本文
間もなく日付が変わる頃。
朽ちたビル群が居並ぶ廃墟が闇の中にとっぷりと浸かっている。
空からは細い雨が注いで、ひび割れたコンクリートにしっとりと濡らしていた。
ビル群の中でも一番高いそれの屋上から一人の青年が街並みを見下ろしている。
青年は、首から下げたネックレスをギュッと握りしめた。
手の中にあるのは、リボルバー用の拳銃弾である三五七マグナム弾だ。
こうすることで青年は、自分の使命を思い出せる。
「はぁ――はぁ――」
地上からかすかに息遣いが聞こえた。
女のものだ。正確には女というより、少女特有の甘ったるさの残る声である。
路地を懸命に走るブレザー姿の少女の姿を青年の双眸が捉えた。夜闇であっても昼間と変わらずものを見られる。この都市に住む者は皆が例外なくそうであった。
向こうもその気になれば青年の姿を捉えられるだろう。
黒いスーツは問題ないが、やや癖のある白い髪はこの闇の中でも目立つ。
しかし少女は、頭上への警戒心が全く見られない。仕掛けるならばこのタイミングだ。
青年は、屋上の床を蹴って跳躍。常人離れした膂力と自身の質量の操作によって軽々と少女の頭上の位置を取った。
空中で体をよじり、頭を地面に両足の底を空中へ向けると、青年は質量を低減させたまま、すかさず両足で空を蹴った。
隕石のような勢いで青年は、少女目掛けて急降下する。異変に気付いたのか、少女がこちらを見上げてきたがもう遅い。
青年の右足から青く輝く光の
少女の頸椎を目掛けて右足を振るうと、落雷と見紛う鮮烈な一撃が細い首を薙いだ。
ぶちぶちと肉が千切れる音。めきめきと骨が砕ける音。不快な協奏曲を奏でながら少女の首があらぬ方向へねじれた。
右足に響く感触が少女の命を刈り取ったことを自覚させる。
少女が糸の切れた人形のように、その場に崩れ落ちた。
それと同時に青年は着地して、絶命した少女を見下ろした。
命を奪ってもまだ仕事は終わっていない。やるべきことがまだ残っている。
青年は、上着の内ポケットに右手を突っ込んで注射器を取り出した。中は空である。少女の傍らにしゃがみこんで、彼女の右手に注射器の針を刺そうとした瞬間――。
「あなたが殺し屋コドクですね」
少女の声音が鼓膜を揺らすよりも早く、青年――コドクの右手首が掴まれる。
直後、全身から〝何か〟が抜け出していく感覚に襲われた。体力とか気力とかそういう類ではない。もっと生命を司る根源的な何かだ。
凄まじい脱力感に抗えず、コドクはしりもちをついた。
「私があなたの〝命〟を盗みました」
少女がこちらを見下ろしている。
完全に首をへし折ったはずなのに、そのダメージは全く見て取れない。
「これがあなたの命です」
少女の差し出した右手に、赤い光の球が揺らめいている。右手を閉じて光の球をぎゅっと握ると同時に、コドクの全身を圧痛が支配した。
耐えられないほどではないが、かなり強い痛みだ。思わず歯を食いしばってしまう。
少女が右手を開くと、コドクを蝕んでいた痛みが嘘のように消え失せた。
「あなたの命は私の手の中。だからあなたは私の言うことを聞くしかないんです」
赤い光の球――コドクの命が少女の掌に吸い込まれていった。
「私の名前は神谷メイ。あなたに仕事を依頼します。コレクターの殺しです。〝蟲毒都市〟最強の異能者。あらゆる異能をコピーする悪魔」
メイと名乗った少女は、上着の右ポケットからポケットナイフを取り出した。
小さな刃を開くと、右手で逆手に持ち、自身の左手に振り下ろす。
ずぶりと肉を貫く音と冷たいものが刺し込まれる感触がコドクの左手に走った。
「!?」
直後、じんわりと熱が広がった。コドクが左手を見やるとナイフの刺し傷からたらたらと鮮血が流れている。
「はい。分かりましたね。戦わなければあなたが死にます」
メイが左手をこちらに向けた。あるはずの刺し傷がない。
自分の掌を刺したはずなのに、傷を負ったのはこちら。
これも彼女の異能の力か。
「命令を聞かなければあなたを殺します。わたしを殺そうとしても私の負ったダメージは全てあなたが背負うことになります。あなたに選択肢はありませんよ」
「そうみたいだね」
コドクとメイが見つめ合っていると、女性の声をした機械音声が都市全体に木霊した。
『間もなく午前〇時です。蟲毒都市、本日の負傷者数は二百八十九人。その内、死者数は七十九人です。今日虫けらのように死ぬか、より高次元の存在に進化して明日を生きるか、全てはあなた次第です。それでは異能者の皆様、進化とコドポ獲得のため今日もこれからもレッツ闘争!』
