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序章 消えた人類と精霊
その日の朝。半年ぶりに食事をしようと思ったのが始まりだった。目が覚めてベットから降りてふと思ったのだ、久しぶりに甘いものが食べたいと。それも揚げたての美味しいドーナツが食べたい。
私は不老不死で食事を取らなくても問題はないため、普段は食事を取っていない。しかしたまに食べたくなるのだ、美味しいご飯を。
寝室から出て食料庫に向かうと、中にはごく僅かの米と萎びた野菜しか入っていなかった。小麦粉も砂糖も油も、全てを切らしているらしい。
「そういえば、食料がなくなったから食べるのを止めたんだった」
そろそろ食事をしない生活にも飽きてきたし、食材を買いに行こうかな。そう思い至った私は、半年ぶりに外出の準備をして、山奥の自宅から外に出た。
燦々と降り注ぐ日の光に照らされて、木々がキラキラと光り輝いている。頬を撫でる風は少し冷たい。もう寒くなる季節なのか。
「ウォーム」
魔力を火と風に変換して、体の周囲だけを温める魔法だ。不老不死といえども暑さや寒さには不快感を感じるので、こうした快適さを保つ魔法はとても重宝している。
というよりも、こうした便利な魔法以外はほとんど使っていないというのが正しい。稀代の魔女なんて呼ばれて魔法の天才と言われているらしいけど、魔法なんて便利な日常使いの魔法が使えれば十分だ。
魔力変換を補助してくれる杖を持って鞄を肩に下げ、森の中を歩いていく。近くの街までは三日も歩けば着く距離だ。久しぶりに束の間の散歩を楽しもう。
やはり半年ほどの時間を置けば、すでに何百回、何千回と見た光景だとしても、新鮮さを感じられる。
永遠の時を生きる私としては、感動を得られるというのは本当に稀有で大切なこと。
既にこの世に生まれ落ちてから千年は裕に超えている。最初の百年は普通の人間らしく、次の百年は不死に気づき危険な生き方を、次の百年はスリルに飽きてのんびり農業を。
そうして今までの人生で、この世にある様々な生き方は一通り試した。だんだんと新しい発見や新鮮な驚きはなくなり、最近は淡々と毎日を過ごしているだけだ。
ここ数十年は山奥に引きこもって、不老不死を解除する研究ばかりしていたから、たまには気分を変えて街で仕事でもしようかな……
「あっ、リスだ」
久しぶりに就く仕事は何が良いかと考えていたら、ふと動いているものが目に映った。そのリスは私の前を一瞬で横切った後、こちらを気にしつつも両手で持った木の実を急いで食べている。……可愛い。
「そんなに急がなくても取らないよ。ほら、この木の実もあげる」
魔法で風を起こしていくつかの木の実を集め、リスの前に置いてあげた。するとリスはしばらく警戒していたけれど、問題ないと判断したのか木の実を頬に詰め始める。
この膨らんだ頬が可愛いのだ。私が千年以上生きてきて、いくら見ていても飽きないといまだに思っていることの一つである。
「またね。しっかり冬を越すんだよ」
そうして可愛い動物との出会いに癒されながら、たまに休憩を挟みつつ街に向かった。
――そしてそれから三日後。私は誰もいない街中で、ポツンと一人佇んでいた。
まず異変を感じたのは街道に出てから。いつもなら馬車や歩きの旅人、狩猟に出かける人など多くの人々で行き交う街道に、誰も人がいなかったのだ。
その事実を不審に思いながらも街に近づくと、街に入る大門にも誰もいなかった。しかもそこかしこに……何かの骨が散乱しているのだ。
ここで嫌な予感はしたものの、現実を直視したくはなくて街の中に入った。そして一時間、街中を駆けて分かった成果は……この街に生きている人間はいないということ。
何が起こったんだろう。戦争があったとか? それとも別の種族との抗争?
