アニキとサブロウ

重永東維

アニキとサブロウ

 あいつが天狗だって!? 莫迦なことを言ってんじゃねえっ。

 そう、檄を飛ばしたのは組長だった。

 ……いや、この場合〝元組長〟と呼んだ方が良いのか。我が社の社長でもある「オジキ」の愛称のようなもの。昔のような覇気は見る影もなく、ここ数年ですっかりと老け込んでしまっていた。

 早いもので、暴対法の施行からはや数十年が経つ。

 あれだけの栄華を誇っていた暴力団は徐々に弱体化し、警察から組の解散命令が下されたのが十五年前……。そうして、半ば強制的に堅気に戻り、一念発起して興したのが今の会社だった。

 元々、不動産業を手掛けていた実績もある。少々違法ながらも、オジキの所有していた土地や建物を転がして大きな利益を上げ、その資金を元手にマンションやアパートの経営や管理、駐車場運営などで会社組織を安定させたのだ。だが、それまでの道のりは険しく、決して楽なものではなかった──。

 元を正せば組員は半端者の人間ばかり……。只でさえ問題だらけの連中がまともに働けるわけがない。新しい体制に馴染めず、一人また一人と会社を去り、気づけば当時を知る者は「オジキ」と「アニキ」。その舎弟であるサブロウだけになってしまったのだった。

 ……とはいえ、サブロウが組の構成員だったのは最初の半年間だけ。

 その大半はアニキと歩んできた二人三脚の歴史でもある。幸い、アニキの先見性は鋭く、次々と優秀な人材を片っ端から獲得していく。お陰で業績は鰻上り、東京の他に、大阪、福岡と支店を構えるまでに至ったのだった。


 ──そんな最中、アニキが「会社を辞める」と言いだしたのだ。


 事の発端は大体分かっている。事業の拡大にあたり、某フロント企業が敵対的な買収を仕掛けてきたのだ。一方、此方は吹けば飛ぶような中小企業。しかし、大は小を兼ねるように、違法性がなければまかり通ってしまう世の中。

 いくら理不尽、不条理だと叫ぼうとも資金力に差があればひとたまりもないのだ。いくら抵抗しようとも、あとは真綿で首を絞められてゆくようなもの。

 いずれは根を上げて、安く買い叩かれてしまう。法的な根拠さえ味方につけてしまえば、遣り方などいくらでもある。それは、極道の世界に限らず、どこの世界でも極当たり前に行われている一般的な流れなのだ。

 更に、所詮は多勢に無勢──。今回ばかりは流石のアニキでもお手上げだったようで、会社に大きな損失をだしてしまった経緯も含めて、専務を引責辞任をする運びになった。これについては、経営陣も特に引き止める理由もなく、明日の役員会議でも承認される予定でもある。


 ──サブロウは、そんな想いを胸に秘めてゆっくり階段を登っていた。


 日は既に暮れかけ、窓の外は点々とした街の明かりが続く。

 ここはかつて、組の事務所のあった雑居ビルでもある。いまではオジキの所有物件となり、時々は思い出したように訪れたりもした。ここで過ごした期間は半年だけだったものの、自分達にとっては原点のような場所でもあった。

 案の定、雑居ビルの屋上へ着くと、柵の手摺てすりりに寄り掛かり、アニキが煙草を蒸しながら煙を燻らせている。変わり映えのしない鼻の高い横顔。その目は遠くの山々の稜線を見つめ、物憂げな表情を浮かべていた。

「……アニキ。やっぱり、ここだったんスね」

「おうっ、サブロウか。よくここが分かったな」

「下の駐車場にアニキの車が置いてありましたからね。それと、携帯ぐらい出てくださいよ。専務を心配する社員も多いんですから」

 アニキは薄く笑う。「俺みたいのが、専務っていう時点でなあ……。正直、ガラでもなかったわけだしよ」

 と、携帯用の灰皿に灰を落とす。

 ここ十年ほどで随分と丸くなってしまい「狂犬の天宮あまみや」と恐れられていた人間の所作とは思えなかった。

 次いで、歯に噛むようにサブロウは言う。

「それを言うなら、僕だって今は常務じゃないスか。自分のような半端物が出世してしまうのは気が引けますね」

「何を言ってんだ。おまえは普通に大学出だろうが?」

 サブロウが鼻で小さく笑う。「……って、言われましても、僕はFラン大学の出身ですけどね」

 両肩を窄めて、茫漠とした表情で言い返してみたものの、アニキは片眉を下げるだけで、あまりよく理解してない様子……。ただ、嬉しそうに相好を崩して言葉を繋げるのだった。

「懐かしいなあ。オジキが暴力なんかより、知識の時代だとか言い出してよ。大学出のインテリを集めるって聞かねえしさ」

「まあ、それでやってきたのが僕ですから。世話がないですね」

 軽く相槌を打ち、アニキは煙草の赤く燻る先端を振る。「ほんで、なんの学問だっけか。たしか、大学で幽霊とかお化けの研究だって話してたなよな?」

「幽霊じゃなくて〝妖怪〟ですよ。民俗学として、先生と一緒に関東各地の妖怪を調べて回ってました」

 ──すると、アニキが少しだけ真顔になる。

 明らかに何かを知っているような素振り。しかし「はあ。妖怪ねえ……」と、おもむろに鼻の頭を掻き、口から煙を吐いて韜晦して見せたのだった。

 追想するようにサブロウは話を続ける。

「奥多摩の辺りはですね、昔から『天狗伝説』が語り継がれているのですよ。主に〝川天狗〟と呼ばれる妖怪です。川魚を好み、天狗火と呼ばれる怪火を放つと言われていて……」

