おまけ

家守の休日

 佐倉家の長女・銀子は、先ほどからテキパキ動き回る従弟を見ていった。


「……巳影、あんた、ちゃんと休んでる?」

「休んでるよ?」


 巳影は那智の濡れた髪を丹念にタオルで拭いながら返事をした。


「いや、休んでないでしょ。那智の――生きた人間のお世話係なんだから。休みなんてないわよね?」


「そんなことないよ。那智にうつるとまずいから、病気したときは休むし。

 仕事でどうしてもって時も休ませてもらってるし――那智、じっとしてろって」


 会話をしながらも、巳影の注意は常に自分の主人にある。

 銀子は休暇があるという巳影の返答を少しも信用しなかった。


「それは当然の権利でしょ!

 やむを得ない事情とかじゃなくて、有給とか趣味を楽しむ余暇はあるかって話よ」


「趣味を楽しむ余暇、ねえ……」


 巳影はドライヤーを手に取った。

 手櫛を使いながら丁寧に髪を乾かしていく。


「確かにないけど、これといった趣味もないし。いらないかな。

 ――那智、髪梳くから。櫛出して」


 こともなげにいう巳影に、銀子は左右に首をふった。

 銀子自身は今日、有給で休養中だ。定休日で明日も休みなので連休である。

 スマートフォンで趣味のページを開いて、英気を養っている真っ最中だ。


「いやいやいや。それはまずいでしょ。

 あんたのセリフは社畜よ、ワーカーホリックよ、ブラック企業社員の思考回路よ。

 ちゃんと休み取りなさい。明日はあたしが那智のお世話するから」


 巳影ははじめて手を止めて、銀子を見た。

 目をしばたかせる。


「銀姉、この連休はコスプレ衣装を仕上げるために家事の面倒がない便利な実家に帰ってきたんじゃなかったっけ?」


「そうだけど! 三百六十五日休みがない人間が目の前にいるのに遊び呆けてらんないわよ」


「気にしなくていいよ。

 確かに丸一日の休みはないけど、日々の中で休み取ってるし。

 勤め人してる銀姉に比べたら、自由度の高い毎日だよ。

 時間の使い方は融通利くし、職場の人間関係に煩わされることもないし」


 巳影の言葉に那智がうなずく。ツヤツヤとく髪がさらさら揺れた。


「うむうむ。おまけにかわいいご主人様と毎日一緒で、巳影は幸せ者だな」

「前言撤回。唯一の上司が尊大で傲慢でかわいくない性格だったわ」

「なんだとう!」


 那智はポカポカと迫力のない拳で自身の世話役の胸を叩いた。

 いつものやりとり、いつものスキンシップ。平和な光景だ。

 銀子はしばし傍観していたが、はっと我に返った。


「でもね、やっぱり問題だと思うのよ。あんたに好きに休める日がないってのは。

 思うに、あんたは趣味がないんじゃなくて趣味を持つ時間がないのよ」


「なくても、困ってないよ?」


「あんた一人に任せっぱなしなのも弊害あるし。

 あんたに何かあったとき代わりを務められる人間がいないと、那智が困るでしょ?」


 主語が自分でなく那智になると、巳影の態度が揺らいだ。


「まあ、確かに。俺ばっかり世話していたら、いざというとき那智が困るか。

 前は黄金おばさまやじいさまが代わりをしてくれたけど、今は二人ともいないもんなあ」


 全身さっぱりして上機嫌の那智の頭を、巳影はなでた。


「ちょいちょい弥生さんに那智の世話を頼むことはあるけど。

 キタリド様は奉っている家族がお世話をするのがスジだし。

 今後のためにも、一度銀姉に任せてみた方がいいかな。

 那智、どうだ? 明日は銀姉が家守でもいいか?」


 巳影が譲歩を示すと、銀子は身を乗り出した。


「那智、明日はゴスロリ衣装やかわいいミニスカポリスの服を着て、あたしとお嬢様ごっことか警察官ごっことかして遊びましょうね」