「とにかく、隣の街に行ってみよう」
さすがに別の街に行けば何か情報が得られるはず。そう思った私は魔法を使って風を操り、できる限り最速で隣の街まで駆け抜けた。
――そしてそこで見た光景は、またしても誰もいない街とそこかしこに散らばる白い骨。多分これは……人間の骨だ。本当に何が起きたんだろうか。
それから数日間、私は休むことなく走り続けた。隣の街には誰かいるかもしれない。隣の国ならさすがにいるだろう。そうして淡い希望を持ちながらひたすらに街を巡ったけど……どの街も全く同じ状況だった。
「この世界の人間が誰もいなくなったなんてこと……さすがにないと、思いたいけど」
もしかしたら、皆が私を置いていってしまったのかもしれない。今まで何十人何百人の友人や知人に置いていかれてきた。皆が等しく向かうことのできる天上の世界、誰にでも平等に与えられる死という終わりを、私だけが与えられていない。
「私も行きたいな、天上の世界へ」
今まではまだ街に行けばたくさんの人がいた。皆が私を置いていくのは分かっていたけど、それでも何十年もの時を共有する友人を作ることができた。
これからはそれすらもできないなんて……なんて残酷な仕打ちだろう。誰か私に恨みでもあるんだろうか。
……でももしかしたら、この異常事態の原因を突き止めることができたら、私が天上へ行く方法が分かるかもしれない。人類が皆いなくなってしまうなんて、そんな事態を引き起こせるのは……相当に強い力を持つものだけだろう。
千年以上の人生で、天上へ行く方法は思いつく限り全てを試した。しかしどれも失敗に終わっているということは、簡単に思いつくような正攻法では無理なのだ。
それこそ人類がいなくなるような、そんな異常事態が発生する強い力でなければ。
私は誰もいない街を見つめて、杖を握る手に力を込めた。絶対にこの異常事態の原因を突き止める。そして……私も皆と同じところへ、天上に行くのだ。
まずはなぜ人々が亡くなったのか、その原因を探るために街中を調査することにした。誰かと争ったのならば、必ずその跡が残ってるはずだ。
外壁の様子や住宅、さらに争いとなったら狙われやすい食料保管庫や武器庫などを次々と見て回った。しかしどこにも争いの跡はなく、食料が運び出されている様子もない。さらに武器も全く使われていなかった。
どういうことなんだろう。争いじゃないとすれば、流行病? それとも毒が充満した?
でも流行病だとしたら、全滅ってことは考えにくい。それに遺体を放置はしないはずだ。流行病なら遺体はすぐに燃やしてしまうから。
毒という線もありそうだけど……空気中に充満して、街全体に行き渡るような毒なんてあるだろうか。少なくとも私の知識にはない。毒ガスなどは密閉された空間で使うからこそ効果があるのだ。
「あれ? もしかして生き残った人間がいたの?」
街の中心で物思いに耽っていると、突然後ろから声を掛けられた。ガバッと勢いよく振り返ると……そこにいたのは精霊だ。姿形は妖精のように小さな人型に羽が生えているけど、魔力の波動が妖精とは違う。精霊は姿形を自由に変えられるから、この精霊は好んで妖精の姿をとっているのだろう。
良かった……生きて動いている存在がいた。私はその事実を認識した途端に、ほっと安堵して体に入っていた変な力が抜けるのを感じた。自分で思ってる以上に焦っていたみたいだ。
「精霊さん、この街で何が起こったのか知っていますか?」
金髪に緑の瞳が綺麗なその精霊は、私の質問に怪訝な表情を浮かべて口を開いた。
「半年前の魔力枯渇を知らないの?」
「……私はちょうど半年と少し前から、山奥に篭っていたので」
「そうなんだ……って、それ君が生きてる理由になってないから。なんで君は生きていられるの? もうこの世界の魔力は人間が生きていける濃度じゃないのに」
魔力濃度……私は精霊のその言葉を聞いて、慌てて周囲に漂う魔力に意識を向けてみた。すると、魔力がほとんど観測できない。
「なんでこんなことに……え、これって世界中で!?」
