43-陽だまりの中で

 私は喜び勇んで――に飛びついた。

 そして全身を密着させるようにして感情を表現する。

 私がそうすれば――もお返しといわんばかりに包み込んでくれる。

 互いの体温を交換しあい「確かに今ここに存在する」と認めるのだ。


「うふふ、あいは甘えん坊さんね。そんなに私に会いたかった?」

「ええ、昨日別れてからずっと!だって凄く寂しかったのよ?だから会えて嬉しいわ!!ただいま!――!!」


 私は顔を擦り付けるようにしてより一層腕の力を強くする。

 そしてもう一度帰宅の挨拶をした。

 何故ならここは私のもう一つの家だから。


 私は大切な場所に帰ってきたのだから。


 ――は私の頭上にてキスをひとつ落とす。


「ん…。はい、おかえりなさい、あい。私もあいに会えなくてとっても寂しかったわ。…ふふ、一緒ね」


 太陽を背にしているために――の顔色は窺えない。

 それでも私と――が共感しているのは触れ合った体が証明していた。

 どれくらいそうしていただろうか。

 私達は暫くしてどちらともいわずに離れる。

 けれども両の手だけは離さずにキツく繋ぎ合わせたまま。

 それはもはや根を生やしたように。

 私が満面の笑みを浮かべて見上げれば――は目を細めて微笑んでくれた。


「えへへ、大好きよ、――」

「私もよ、あい。貴方を愛してるわ」


 私が告げれば――も応えてくれる。

 ――は軽く私を引っ張り抱き寄せる。

 そしてもう一度だけ暖かさを分け合えばしゃがみ込み軽く上体を倒した。


「ほら、おいで、あい」

「ええ」


 私に向かって首を少し傾げ「さ、手を回して」と――は願う。

 了承すれば私の脇と膝裏に腕を差し入れて体を起こした。


「あい、もっと密着させてね。ぎゅ〜って」

「わかったわ。ぎゅ〜」

「うふふ、いい子よ。…ん。お返しして?」

「ん…」


 ――は私の頬に口付けする。

 促さられば私も同じ位置に。

 最初は恥ずかしかったが、もう慣れっことなった。


 そこには暖かさだけが残る。


「ありがとう、あい。じゃ、行きましょ」


 一声掛けると――は歩き出した。

 私達は綺麗に敷き詰められた石畳を進んで大きな赤い門をくぐり抜ける。

 ――が影より一歩踏み出せばコツコツと鳴っていた足音がじゃりっというものに変わる。

 視線を下にすれば白、赤、緑、青色にそれらに足してガラスのように透き通るもの。

 私の手のひらに収まる大きさの丸い石が大量に撒かれていた。

 水が自然と湧き出る桶のある屋根だけの建物を横目にする。

 私達は両側に仄かな明かりの付いた石塔の立ち並ぶ道を通っていく。

 そして数十秒も経てばそれまで何もなかった前方に巨大な古い家が突如出現した。

 入り口には犬の像が左右に一つずつある。


 ここが私と――の家だ。



 ――――――――――


 扉を開き中へと入る。

 ――は私を境にある段に下ろして靴を脱がせてくれた。

 しかし、その状態で――は固まってしまう。

 私の靴を両手で持ったたま微動だにしない。


 …どうしたの?――。


 暫くそれを眺めていると――は私に声を掛けた。


「あい、ご飯は食べてる?」

「どうして?――。お昼ご飯は食べたわよ?お友達だって分けてくれるの。もう満腹よ!」


 学校では注文制度であり前日に届けを出せば弁当もしくは惣菜が配られる。

 おにぎりやパン等の主食は持ってきておかずを数品だけオーダーする子も多い。

 そんな中私はいつもサンドイッチのセットを頼む。

 それが一番安価だからだ。

 その分量も一番少なく食パン一枚分と小さなサラダパックのみ。

 けれども私の胃の容量はかなり小さいようでそれだけで十分に満足してしまう。

 …だというのにいつも二人から雛の餌付けのようにお裾分けされている。

「量が多いなら減らせばいいのに…」とは思うが、二人のお家のお弁当は美味しいので黙っている。

 いつも楽しみなのだ。


 でも、無理に詰め込まれたお腹はすっごく重くなる。

