走れ!
ヤチヨリコ
走れ!!!
僕はじっと沈黙した。今年こそこの校内マラソン大会をサボってやろうと思惑を巡らせ、沈黙が最善であると理解していたからだ。僕は生まれついての優等生である。目立たないのが取り柄の、モブキャラクター。それが僕だ。それ以上でもそれ以下でもない。
「三連休二日目はマラソン大会だからねー! サボったら出席にならないから必ず参加すること! じゃ、さようならー!」
担任がそう言うと、みんないっせいにガタガタと椅子から立ち上がり、「えーーーっ!」とか「やだーっ!」とか、あからさまにマラソン大会への不満をあらわにする。
「だりー……。つーか、三連休なら三連休にしとけよ。これじゃ三連休じゃねえじゃねえか」
左隣の竹本は雰囲気だけ不良だ。ボンタンだの長ランだの格好だけは不良っぽいくせにつるんでる友達は割と普通。近くにいると竹本から煙草のにおいはかすかにするが、それはたぶん喫煙者である彼の母親が原因だろう。
「タケちゃん、しょうがないよ。学校行事だよ? 参加するよね参加するっきゃないよね。学校行事だもんね」
前の席の笹山は青春満喫基本法とやらを勝手に制定し、勝手にそれに準じている変態である。学校行事は何が何でも休まないをポリシーとしており、実際、笹山が休んだのを見たことは一度たりともない。
「うるせー。あれこれ口出しすんな」
「えーっ、ひどいっ! メロスくんもそう思わない?」
「僕ぅ〜?」
僕は急に話をふられたものだから、とっさに返事が思いつかずおたおたしてしまった。
タケちゃんこと竹本と、笹山は同じ中学出身というのもあってよく話す仲だ。でも、僕が勝手にそう思っているだけで二人はそう思ってないんじゃないか。もしそうだったら僕はどっちの味方をすれば……。
「や、僕は別にどっちでも。竹本みたいに出席やばいわけでもないし、笹山みたいに青春バンザイってかんじでもないし。あ、でも、リア充しか得しないイベントだよね。スクールカースト上位の方々は何位だろうがもてはやされるっていうか」
とりあえず、これでどっちの味方もしたことになるだろう。オタク特有の早口で持論を述べてしまったことにいては反省すべき点が多々あるだろうが、まあ、それなりの付き合いはあるから流されるだろうし……。
「お、おう」
「まあ、そうかも、ね」
なんだか二人とも歯切れが悪い。
「別にいいじゃん! ちょっとくらい僻んだってさ! 二人だってリア充妬ましいとか、そういうの考えたことあんじゃないの! 特に竹本は高校入ってから露骨に高校デビューしたくせに! リア充が羨ましいんだろ! だから変わったんだろ!」
「俺のこれはただ趣味が変わっただけだっつーの!」
「んなわけねーべ! おまえが中学の卒業式のあとお母さんと池袋に行ったってのは僕ら知ってんだよ! なんだよ、池袋なんてダ埼玉の植民地なのに、親同伴で行ってんだもん、ダセーとしか言いようがないっての!」
「うっせ、バーカ! 内村はメロスって名前なのに何でそう卑屈なんだよポジティブに行け、ポジティブに!」
竹本が話をそらした。しかし、それは僕の逆鱗に触れたのと同義だ。
僕のフルネームは内村メロスである。名前はカタカナでそのまま。太宰が好きで、トライアスロンの選手だったという父親が名付けたらしい。
なるほど、はた迷惑な話である。
僕はデブだ。デブのメロスだ。走れば転ぶし歩けば汗だく、おまけに僕の身代わりになってくれるような友達もいない。名は体を表すというがどうやらキラキラネームはそのカテゴリーに入らないようだ。
……というのを早口でまくしたてると、引かれるのは目に見えてるので、僕は足早に教室から抜け出し、自転車に乗って下校した。