「ごっこ遊びか。久しぶりだな。楽しそうだ。いいぞ」


「銀姉、まさか那智をコスプレさせたいがためにいったの……?」


 銀子はコスプレ記事サイトを閉じて、スマートフォンを置いた。

 夕食が運ばれてきたので、座卓に就く。


「そんなわけないじゃない。あんたを気遣ってよ。私欲が全くないといえば嘘になるけど」


 佐倉家の家政婦・弥生が用意したのはニンニクがたっぷり入った餃子だ。

 添えられたラー油にも刻みニンニクが入っていて、食欲をそそる匂いが部屋に充満する。


 銀子は目を輝かせて箸を手に取ったが、無情にも皿は遠ざかった。

 巳影のしわざだ。


「弥生さん、銀姉のために作ってる締めの焦がしニンニクマシマシラーメンも俺が食べるので。銀姉には俺の夕食を出してください」


「ちょっと、何すんのよ! あたしの連休の楽しみを奪うなんて!」


 営業職に就いている銀子は、平素、口臭の強くなるものは控えている。

 好物のニンニク系料理は休日前だけのお楽しみだった。


「那智の世話するなら、こんな臭いきついもの食べたらダメだよ。

 ちょっとならいいけど、たくさんはダメ。那智、臭いにうるさいからね」


「ええっ、そんなあ」


 餃子を頬張る巳影を、銀子は羨望のまなざしで見つめた。

 口惜しそうにビールを開けるが、それも巳影に取り上げられる。


「酒もほどほどに。匂いが残るほど飲むと、那智が自分にも飲ませろってしつこいよ?」


 喉を鳴らして、巳影は没収したビールを飲む。

 銀子の表情が悲愴になった。


「あー、旨。久々にこんなニンニク効いたの食うわ。ビールが最高に合うね。

 ありがと銀姉。ってか、食べちゃったから、今晩からよろしく」


「……好きなだけ食べなさいよ」


 新たに運ばれてきたニンニク抜きの味気ない餃子を、銀子は烏龍茶で流し込んだ。


*****


 翌日、巳影は朝から家を追い出された。


「あんたがいるとつい頼っちゃうし。

 那智もあんたを頼りにしちゃうし。

 あんたも手が出るだろうから。

 一日外で遊んできて」


「大丈夫? いきなり一人で」


「営業トップを取ったこともある銀子さんをナメるんじゃないわよ。

 那智のお世話は接客と似たようなものでしょ?

 相手の望んでいることを察知して、最適なサービスを提供する。

 任せときなさい」


 銀子が胸を叩いた途端、どんがらがっしゃーん、と家の奥で大音声が響いた。

 うにゃーっ、と気の抜ける叫び声も聞こえてくる。

 反射的に音の方向へ向かおうとする巳影を、銀子が止めた。


「いいから。何かあったら連絡するから。行って」


 巳影は何度か振り返りながらも、通りをゆっくり歩き出した。


 特に当てがあるわけではない。

 気の向く方へ進み、コンビニのない土地でコンビニ代わりに重宝されているよろず屋の前までやってくる。

 ちょうど店番の同級生が表に出ていた。


「おはよ。早いな、巳影。どっか行くの?」

「そのつもり」


「なんだあ、その曖昧な。おまえらしくないな」


「銀姉に急に休みもらったもんだから、まだ予定が立ってないんだよ。

 おまえはさ、こういうとき何する?」


「釣り一択だな。今日も朝からいってきたとこ」


 同級生は竿や長靴を店前に干していた。

 近くに渓流があるので、ここらの住人はシーズンになると気軽に釣りに出かける。


「やることないなら俺の代わりに店番する? 俺は釣り行ってくるから」


「やめとくよ。銀姉にバレたら、休日まで何仕事してんだって怒られる。

 ただへさえも仕事人間みたいに思われてるのに」


「え。俺もそう思ってたけど」

「……おまえも?」


「だって、常にキタリド様と一緒じゃん?

