キエル!
高黄森哉
明日には、無い今日になる。
いつもの三人は、大島の内でゆっくりしていた。大島の内が一番狭くて落ち着くからだ。彼は大学生で、一人暮らしをしているが、彼の部屋はワクワクするような、一人暮らし特有の、雑多な空気が醸成されていた。畳の上には、無造作に雑誌が平積みにされ、そして、勉強道具は机の上に広げられ、台所はカップ麺で埋まり、アダルト誌はベットの下にある。くつろぐにはいい空間だ。
「おい、紀陽。俺、思ったんだけど、寝るって死ぬってことじゃね」
「そうか」
「おいおい、適当に返すなよ」
「でも、適切さ」
大島が騒ぐのを、興味なさそうに返しつつ、小説に目を落とているのは紀陽で、そして、その右で興味津々に次の言葉を待っているのは、ことはである。彼女は待ちきれなく、催促しや。
「で、それで」
「だからよ。人間、寝るたびに死ぬんだ。寝る。で、記憶を引き継いだ別人が、次の日に起き上がるんだ。まるで、連続を保ってるかのように」
「それがどうしたんだ」
「どうしたってお前。分からないのか。俺たちの寿命はあと寝るまでなんだぞ!」
嘉陽は、大島が声を張り上げる側の耳を静かにふさいだ。それでも、まだ鼓膜がきんきんした。
「うるさいな。それがどうしたっていうんだよ」
「怖くないのかよ」
「怖くないもなにも、主張が間違ってる」
「どこらへんが」
そう聞かれると、反論の余地はない気がした。それは、悪魔の証明というやつかもしれない。あることが、無いということを、証明するのは至難だ。
「ま、そういうこともあるかもしれない」
「そうだろ。なあ、明日から三連休だしよ。みんなで、その死を抗ってみないか」
「悪いけど私、バイト入ってるから」
ことは、は三連休から、忙しくなるらしい。大島はバイトの予定を聞き出す。
「バイトって。いつから」
「明日から、あと明後日も。フルでね」
「じゃ、今日はオールだな」
大島は言った。
「まてよ。ことは。徹夜して二日バイトはキツイだろ」
「若いから大丈夫だよ」
彼女は断言した。
*
ジャンパーを着た彼らは、横並びになって通りを進む。三人の歩き方は、ずんずん進む、という言い回しが良く似合っていた。
「死ぬまでにしたいことはあるか」
「死ぬまでにしたいこと」
「死ぬまでにしたいことかー」
大島に聞かれて二人は、考える。
「今日中に出来ることなんてないよ」
「いいや、それでもするんだ。俺たちが、限界を迎えて、寝てしまったとして、朝起きて、俺達が後悔しないようにしたい」
「じゃ、私から。本屋で参考書かいたーい」
それは、連休明けの講義に必要な、参考文献だった。丸善あたりで、買い求められるだろうか。
「じゃあ本屋にいこう。死んでも後悔しないようにな」
大島は踵を返し、来た道をたどり始めた。二人も追従する。紀陽は、馬鹿らしい、と思いつつ、明日死ぬ遊びを、楽しんでいる自分がいることに気が付いた。そして、明日死ぬ、ことになっているのに、ちっぽけな願いさえない、自分の淡白さを不満に感じた。
*
「その本。買っちまえよ」
「お前は俺の中の悪魔か」
「………… 買っちまえ」
大島は紀陽の耳元でささやく。
「でも、その本の値段は、学食三食分よ」
参考書を手に入れた
「寝たら死ぬ。学食はもう食うことはない」
「でも、紀陽くん。三日間貫徹するかもよ」
どっちの主張も、正しいが、ここは思い切って奮発することにした。
「買うよ。明日死ぬかもしれないしな」
*
そして、昼まで駅前をぶらぶらした。普段、立ち寄ったこともない、占いの建物や、カードショップ、また、マニアックなビデオ屋も、これで最後だから、と入店した。その間、
「嘉陽君も、そういうの借りるんだね」
「まあね」
爽やかにいう。ことはは、爽やかな紀陽がそういうギトギトしたものに、時間を割くのが信じられなかった。そういう人間が、自慰さえしていないような、幻想を持ってさえいたくらいだ。
「やだなー」
*
昼はホルモンやで豪快に食べた。これで、最後かもしれないと腹に収めたので、一人一万円になった。一番金を持っている大島が、二人の足りない分を補った。
「家賃、どうしよう」
「大島くん」
「なんだ、ことはよ」
「寝たら死ぬんでしょ」
「そうだ。そうだったな。家賃をもう払わなくていいのか」
「それは現実逃避じゃないか」
「うるさい。紀陽」
午後も三人は、特別これをしたい、という提案やひらめきはなく、だから、いつものように過ごした。夕方、カラオケボックスから、出た頃には、ヘトヘトで、今日で死ぬ遊びも、熱が冷めていた。
*
夜中、まあるい蛍光灯が、四畳半を照らす。夜は夜で、また、秘密基地のような空気を醸す、一人暮らしの彼のアパートの一室である。夜ご飯は、三人で食べた。それは、家主である、大島の料理である。
「やきそば、うめえだろ」
「こんなもの毎日くってたら、いつか腎臓病になるぞ」
「上等。どうせ、これから寝たら死ぬんだしよ。まあ、寝るつもりはないがな、寝たら死ぬ。といえば、」
「といえば?」
ことはが、訊き返す。
「で、いや、その。お前等は後悔はないか」
紀陽は、天上を見上げた。少しだけ、遊びのつもりで、自分の一生を振り返ってみた。人力走馬燈を回した。嗚呼、自分の一生とは何だったんだろう。答えは出ない。そして、その上映で、新しい真実があった。
「いま思いついたんだけど」
「なんだ」
「昔を思い出して、思い出せない日ってあるじゃん」
「あるな」
「その日の自分って死んだのかな。ほら、記憶喪失って、死んだみたいじゃん。それが、もっとミクロで起こる感覚。例えば、大学期間だけ記憶喪失したら、今こうして人格がある、大学生としての自分だけ死ぬ、みたいな」
「……………………」
少し暗澹たるこみ上げがした。無為に過ごした日々の自分は、積み重ならず、消えていったはずだ。その日、感じた経験や、感情は、消えていった。消えて取り出せなくなった。
「ま、でもよ」
大島は、二人に語り掛ける。
「今日は、死なねえよな」
なんとなく、忘れない一日になったと。
「ま。これだけ、遊んだからな」
で、それから、ビールを飲んだり、騒いだり、ボードゲームをしたり、壁が薄いからうるさいと苦情が入ったり、気づいたら寝ていた。二人は、同時に起床して、顔を見合わせる。ことはは、途中で家に帰ったようだ。ゴミで溢れた遊びの室内。
「あれ」
「そあい」
紀陽が良く分からない相槌を打った。眠いからだ。
「なんだろうか、このざわざわ」
「悪夢でも、みたん、だ、ろ。zzz」
「そうじゃなくてこう」
人々の記憶から、昨日は抜け落ちていた。具体的には、時間軸に亀裂が起きて、一日分、弾き飛ばされた。その
「まあいいか」
大島は煮え切れないながらも、明日の計画を立てようと、日付を見ると、今日がその明日であった。その時、大島の頬から、一粒、涙が落下した。あれ、あくびしたっけ、俺。
キエル! 高黄森哉 @kamikawa2001
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