「おーい! 忘れ物ー!」
「おい、待て!」
あの長い長い下り坂をブレーキかけないで下っていったら、何かが起こってマラソン大会に参加しなくていいってことになりますように、などと祈ったところで無駄である。ブレーキなしで下っていったらせいぜい事故くらいしか起きない。転倒して骨を折って終わりだ。
うるせーうるせーバカヤロー。
走りたいなんて誰が言ったよ。
走りたいやつだけで走っててくれよ。
走らないやつにはホットヨガでもやらせてさ。
バカヤローは僕だ。大声で叫んだわけでもないから不審者扱いされることはないだろうが……。
「おーい、メロスくん!」
「あ、内村じゃん。どうしたんだよ」
後ろから声をかけてきたのは笹山と竹本だった。
僕は思わず硬直する。
「メロスくんったら机の中に全部置き忘れてってたよ」
笹山がリュックサックを開けると僕の名前が書かれた教科書とノートが続々と出てきた。あまりのことに言葉が出ない。そんなポカをやらかすほど慌てていたのか、僕は。
「おい内村、これ」
竹本がビニール袋を寄越して、笹山が教科書とノートをその中に入れる。僕は笹山に手渡されたそれに「ありがとう」すら言えなかった。
吐く息も白い一月のことである。僕がハアハアハアハアずっとやってるものだから、しびれを切らした竹本が「おい、コンビニ行くぞ」と手を引きながら僕を近くのコンビニまで連れて言ってくれた。
コンビニの中は暑いくらいだった。汗が蒸発して、水蒸気が僕から立ち上っている。レジの向こうに立つ男性店員は僕が入店するや否や顔をしかめた。
「僕、ちょっと落ち着くまで外にいるよ……」
ゼエゼエハアハアやっているから伝わっているかどうか。竹本は「おう、行って来い」とだけ言って漫画雑誌の立ち読みを続けた。笹山は「僕もー」なんて言いながら僕にくっついてくると、そのままスマホを触りだした。
「あ、あの!」
ようやく熱が収まってきたかというときに、同い年くらいの女性店員が僕に声をかけてきた。
「すみません、ちょっと失礼します」
女性店員はゴミ箱を見ている。
あ、ゴミの回収か。僕と笹山はゴミ箱の前からどいた。
「ありがとうございます! 寒くはないですか? 寒かったら中に入ってください! 今日は寒いですからねー」
僕はその時、恋に落ちた。その子が特別美少女とかそういうんじゃなく、ただただこんなブサイクな僕を心配してくれたのが純粋に嬉しかったのだ。
彼女は僕がなにか言うまでじっと僕を見ていた。
「え、えっと、大丈夫です!」
僕がゼエゼエハアハア言うと、彼女はにっこり笑って「そうなんですね! あ、でも、寒くなったら中に入ってくださいね!」と言って、店内に戻っていった。僕は真っ赤になった顔を笹山に見られないように必死だった。
「おーい、笹山、内村! 肉まん、ピザまん、あんまん、どれがいい? お前らが食わないの俺が食うから冷める前にさっさと選べよ」
竹本が自動ドアをのんきに通って、湯気が立つレジ袋を僕らに見せつけた。僕は少し迷ったあとあんまんをとって、笹山は僕があんまんをとるとすぐにピザまんをとっていった。
「タケちゃん、メロスくんが恋しちゃったみたい」
「ん? 誰に?」
「さっきの“オカノ”って店員」
「へえー。で?」
「なんか見たことある顔だと思ってたらうちの高校の生徒っぽいんだよね。だから、メロスくんがマラソン大会でかっこいい姿見せればイケんじゃないかなーって。付き合えちゃったりして」
「そんなの、小学生じゃねえんだから」
イケる? 僕がイケる?
付き合える? こんな僕が、あの子と?
