097 秘奥の灼炎剣
身震いするほどの寒々しさを覚えたのは、雨に濡れたせいじゃなかった。
「よくぞ突き止め防いでみせたな、騎士団の諸君。よもやこうも覆るとは。やはり生の大地を舞台とするには劇のそれとは勝手が違うらしい」
「ど、ドルド劇団長。どうしてあなたが此処に?」
「⋯⋯突き止めた、ね。ハッ、口数少ない男と思えば、いかにもそれらしく舌が回るじゃない。実はアンタが主犯でしたって白状するつもり?」
いよいよ大詰めと言うべきタイミングで現れたドルド劇団長。その語り口。軽薄な暗い笑み。どう考えても歓迎するべき登場とは言い難くて。
シュラも同じ様に思ったんだろう。警戒を露わに問い質せば、劇団長は呆気なく頷いてみせた。
「主犯か。なるほど確かに、あの『神の毒』は⋯⋯僭越ながらこの私が用意した」
「神の毒だァ? ずいぶん仰々しい名前してやがんなオイ」
「アレは特別製でね。人の身を魔に狂う獣へと堕とす代物だ。なれば相応の名は必要だろう?」
「人を獣にって、まさかっ⋯⋯あ、あなたはなんてものを!」
つまり、飲んだら魔獣になってしまうワインってことかよ。なんつうふざけた代物を。リャムの狼狽ももっともだ。
そんな代物を自分が用意したのだと告げる劇団長の冷たい笑みに、通う血がスッと冷たくなった。
「だが『主犯』という部分は否定させていただこう。私はあくまで幕の向こうに過ぎないさ。何故ならばこれは哀れな女の復讐劇。故に主演たるべきは私ではなく、"魔女"であり⋯⋯復讐劇はまだ終わってなどいないのさ」
【rehnnn,,rehnnn,,】
【hikiiim,,,,】
「「「!」」」
カーテンコールにはまだ早い。
パチンと響いたフィンガースナップと同時に、どこに潜んでいたのか検討もつかない魔獣の群れが、木々の奥から顔を出す。
その中でも特に異彩を放っていたのは、二匹の馬の魔獣だった。
片方は白馬。首元に襟巻トカゲのような傘があり、その傘は孔雀の羽のような模様になっていた。
もう片方は黒馬。魚類の鱗を身に纏っており、鱗の間から雨とは別の真っ黒い水を常に放出していた。
襟巻き白馬と魚鱗の黒馬。二匹のコントラストはまるでローズを守る騎士の様に、俺達の前へと立ち塞がる。
「私からのプレゼントだ、復讐の魔女よ。思う存分、ジオーサを蹂躙したまえ」
「劇団長、貴方は⋯⋯」
「よもや今更躊躇いなどなかろうね。君の憎しみはこの雨如きで消えるものではないはずだ。そうだろう?」
「っっ、貴方に言われるまでもないわよ⋯⋯!」
温度の無い劇団長の声。
けれども背を押すにはそれだけで充分だったのか、すぐさまローズはベルを鳴らしながら、襟巻き白馬の方へと
「待ちやが──」
【gruuu!!!】
【syaaaqh,,】
「クソッ、邪魔すんじゃねえ!」
みすみす行かせる訳にはいかない。
だが
「ローズ!」
「⋯⋯私は、止まれないのよ」
鋭く制止を叫んでも、憎しみを再燃させたローズには届かない。一度だけ振り向いた女の顔が、雨の向こうに消えていく。
「さあ、君達も励むが良い。言っておくが、既に町の方にも魔獣の群れが襲い掛かっている。急がねばせっかく防いだ努力も全て水の泡だぞ?」
「テメェ⋯⋯!」
降りるはずだった幕を強引に荒らし、容赦のない続行へと押し進めた。あまつさえ既にジオーサにも魔獣を向かわせ、惨劇の到来を嬉々として望んでいるらしい。
どうしてそんな事が出来るのか。そもそもコイツの目的もローズと同じなのか。
何もかもが不透明過ぎるのに、黒く淀んだ劇団長の悪意だけが、はっきりと肌を刺す。
「私の舞台を邪魔してくれた御礼だ。是非とも楽しんでくれたまえ、"羽虫くん"──クハハハハハッッ!!」
けれど俺の疑問に答えるつもりもないと、劇団長は背を向ける。さながら観客席に戻るかのように、軽やかに。
そして
◆
打って変わって、状況は悪化していた。
【sybjkqsvakk!!!】
「ぐぬ、調子づいてんなよ雑魚が!オラァ!」
【xaxaxaxayyyy!!】
「っ、ハァァァァァ!!」
【riririreeeee!!】
【gobuuuuuu!!!】
【syaxoooo!!!】
「二人共離れてくださいっ!
