第5話 夜はやさし


 目の前にある邪魔なものを、すべて破壊したくなる衝動。

 それってセックスを求める衝動と限りなく近い気がする。

 似てない?

 セックスで得る快感と、邪魔なものたちを破壊することで覚える興奮って、わりと近いんじゃないかな。




 司さんの後にくっついて電車に乗った。郊外へ向かって二駅、三駅と過ぎるにつれて乗客が減っていき、座席が空きはじめた。金曜の夜なのに人が少ないんだなと思ったけれど、混雑するにはまだ少し早い時間帯なんだろう。三人掛けの席に司さんと並んで座り、俺たちはぽつぽつと話し始めた。

「司さんて、いま何歳だっけ?」

「今年で三十二」

「へぇ。誕生日はこれから?」

「そうだけど。誕生日になにかしてくれるの?」

「えっ? あ、じゃなくて。……三十過ぎまで生きてるのって、どんな気分なのかなって」

 司さんは俺より上背があるから、ちょっと見上げる格好になる。司さんはというと、話しながら俺と目を合わせたり、膝の上のブリーフケースに乗せた両手でトントンとリズムをとったり。

「どんな気分……ねえ。特になにも考えなくても毎日は過ぎていくし、フツーに生きてたらこの歳になってた。『死にたい』なんて思ったこともないしね」

「ふーん」

「なんで?」

「ううん。普通の大人はそうなんだろうなって」

「フツーだよ。どこにでもいるフツーの人ですから。けど、」

「けど?」

「話を聞くことはできる大人だけど?」

 そう言うと司さんはくちびるの端を上方向にカーブさせて小さく笑った。

「俺は……二十七歳ぐらいまで生きれたらいい。カート・コバーンだって二十七歳で死んでるし、中学のときにジャムが『イカしてるヤツらはみんな二十五歳以下』って歌ってるのを聴いて、二十五歳以上の大人は信用しちゃいけないんだって思い込んでた」

 ふん、と鼻を鳴らして「それで?」と司さんが聞く。バカにされるかもしれない。そんな気掛かりもあった。

「うん。どうせならカッコいい大人になりたいと思うけど、なんか、三十過ぎまで生きてる自分が想像できないっていうか」

「おれの好きな人も、『つまらない大人にはなりたくない』って歌ってたよ」

「司さんの好きな人って、だれ?」

 俺の質問には「誰だっけなあ」と答えをにごして、「きみは二十一歳だっけ」と首をこっちに傾げて言った。

「それぐらいの頃って世の中すべてに毒づきたい年頃でしょ。成人したっていってもその年齢になれば自動的に大人になるわけでもないし、長生きなんかしたくないとか、あれもこれもイヤだとかぶっ壊したいとか、傷つけたいとか思ったりするのってフツーなんじゃないかなあ。変にもの分かりがいいより素直でいいんじゃない?」

「司さんも十年前はそうだった?」

「だいたいそんな感じだし、今だってたいしたことない。だから、マスターが言ってた、きみとおれが似てるっていうのは案外当たってるのかもしれない」

 間近で見ると、司さんの濃紺のスーツには細いストライプのラインが入っていた。ブリーフケースの上に置いている司さんの手は白くてすべすべしていて、そこに自分の手を重ねたい気がした。……けど、やめておく。

「司さんは恋人いないの? やさしそうだし、顔だって結構カッコいいのに」

「よく言われます」

 ふざけたような司さんの言い方に「なにそれ」と返した俺の頭の上で、「当然でしょ」と含み笑いをする。スーツを着た会社帰りの男性と、パーカ+デニムに茶髪の大学生。並んで座る俺たちは、どんなふうに人の目に映っているんだろう。

「きみだって……っていうか、あの店の常連の中にはきみのことを気に入ってる人が何人もいたんでしょ」

 あ……。それは、と言いかけた俺の目を見ながら司さんは、「おれ以外にも、これまでに何人か紹介したことがあるって、マスターから聞いてる。別に責めてるわけじゃないよ」と静かに言った。

「それより、きみは女のコにもモテるんじゃない? いつも違うコを隣に連れて歩いていそうなタイプに見えなくもない」

「それって俺が軽薄なチャラい男に見えてるってこと? 茶髪だから? こんな、パーカにデニムみたいなだらっとしたカッコしてるから?」

 いけない。世界中の茶髪の人、パーカを着てる人を敵に回すような発言をしてしまった。

「軽薄とまでは言わないけど、真面目なタイプの男の子には見えないよね」

「ああ。まあ……、ね」

 図星。だからなにも言えない。おかしいなあ。この人、最初に会ったときはもっとやさしかったような気がしたんだけど。

「エラそうに言ってるけど、おれだって十分軽薄だよ。三十過ぎて彼氏も彼女もいないから、『可愛い男のコを紹介する』とかいうお誘いに乗って、何日も前からその日は残業しないで帰れるように準備して、それでホイホイ出かけて行って。そうやって知り合った男のコに今度は逆ナンされて、こうして家に連れて帰ってるわけですよ」

 プッ、と本気で噴き出してしまった。三十を過ぎた男──パリッとしたスーツを着こなして仕事だってバリバリこなしているに違いない、しかも見た目も決して悪くない男──が我が身を憐れんでいるのか嘆いているのか。でも司さんが、彼がいうところの「軽薄」じゃなかったら、俺たちは今こんなところでこんなふうに電車に揺られていなかった。

「おかしいな。おれ、きみに笑われるようなことなにか言った?」

「べっつに」

「なに? 機嫌いいの?」

 べつに。けど鼻歌でも歌いたい気分。さっきの自虐っぽい言葉はうれしかった。だって、俺のことが嫌いだったらこうして連れて帰ったりしないでさっきの店で別れてたよね。

「サキくんは、大学を卒業したらどうするの?」

「わかんない。適当に働くんじゃないかな。生きてる間は、なにかして生きていく」

「覇気があるのかないのか、よくわかんない主張だな」

「それか、司さんのヒモになる」

「却下」

 即答。司さんはクククッと笑いながら、

「きみがヒモね。ハタで見てる分には面白いけど、おれのヒモはないよ」

「そう? 俺、こう見えても掃除や洗濯は嫌いじゃないよ。メシは全然作れないけど」

「掃除と洗濯だけでおれのヒモになれると思ったら大間違いだよ」

 そう言って笑うと司さんは「次の駅で降りるよ」と言い、窓の外に目をやった。


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