「もう、今更そこに驚いてる人なんていないよ〜。半年前に突然魔力濃度が薄くなって、人間は皆死んじゃったんだ。ほら、人間って呼吸で魔力を取り込まないと生きていけないでしょ? だから僕からしたら、君が生きてる方が不思議なんだけど……もしかして、本当は人族じゃない?」
「いえ、私は人族です。ただ不老不死の人族なんです」
もうこの世界に人間はいないのか……世界中がこの魔力濃度だったら、生きていける人間はいないだろう。もしかしたら遠くの国では生きてるかもって思ってたけど、その可能性も潰えてしまった。
私が最後の人族になっちゃったなんて……それだけは嫌だと思っていたのに。
「不老不死って、どういうこと?」
「そのままの意味で、老いることもなければどうやっても死ねないんです。それに私は魔力が無限に体内で生成されるので、魔力枯渇で死ぬことはないと思います」
「どうやっても死なないって、僕が攻撃しても? 水の中にずっといても?」
精霊は瞳を輝かせて私に迫ってきた。不老不死って言うと気味悪がられるか、こうして興味深げに近づいてこられるか、基本的にはその二択だ。後者の方が圧倒的に付き合いやすいのでありがたい。
「そうです。攻撃は全て無効化しますし、呼吸をする必要もありません」
「じゃあ攻撃してみて良い!?」
「もちろん構いませんよ」
それから精霊は植物を操る魔法を使い、私に多種多様な攻撃を仕掛けてきた。この精霊はかなり力が強いみたいだ。しかし私には傷ひとつ付けられない。
「うわぁ〜本当に凄いね! 君の名前は?」
「私はウィルナです」
「ウィルナか。僕はリーディアって言うんだ。あのさ、もしウィルナさえ良ければなんだけど……これから一緒にいても良い? ウィルナの側にいたら楽しいことがたくさん起こりそう!」
リーディアはそう言って、瞳を輝かせながら私の顔を覗き込んだ。
「別に構いませんけど……私はこれから何をするかも、まだ詳しく決めていませんが」
「いいのいいの、そんなの後から考えようよ。じゃあ親睦を深めるためにお茶でもしよう!」
リーディアはかなり強引な性格なようで、小さな手で私の指を掴むと、思った以上に強い力で私を引いて街中を進んでいく。
しかし今の私にはこのぐらいの強引さがありがたい。リーディアの手の温もりに、冷たくなった心が温かくなるのを感じた。
「リーディアさん。少し待ってください」
「ダメダメ、早く歩いて〜」
そうして手を引かれること五分ほど。私達は一軒の綺麗なお店の前に到着した。
「ここのお店がこの街で一番綺麗に残ってるんだ。厨房も使えるよ」
「魔道具は動くのですか?」
「ちゃんと動くよ。ただ大気中の魔力を取り込むことができなくなったから、僕達が魔力を注いであげないといけないんだけど」
厨房の中は少し埃が積もっている程度で綺麗だった。棚の中を見ると、小麦粉や砂糖など長期保存ができる食材はまだ使えそうだ。
「リーディアさんは料理ができるのですか?」
「ううん、全然できない。でもお茶を入れるぐらいならなんとかなるよ。というか、なんでさっきから敬語?」
「初対面の相手だからですね」
「もう、仲間なんだから止めてよ〜」
仲間……そうか。ここ数十年は友人も作らなかったから久しぶりの響きだ。
「分かった。じゃあリーディアって呼ぶよ」
「うん、そうして!」
「そういえば、精霊って食事はするの?」
他種族は一部の種族しか人間とは関わりがなくて、特に精霊は気まぐれであまり姿を表さなかったので、その生態はよく知らないのだ。
「もちろんするよ。でも一番好きなのは魔力かな。さっきからウィルナの魔力は凄く美味しそうなんだよね……」
「そうなんだ。……食べる?」
魔力は無限に湧いてくるしと思って安易に提案すると、リーディアは突然真上に飛び上がって喜びを爆発させた。
「良いの!? 魔力を食べさせてくれる存在なんてほとんどいないんだ! 今は特に世界の魔力が枯渇してるから」
確かにそうか、私みたいな特殊体質じゃなければ魔力がなくなるのは怖いだろう。皆は死を怖がるものなんだから。私はその感覚が分からないので、他人と関わるときには定期的に思い出すことにしている。
私にとって死とは、永遠を終わらせるものなのだ。終わりがあるからこそ美しい。この考えには心からの同意を示したいと常々思っている。
