098 背を這う悪夢
風雲は急を告げず、強まった雨脚はまだ朝とさして変わらない。
しかしジオーサにまつわる状況は劇的に変貌を遂げ、まさに変事といって良かった。
──魔獣の大群がやって来る。
異変の兆しを告げたのは天ではなくシャムだった。隊長判断により待機組に選ばれた彼女は当初、暇だ退屈だと不満を隠そうともしなかった。しかし急に黙り込んだと思えば、魔獣の急襲をシドウに告げたのである。
何の根拠があって。そう聞きたくもあったが、生半可じゃない様子にシドウとクオリオは直ぐ様行動を起こした。
町民全員に魔獣の気配を告げ、劇場テントにパニック状態の町民達の避難を試みたのだ。
やがてなんとか町民達を押し込めた所に、魔獣達が現れたのである。
「どっせええええい!!」
勇ましい掛け声と共にシャムが降した鉄鎚は、断末魔すら許さない。
「さあさあさあ、どんどんいっくよー!」
待機中に募った不満をぶつける程の暴れっぷりだった。
その手には巨大な鉄球棍。知性の欠片も無い武器だとクオリオは身も蓋もない事を思うが、多数を蹴散らすにはこれ以上ないくらいに効率が良かった。
「ぬるい!」
【hi,gii,,,】
だからこそ、シャム以上の速さで魔獣を殲滅するシドウの剣技には舌を巻く。
すれ違うざまに一太刀。振り向きざまに一太刀。精密な剣撃を前に、魔獣達は瞬く間に
(魔獣の質はたかが知れてるけど、いかんせん数が多い。このままじゃ討ち漏らしが劇場に入って来かねないな)
数の暴力を前に、錯覚は露と消える。ジオーサの外壁をよじ登り来る魔獣達は、一向に数が減らない。シドウ達の活躍ぶりがあってもだ。
やはり手数が足りない。おまけに劇場テントに防衛拠点としての能力もないだろう。防衛戦には不利な要素が揃っているのは明らかだった。
しかし、クオリオは此処を防衛拠点にすると定めた。
この脆弱なテントを、堅牢な砦へと昇華する術を持っていたからだ。
「クオリオ少年! 言われた通り、"アレ"をテントの反対側に措いたぞ」
「ありがとうございます、マーカスさん!すいません、本来ならば民間人の貴方に協力してもらって⋯⋯」
「手が足りてない事くらい見れば分かるからな。良いってことさ。だが舞台上の殺陣ならともかく、魔獣の相手は流石に無理だからな。後は本物のナイト達に任せるぞ!」
「はい!」
息を切らしながらも駆け付けたマーカス。彼の協力により、準備は整ったのだろう。爽やかな笑顔と共に劇場へと戻る貴公子の背を見届け、クオリオは懐をまさぐる。
取り出したのはのっぺりとした深緑色の仮面。凹凸の鋭い形状のソレをテントの正面入口へと置いた。
マーカスに設置して貰った裏口は、北側。
正面入口は南側。
挟んだ中心は円形状の劇場テント。
触媒たる儀式は十全。ならば後は唱えるだけである。
「『飾れ、飾れ、南北双面。神の抱擁、妨げる事なきように』」
詠唱と共に、南北の仮面の目に緑光が灯った。
クオリオからすれば、あくまで魔術による魔素反応に過ぎないのだろう。だがその光景は、さながら人ならざる意志が降りたかの様に神々しい。
「【エエカトルの神殿】」
完成したのは、緑属性の中級魔術。
劇場テントは四方一面の隙もなく、緑色の風壁によって包まれた。
「うわはっ、なにそれクオっち!劇場がすんごいことになってるけどー?!」
「⋯⋯風の結界だよ。これで生半可な魔獣は劇場に手を出せないはずだ」
「結界!なんか凄そうじゃん!」
真っ黒テントがたちまち緑色のドームに変わったからだろう。鉄棍を振り回しながらはしゃぐシャム。そんな場合でもないだろうに。
案の定、鉄棍をくぐり抜けた魔獣が一匹、劇場へと詰め寄る。しかしクオリオの表情には焦りなど微塵も浮かんでいない。
「なんかじゃない。実際凄いんだ」
【keeae?!】
「⋯⋯ご覧の通り、並の魔獣程度じゃ話にならないからね」
焦る必要などないのだ。
低級魔獣が手を伸ばしたとて、触れることなど叶わず。どころか暴風に吹かれたように、魔獣は大きく弾かれた。
中級の緑魔術『エエカトルの神殿』。
触媒もしっかりと整えたこの魔術さえあれば、脆弱なテントとて難攻不落の砦に早変わりなのだと、クオリオは自身の魔術の出来に胸を張ったのだが。
「うわっ、ドヤ顔うざいなぁ」
「うざっ!?」
まさかの冷たい一言であった。
「ここぞとばかりに眼鏡クイクイッて。うざだろ。もうウザリオだよ。やーいウザリオっちー!」
「な、い、い、良いだろうが別に! 言っておくが、これは中級魔術とはいえ展開にも持続にも相当の苦労があるんだ!ぼ、僕の集中を乱さないでくれ!」
「へいへいへーい」
「真面目に!」
「⋯⋯真面目にするのは貴様らだ。少しは緊張感を保たぬか」