 ミツクラ様と一緒でないときの方が珍しいじゃん?

 修学旅行の時とか林間学校のときですら、毎晩必ず家に電話かけてミツクラ様の様子を聞いてたじゃん?

 家守って二十四時間三百六十五日仕事漬けなんだって内心震えたよ、俺」


「あれは別に。しなくていいんだけど。気になるからしてただけだよ」


「おまえが好きでしてたの? なおさら重症じゃね?

 働くのが当たり前になってるってのはヤバいって。

 仕事人間通り越して仕事中毒者だよ」


「そうかあ?」


「だいたい、いきなり暇になったときにやりたいことがすぐ思いつかないとか。仕事以外に生き甲斐がないってことだろ? 危なくね?」


 友人にまで仕事人間であることを指摘されると、巳影は否定の言葉を内にこもらせた。


「みかっちさ、家守になる前は何してたわけ?

 放課後とか休日は何して遊んでたんだよ?」


「普通に遊んでたよ。友達と野球したりサッカーしたりゲームしたり。

 ……でも、そういや、だんだん家事やるようになってたなあ。

 母親が忙しかったから、俺が手伝わないとしんどそうで」


 駆け落ちしたものの、相手が家庭を顧みるタイプでなかったため、巳影の母親は苦労しながら巳影を育てていた。


「小学校中学年になると、父親に仕事の手伝いに連れ出されてたっけ。

 お金もらえるし、うまいもん食わせてもらえるしで、結構よかったんだよな。

 思えば夏休み、ずっと父親と一緒に仕事してたことがあったような」


「みかっち……仕事漬けなのは筋金入りなんだな。

 昔から全然遊んで来なかったんだな」


「だってさ、遊んでる時間もったいなくないか?」


 数少ない巳影の友人は、絶句した。相手の肩に手を置く。


「銀姉ちゃんは正しい。おまえその思考はヤバいよ。遊べ。

 とりあえず、都市部まで出かけてこい。ここから離れろ。仕事のことは全部忘れるんだ」


「おまえまで俺を追い出すのかよ」

「今日のおまえの仕事は、自分の趣味を見つけることだよ」


 巳影は不満げにしたものの、背を押されて駅の方向へ歩き出した。


*****


 夕方。

 日が暮れてから、巳影は家の門をくぐった。

 足音を聞きつけて、那智が出迎えに来る。


「巳影っ、お帰りっ!」

「意外とまともな格好だな」


 那智が着ているのはスーツだった。

 銀子のものだろう、濃いグレーのジャケットに同色のひざ丈スカート。

 黒い髪はきっちり後ろで一つにまとめられ、ムダにメガネを掛けている。


「どうだ、巳影。那智、できる女っぽいだろ。かっこいいだろ」

「那智ってば、その格好気に入っちゃって。脱いでくれないのよ。他にも色々着せたかったのに」

「スーツなら、巳影もたまに着ているからな。おそろいだ」


 銀子の嘆きをよそに、那智はその場でくるりと回ってスーツ姿を見せびらかす。


「巳影、那智はな、都内在住の一流企業に勤める二十四歳のおーえるなんだ。

 で、職場の年上の課長とフリンしているんだ。

 でも、これじゃいけないと悩んでいて、同僚とも付き合い始めたところだ」


「おまえの顔には苦悩のクの字も見えないし、そのやけに生々しい設定は何」

「金字がこれがおーえるのあるべき正しい姿だといっていた」

「仕事しろや」


 巳影は那智の頭に手刀をくらわせた。


「ちゃんと仕事もしてたぞ! 銀子パイセンに命じられて、巳影の部屋の本棚を整理してた」

「げ。俺の部屋を荒したのかよ」


 巳影が責める目をすると、銀子は手を振った。


「大丈夫よ、巳影。那智の仕事内容は、本棚の本をあいうえお順に並び変えて、次に大きさ順に並び替えて、次に色順に並べて、最後に元に戻す、だから」


「ちゃんと元通りだぞ」

「おまえの仕事内容、虚無の一言だけどいいの?」