「どうぞ。でもどうやって食べるの?」
「近くにいるだけで魔力が滲み出てくるから、それをちょっと意図的に吸う感じかな。やっても良い?」
「良いよ」
それからリーディアは思いっきり私の魔力を吸い取ったのか、光悦とした表情を浮かべて近くの机の上に降り立った。
「ウィルナの魔力最高! こんなに美味しいの初めてだよ!」
「それは……ありがとう?」
喜んで良いのかよく分からない。とりあえず精霊には好印象なら良かった。人類が滅亡してしまったのなら、これからは多種族と交流することもあるだろうから。
「じゃあ私はちょっと料理をするね」
「ウィルナは料理ができるんだ」
「うん。五百年前ぐらいに料理人をやってたから。それからも気が向くと色々作ってたんだ。だからお茶も私が淹れるよ」
棚を覗いてみると卵と牛乳がないけど、小麦粉と砂糖、ベーキングパウダー、それに植物油があった。これだけあればドーナツを作れそうだ。
私は魔法で水を作り出して調理器具を洗い流し、深い器に小麦粉と砂糖、ベーキングパウダーを入れてかき混ぜた。そしてそこに適量の水を加えて、しっとりさせるために少しだけ油を入れて……生地は完成だ。
あとは成形して油で揚げるだけ。リング型にするのは大変だから丸いドーナツにしよう。生地を適当な大きさに切り分けて小さめな球体を作り、それを鍋で温めていた油の中に投入する。
「うわぁ……良い匂い。人間がいなくなってから久しく嗅いでなかった香りだよ」
「精霊って料理はしないの?」
「うん。精霊がっていうか、人族以外の種族は基本的に細かい作業はしないことが多いよ。それに人間ほど食事頻度が高くないから、料理は発展してない種族がほとんどだし」
確かにそういうイメージはあるかも。精霊は気ままに果物を、妖精は花の蜜を、竜族は山の上で狩った動物をそのまま、獣人族は肉を焼くぐらい、魚人族は魚だけ。そんな感じのイメージだ。
人族ぐらいだったのかもしれないな。多種多様なものを調理して美味しさを追求して食べるのは。人族って素敵な種族だったな……
「はい、揚がったよ」
お皿に盛ってリーディアがいる机に持っていくと、リーディアは瞳をキラキラと輝かせた。揚げてる間に淹れたお茶もカップに注ぐ。
「美味しそう! 食べて良いの!?」
「もちろんどうぞ」
リーディアは表情豊かで可愛いな……私は長い時を生き過ぎて、感情が揺れ動くことが少なくなってしまった。最近はよく無表情なんて言われたっけ。
「ふわふわで甘くて美味しいよ!」
「良かった。……うん、よく出来てる」
適当に作った割には良い出来だ。やっぱり何百年前でも真剣に身に付けたことはそうそう忘れない。私が弟子入りしたスイーツ店の店長は、天上で元気にしているだろうか。
「ねぇ、リーディア。天上にどうやっていくのか知ってる?」
「天上って……亡くなった人が行くところだよね?」
「そう。私はそこに行きたくてずっと研究してるんだ」
「……そっか。不老不死って、永遠の命なんだね」
私の願いを聞いて、リーディアは不老不死の意味を本当に理解したようで、気遣わしげな表情を浮かべた。
「うん。私はどうにかして終わらせる方法を知りたいの。人類が滅亡してまで取り残されるなんてね」
「力になってあげたいけど……僕は何も知らないかな。ごめんね」
「……気にしないで。難しいってことは分かってるから」
でも今回の魔力枯渇が発生した原因を突き止めることができたら、何かしらの情報が得られるかもしれない。
「今回の魔力枯渇の原因って精霊達は調査してる?」
「一応してる精霊もいるみたいだけど、全く原因は分からないらしいよ」
「そっか……私は、その原因を突き止めようと思ってるんだ。突然の魔力枯渇なんて絶対におかしい、何か大きな力が働いたに決まってる」
大気中の魔力がなくなるなんて、この世界の存在を根底から覆すような事態だ。私の不老不死はそれこそ、大気中に魔力が存在するように当たり前に存在しているんだって、何百年も前に友人から言われたことがある。
しかしその当たり前と思われていたことが覆ったのだ。私の不老不死だって覆ることがあるはずだ。
