小さなコンクールで賞を貰うくらいには、私も文章の型が出来上がっている。だから。
ナツの人生を、私が物語にしてはどうだろう。
「まだ、夢見てもいいよね。だって、これからが私たちの自由な時間だもん」
口に出してみると、まさにそれが真実な気がする。そうだ、還暦すぎて、私たちはまた子どもからやり直すのだ。ナツも愉快そうに声を上げて笑った。
やはり、ナツといると、私は、私たちはばかになれる。
*
夜のファミレスで、マフに「あたしの人生」を語った。
いろんな仕事をしたこと。海外にも行ったこと。外国人の知人もできた。三十五くらいでまた日本に帰ってきて、ようやく一つ所に腰を落ち着けた。結婚の真似事もした。手を上げるような男で大変だった。逃げるようにまた放浪して。四十を過ぎてようやく、正社員ではなかったけれど、それなりの職に就いた。やっと人生落ち着いたなって矢先に、ヘンな、詐欺に遭いかけて、数百万騙し取られそうになったり。まあ、すったもんだあったお陰で、ずいぶん顔は広くなったけど。なんて。
あること、ないこと。
万一本当に文学賞でも受賞してスピーチなんてすることになればどうしよう、この嘘だらけのエピソード。なんて一瞬よぎったが。はは。人生がそんなに甘くないこと、あたしは知っている。
今まで。それなりに大変なこともあった。悲惨なことも。けど、別に。小説にするほどのものでもない。中の下? いや、結局けっこー平凡だろう。
マフと再会して、久々に思わず声を上げて笑った。だって、あまりにも変わらない。「夢」、だって。
あの時、「税理士になれば」って言ったのに。あたしの言うことなんて聞きやしない。本人はしっかり者のつもりのようで、だからいつも無自覚にほんの少しばかしあたしのことを上から見ている節もあるけど、でも、マフはばかだ。純粋培養、汚れを知らない、お嬢さん。深夜のファミレスで三十手前の女が語る夢なんて、ただの愚痴、与太話でしょ。なのに、マフはしっかり本気にしてしまう。あたしはこの浮世ばなれした友が心配だった。だから言ったのに。なのに。
マフに合わせてずっと男がいないフリしてたけど、正直、あたしは結構モテた。まあ、でも見る目があまりなかった。だから、あの当時も少々厄介な男と付き合っていて、お金の問題とか、世間知らずなマフに迷惑掛けられないと思っているうちに、音信不通になってしまった。
「税理士になれば」、そう言ったことを、もしかしたらマフは、「平凡なつまらない人生を送ればいい」、そんな風に受け取ったのかもしれない。だから連絡が途絶えたのかもしれないと思っていた。
けど、違ったようだ。
マフのきらきらした瞳を見ていると、昔のことを思い出す。
中学生のあの頃、あたしたちはいつも一緒だった。水泳の補習授業まで。
「型のマフユ、行動のナツコ」
マフは教師の呟いたその台詞にいたく感銘を受けたようだった。それは本来ただ単に、その瞬間のあたし達の泳ぐ姿勢に向けられただけの言葉だった。だが、マフはその言葉をまるで運命、啓示を受けたみたいに感じていた。自分なりの解釈をして。例えばあたしならこう解釈するんだけどな。
――頭でっかちのマフユ、気合いで乗り切るナツコ。
これもいい過ぎか。でも、マフはほぼ先生の字義通りに受け止めたようだ。素直で単純。昔から、マフはこうと決めたら一本気だ。かたくなに融通が利かない。
そして、それを引っ張るのがあたし。マフに知らない世界を見せるのが、あたしの役割。マフのあたしへの過大な期待に応えるのも、なかなか大変なのだ。「おばかで奔放なナツ」。そりゃあ、図らずして多少の嘘、大袈裟も混じってしまうでしょう。マフもマフだけど。「詐欺に遭いかけた」と言っただけなのに、マフの中ではすっかりあたしは詐欺師に騙された悲運の女になっている。まああたしも意図してそういう話し方をしたんだけれど。ついね。マフの期待に応えたいし、あの頃と変わらぬマフでいてほしいと思ったりする。ずっと音信不通の別々の人生を過ごしたのに、互いのことはいつも頭の片隅にあって、そして今また繋がった。こういうの、やっぱり「親友」だからなのだろうか。
できることなら、本当にマフに知らない世界を見せてあげたい。ともに、華やかな舞台へ。なーんて。
たぶん、あたしはマフを信じているのかもしれない。中学時代、飽きっぽいあたしがマフとの交換日記を続けた理由。マフの書く文章が好きだったからだ。取り立てて面白いエピソードなんてないのに、つい読み進めてしまう。そんなマフの文章に、それなりのエピソードが乗っかれば、ひょっとしたら。とか思ったりして。
やっぱり、マフといると、あたしたちはばかになる。こんな齢になったのに。まだ、夢を見ようとしている。会うといつでも青春みたいに。
――マフユとナツコの間には、いつも春がある。
なんて言うと、またマフが喜びそうだから、言わないでおく。また今度会う時まで、大事に取っておこう。
青冬夏 香久山 ゆみ @kaguyamayumi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます