ほんのりあったか湯たんぽ

風と空

第1話 「湯たんぽ屋」


 ガチャッバタンッ…


「う〜… 寒くなって来たなぁ… お!やっぱりここはあったけえな」


 客の一人が飛び込んで来たこの店。

 名前を「湯たんぽ屋」という。


 この国ファッジール国では珍しい、大衆向けの風呂屋である。


「ディグさん、いらっしゃいませ!」


「よお!なっちゃん。相変わらずちっこくて可愛いな」


「へへへ… はーい、タオルだよ。また使ったらいつものところに入れといてね」


 客の一人は常連のディグという男。いつもの様に、この店の次女ナツ(7)の出迎えを受けて、タオルを持って脱衣所へ向かう。


 この店は、いつでも誰でも入れる様にタオルの貸し出しサービスをしている。ふわふわで気持ちいい素材で、この辺の庶民では手に入らない物である。


 ディグが脱衣所に入って行くと、掃除中の長男タク(15)が出迎える。


「今日も一番だね!ディグさん。今日の成果はどうだった?」


「今日はゴブリン討伐でよ。簡単なもんだったが見ての通りさ。今日もタクに頼もうと思ってな」


「任せてよ!ディグさんはゆっくり浸かって来て。上がる頃には終わってるから」


「ああ、ホラ先払いの銀貨一枚」


「毎度!」


 この「湯たんぽ屋」客がお風呂に入っている間に、汚れを落とす「クリーニング」というサービスがある。鎧から下着までなんでも出せるが利用するなら銀貨一枚だ。


 この国の通貨は、銅貨 約百円、銀貨 約千円、金貨 約一万円、白金貨 約十万… 上にはまだ通貨の単位はあるが、この店では滅多に金貨も扱わないので、これでいいだろう。


 ところでこのディグという男。どうやら冒険者という職業についているらしい。冒険者は冒険者ギルドという所で依頼を受け、依頼を果たして日によって稼ぎが違うシビアな職業だ。


 だがこの男、毎日タクの「クリーニング」を利用する程の腕は持っているらしい。因みに、この店は入浴だけで、銅貨三枚。クリーニング込みで銀貨一枚だ。


 大概この辺りの住民はニ、三日に一度入浴に、三、四日に一度クリーニングを頼むついでに入りにくるのが普通だ。


 だがディグは毎日この店に入りにくる。それだけの理由が此処にはある。


 そのひとつが…


 ガラララ… 引き戸を開けると、ほわっとした暖かい空気が裸になったディグを包む。


 手前に洗い場が五つ、壁に沿って作られている。奥には10人は余裕で入れる大きな浴槽に、たっぷりお湯が入っており、お湯が洗い場まで流れてきている。


 そう、この店の特徴は、掛け流しの温泉が常に浴槽に注がれている事だ。


 ファッジール国の水源は井戸である。その国でこれだけの水、しかもお湯が出るには理由がある。


「おお、ディグかい。今日もよう来たの」


 湯船に浸かりながら、ディグに声をかける老人、幸次郎(89)の〈温泉〉というスキルの恩恵だ。


 そう、此処「湯たんぽ屋」の職員(家族)全員にスキルがある。


 ナツには〈ネットスーパー〉スキル、タクには〈クリーニング〉スキル、幸次郎には〈温泉〉スキルがある。


 実はこの家族は一年前に「湯たんぽ屋」の建物ごと、このファッジール国に転移をして来たのである。


 そしてなぜか一人一人にスキルが付随されていた。来た当初は混乱や問題の山積みだったが、一年もするとなんとかこの地に慣れて、家族のスキルの操作も慣れ、「湯たんぽ屋」の再開に漕ぎ着けたのだ。


「よう、コージロー。今日もいい湯をありがとな」


「ほっほっほ。ゆっくり浸かって疲れを取っておくれ」


「ああ、ありがとな。まず身体洗ってからだがな」


 慣れた様に洗い場に向かい、蛇口からお湯を出す。桶の中にお湯が溜まったら、顔を洗い、頭からお湯をかぶる。


 洗い場には石鹸、シャンプー、リンスが各容器に入っていて、ディグはシャンプーを手に取り、髪を洗い始める。


「ほっほ。慣れたもんじゃのう」


「初めて来た時に、コージローに親切に教えてもらったからな。今じゃ、討伐の後は洗わねえと気がすまん」


「そうじゃろ、そうじゃろ。お、そろそろワシは出るが、ゆっくり入ってくるんじゃよ」


「ああ、そうさせて貰うよ。気をつけて出ろよ」


 髪の泡を流し幸次郎に声をかける。「ほっほ」とゆっくりとした動作で脱衣所に戻る幸次郎を確認し、ディグも身体の汚れを落として、湯船に浸かる。


「ふう〜… 」


 少し冷えていた身体が指先まであったまり、思わず声が出る。目を閉じ、程よい温度でじっくり温まってから、湯船から出て脱衣所に向かう。


 ガラララ…


 脱衣所には、下着姿で木の長椅子に座る幸次郎と、ちょうどディグの装備と着替え一式を持ったタクがいた。


「相変わらず、いいタイミングだな。タク」


「じいちゃんが教えてくれるからね。ディグさん、紫乃姉さんが今日は寄ってくのか聞いてたけど、どうする?」


「おお、シノさん今日居るのか!必ず寄ると伝えてくれ!」


「わかった。じゃ、装備はカゴに入れたままにするよ。はい、果実水」


 タクから木のコップに入った果実水を受け取り、一気に飲む。


「プハァッ!これが美味いんだが、エールの方が嬉しいんだがな」


「それは母さんのところに寄ってよ」


「わかってるって」


 コップをタクに返し、着替えながら返事をするが、思いはもう紫乃の方へ向いているディグ。


 紫乃はこの家の長女。スキル「癒しの手」を持つ。普段は王宮の一室で王族や貴族を相手に仕事をしている。休みの日には家に帰ってきて、サービスで入浴したお客にマッサージを施す。