「その大きな力を突き止めることができたら、不老不死にも干渉できるんじゃないかって」
「確かにその可能性はあるかもしれないね……分かった、僕も協力するよ! 僕もさ、今回のことはおかしいと思ってるんだ。ちゃんと調査して対処しないと、大変なことになる予感がする」
そう言ったリーディアの表情は、さっきまでの明るい様子から一転、とても真剣だった。
「じゃあリーディア、これからよろしくね」
「うん! 二人で頑張ろう」
まずはどこから調査をするべきか……私は長い時を生きてきたけど、ずっと不老不死を解除する研究に時間を費やしていたわけではないので、この世界でもまだ調査をしていない場所は多くある。
特に立入禁止区域だったり別の種族が支配する地域などは、いくつも後回しにしていた。
「霊峰に、行ってみようか」
神が宿る山とされ、人族によって長い間立ち入り禁止にされていた場所だ。この世界で一番高い山。その頂上に何があるのかは誰も知らない。
……もしかしたら、何か手がかりがあるかもしれない。
「霊峰ってあの高い山だよね?」
「そう。入ったことある?」
「ううん。上まで飛んでいくのは大変だし、そこまで興味もなかったから」
精霊も容易に入らないのなら、本当にあの山の頂上を見たことがある人は少ないのかもしれない。これは期待が持てるかも。
「じゃあ迷ってても仕方ないし、さっそく行こうか。霊峰まではここから……十日ぐらい歩けば着くかな」
「まずは十日の旅だね! 食料は持っていく?」
「ううん。私は食べなくても大丈夫だから持っていかない。荷物が増えると歩くのが遅くなるから。リーディアはどのぐらいの頻度で食事が必要なの?」
「精霊は数ヶ月ぐらいなら何も食べなくても大丈夫。一番良いのは魔力で、普通のご飯でも生命維持はできるよ」
じゃあ荷物はほとんどいらないかな。途中で木の実や果物があったら採取して食べるぐらいにしよう。動物の解体もできるから狩りをしても良いし。
誰かと旅をするのなんて久しぶりで……少し楽しみだ。
「あっ、ウィルナが笑った!」
「……今までも笑ってなかった?」
「笑ってなかったよ。僕が何を言っても表情一つ変えないんだから」
リーディアは頬を膨らませて拗ねたようにそう言う。なんだかリスみたい。
「木の実食べたい?」
「……なんで?」
「ほっぺがリスみたいだから」
「それって褒められてる? 貶されてる?」
「もちろん褒めてるんだよ。リスは私が長い時を生きていて、今でもずっと見ていられるものの一つだから」
私のその言葉を聞いて、リーディアは頬を赤くして照れたように両手で顔を隠す。うん、やっぱりリーディアは可愛い。
「じゃあ行くよ」
「あっ、ちょっと待ってよ!」
私はお店を出て誰もいない街を後にした。最初にこの街に来た時の悲壮感は、もうほとんどなかった。
第一章 霊峰の頂上
街を出てから十日が過ぎた。私達は霊峰の麓に辿り着いている。麓にある霊峰を守っていた村には、やはり誰もいない。ここまでにあったいくつもの街は一応全て確認してきたけど、やはりどの街にも生きている人はいなかった。
「本当に高いね。ここを登るのか……」
「登るのにはかなりの時間がかかりそうかな。この村で一泊していこうか」
「うん! じゃあ僕が綺麗な家を探してくるよ」
まだ人類が滅亡してから半年しか経っていないので、建物などは朽ちていないものも多い。しかしそれも数年後には、朽ちて自然に飲み込まれてしまうのだろう。
人類が繁栄した証が消えてしまうのは少し寂しいな……でも誰もいない街がずっと残っているのも虚しいかもしれない。
「ウィルナ〜。この家は綺麗に残ってるよ!」
「ありがとう」
リーディアの元気な声で少し落ち込んだ気分はすぐに浮上し、私は村に生えていた木から果物をいくつかもらい、リーディアの下に向かった。
「リーディア、果物があったよ」
「本当だ! 美味しそうだね。久しぶりのご飯だ」
「一昨日も食べたから、久しぶりってほどでもないけど」
「そこは気にしなくて良いの! だって人族は毎日三食だよね?」
