銀髪とオッドアイ

 ユルゲンはグラーエに向かって笑いかけるなり、片手の剣を投げつけた。グラーエは身をひるがえし、ファフニールが鼻先で剣を弾き飛ばした。

「何の真似だ」

 しかしグラーエの言葉はそれ以上続かない。ユルゲンの隣にいたエマが消えている。グラーエは素早く周囲を見回すが、エマの姿はない。

「どこに行った?」

 その時、グラーエの背後にあった建物の鐘楼から小さな音が響いた。間髪入れずファフニールが上体をひねる。その首筋近くを何かがかすって音を立てた。

「惜しい、気づかれたか」

 銀糸の余韻を残像のように残しながらファフニールの前に着地したのは、他ならないエマだった。片手にユルゲンの剣を握っている。

「あそこまで跳躍したのか⁉︎」

 グラーエは高層の鐘楼を見上げる。

「うん」

 エマは裾についた砂を払いながら、こともなさそうにうなずいた。

「グラーエさんは見物人に被害が出ないようにしてるもんね。それなら剣を人のいないところにはね返すと思ったから、建物の方に跳んだんだ」

 ユルゲンがうなずいて後を続ける。

「そして空中で剣を取り、鐘楼の壁を足場にしつつファフニールの首に狙いをつけてもう一度跳んだ」

「そんな芸当が……」

「別に不思議でもないですよ。カリヨンなら、ね」

 グラーエはぎりっと奥歯を噛んだ。

「貴様ら……。わかってるだろう、カリヨンと人体を合成するのは俺たち人形使い最大の禁忌タブーだと」

 ユルゲンは苦笑した。

「もちろん。そして古来それが破られ続けていることも。失敗という形でね」

「お前たちはそれを成功させたというのか」

「今のところは、です。これからどうなるのか、それは俺にもエマにもわからない」

 足元を見つめてユルゲンは答え、それしかなかったんだと小さくつぶやいた。

「なるほど、お前たちにも何か事情はありそうだな。だが、だからといって素直に捕まるつもりもない」

 グラーエの言葉に応じるように、ファフニールがゆっくりと動き出す。

「そのエマって嬢ちゃんが戦うつもりなら、ファフニールは応戦する。嬢ちゃんが死ぬことになってもな」

「それは立場の違いです。仕方ありません」

「そうか」

 次の瞬間、ファフニールの尾がエマのいた場所をなぎ払った。しかしそれより先にエマは跳躍している。

「速さではこっちが上だよ」

 空中からエマの声が降ってくる。

「そうさな」

 だがグラーエも余裕の表情でエマを見上げた。

「気をつけろ!」

 ユルゲンが叫んだのと同時にファフニールの口から何かが飛び出し、エマの足に絡みついた。細いが頑丈そうな鎖だ。

「あ、ヤバっ」

 エマの表情が変わった。素早く鎖に手をかけるが、それ以上何かをする前にファフニールが首を大きく振った。エマの小さな身体は激しく地面に叩きつけられた。

「エマ!」

 ユルゲンが駆け寄る。

「だ、大丈夫」

 地面に四つん這いになった姿のエマが答えた。服を通してもわかるほど、両腕、両足と胴体の間に不自然なずれがある。が、小さな擦過音と共にずれはすぐに直った。

「駐退複座機か⁉︎」

 半ば呆れ、半ばは感心した表情でグラーエが言う。

 駐退複座機とは帝国でも最新鋭の工業技術で、ごく簡単にいえば衝撃吸収のための機構である。エマの四肢はこの駐退複座機を介して胴体と繋がっている。その仕組みが、生身の人間なら耐えられない物理攻撃への防御や大跳躍を可能とするのだ。

「信じられん……こんな小さな身体に」

「驚いてるヒマはないよ」

 足にかかった鎖を外したエマが駆け出した。服の裾をひるがえしてあっという間にファフニールの真下に来ると、勢いをつけ真上に跳び上がる。一瞬遅れてファフニールが体を引いたが間に合わなかった。エマの剣が直撃し、首の近くの鉄板が半分ちぎれる。金属的な唸りを上げながら龍の首が徐々に傾いで、あるところで急激に力を失って落下した。

 龍は砂煙を上げて石畳に崩れ、わずかに首を振ってから動きを止めた。

「ファフニール!」

 グラーエは横倒しになった頭部を呆然と見つめている。

「そうだ、受言したのこの場面だ。成就したよ……おっと」

 地面に降り立ったエマが歩こうとして、上体が揺れた。

「やっちゃった。負荷がかかり過ぎた」 

 エマの左足を、赤黒い油が一筋流れ落ちていく。

「エマ、歩くな!」

 ユルゲンが走り寄ってエマの背中に手を回し、横抱きにして抱え上げた。

「わ、やめてよ。重いよ」

 エマはユルゲンの腕の中で赤くなってうつむく。

「重くない」

 ユルゲンは目を閉じた。

 エマと触れている箇所から何かが流れこみ、損傷した部分とその程度がまぶたの裏に映る。左の大腿基部の油圧シリンダーにひびが入っていた。ユルゲンは力を逆流させ、応急的にひび割れをふさぎ、ピストンを固定する。

「よし、これで立てる。多少左足がぎくしゃくするだろうけど、歩くだけなら問題ない」

 身体をゆっくりと地面に下ろす。エマが歩き回ると、左足は何事もなかったように動いた。

「さすがユルゲン」

「傷が単純だったんだよ。でも帰ったらきっちり修理しないとな」

「待て」

 後ろから声がした。グラーエである。ユルゲンは振り返った。

「もう勝負はつきましたよ。後は技術院に任せます。アルマさん、いつまで寝てるんですか」

「え? あ、うん……」

 エマとファフニールの戦いの間中地面にのびていたアルマが、頭を押さえながら立ち上がった。

「相手のカリヨン破壊分と、エマの修理代は追加料金をいただきますよ」

「うん、えっ? ああ、あれ?」

「待てと言ってる」

 まったく状況を理解していないアルマを無視してグラーエは告げた。

「まだやる気?」

 エマが剣を構えると、グラーエは頭を振った。

「いや、勝負は俺の負けだ。おとなしくお縄につくよ」

「じゃあ何ですか」

 ユルゲンがいぶかしげに聞く。

「落ちぶれちゃあいるが、俺も人形使いとしては一廉だって自負があった。それを打ち砕いてくれたあんたの名を聞かせてくれ」

 ユルゲンは大きなため息をつき、エマから受け取った剣を鞘に戻しながら答えた。

「ユルゲン・ブルーメです」

 グラーエは目を丸くした。

「ほう! あんたが技術院創設以来最良の技術者エンジニアといわれた銀髪のブルーメジルバー・ブルーメか」

「そのあだ名は恥ずかしいからやめてください」

 ユルゲンは本当に恥ずかしそうに頰を赤らめる。そこにエマが割りこんできた。

「僕はエメリヒ・クローデル」

「エメリヒ?」

 グラーエの目がさらにまん丸になった。エメリヒは男の名である。

「うん。僕、男だけど」

 エマは両足を開いて仁王立ちになると、最高に可愛らしい笑顔を浮かべた。

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人形使いと半人形のあやなす事件簿 小此木センウ @KP20k

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