「わかんないよー? そういうとこにクラっと来ちゃう子もいるかもしれないし」
「……こんな僕でも?」
僕がおそるおそるたずねると、笹山はうなずいた。
「それこそがアオハルだよね!」
その夜、僕にメロスが降臨した。
メロスは奮起した。必ずかのコンビニの君を首ったけにすると決意した。メロスには恋愛がわからぬ。メロスは運動不足のデブである。言い訳を並べ、運動せずに生きてきた。けれどもモテに対しては人一倍敏感であった。
*****
冬の朝はどうもいけない。布団から出ようとしても、布団が僕を離してくれない。面倒だとかだるいだとか、そういう気持ちにふたをして、どうにかこうにか支度をして、家を出ようとする。
「おはよう、メロスくん! 今日は頑張ろうね!」
何故か玄関のドアを開けると笹山が立っていた。友達とはいえ玄関を出てすぐのところに佇んでいると流石にぎょっとする。
「マラソン大会の帰りさ、コンビニよってく?」
「あ、ううん、あぁ」
寝起きのぼんやりした頭でぼんやりと答えると、笹山は「もう!」なんて言いながらほっぺたを膨らます。僕はコンビニ店員のオカノさんがやればかわいいんだろうなと、ぼーっと考えていた。
「どっちでもいいけどさ。やるだけやってみるのもありなんじゃない?」
僕の答えも待たず、笹山は「おーい、タケちゃーん!」と竹本の背中に突撃していった。
やるだけやってみる。そんなこと、僕にはできるだろうか。
*****
気づいたときにはスターターピストルが鳴らされていた。
のろのろと気だるそうに走っていたやつも僕をひょうひょうと抜いていった。それで振り返って僕を見るのだ。まるでお前なんかに負けるはずがないだろのろまとでも言いたげな顔で。
短い手足を不器用なら不器用なりに一生懸命ふって走るのだけれど、すぐに疲れてスピードが落ちる。いくら足を動かしても同じような風景ばかりが続く。まるで泥の中を走っているようだ。どんなに走ろうが先は見えない。後方からどんな濁流が己を押し流すかわかったものじゃない。
吐く息はとうに吐き切った。吸おうにも空気が乾燥していて、呼吸器すべてが乾いてきた。この寒さもどうもいけない。肺が、喉が、凍える。凍ってしまいそうだ。それを上昇する体温でどうにか抑えられている、なんていう余計な妄想すら頭に浮かぶようになってきた。
バカヤローバカヤロー。
僕はバカヤローだよ。
こんなことで女の子が僕のこと好きになってくれるわけないって、そんなわけないってわかってるよ。
わかってても騙されたつもりになったんだよ。
騙されて走るほうがよかったんだよ。
そんなふうになりたかったんだ。
なりたかったんだよーーーっ!
声も出ない。いや、言葉が出ない。
出るのはうめき声だけ。
情けない。情けない。情けないったらない。
「あ、あっ、あっ」
ふと、あのコンビニ店員を見つけた気がした。本当に見つけたわけじゃない。見つけられるわけもない。しかし、彼女のために走ると決めた以上走りきりたいという気持ちが勝った。背中を押してくれた友の、その気持ちを無駄にしたくなかった。
プライドがそれを許さなかった、とも言える。
あと一歩。この一歩足を動かせばもうすぐゴールだ。そう言い聞かせながら、足を進める。足が重い。身体が重い。もう走れない。走れないわけじゃない。走りたくない。走らないといけないから走るしかない。
走れ、走れ、走れ――走れ。
先頭集団はもう見えない。もうゴールしたんだろう。さっきまで目の前を走ってたやつも視界から消えた。
その瞬間、孤独が襲ってきた。実況も解説も観客もいない。前を走るやつも、後ろを走るやつの気配もない。真の孤独だった。どうも寂しいとかそういう子どもっぽいものじゃないらしい。心臓がずんと重くなって、身体も動かせなくなった。呼吸も今までと比べられないくらい苦しくなってきた。心臓が重いくせにバクバクやかましい。
なんでこんなことで走っているんだろうとすら思えた。自分がこれまで走ってきた距離、時間、理由すべてが馬鹿らしい。