「そうだよ。人族は凄く効率が悪かったから。だからこそ美味しいご飯がたくさん開発されたんだろうけどね」
果物は林檎だった。ちょうど良い時期だったのか、甘くて瑞々しくてとても美味しい。アップルパイを作ったらリーディアは絶対に喜んでくれるだろうな。
「美味しい!」
リーディアは数ヶ月は食べなくても大丈夫と言っていたのに、この十日間で完全に食事にハマったようだ。
まあそれは私も同じかもしれないけど……半年ぐらい食べなくても良いと思っていたのに、今では一日一食ぐらいは食べようかなと考えが変わった。
この旅で天上への行き方を突き止めたとしても、リーディアがいる限りは天上へ行くのを先送りにしても良いかもしれない。私はリーディアが頬を膨らませて林檎を食べている様子を見て、自然とそう思った。
そうして二人で話をしながらゆっくりと過ごしていると、突然外から大きな羽の音が聞こえてきた。これは鳥じゃないな……もしかして、竜族?
竜族は決まった山からほとんど動かないのに、こんなところに来るのはかなり珍しい。
「リーディア、顔を出す?」
「うーん、僕はあんまり好きじゃないんだよね。竜族って傲慢なやつが多いんだもん」
「でも何か情報を持ってるかもしれないし、もしかしたら頂上まで連れていってくれるかもよ」
私はリーディアにそう言って家から外に出た。すると村の上空に、綺麗な一頭の竜が旋回しているのが目に入る。
「……見たのは三百年ぶりかも」
竜族とはほとんど会話をしたこともない。凄く寿命が長いことから基本的にマイペースで、他人に興味を持たないことが多いのだ。私よりも長い時を生きている竜もいる。
「おい、そこの人間。お前はなぜ生きている?」
竜は上空で旋回しながら私に話しかけてきた。
「色々と事情があって」
「なんだその事情というのは。この魔力濃度で人間が生きていられるわけがないだろう?」
「あの、話しづらいので降りてきませんか?」
首が痛くて目が回りそうだったのでそう言うと、この状況で生きている人族に興味を引かれたのか、竜は少しの間を空けてから私の前に降り立った。そして一瞬のうちに、体を人族と同等の姿形に変える。
そう、竜族は人型も持つのだ。スラッと背が高い若い男で、長い黒髪を後ろで束ねている。竜族の人型なんて、今まで生きてきて初めて見た。
「降りてきたぞ。理由を話せ」
「私は不老不死なんです。それに魔力は無限に体内で生成されています。よって少なくとも、私が魔力枯渇で死ぬことはありません。というか、どうやったら死ぬのか私が知りたいです」
私のその言葉を聞いて、その竜族の男は楽しそうにニヤッと笑みを浮かべた。
「不老不死か、とても興味深い。まさかそんな存在がいたとはな……我はファウスティノ、お前の名は?」
「私はウィルナです。こっちがリーディア」
むすっとしながらやって来て私の肩に乗っているリーディアを示すと、ファウスティノさんはチラッと一瞥しただけで、興味ないとでも言うように視線を逸らした。
「うぅ……こういうところが好きじゃないんだ!」
リーディアはそんなファウスティノさんの態度に憤っている。しかしファウスティノさんは全く気にしていない様子だ。
「お前らはなぜここにいる? まさか住んでいたわけではないだろう?」
「実は今回の魔力枯渇の原因を調べようと思いまして、私が今まで調査したことのない場所に行こうと考えてここに来ました」
「……なぜ調べるんだ?」
「不老不死を解除する方法を見つけるためです」
私のその返答を聞き、ファウスティノさんはしばらく考え込んでいたけれど、最終的にはもう一度ニヤッと笑みを浮かべて竜の姿に戻った。
「気に入ったぞ。我は一度気になったことは、とことん調べなければ気が済まない性格なのだ。お前の不老不死の原因とその解除方法か。ふははははっ、面白い。ただ魔力枯渇の原因を調べるだけよりもよほど面白そうだ。お前達、我の背中に乗れ。霊峰の頂上まで連れて行ってやろう」
ファウスティノさんは研究者気質なんだな。これは心強い仲間を手に入れたかもしれない。リーディアは嫌そうだけど、空を飛べるのはかなり強い。行動範囲が一気に広がる。
