【漆】初耳ですが!?

 目を覚まし、最初に目にしたのは天井の木目だった。

 時計の針の動く音。

 時刻は、十二時を過ぎた辺り。

 辺りを見回すと、篝さんが布団にうつぶせながら、こちらを睨んでいる。

「あの……何故、私は生きているのでしょうか」

「己の加減を知れ、此の馬鹿」

 未だに具合の悪そうな篝さんには、あまり云われたくない。

 ゆっくりと負担をかけないように上半身だけ起こしてみた。

 少し頭痛はするが、息苦しさや血を吐いた時の気持ち悪さは残っていない。

「二人共お早う。具合は如何かな?」

 勢いよく開かれた襖から、物部様と酢漿さんが姿を現す。

 何故、二人が一緒にいるのだ。

 酢漿さんは処分対象ではなかったのか。

「物部様。御手を煩わせてしまい、誠に申し訳ございません」

「身体を酷使させてしまったのは私だ。気にする事は無い。扨て、二人共。昼食は食べられるかな」

 酢漿さんが枕元――篝さんと私が寝ている布団の間に、お盆に乗せた食事を置く。

 二人分のおにぎり、沢庵、緑茶。そして、薬と冠水瓶。

「…………」

 ちらりと、物部様の様子を伺う。

 物部様はいつもと同じ笑顔で、くすくすと笑った。

「作ったのは酢漿君で、私は一切手を貸していない。毒等混入はいっていないから大丈夫だよ」

 酢漿さんは居心地悪そうな顔で、そわそわとしていた。

「本当は味噌汁も作りたかったんだけど、作り方分かんなくて……」

 篝さんが箸で沢庵を一切れ持ち上げると、きちんと切れていなかった所為で丸ごと繋がってぶら下がる。どうやって食えというんだと眉間に皴を寄せ、その様子に物部様が噴き出した。

 私は歪な形のおにぎりを一つ、手に取る。

 持った側から崩れていき、少し食むと強い塩気を感じた。

 ……味噌汁は作ってもらわなくて良かった。

 折角用意してもらったものを残すのも悪い気がして、なんとか一つ食べ切る。

「えっと……ごめん。やっぱり不味かった……?」

「…………独特ではありましたが……いえ、一先ずそれは置いておきましょう」

 布団から出て正座になり、にこにこと笑っている物部様と向かい合う。 

「物部様は、酢漿さんの事を何処までご存じなのでしょうか」

「確定しているのは、物ノ怪になれる事と、《呪具》を持っている事位かな。未だ諸々隠しているみたいだけど」

 今度は篝さんが噴き出した。

「此奴が、物ノ怪……!?」

「然も、《反転邪視》を視ても死なない。云ってなかったかい?」

「初耳ですが!?」

 御免御免と笑いながら、此れだよと酢漿さんの耳飾りを篝さんに見せるが、今迄に見た事がない程、混乱していた。

 一頻ひとしきり愉しんだのか、すっと薄く瞼を開く。物部様の瞳は、好奇に満ちていた。

「毎晩、《呪具》を使っていたのに、気付かない方が可笑しいだろう?」

「やっぱり物部さんにはバレてたかあ」

 くつくつ笑う物部様と、特に気にしていなさそうな酢漿さんに思考が追い付かない。『お陰で善い情報データが手に入った』と、私と酢漿の頭を撫でる。

「あまり強引な方法は好きではないのだけどね。天満月君の《反転邪視》の限界と、酢漿君の能力が知りたかったんだよ」

「では……酢漿さんを処分という話は……」

「騙して御免ね?」

 小首をかしげてにこにこと笑っている姿に、悪怯わるびれる様子は全く無い。

 頭痛が酷くなってきた。

「それで、俺は今日で解雇ですか?」

「とんでもない! 酢漿君程のおもし……優秀な人材、滅多に御目に罹れないからね!」

 今、面白いと云い掛けましたね。物部様。

「君は希少な《反転邪視》を守り、尚且つ、物ノ怪を翻弄する優れた能力を持っている。今後は、天満月君と共ににも就いてほしい――と、其の前に、正式な自己紹介が未だだったね」

 篝さんが『夜の仕事』という言葉で我に返り、顔を上げる。

 にこりと微笑み返す物部様に、篝さんも諦めたようだった。

 徐々そろそろと布団から抜け出し、物部様の隣で正座になり、姿勢を正す。


「改めて、私は物部天獄もののべてんごく。国家の命で害を生す物ノ怪駆除を行っている〝盈月堂えいげつどう〟の店主オーナー兼、呪物収集家コレクター。――天満月君の相棒として歓迎するよ、酢漿君」


「よ、よろしくお願いします……?」

 酢漿さんの処分の話は私を騙した――基、《反転邪視》を限界まで引き出す為に一芝居打ったので、私へのお咎めは無しらしい。

 その代わり。

「早速だが、二人は此の様に満身創痍だ。回復する迄は駆除も受けられない処か、表の営業も儘ならない。折角だから今の内に、君の《呪具》と能力を間近で見せては貰えないかな?」

 早口で声を弾ませながら、酢漿さんの返事を聞かずに『其れではまた後で』と別室へ連れていく物部様。

 あの方は自他共に認める、呪物収集家コレクター。そして極度の呪物狂愛者マニアである。

 私が初めてこの店に来た時の事を考えると、恐らく夕刻まで拘束されるだろう。

 篝さんは頭を抱え、溜め息を吐き、用意されていた胃薬を飲んでいる。

 私はほっと胸を撫で下ろし、果たせないだろうと思っていた約束を思い出す。

「今晩は、ライスカレーにしましょう」

「俺は今、辛い物は食えんぞ」

 嫌がらせかと少し睨まれてしまったので、篝さんにはお粥を作ろう。

 私は今晩の献立を考えながら、淹れ慣れていないのであろう、温く薄いお茶を飲み干した。

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呪い狐狗狸 -盈月譚- 須賀 鼎 @kanae_suga

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