僕はふざけてるつもり無いのに。シドウからの叱咤に、クオリオは珍しく年相応にむくれる。
しかし実際、クオリオの打った一手は状況の悪化を食い止める改心である。劇場テントの外周をぐるりと囲う風結界は、もはや魔獣の侵入を許さない。
「にゃはァァァァ!!!」
「疾──!」
「『叩け、叩け、雷鼓の芯。咲けや咲けよや、緑の雷花』⋯⋯『ハオカーの招雷』」
緊張感は大事とはいえ、心理的な余裕が生まれるのは当然だろう。戦場は防衛戦から掃討戦へと移り変わったのだ。憂いを薄めて勢いを増す前衛二人の暴れっぷりがその証だ。
エエカトルの神殿を発動しているが為に、添える程度の魔術を放つクオリオにさえ、次第に気掛かりへと思考を裂くゆとりが出来ていた。
(ヒイロ達は⋯⋯ローズ・カーマインを捕らえたんだろうか)
思い浮かべたのは別働隊の面々と、此度の騒ぎの主犯である。
(彼女が所有していたあの"ワイン"⋯⋯あれは結局なんなんだ。あの異常な魔素反応。あれを人間が呑んだら、どんな変化が起きるのか分かったものじゃない。けれど)
なにをもってあのローズ・カーマインが凶行に及ぼうとしたのか。それも気になる。しかし有名な劇演者故に尊敬の念を送る彼女の背景以上に⋯⋯用いられた『凶器』こそ、クオリオの興味は傾いていた。
(人間に。いや、いきなり人間にじゃなくとも、実験用の鼠から始めて、変を観察して、経過を観察し、徐々に実験対象を大きく────、⋯⋯⋯⋯っ。なにを馬鹿な。僕は、何を考えてるんだっ!)
積み上げてきた知識の棚が、ろくでもない結果になると訴えているのに。知識の泉の奥底が、"だからこそ確かめたい"と手を伸ばしているような感覚。
危険な探求心が背筋を舐めずる。唾棄すべき思考だ。まともじゃない。自分の中にある冷酷な欲望を振り払うように、クオリオは頭を振った。
その時だった。
「うっ。い、いやはやこれはこれは。これでは中に入れぬではありませんか⋯⋯困りましたなぁ」
「⋯⋯な!? は、ハボック町長!」
我に帰ったクオリオの間隙を縫うように現れたのは、ハボック町長であった。
「ど、どうして此処に?」
「え、ええとですな、少しばかり忘れ物を取りに。そうして戻った所、どうも劇場が封鎖されてしまっておりましてな。は、はは」
「忘れ物って⋯⋯」
クオリオは唖然と呟いた。どうやらこの町長、非常時にも関わらず避難よりも先になにかを優先したらしい。
結果、風結界を前に立ち往生を余儀なくされたのだと。
「ん。あの、町長が抱えているその『壺』⋯⋯まさか忘れ物とは、それのことですか?」
なんとも本末転倒な話だと呆れるクオリオの目は、優先されたであろう物品を見逃さない。
町長の腕の中にあったのは、漆色の壺であった。
骨董に詳しくもないクオリオだが、塗り肌が普通のものより上等な事は分かる。ひょっとしたら名のしれた逸品なのかも知れない。それでも危険を承知で取りにいくほどの物とは思えなかった。
「え、ええ。我が町に代々伝わる秘蔵の品でありまして、ええ。それはもう何よりも代え難く⋯⋯」
「命より代が利くものもないでしょう」
「う、ぐ。は、はは⋯⋯き、騎士殿。おっしゃる事はごもっともですが、この場でこれ以上問答をしてる場合ではありますまい! 私も中へと避難させていただきたいっ!さあ!さあっ!」
痛いところを突かれたからだろう。語気を苛立たせながら呑気な事を言うハボックに、クオリオは嘆息した。
風結界はそう簡単に張れる物じゃない。魔素消費だって激しいし、また展開するには骨が折れる。
少なくとも一度魔獣達の一波を押し返してからだろうと、クオリオは口を開きかけたが。
【rehnnnnn!!!!】
「っ!?」
言葉を奪ったのは、一筋の光であった。
奇妙なる馬の
「結界に、穴が⋯⋯」
並大抵の魔獣では触れることも叶わない風の壁に、槍の柄ほどの孔が空いていたのである。
しかし。クオリオの目に映った驚愕すべき事柄は、それだけに収まってくれず。
「──あら。せっかくの再会だというのに、もう行って仕舞われる気ですの? ハボック町長はつれないのね?」
「⋯⋯!」
混乱の嵐の中、歌劇のような足取りで現れたのは。
白と黒の大馬を引き連れし──
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拝啓女神様へ。どうも貴女にモブにされた者です。原作シナリオぶっ壊すついでにこちらの鬱ゲーの主人公、俺のヒロインにしますけど構いませんね? 歌うたい @Utautai_lila-lion
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