地球上で唯一殺人が合法化されいている都市。
地球上で唯一異能者たちが存在を許されるユートピア。
それがこの場所、蟲毒都市である。
古びてはいるが整備はされているビル街に朝の鞘かな光が注いでいる。
その片隅に真新しい木造建築のカフェが一軒たたずんでいた。店の客入りは盛況であり、老若男女多くの人々が座している。
コドクと神谷メイは、カフェのテラス席に向かい合って座っていた。
二人の前に置かれている皿には人工肉をふんだんに使ったチーズバーガーと山盛りのポテトがそれぞれ盛り付けられている。
満面の笑みでチーズバーガーにかぶりつくコドクに、メイは冷たい視線をぶつけていた。
「誰かと話すなんて久しぶりでワクワクしちゃうなぁ! あ、この店は俺のおごりだからじゃんじゃん頼んでくれていいよー! それにしてもメイちゃんはすごいやつだ! 俺、完全にしてやられちゃったよ! 死んでるかなーと思って近づいてみたらガバッ! と起きて腕をガシッ! だもんなー! ゾンビ映画な展開じゃん! ぎゃあああああああああ! って叫びそうになっちゃったぜ! 言い忘れてたんだけど俺さ、映画好きなんだ。けどホラー映画はちょい苦手なんだよね。あ、見られないわけじゃないんだよ? でも夢に見ちゃうタイプでさ……あれ? メイちゃんチーズバーガー食べないの? 美味しいよー。この店は俺のおすすめなんだよね。一回食べてみてほら。あ、もしかして朝から肉はきつかった? ごめんごめん。俺朝からがっつり食べたい派だからさー。食べないなら俺貰っていい?」
メイは何も言わない。頷かない。無反応でこちらをじっと見つめている。
やっぱり朝からチーズバーガーのセットは女の子にはあれだったか。
それとも昨日コドクが蹴りで粉砕した頸椎が痛むのか。
「どうかしたメイちゃん? もしかして具合悪い? だったら大変だ! 病院に行かないと! 大丈夫! ここらへんはガーディアンズの自治区で治安もいいから病院近くにあるし!」
「いえ……あなたが本当にあの悪名高い……その……」
「殺し屋コドクかって? うん、そうだよ。俺があの有名な泣く子も黙る殺し屋のコドクだぜい!」
「っ!? 声が大きいです」
慌てた様子でメイがテーブルから身を乗り出して顔を近づけてきた。
改めて見ると美少女だ。それもえげつないぐらい。
目鼻立ちや唇の形は人形みたいに整っている。
スレンダーながらも出るところがそれなりに出ている体型なのはブレザーの上からでもわかった。
一見すると黒く見えるミディアムヘヤーは、太陽の明かりの下で見ると濃い焦げ茶色であった。
ことわざで美人薄命なんて言うが蟲毒都市は、正にその典型だ。
大抵は、強い異能者の男に囲われる籠の鳥になるか。暴漢に襲われて慰み者にされて飼われるか。飽きて殺されるかの三択。
メイほどの美少女が五体満足で自由に生き延びていることこそが彼女の異能が強力である何よりの証拠だろう。
もちろんそれだけで生き残れるほど蟲毒都市は、甘い場所じゃない。
迂闊なことはしないし、言わない。これが鉄則だ。
「あなたの言う通り、ここはガーディアンズの自治区です。あなたみたいな悪人がいるなんて分かったら殺されますよ?」
北関東一帯に広がる蟲毒都市には、大別すると三つのエリアがある。
一つは、強大な力を持つ個人の異能者、あるいは統制された異能者の集団によって自治されて一定のルールの元に異能者たちが暮らしている場所。
一つは、ルール無用の無法地帯で異能者たちが昼夜を問わず殺し合いをしている場所。
一つは、日本政府によって設定された蟲毒都市の外界の企業が進出している〝異能産業特区〟だ。強力な異能者たちに多額の報酬を支払って警備をさせることで治安を維持している。
今コドクとメイがいるのは、ガーディアンズと称される異能者集団によって自治されたオオミヤ区と呼ばれる場所だ。
ここは蟲毒都市内でも治安がいい代わりに、ルールが厳しい。自治区内では、あらゆる異能の行使の禁止されている。
ルールを破れば即ガーディアンズの警備隊が飛んできてよくて永久追放。話透ければ死体となってオオミヤ区の外に捨て置かれる。
コドクの身分が割れた場合、ルールを破っていないのに殺されはしないだろうが退去を命じられる可能性は否定できない。
けれど今までの経験上、コドクが自分の正体を明かしても信じてもらえないことの方が圧倒的に多かった。