 巳影はツッコミんだが、スーツ姿の那智はまったくめげずに上機嫌だ。

 楽しい一日だったらしい。

 銀子はぐったりしているので、色々あったようだが。


「どうもありがと、銀姉。おかげさまで、ゆっくりできたよ。

 久々に映画館行ってきた。やっぱ臨場感すごいな。

 アクション物だったから、音と光が激しくて。

 那智とは絶対一緒に行けない所だから、貴重な機会だったよ」


「そりゃよかったわ。他は?」

「腕時計見たり、服買ったり、本屋行って仕事の参考になりそうな本探したりかな」


 巳影は片手に紙袋を二つ提げていた。

 保冷バッグを銀子に渡す。


「はい、これ、お土産。冷凍餃子。持ち帰って、今度の休日前にでも食べてよ」

「あら、ありがと。あんたってやっぱり気が利くわね」


「一日じゃ、自分の趣味が何かは分からなかったけど。

 今度、まずは友達と釣りでも行ってみるかな」


「いい心掛けね。そういう発想が出るだけ大した進歩よ。

 やっぱり、たまには仕事から離れるべきなのよ。ね?」


「……そうだね」


 巳影が歯に物が挟まっているような返事をしたところで、ピンポーン、と呼び鈴が鳴った。応対に出た弥生が、紙袋を運んでくる。


「巳影さん、デパートから」

「ああ、外商に預けたやつ。もう来たんだ。早いな」


 弥生が運んできた紙袋は、一つだけではなかった。

 ブティックやアクセサリー、帽子屋、呉服屋などさまざまある。

 共通するのは、どれも婦人向けの店ということだ。


「買い物してたら、那智に似合いそうな服とか帽子とか小物を色々見つけちゃって」

「あんたの買い物より多くない!?」


「そんなに買うつもりなかったんだけど。

 タイミングよく、那智のお気に入りの店の羊羹が売ってたりすると、これは買わないとってなって」


「インターネットでいつでも買えるでしょうが!」


 言い訳を一蹴した銀子は、さらに運ばれてきた品に目を剥く。


「待って。あれは何? あの巨大なクマのぬいぐるみは。まさかあれも那智に?」


「あれは必要にかられて買ったんだよ。

 那智ときたら、金吾おじさんが痩せて人間椅子として物足りないからって太らそうとするんだよ。あれがあればしないかなって」


「おお、ふわふわだな。毛並みもいいじゃないか。でかくてもたれがいがありそうだ」


 那智はさっそく、自分の背丈よりも大きなクマのぬいぐるみに身を沈める。


「気に入りそう?」

「ああ。名前はプーやんにする」


 ぬいぐるみを抱きしめ、手触りを楽しむ那智を、巳影はにこにこと見守る。

 銀子は買い物の正当性を訴えた家守に、不審に満ちた視線を向けた。


「あんた本当は那智がぬいぐるみと戯れている図が見たかっただけじゃ……」

「無節操に買ってないよ? ワンピース買うのは思い止まったし」

「一個だけしか思い止まってないのに、何ドヤ顔してんのよ!」


 額を押さえて、銀子はため息をつく


「巳影。あたし、あんたの趣味が分かったわ」

「何?」


「那智よ。

 あんたは結局、那智のこと考えるのが楽しいのよね。

 趣味が仕事になってるから、全然苦痛じゃないのよね。

 働きっぱなしでも楽しそうなの、納得したわ」


 びしりと指を突きつけ、銀子は断言する。


「今日は生きがいを邪魔して悪かったわね」

「そんなことは……」


 ないよ、とは言葉にせず。

 巳影はただあらぬ方向を見やった。

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キタリドさま -生き神少女とその守り人ー サモト @samoto

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