第4話「おはよう、なずな」

 そんな日々が続くこと1ヵ月。

 私は五条のあることが気になり始めた。


 五条は糞をするのだ。

 爪も伸びるのでカーペットや床は傷付ける。

 歩けば毛は抜け落ちる。


 信じられないことに、私は動物としてのさがにどこか面倒臭さを感じ始めていたのだ。


(なんで? 動物だった頃のなずなを飼ってた時は全然気にならなかったのに……)


 そんな時、元の飼い主から連絡が入った。ベッドでなずなと五条と遊んでいる時のことだった。


『額に切り傷のある雑種の猫を探しているという知らせを聞きました。その子、うちの子かもしれません』


 メールで、そういった旨の連絡である。

 私は五条を撫でた。


「良かったね、五条……」


 メールを返して数日後の朝方。ついにインターホンが鳴る。飼い主だろう。

 私はすぐに五条を抱え、玄関を開ける。


「どうも。保護猫を預かっていた者です」


 私は素直に自己紹介をした。玄関先にいたのは物腰柔らかそうな初老の女性だった。

 その女性は、私が抱えていた五条を見て「ジョナサン!」と顔をほころばせた。


「ジョナサンと言うんですね」


「はい。この目つきに額の傷。間違いありません」


 私は五条――もといジョナサンを女性に渡す。すると女性は頭を下げた。


「初めまして。わたくし斎藤と言います。この度はうちのジョナサンを預かってくださりありがとうございます」


「いえいえ。謝らないでください。これはして当たり前のことですから……」


 斎藤さんはそれを聞くと涙を流し始めた。


「もう本当に心配で仕方がありませんでした」


「そうでしたか――」


 私は斎藤さんを家に上げ、ジョナサンについて色々と話をした。

 私は早速に気になっていたことを聞く。


「その子の性別はどちらですか?」


「ジョナサンはオスです。わかりづらいですがね」


 ああ、そういえば電気猫には性別の区分がない。電気動物は生殖機能がないのでオスメスは見た目の違い以上の役割はない。


「額の傷については?」


「それはジョナサンが小さい頃、机から降りた時に転んで出来た傷ですよ。結構深くて、今も古傷として残っています。昔からやんちゃでねえ」


「ああ、それは大変でしたね」


「そうそう。でも大変なのはそれからなんです。この傷が原因で色々な感染症にも悩まされまして――」


 これも電気猫では気にならない。C・L・Cに連絡すればすぐに治してもらえるからだ。それに電気猫には病気の概念がない。


 話している間、私はジョナサンに対して抱いていた「冷め」の理由が分かり始めてきた。それは本物の猫と電気猫の違いだ。


 まず電気猫。科学技術の粋たるその結晶は、一重に人に癒しを与えるためだけに生み出された。もっと具体的に言うなら、手間は充電や点検だけだ。他の全ては愛でられることだけに特化している。

 一方で本物の猫はどうか。

 糞をする。爪が伸びるのでカーペットや床は傷付ける。歩けば毛は抜け落ちる。

 病気に罹る。実際罹ったら手間はかかるし、検査も欠かせない。そして死ぬ。

 それが生物としての当たり前の特性だ。今まではそんなことも気にはならなかったのだろう。

 しかし時代は変わった。C・L・Cが変えた。

 彼らは機械に「愛でられる」役割を与えた。それも動物の姿を取らせて。

 その時、本来のペットに対する考え方が変わった。例えばあの時の後輩のように。


 ――みかんのことは時々忘れてしまいます。反感を承知で言えば、どうでも良くなった。


 私は気付いた。唐突に気付いてしまったのだ。選択肢が増えたことが必ずしも良い結果を招くわけではないのだと。

 例えば近代以前。市民は食物を選り好みする暇がなかった。しかしそんな時代も終わった。産業革命を嚆矢とした大量生産、大量消費の時代である。

 この時、機械は食物を飽くなく作り始める。すると間もなくして市民に「飽食」の概念がもたらされる。

 この時、少なからぬ人間にある倫理が生み出された。


 ――不必要に動物を食べなくてもいいのではないか?


 ――人の都合で殺される動物がかわいそうだ。


 ――人は動物を搾取せずに生きるべきだ。


 飽食の時代が彼らの倫理的な選り好みのハードルを下げた。産業革命以降における菜食主義者やヴィーガンの出現である。しかし人工肉や人工野菜が大量生産されるまで、彼らの意見は蔑ろにされたという。

 一方、化学繊維を作れるアパレル業界はその思想と図らずも迎合した。

 化学繊維はそれまで動物などからしか取ることが出来なかった「毛皮」の役割を担ったからだ。するとワニ皮のバッグや狐の毛のマフラーなどは先進的な国や地域の順に「非人道的」として扱われ、消えてなくなった。


 動物に対する「冷め」も同じだ。

 電気動物の出現。それが本物の動物を飼うに当たっての手間を浮き彫りにした。それまで当たり前だった「手間」が、より愛だけでは埋め合わせられなくなった。

 この時、本物の動物がそばにいるという事実そのものが非日常として扱われるまで半世紀もかからなかったという。

 事実、今の動物園や水族館。本物の動物が出てくるサブカルチャー。これらは前時代的かつ非人道的とされた。これらを楽しむには法に触れる覚悟がいる。


 選択肢が増えると倫理が変わる。倫理が変わると認識が変わる。認識が変わると実践が変わる。

 その流れは私にも――。だからジョナサンの世話を面倒に感じたのだ。




 それから少しして玄関前。斎藤さんはジョナサンをケースに入れて言う。


「長いこと失礼しました。今日はジョナサンをありがとうございます」


「はい。私もジョナサンくんの飼い主さんが見つかって嬉しかったです」


 私は心から笑った。このままジョナサンを飼っていたら私はきっと――。

 すると別れ際、斎藤さんに声をかけられた。


「そういえば今日、ジョナサン以外の猫ちゃんが通ったような気がしました。私の気のせいでしょうか」


「なずなのことですか? なずなは眠っていますが」


「なずなちゃんですか。そのなずなちゃんは――。いえ、なんでもありません。つかぬことをお聞きしました」


 女性はそう言って頭を下げる。


「ごめんなさいね」


 その後、再びの挨拶の後、斎藤さんはジョナサンを連れて帰った。


 私は部屋に戻り、ベッドで眠っているなずなを撫でた。なずなは冷たい。

 本当に深い眠りだった。まるで死んでいるように。

 背中にある穴にコードを付け、ボタンを押す。

 少しするとなずなが起き上がる。大きなあくびをして。


 おはよう、なずな。






【挨拶&作者からのお願い】

 応援ありがとうございました。これにて完結となります。皆様の心を動かせましたらば作者としては幸いです。


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電気猫を飼ってみた コザクラ @kozakura2000

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