「大丈夫大丈夫。なーんか知らないけど俺がコドクだって名乗ってもみんな信じないんだよねー。俺、そんなにベビーフェイスかね?」
「理由は顔じゃないでしょ」
「じゃあどこ? もしかして……殺し屋にしてはイケメンすぎるとか?」
「だから顔じゃないです。悪名高い殺し屋のイメージと真逆のやかましさです」
「……俺やかましいの!? どこが!? どのへん!?」
「自覚ないんですか」
「ないよ!? どこがやましいの!? ねぇ教えて!? 俺口下手じゃないかなって悩んでるぐらいんだけど!? マジっすかメイちゃん!? ほんとにうるさい!?」
「……正直私もあなたがあの殺し屋だなんていまだに半信半疑です。というか擬のほうに九割方傾いています……」
「どうしたら俺が本物だと信じてもらえるんだ!?」
「依頼の掲示板に書き込んで、来たのがあなたなのですから本物なんでしょうけど……殺し屋コドクがこんな人だったとは予想外です。ちなみに褒めてません。けなしてます」
「あーん! 辛らつぅ!」
「やっぱり偽物です?」
「もちろん俺が本物ですよ。まぁ見事に返り討ちに合っちゃったけどね。さすが設定額一億五千万〝コドポ〟の異能者だ」
コドクは、自分でプログラムして作った匿名のネット掲示板を持っている。
そこに依頼人が殺してほしい相手について情報を書き込み、その情報をコドクが調べて裏が取れたら仕事に移行する。
料金は、殺したい相手に設定されたコドポの9割だ。
コドポは、日本政府が発行している蟲毒都市内限定で使用できる電子マネー〝蟲毒ポイント〟の略称である。
異能者の血液や細胞などの生態サンプルを異能産業特区に設けられた政府の窓口に納品すると配布される仕組みになっている。
蟲毒都市の経済はコドポによって成り立っており、異能者はより多くのコドポを得るために昨日も今日も明日も未来永劫殺し合いを続けているのだ。
何故そんな電子マネーを日本政府が発行しているのか。
それは異能者同士を積極的に殺し合わせるだめだ。
闘争を経ることで強い異能者が生き残り、生き残った異能者同士が交配して生まれる異能者はさらに強い力を得る。
こうやって生まれた強い力を持つ異能者の異能を異能産業特区に進出した企業が解析して新しい技術を作り、蟲毒都市の外の世界に還元する。
これが異能者の存在する世界の資本主義の基本構造である。
故に、金になりそうな力を持つ異能者には高額のコドポが設定されるのだ。
コドポの額で異能者は、階級分けもされてもいる。
一コドポ以上一万コドポ未満で
一万コドポ以上百万コドポ未満で下位級。
百万コドポ以上千万コドポ未満で中位級。
千万コドポ以上一億コドポ未満で上位級。
一億コドポ以上が
つまり一億五千万コドポのメイは、最強クラスの異能者に位置するわけだ。
「メイちゃん。なんで神位級の君が設定額九千万コドポ、上位級の俺なんかに依頼するのか聞いてもいいかい?」
「戦力はあるに越したことありません。相手はあのコレクターですから」
蟲毒都市最強の異能者コレクター。
少年の姿をしているが、蟲毒都市が生まれた当初からいると噂されている。
赤地製薬と呼ばれる製薬会社の本社ビルを根城にしているのは有名な話だが、誰も彼には近づこうとしない。
「メイちゃん、あいつやばいよ? 日本政府がコレクター設定したコドポはなし。つまり殺したやつの言い値でコドポを支払うことになってるわけさ。それでもあいつに挑戦するやつはいない。なんで君はあいつを殺そうとするの?」
「理由を言う必要が?」
「一応命かけるんだから理由は知っておきたいかな」
「復讐です」
「いいね。シンプルで。俺そういうの好きだよ。じゃあコレクターと闘うためにも食べて食べて! 食べて力尽けないと! 腹が減っては戦はできぬってやつさ!」
そうだ。たらふく食べていくに越したことはない。
相手は最強の異能者コレクター。
このチーズバーガーとポテトが最後の晩餐になる可能性が大だ。
コドクがチーズバーガーを頬張ると、メイもチーズバーガーにかじりついた。
「美味しいですね」
「でしょでしょでしょ!?」
コドクが初めて見るメイの笑みは、桜のように華やかな微笑であった。
①孤独なコドクと蟲毒都市 澤松那函(なはこ) @nahakotaro
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