彼女なんていつでも作れる。ただ僕にはチャンスがないだけ。スクールカーストの上位層がそのチャンスを持っていってしまって、僕らスクールカーストが下のほうのやつらはおこぼれをハイエナのように待ち続けるしか彼女を作る方法がないだけだ。
本気になれば彼女なんてすぐ作れるさ。
今、運命の人と出会う確率なんて微々たるもののはず。
僕は、もう諦めてしまいたい。諦めてしまいたかった。
一歩ずつ歩幅が狭くなり、走るスピードも遅くなる。
そして、最後には……僕は、立ち止まってしまった。
襲ってきたのは後悔ではなく安堵だった。
こんなに諦めることが簡単で、しかも僕に不利益はない。
ふっと目眩がした。
もう走りたくなかった。
すると、背中から声が聞こえた。
男の声だった。女子の黄色い声とか男子の雄叫びとか、そういうのとは僕は縁遠いはずだ。僕はブサイクだし、勉強くらいしか取り柄のないデブだ。
「行くぞ! 最後まで走り抜け! いいカッコ見せんだろ!」
やや厳しさのある竹本の声。
「走るよ! こういうのも青春かなあ?」
相変わらず青春馬鹿の笹山の声。
リズム違いの三つの足音。
「「立ち止まるな! 行け!」」
幻聴かもしれない。いや、幻聴じゃない。
僕の背中を押す、無骨な手。間違っても女の子の手じゃない。
けれど、僕の背中を押す二つの手の体温はちゃんとあった。
呼吸は苦しい。足は重いし、身体も重い。心臓も破裂しそうなくらいバクバクだ。でも、走る。走る。走る。
「がんばれーーーっ!」
女の子が叫んでいる。
あのコンビニの、僕が好きな、女の子。
僕はもう諦めた。諦めきれないから諦めた。諦めるのを諦めた。
「オカノさんっ、好きだーーっ!」
かすれて上手く言えていないかもしれない。オカノさんは僕が好きじゃないかもしれない。どうせ僕の片思いだ。大して話したこともないのに、付き合ってくれるなんてことない。
でも、妙な気持ちだ。なぜだろうか。ふわふわとした高揚感と熱っぽい興奮が腹の底から湧いてくる。
あわててゴールテープを用意するやつ。
遅いだのなんだのとブーイングとヤジを飛ばすやつら。
そんなやつらを横目に、僕はまっすぐ前を見て、ゴールテープを切る。
それから、膝から崩れ落ちて膝を擦りむいた。
*****
「好きです! 付き合ってください!」
脂汗でびっちょりの手を差し出すと、オカノさんはやや困惑した様子で首を横に振った。
「ごめんなさい、彼氏がいるんです」
なるほど。結果は見事に玉砕だ。
「でも、マラソン大会のときは必死に走っている姿がかっこよかったです! ゴールしたとき、思わず泣いちゃった」
「あ、ありがとう、ごっ、ございます!」
「いえいえー、こちらこそ。いつもご来店ありがとうございます!」
笑って、ブサイクでデブな僕にもなんでもないようにそう言ってくれるオカノさんが僕はやっぱり好きだ。
僕はそのままあのコンビニで缶コーヒーを買って、竹本と笹山に投げつけた。
「ふられたよ! イケないじゃんか! 付き合えないじゃんか!」
不思議と怒りは湧かなかった。
なんだかんだ言って、僕はこの二人と馬鹿やっているのが好きなのだ。
「お疲れ様ー」と笹山。
「おう、おつかれ」と竹本。
二人の手には僕が投げた缶コーヒー。
「うわっ、ブラックじゃねえか」
「あれ? タケちゃんはブラック飲めないっけ?」
「……や、飲めるけど。飲めるけどよ……」
苦々しい顔で竹本は缶を見つめ、沈黙。やはり苦々しい顔でふたを開けると、目をつむってそのまま一気に飲み干した。
「苦っ!」
竹本は顔を歪ませいそいそとコンビニの中に入っていき、ミネラルウォーターを買って戻ってきた。それをこれまた一気に飲み干すと、「バカヤロー」と一言呟いた。
僕には背中を押してくれる友があった。
けれど、僕らに彼女はない。
走れ! ヤチヨリコ @ricoyachiyo0
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