 長く綺麗な黒髪の女性らしい身体付きに、穏やかで常に笑顔の紫乃は、此処でも王宮でも人気がある。ディグも紫乃を好いている一人だ。


 ディグは装備を片手に急いで脱衣所を出る。「湯たんぽ屋」には脱衣所を出て右側に紫乃専用の施術部屋がある。長ベッドに木の長椅子があり、そこに髪を一本に縛った紫乃(18)が笑顔で待っていた。


「ディグさん、いらっしゃいませ」


「シノさん!帰ってきていたんですね!また頼みます!」


「ええ、勿論。さあ、ベッドにうつ伏せになって下さいね」


 紫乃相手には、ディグも敬語を使って話している。好いた相手には良く見られたい男の一心だ。


 ディグがうつ伏せになると、紫乃は服越しに施術を始める。

 紫乃の手が穏やかに光り、ゆっくりディグの首、肩、背中、腰と触っていく。


 触った所から、ほんのり暖かくなり、収縮していた筋肉が程よく解されて行く感覚は、何とも気持ちの良いもの。いつも気付けば寝てしまっている。


 施術はゆっくり行っても5分。だが、ディグにとっては至高の時間。あっという間に終わり、トントンと紫乃に肩を叩かれ起こされるまでが、一連の出来事だ。


「ディグさん、ディグさん。終わりましたよ」


 微笑む紫乃に起こされ、これまた嬉しいディグ。だが、長椅子にはもう既に二人の男が待っていた。


 もう少し側にいたかったが、しぶしぶ起き上がり紫乃に感謝して装備を装着し、その場を離れる。


「今日こそもっと話をしようと思ったんだがなぁ… 」


 頭をがりがり掻きながら、ディグが向かうのは施術室とは反対の「湯たんぽ屋」の左側。


「ディグさん、施術終わった?」


 穏やかな笑顔で迎えるのは、この「湯たんぽ屋」の女将の祥子(42)。祥子は銭湯の仕事の傍ら、小さな居酒屋を開いている。


 カウンター席四つに、テーブル席二つの小さな居酒屋はいつも満員になる程混み合う繁盛店だ。


 祥子が持っているスキルは〈調理師〉

 出てくる料理は常に味が最上のもの。これを食べたら中々他では食べられない為、予約制だ。


 ディグは毎日予約をしていて此処でも常連だ。


 いつものお決まりのカウンター席に着くと、祥子がエールをトンと置く。


「今日もおススメでいい?ディグさん」


「ああ、頼むよ」


 笑顔の祥子から渡された物は、お通しの「茹で野菜の胡麻和え」と「トンカツ」だ。


「今日はオークの肉が安かったの。だからディグさんの好きなトンカツにしてみたわ」


「うおっ!ありがてえ。この「トンカツ」って料理にこの「ソース」が美味えんだよなぁ」


 早速受け取って、ソースをかける。サクッとした食感に噛み締めると出てくる肉汁。甘辛いソースが混ざって濃厚な味わいとなる。


 その様子をにこにこしながら見る祥子にも癒されながら、エールと共に食べ進める。


 徐々に集まる予約客、「いらっしゃいませ」という祥子の声や調理場から聞こえる調理の音を肴に、ディグは静かに飲むのを好む。


 祥子はそれを知っているが、タイミングよく声をかけ、会話を促し、食事の場を明るくする。誰かと共に食べると、より美味しく感じるからだ。


 そんな雰囲気が毎日ディグが足を運ぶ理由の一つである。


「ご馳走さん」


 食べ終わった後に言う感謝の言葉だ、と祥子に教えられてからディグはこの言葉を言うようになった。代金の銀貨二枚をカウンターに置いて、「はーい、ありがとう」という祥子の明るい声でその場を後にする。


 入り口に向かうと、丁度ガチャッと扉が開いた。


「お!ディグさん。今日もきてくれてありがとう。祥子さーん、お腹すいたよ」


「はーい。お帰りなさい」


 どんなに忙しくても必ず迎えにでる祥子。この「湯たんぽ屋」の代表者兼王宮務めの賢一(43)が帰って来た。


「何だい、ケンイチ。今日も残業か?」


「そうなんだよ。まーたヴァルデさんに押し付けられちゃってね。参ったよ」


 この、一見人の良さそうな男賢一のスキルは〈高速並列思考〉だ。元々弁護士の資格を持っていたが、この世界に来てそのスキルで更に磨きがかかり、今じゃ王宮の宰相代理までの地位にいる。


「湯たんぽ屋」が、大衆の「湯たんぽ屋」であり続けていられる理由は、この男の尽力の賜物だ。


 そしてこの「湯たんぽ屋」の魅力は家族の仲の良さにある。

 帰ってきた父をみんなで迎え、労い、共に過ごす。お客と共に、笑い合うこの雰囲気が、店全体に広がっている。


 ディグが一番好きな瞬間だ。


 この雰囲気を噛み締めて、宿に戻る。


 それは湯たんぽの様にほんのりじんわり周りを暖かくする。


「湯たんぽ屋」は今日もお客様を温めながら営業中。


 ー終わりー

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

ほんのりあったか湯たんぽ 風と空 @ron115

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