 それと連動してるのか瞼も落ちてきてしまう…。

 午後の眠気はかなり強烈だよ。

 うん、バッチリ食べてるよ、――。


「…違うわ。朝や夕ご飯は?お腹いっぱいにしてる?あい」

「ん?朝はお腹が空いてないし夕ご飯は時間がないから味見だけね。色々してたら眠くなっちゃうからそれで一日が終わりよ」

「…そう…。わかったわ」


 ――はぽつりと呟くと私の靴を揃えて置いた。

 ついで自身も草で出来たスリッパを脱ぎ私の物の隣に。

 あれは「ぞうり」というらしい。

 一度履かせてもらったが、私にはとても歩きにくかった。

 サイズは勝手に合ったので単純に私の技術的な問題だろう。

 あれを履いていて私以上に速く走れる――は本当に凄い。

 …といっても私はクラスでというより学年、さらに下の子にも抜かされるくらいに背が小さい。

 加えて体の肉づきも相応以上に貧相である。

 この見た目からその運動能力はお察しだ。


 学校で昼食時無料で配られる牛乳を残す人の分まで飲んでも全然変らない。

 まあ、私の分一個ともう一個の半分でギブアップなので大した量ではないが。

 残りは二人に日毎に交代にして飲んでもらっている。

 交代制なのは以前取り合いになり噴火が起きたからだ。

 頭から白くされた私はちょっと匂った…。

 そんな今の私の目標は二本目を全部一人で飲み切る事。

 ただ、二人がよく自分の牛乳と私の牛乳を間違えてしまう。

 なのでかなりアバウトな見積もりとなっているのには目を逸らしている。


 私の靴の隣に揃えて――は立ち上がる。

 そして腰を落として再度私をその胸の中に収めた。


「あいは私に丁度いい大きさね。でも、もっと成長しないと」

「そう?――にされるの大好きだからこのままでもいいわよ?…ううん、このままがいいわ。だから大きくなれなくてもいいの」

「…嬉しい。あい、ありがとう。けどね、それは駄目なの。頑張って食べるのよ?約束して」


 ――は隙間を空けると私の目を見て告げる。

 そこには「私が頷くまでどこにも行かせない」という強い意志があった。


 …でも。


「…でも。でも、そうしたらもう抱っこ出来なくなっちゃわない?――は私が小さいからしてくれるのでしょ?大きくなったら…」


 もうここに来れなくなるかもしれない。


「そんなの嫌!!」


 私は――に縋り付く。

 肩に顔を埋めれば流れ出る雫が――の衣服に滲んでいく。

 何故こんなにも悲しくなるのか自分自身でもわからない。

 それでもこの事だけは決して譲れない。


 ――から捨てられたくない。


 漏れ出る嗚咽を止められない。

 何故こんなにも心が揺れてしまうのだろうか。

 ぽっかりと空いた穴から悲しみが溢れ出る。


「嫌なの!!わかんないけど嫌なの!!」


 私の頭の中はぐちゃぐちゃだ。



 ――――――――――


 昨日の―が思い出される。

 耳がキーンとなる声で怒られる。

 逃げても逃げても追いかけられる。

 私は机の下に隠れた。

 けれど引っ張り出されてしまう。

 恐くて蹲ると背中に衝撃がして息が吸えなくなって…。


 全部私が悪い。


 ―がそれするのは私の躾のため。

 ―は正しくて私は悪い子。

 ―の言い付けを守れなかった私が…。


「ごめ、ごめんなさ、い、――。いい子にするからもう叩かないで…。ごめ―」


 背中をポンポンと優しく撫でられた。

 瞬間気持ちが軽くなる。

 先程までの情景が薄くなっていく。


「大丈夫。大丈夫」


 ――が耳元で囁いてくれる。


「私は――がどんなに大きくなってもずっと一緒にいるわ。ずーっと。…ずっと」


 ――は私の肩を軽く押して顔を合わせる。

 そしてボロボロになった私の目元を袖で拭ってくれた。

 何度吸っても何度も溢れる水滴を何度も何度も。


 いつしかそれは晴れた。


「本当?――」

「ええ、あい。本当に本当よ。約束するわ。ん」


 ――は私に顔を寄せる。

 そして証を刻んでくれる。

 そうすればさらに心が軽くなった…。


 …何が軽くなったの?