「ありがとうございます。では失礼します」
「え! こいつに従うの!?」
「頂上まで連れていってくれるんだから、ありがたいでしょ?」
「それは、そうだけど」
「そこの小さいのも特別に我に乗ることを許可してやる」
「……っ、こういう上から目線なところが好きじゃないんだ!」
リーディアはそう文句を言いつつも、ファウスティノさんに飛び乗った私の肩に乗った。
「では行くぞ」
うわっ……凄い。竜族はこんな速度で飛ぶのか。上空からの景色がこんなに綺麗だなんて、知らなかった。
「これって、私達の周りの空気を魔法で動かないようにしてくれてる?」
「みたいだね……さらっとそういう配慮をするのもムカつく」
「もう、リーディアは何にでもムカつくんじゃない。ファウスティノさんは意外と良い人だと思うけど」
「お前、ウィルナと言ったか? 分かっているではないか」
ファウスティノさんは飛びながらでも私達の会話が聞こえているみたいだ。さっきも思ったけど、竜の姿でどうやって声を発しているのか不思議だな。
今まで千年以上生きてきて、もうこの世界に私の知らないことはないと思っていたけど、そんなのはただの勘違いだった。まだまだこの世界は広いみたいだ。
それから十分ほどですぐに頂上へと辿り着き、ファウスティノさんは旋回しながら着陸した。霊峰の頂上は、ほとんど木々も生えていなくて岩ばかりだ。
「ファウスティノさんはここに来たことがありますか?」
「いや、ここは初めてだ。魔力枯渇の原因を探るために世界中を巡り、次は霊峰を調査しようと向かっていたところでお前達を見つけた」
「そうだったのですね。今までに何か成果はありましたか?」
「いや、全くないな。ただそのぐらい難易度が高い方が楽しめるだろう?」
……確かに、その考えは少し理解できる。長い時を生きるものは同じ思考に陥るのかもしれないな。
「さて、我はしばらくここで調査をする。お前達も自由にすると良い」
ファウスティノさんはそう言うと、人型になってさっそく調査を開始した。私もそれに習って調査を始めるけど……何を調べれば良いんだろう。
「リーディア、何か気になるものがある?」
「うーん、特に何もない気がするけど」
霊峰と言われていたけど、普通の山だったんだろうか。調査をするといっても岩しかないから……洞窟でもあれば分かりやすいのに。
ファウスティノさんは岩を一つ一つ見て回っているみたいだから、私もその調査を手伝おうかな。
「私達は向こうの端から岩を見て回ろうか」
「了解! 僕が何か見つけてあげるよ」
それからは休むことなく何時間も調査を続けた。しかしどこまで行っても普通の岩があるだけだ。いくつか岩を壊してみたけど、中に何かがあるなんてこともない。
「ウィルナ〜、疲れない?」
「確かに少し疲れたかも。休憩しようか」
さすがに休もうと思ってずっと下を向いていた顔を上げ、座るのにちょうど良い岩がないかな……そう思って辺りをぐるりと見回すと、ふと気になる岩が目に入った。
他の岩と違って、人工的に作られたような形をしている気がする。しかも色も少し違う。
その岩に惹かれて近づいてみると……大きさは両手で持てる程度のサイズだった。しかし地面に固定されているのか、持ち上げることはできない。
これは石板……だろうか。何かが書いてある。この文字どこかで見たことがあるような……
「ウィルナ、どうしたの?」
「リーディア、この石板見てくれない? ファウスティノさん! 何か見つけました!」
「なっ、それは本当か!?」
ファウスティノさんは私の声かけにガバッと顔を上げ、凄い勢いでこちらに駆けてきた。
「何を見つけたんだ!?」
「この石板です。何か文字が書いてあるんです」
「……本当だな。これは何の文字だ? 我は見たことがない」
「本当ですか? 私はどこかで見たことがあるような文字なんですが……」
「本当か!? 何とか思い出せ!」
どこで見たんだろう。少なくとも最近じゃない、何百年も前の話だ。農家をやってた時じゃなくて、パン屋で働いてた時でもない。宿屋で働いてた時のお客さん……いや違う、商家の護衛をやってた時に行った田舎の村で見たんだ!
