あるカクヨム作家のこと 🐠

上月くるを

あるカクヨム作家のこと 🐠





 晩秋……といっていいだろうか。

 儚げな陽光が降りそそいでいる。


 金粉でまぶされたような幹から、透き通った金色の葉が間断なく舞い散っている。

 降っても降ってもいくらでも無尽蔵だよというように、ハラハラ、ヒラヒラ……。


 茶色い背を喜びに弾ませているハナコを散歩させながら、ランコの目は遠くなる。

 あれはたしかロンドンの公園……金色の光を放つポプラ並木の油絵のような黄葉。


 若い情熱に満ち、この世界をより良い方向へ導くお手伝いをしたいと希っていた。

 だれにも気兼ねなくカフェや書店へ入り、好きなだけ図書館にいる自由もあった。


 だが、いまのわたくしは……。

 広大な敷地の、森の捉われ人。


 ただぼんやりとこうしている瞬間も、四方八方から監視の矢束が飛ばされている。

 大きな網をかぶせられた昆虫や魚のように、どれほど息苦しくても解き放たれず。




      🦚



 

 あのときの決断を悔いたこと、かつて一度もなかった……できればそう思いたい。

 聡明で温和で辛抱強い夫、その血を引くひとり娘、歴代の保護犬たちのためにも。


 生活環境の激変がパニック障害の主因でしょう、高名な心療内科医の診断だった。

 以来、底知れぬ恐怖と絶望、嘔吐を伴う偏頭痛、うつ病の数十年がつづいている。


 番と言われる記者にもノルマがあるのだろう、定期的に記事がでっち上げられた。

 曰くスッポカシ、曰くドタキャン、曰くワガママ病……その文字に胸を刻まれる。



 ――自分で自分がどうしようもないのに……。(´;ω;`)ウゥゥ



 そのたび部屋から出られなくなるランコを、夫とひとり娘が懸命に案じてくれる。

 その娘にしても、ランコが母親というだけで幼いころから標的にされて来たのだ。


 ふとわれに返れば、都会の森に迷いこんで来たハナコが心配そうに見上げている。

 いけない、いけない、かあさん、また考えごとをしていたね、おうちへ帰ろうか。




      🐕




 家族のリビングにもどったランコは、窓ぎわの机のノートパソコンの蓋を開ける。

 いつものサイトを呼び出すと、瞬時のためらいもなく連載のつづきを打ち始める。



 ――@bluefish



 平凡なペンネームの個人情報があばかれる恐れは絶対にないはずと信じていたい。

 サイト運営者がメルアドから探ろうと思えば可能だろうが、せめてもの善意をと。


 英語や仏語での発信、あるいは海外のサイトを使うなど安全弁も検討してみたが、ランコはほかならぬこの国の人たちに向け、ささやかな物語を紡いでゆきたいのだ。


 ほんとうは楽しむために生まれて来たはずなのに、さまざまな不条理による苦しみを負って生きねばならない人たちのために、小さなハッピーエンドを届けたいのだ。

 



      🪰




 オーディオから静かな楽曲が流れている。

 大好きな森田童子さんの『まぶしい夏』。


 若くて独り身で元気だったころは、朗らかでポップな曲や激しいロックも聴いた。

 だが、この森に来て心を病んでからネガティブな曲しか受け付けなくなっている。


 ランコの足もとに寝そべっているハナコが、眠ったままで「くふ~ん」と鳴いた。

 この子の辛い前半生を知ってやれない自分に、ランコはいつも痛みを感じている。





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