「全部消したわ、あい。どう?可笑しなところはある?」

「…え?うーん…。わかんないわ。別に何ともないわよ?」


 聞かれても「いつもどおりの私」でしかない。


 それを知らせれば――は笑顔となり。


「ふふ、それでいいのよ、あい」


 どういう訳か悲痛な声をあげた。


 ――に手を引かれて私達は日の当たる外と接した廊下に出る。

 そこにはクッションが3組敷かれていた。

 ――が端の一つに横座りとなって膝を叩く。


「先ずはおねんねしましょ、あい」


 私は膝を借りて横になる。

 陽の光がポカポカとして何とも心地がいい。

 抗わずに瞼を落とせばすぐに眠気がやって来る程。


「重くない?――」

「ふふ、さっきも言ったでしょ?あいは小さくて軽いくらいよ。大丈夫。もっとおっきくなってもしてあげる」

「…そう。良かったわ…。…わふぅ」


 余りの居心地の良さに私は途中で欠伸を漏らしてしまった。

 それを見た――はくすくすと笑い私の髪を梳いてくれる。


「…おやすみ、――」

「ええ、おやすみなさい、あい」


 頭を撫でてくれる。


「夢だけはあいを裏切らないわ」


 ――の吐息が溶ける。



 ――――――――――


 目覚めは怖いくらいにスッキリとしたものだった。

 私の中の余計なものが整頓されたような感じだ。


「う、うん…」

「あら?起きたのね、あい。もっと寝ててもいいわよ?」


 私は身動ぎして口より微かな音を出す。

 それを感じ取った――が大層魅力的な提案をしてくれた。

 しかし、これより先は剰余だろう。

 今や思考は晴れやかなものとなっている。


「…もう起きるわ、――」

「そう、残念ね。もう少しだけあいを堪能したかったのに…。寂しくなっちゃうわ」


 私の返答に――は言葉通り残念そうな声音。

 そして「ふぅ…」と嘆息をする。

 ――の勧めは私の耳鼻をくすぐるかのよう。

 それを聞きながらも私は横向きになった姿勢をゴロンと上にする。

 手を下に付き…。

 …そこで止まってしまう。

 私は次に移行出来ないでいた。

 というのもここはぬるま湯に浸かっているようでいて快適過ぎる。

 のんびりとした陽気な気温でいて枕は私のために拵えたかのようで暖まるのだ。

 さらに私の事を慈しむかの如くよしよしとしてくれる。


 …――、良いって言ってるし。

 なら…、もうちょっとだけ…。

 ちょっとだけだからさ、いいよね?


 そのように考えてしまう程に――の膝は何とも離れ難い場所なのだ。

 私はも一度コロンと横に回りお腹側に体を向ける。

 手を自分の胸元に持って来、握りしめた。

 何となく面映かったからだ。

 すると私の様子を見た――がわざとらしく振る舞いせん方ない私をからかってきた。


「…うふっ。ふふ、どうしたのー?頭を上げてくれるかしらー?あいー。起きるのでしょう?んー?引っ付いたままだわ?うふふ、まだまだあいは赤ちゃんなのかしら?」


 半音上がった調子で私を幼稚だと宣うのだ。

 …先ずもって「少し子供っぽいかも…」とは自覚していた。

 かくいうふうに指摘された私の顔はまっかっかだ。

 しかし、それはむしろ逆効果。

 私は一層意固地になってしまう。


 さっきは「いい」って言ったのに…。

 そんなの知らない!

 だから起きない!!


 私は理不尽な言い訳をして納得付ける。

 そして一段と強固に縫い付けられる始末。

 よくわからないが私は悪くない。

 だから。


「起きたけど起きるのはやー!」


 そんな気分なのだ。


「えー?私疲れちゃったわ。このままだと脚が痺れちゃうかも…。あいはそんなイジワルを私にするの?そんなひどい子なの?」

「…むー」


 ――の大袈裟な演技に私は思わず唸る。

 いかにもな白々しい態度には感心してしまうくらいである。

 そんな――にはやり返さなければならない。

 されるがままでいるとすっかり良い気になってその後もずっとたわぶれられるのだ。

 攻めれる材料を見つけた――はとてもしつこい。


 そのため私は抗議の一貫として――の腰に腕を回してグリグリと顔を押し付けた。


 これは私がよく二人にされている事だ。

 受けてみればわかるのだが、かなり鬱陶しい。

 小柄な私では同様にはならないけれど身動きの大部分を封じられてしまう。

 かといって否応なく引き剥がす訳にもいかないという板挟みになってしまう。

 好きにさせていた際はもう一人は背中に張り付き交互にして休み時間を潰された。

 次からの調整をお願いしたのは言うまでもない。


 さぞや煩わしいでしょ、――。

 ふふ、私に死角はない。

 これで気をそらし…、って!?


「きゃっ!?あい!?」

「ふわっ!?」


 突然の浮遊感に驚く。

 合わせて私の視界はりんごのように紅潮した――に占められた。

 とんでもない早さで抱き起こされたみたいだ。

 ――は焦ったやや呂律の回ってないそれで私を問い詰める。


「あ、あい!それどこで覚えたの!!」

「ふぇ?それ?」

「今私にしたエッチなやつよ!!」


 …エッチかなぁ?

 別にエッチな事ではないと思うけど…。


 しかし、現に――は瞳を潤ませて熱い息をしている。

 ここでの反論は不利になるだけか…?


 私は素直?に白状した。


「どこって…、いつもの二人だけど…」

「あの子達ね!な!何て恐ろしいものをあいに教えたの!?」


 ――はぷりぷりと怒る。

 不穏な風向きに「もしやまずい…?」と私は早急に保険を行使する。

 逃げ道の確保が第一優先事項だろう。


「で、でもね、――。私もされてるから…。ね?許して?」


 許されなかった。


 という訳で立場が逆転する。

 脚を前に伸ばす形で座った私の太腿に――が頭を乗せる。

 そして腹部というよりは下に顔を埋める。


「あ、あいがいけないのよ?だからしょうがないの。じっとしてるのよ?じっとよ?わ、わかった?」

「…うん。ごめんなさい、――」


 くぐもった声が下から響く。


「すー、はー、…はぁ。ふぅ、こ、こんな…。すごいわね…」

「…ねー?まだなの?もう脚が痺れ―」

「あと少し!…えっと、じゃなくて。…は、反省しなさい!」

「…ごめんなさい、――」


 謝りはするが、何だか釈然としない。

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