新しい私

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新しい私

『私』は今年短大を卒業した。何も変わり映えをしなかった生活にこれでようやくピリオドを打つ。


同級生たちはそれぞれ就職、若しくはまた新しく学び直す為それぞれの人生の岐路を進んだ。かくいう私も自分の想いを果たすために上京することに決めた。


仕事は、インターネット配信サービスなどのメディア、物販、イベントに人材を派遣するサービス会社。家族にはそう話してある。

派遣会社ではない。

会社からはお給料を貰いながら、会社の人と現場に行き、そこで働くのだ。具体的に説明しようと思えばいくらでもできるが、敢えて無理に理解を求めるつもりはない。

業界には様々な序列がある。専属、単体、企画。私は、『専属』という立場での就職デビューが決まっている。『専属』は序列でいうと一番上になる。しかも、派遣される会社は業界でも最大手になるのだ。私は双方に期待されている証でもある。これは面接時予想していなかったことでもある。


この仕事は肉体労働である。また、営業的なセンスも求められる。この2年間、いや私が新しい『私』になろうと決めたときからその覚悟はできていた。本当は高校を出てからそうするつもりだった。しかし、世の中、社会がそれをさせてくれなかった。それにはまず親の承諾が必要だったから。だから私は二十歳になるまで我慢した。


所謂進学校に通っていた私は周囲から、四年生大学へ進学しないことを不思議がられた。高校二年のときに、父からは短大へ進むことを猛烈に反対された。特に体面や面子を気にする父は、周囲から優秀と煽てられた私が自慢だったが、反面鬱陶しく感じられた。

私は私の人生のため、その期待を裏切った。そのために計画を練り、テストでは解ける問題をわざと間違えたりもした。そうして順調に適度に成績を落としてゆき、自分を本来の身の丈以下にした。進路の方向を地元の短大をギリギリのラインに持っていった。成績が落ちるたび、担任や進路指導の先生からの面談を受け、断るごとに心配された。特にいじめや嫌がらせにあってないかと言う質問は多かったがそんなもの、高校生活、否人生で一度も無く過ごして来た。


「これが今出せる私の実力です」


その度そう答えて逃げ切った。両親も心配していたが、そのうち何も言わなくなった。心内は気が気じゃなかっただろう。それについて謝るつもりはない。私の人生だもの。勉強以外は、努めて平静に不良ななるわけでもなく男女共々、誰とでも仲良く接した。

高校生になると、思春期という微妙な時期もあり、男子との距離が出来がちではあるが、私はそんなことなく男子たちとも仲良くコミュニケーションを取ることができた。


違う『私』になろうと決めたときから、私は普通の私を演じていたのだ。今思うと、これらは新しい『私』のための予行練習だったかもしれない。

そこまでする必要はあったのか、という疑念はないわけではない。そうでなくても、そういう人生を手に入れることはできるかもしれない。もう少し柔軟に考えても良かったかもしれないとも思う。そう思うとやや生真面目に考えすぎたのかもしれないし、それまで我慢の連続だった。


なぜ私が違う『私』になろうと思ったのか、それは家庭環境、特に自宅の作りが大きく影響していたと思う。言い忘れたが私には五歳年上の兄がいる。

私の家は亡くなった祖父が四十年前に建てた古い小さい家だ。それでも兄と私は各々部屋を充てがえられていた。丁度、両親の寝室と兄の部屋に挟まれるような形で私の部屋があった。

兄は学生時代、彼女を自室に連れ込んでいた。その彼女とは今でも付き合っている。今年の暮に結婚予定だ。そして、両親は今でも当時と変わらず新婚の様にとても仲が良い。


壁はお世辞にも厚いとは言えず、互いの生活音はよく聴こえた。そのお陰もあり、私のは比較的早かった。私の家族は迂闊だった。


就職活動はネットで求人を探した。写真と履歴書を送ると一件目の会社からすぐに面接をしたいと連絡が入った。

私にとって初めての東京の一人旅はその面接だった。 面接は社長自ら面接してくれた。最初は私も緊張して話しづらかったが、そのうち打ち解けて、話せるようになった。内容の殆どが身の上話だった。その後、簡単な身体検査があり、写真を撮られ、その場で内定契約が決まった。しかも、会社には住宅補助制度があり、会社名義のマンションに住まうことも決まった。私はその日に返事をし、帰郷してから家族へ報告した。福利厚生が充実していることは、両親も喜んだ。

その後、何度か打ち合わせの為に上京をした。その中で新しい名前を決めることになった。私が就職する業界では本名と違う名前が必要なのだ。中には必要もない人もいるかもしれないが、他人の事情は新しい名前が必要な私にとって関係がない話だ。

普通は会社が用意してくれたそうしてようやく新しい『私』になれるのだ。社長や会社の人に無理を言って自分で考えようと思った。会社もそれを了承してくれて、私は時間を貰い真剣に考えた。

紙にいくつも案を書いては消してを繰り返し、ようやく考え出した。

私はこうして違う『私』を手に入れる事になった。その後はきちんと短大を卒業して上京をし準備を整えた。


四月に入り最初の仕事をした。ベテランの男性が私のアシストをしてくれた。初めての現場はとても緊張し、緊張の余り泣き崩れてしまった。しかし、現場の人たちはとても親切だった。新人の『私』にこんなにも周囲がよくしてくれるという感動は今でも忘れられない。

緊張が解れてからはあっという間に仕事が終りその日の夕食はは職場の人たちに焼肉を食べに連れて行ってもらった。ひとつ、大きな山を越えた感触が私の中に残った。この現場なら、続けられそうだと。その後、業界紙に新人としての取材なども受けた。初めての現場での感想や業界への印象など様々な質問を浴びせられた。上手く答えられたかどうか分からないが私は一つ一つ一生懸命丁寧に答えたつもりだ。

初めての現場での成果は六月初旬に出る。その前の五月にはまた、違う現場が待っている。社長に云わせると二回目からが本番だというのだ。初めての仕事は、その初々しさから、皆大目に見る。真価が問われるのは二回目から。私はその言葉に身を引き締めた。

 新しい『私』には様々な人が尽力してくれていた。そして、今までの私を育ててくれた両親に皆に感謝しつつ、新しい『私』が皆に受け入れられるように頑張っていきたいと素直に思った。いつしかその頑張りは家族にも受け入れられると思う。そうなれるように祈りながら、これから『私』は古い私を脱ぎ捨てる。


新しい私 おわり

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