代々伝わってる重要な書物だった。確か読み方も教えてくれた気がする。その記憶を何とか引っ張り出せば……
「分かったか? 読めたか?」
「ちょっと黙っててください」
全部は読めなくても良い。一部でも読めれば手がかりになるはず。この単語は確か……「行く」とか「向かう」って意味だったはず。そしてこっちは何かがあるって意味の言葉だ。
ここで示されたどこかに行けば、何かがあることを示してるんだ。それでどこに行けって言ってるのかは……多分この単語。
確かこれって方角と数字? 方角を表す単語は南西だと思う。そして数字は……四十五だ。
「南西、四十五の方に行けば何かがあるって書いてあります。ただそれ以上は読めません」
「それだけ読めれば十分だ! ウィルナ、でかしたぞ!」
「でも南西、四十五って何のことでしょう?」
南西に四十五キロ進むのだろうか。ただ南西と言っても幅は広い。それに四十五キロじゃなくて四十五分の可能性もある。あらゆる可能性を確かめないといけないかもしれない。
「多分だが、南西の四十五度という意味じゃないか? 南西という言葉には九十度の広がりがあるが、その中の四十五度の方向に進むべきということだと思うぞ。要するに、南西のど真ん中だな」
角度か……確かにあるかもしれない。ただそれだとどこまで進めば良いのか見当もつかない。
「じゃあ向こうの方向ってことだね!」
リーディアが指差した方を見てみると、深い森がずっと広がっている。この直線上のどこかに、この石板が指し示す何かがあるのだろうか。
「とりあえず、行ってみるしかあるまい」
ファウスティノさんは興奮を隠しきれない様子で竜の姿に戻ると、私とリーディアを乗せてさっきまでよりも速いスピードで空を飛んでいく。
「ファウスティノさん、この速度で何か分かるんですか?」
「分からん! が、目立つものがあれば分かるだろう。とりあえず何か奇妙なものがある場合か、街や村があった時だけ調査をしてみよう。じっくりと進むのはそれで何もなかった場合で良い」
確かにそれが効率的か。ファウスティノさんにはお世話になってばかりだ。今度何かお礼でもしようかな……
「ファウスティノさんは何が好きですか?」
「研究だな」
「そういうのではなく、食べ物とか」
「ふむ、強いて言えば歯応えのある赤身肉だ」
「では今度お礼にステーキでも焼きますね。あっ、生肉の方が好きですか?」
「……生肉しか食べたことがない」
そうなんだ……人型になれるから人間と似たような食生活なのかと思ったら、全然違うらしい。一度人間の料理を作って振る舞ってみよう。どんな反応をするのか楽しみだ。
「今夜はできればどこかの街に泊まりましょう。調味料があるところで料理をしたいです」
「分かった。我は口に入れば何でも良いので任せる」
絶対ファウスティノさんに美味しいと言わせてやる。私はそう気合を入れて、どんな料理を作ろうか考え始めた。他人のために作る料理はやっぱり楽しいな。
「ウィルナ、僕は甘いものが良い!」
「了解。じゃあデザートも作ろうか」
③不死の魔女は天上に憧れる 蒼井美紗 @aoi_misa
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