『歌え、歌え、青き水面よ──ウィンディーネの詩』!」
寄って集って襲い来る魔獣達を、殴り飛ばし、斬り捨て、青き水流でまとめて葬る。
雨の影響でカラーバランスが青に偏っているからか、リャムの放つ魔術は下級ながらも強力な広範囲攻撃と化していた。
それでも一網打尽とはいかない。黒灰となった骸の奥から、まだぞろと魔獣の波が押し寄せる。
「クソッ、キリがねえ! どんだけ居やがんだよ!」
「有象無象とはいえ、鬱陶しいわね。こっちは先を急いでるってのに!」
「これだけの数、一体どうやって⋯⋯」
とんだ置き土産をしてくれたもんだと、歯噛みする暇もない。多種多様の魔獣の群れ。一匹一匹は大した力がなくても、数の暴力は簡単に振り払えるもんじゃなかった。
「ちくしょうがっ。大体なんなんだあの野郎! ジオーサにも魔獣を向けたっつってたが、なんでたかだか劇団の長がそんな真似出来んだよ!」
「知らないわよ。でも只者じゃあないんでしょうね、ずいぶん暗躍してくれてたみたいだし。それに、ローズの持っていたベルも気になるわ。あれで魔獣を操っていたようにも見えたけど⋯⋯」
「あの人が何者なのかは確かに気になります⋯⋯けど今は急いで姉さん達と合流しないとっ。姉さん達も今、魔獣達に襲われて必死に防衛してるみたいですので!」
「マジかよ。分かんのか、リャム」
「え。あ。はい。か、勘ですけどっ!」
「⋯⋯勘か。チッ、だが確かにあの野郎の口振り。ハッタリとは思えねえしな」
ちょっとした追求に慌てるリャムの反応も気になるが、それよりもクオリオ達の方が気掛かりだ。
万が一の為に全員でローズを追わず、小隊の半数を町に残したシドウ隊長の判断は正しい。しかし向こうの状況も悪化の一途を辿ってるはずだ。
そう不安を抱かせる根拠は、ローズと共に去ったあの二頭の馬の存在だった。
(あの二頭の馬、明らかにヤバそうだった。コルギ村の
傾いた盤面を戻す為には、一刻も早い合流が不可欠。
しかしそれにはどうしたって魔獣達が邪魔になる。
凶悪を振り回しながらもどうにか打開策を考えるが、上手い手段は降って沸いちゃくれない。焦りばかりが募るだけ。
そんな焦燥に駆られて、雨粒とは別の冷たい雫が、俺の額から伝い落ちた時だった。
「──ヒイロ。アンタはリャムを連れてジオーサに行きなさい」
「あァ!?」
シュラが、俺達の一歩前へと踏み出した。
「どういうつもりだ、テメェ」
「ふん。こうするしかないでしょ。さっきの二頭の馬の魔獣はモノが違った。いくらシャム達でも、魔獣の群れに加えてあの二頭を相手にするのは厳しいはずよ。だから、此処はアタシが引き受ける」
「で、でも、一人でこの数を相手にするつもりですか? い、いくらシュラさんでも無茶ですよ⋯⋯!」
「ナメんじゃないわよ。これしきの数で、どうにかなるアタシじゃない。それに──」
そこで一度、言葉を区切って。
背中越しに、灰色の乙女が笑った気がした。
「ヒイロ」
「あァ?」
「知ってる? ああいう思い詰めた女にはね⋯⋯アンタみたいな馬鹿の思い切りが、一番良く効くみたいよ」
「⋯⋯!」
だから、さっさとこの場をアタシに預けて。
あの女を止めに行け。
復讐劇とやらをぶち壊してこい。
爛々と燃えるシュラの目が、そう雄弁に語っていたから。
「⋯⋯任せんぞ」
「⋯⋯任されてやるわよ」
互いに、託し、託された。
もうこれ以上の問答は要らない。
「『我が脚に空渡る銀の
脚に早駆けの翼を施し、戸惑うリャムを無理矢理担いで。
雨霧の中、俺は駆け出したのだった。
◆ ◆ ◆
「アンタこそ、ちゃんとやんなさいよね」
零した呟きに、答える声はない。
否、答えて貰っては困るのだ。
互いに託し、託された。ならば、後は真っ直ぐで良い。
【riririreeeee,,,】
【gururu,,,,】
【syaxoo,,,syaxoooo!!!】
代わりとばかりに木霊する、黒き魔獣の群れの声。
だが。勘違いをしてはいけない。
彼女は確かに託された。無論、応えるつもりである。
しかし、そこに決死の覚悟はない。
目の前の有象無象如きでは、アッシュ・ヴァルキュリアたる彼女にそれだけの覚悟を抱かせるには至らない。
だから、言うなればこれは⋯⋯"発散"である。
あの日。
あのコルギ村の孤児院で
以降ずっと燻らせ続けた火種を、ようやく試す機会でもあったのだ。
《────》
「⋯⋯ああもう、さっきから人の頭ん中で、うるっさいわね⋯⋯!」
《────》
「ったく、分かったわよ。そんなに喚んで欲しけりゃ喚んでやるわよ⋯⋯だから!」
「 咲きなさい。万象灰せし紅蓮の刃華!
灼炎の剣──【レーヴァテイン】ッッッ!!」
雨の中、紅焔が咲いた。
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