 と、言いかけたところで、アニキが「ああ、もういいよ。分かった、分かった。難しい話はよく分からねえんだ」と煙たそうに手を振る。サブロウは見透かしたような顔をすると「すみません、今でも趣味なもんで」と言葉を濁す。

 だが、サブロウは核心にも似た確証を得ていた──。

 足掛け十年以上、アニキの姿を見てきてのだ。真横で観察してたと言っても良い。自然や山々を愛し、魚には目がなく、その癖、全く泳げなかったりと、川天狗との共通点も多かった。決定的なのは煙草だ。ライターで火をつけてるところをあまり見た事がなく、周りでは不思議なことが日常茶飯事のように起きる……。

 まさに、天狗の伝承通り。アニキがこうでなかったら、サブロウは直ぐに組から離れていただろう。ただ、今となってはどうでもいい話だ。例え、天狗であろうとなかろうと、共に過ごした苦楽の日々に変わりはないのだから。

「……会社、辞めないでくださいよ」

「そういう訳にはいかねえだろ。ここは極道らしく筋を通して、ケジメだけはしっかりつけねえといけねえ」

 不貞腐れたようにサブロウは言う。「今更、何言ってんスか。俺ら極道でもなんでもなく、ただのサラリーマンですよ。立派な堅気じゃないですか」

 だよな、ちげえねえ……と、アニキは皮肉ぽく自嘲する。その反応からして、もう覚悟はできていたようだった。後は去り際だけの問題……。

 ──ということはつまり、既に可能性が高かった。

 アニキは至極冷静な性格だが、一度でも転んだら只では起きない。

 そして、必ず借りを返す……。引く事を知らず、それが最大の強みでもあり、最大の弱点でもあった。残念ながら、サブロウの悪い予感は的中し、アニキは夜空を仰ぎながら不気味にほくそ笑む。

「……ワリィな。実のところ、もうやっちまったんだよ。後の祭りってやつだ。どのみち、会社は辞めないとならねえ。これ以上、迷惑はかけられない」

「えっ!? 一体、何やったんすかっ?」

「典型的な成り済まし詐欺ってやつだな。いやあ、お陰でスッキリしたぜ。ざままあみろってんだ」

 即座に反応し、サブロウは慌てながら周りを見渡す。「ちょ、ちょっとこんな所で悠長にしてて平気なんですか?」

「まあ、来週には法務局から所有権移転の申請が却下されてバレる。それまでに姿を眩まさとならんけどな」

 悪ぶる様子もなく、アニキは清々しいまでの表情をサブロウに向ける。

 おそらく、その相手は敵対的な買収を仕掛けてきた某フロント企業だろう。いくら会社を救う為とはいえ、かなり派手な勝負に出たもの。ただ、昔からの因縁も関わっているようで、元は自分で撒いてしまった種だったのかもしれない。

 そして、序でだと言わんばかりにメモリースティックを投げて寄越す。

「こ、これは?」

「騙し取った金が半分入っている。資金洗浄も済ませてある。暗号資産に変えてあるから、ほとぼりが冷めたら現金化してオジキに渡してやってくれや」

 サブロウは息を飲む。「それじゃあ、アニキはどうするんスかっ」

「明日からでも山に篭るさ。人とも関わり過ぎたからな。そろそろ潮時だったかもしれねえな……」

 と、意味深な台詞を吐いて新しい煙草をおもむろに咥える。

 すると、みるみると煙草の先端が赤くなり火が付く。白く立ち登る煙。サブロウは驚きで目を丸くするが、アニキはいつも通りの笑みを浮かべて「ただの手品だよ」とのたまうのだった。

「た、種を教えてくださいって!」

「はあっ? 教えるわけねえだろう。これはな、得意先の接待でも何度も使った、俺さまの鉄板芸だぞ?」

 そう言うと、アニキは「ほんじゃ、呑みにいくぞっ」と張り切り、煙草の白い煙を引きながら屋上の出入り口に向かう。どうやら、説得は無理そうだった。サブロウも仕方なさそうに項垂れ、そぞろ歩くようにアニキのあとに続く。

 ふと、奥多摩の山々を見渡せば、小さな灯火がいくつも見える。

 これが天狗の怪火だか分からぬが、山祭りでもやっているような雰囲気すらあった。この辺りには長く住んでいるが、こんな祭りなどやっていただろうか……。まるで、主人の帰りを祝うかのように焔が規則正しく揺らめている。

 まさか、もしや、と去来する憶測を振り払いながらも、結局は同じ考えに立ち帰ってしまう。逃れられぬ円環。たまたま山から降りてきた天狗が極道となり、自分たちをずっと助けてくれたなんて話を誰が信じるのか。

 アニキが去れば、オジキもきっと男泣きをしながら悲しむことだろう。やがて、サブロウがようやく絞り出した落としどころは……。


 『全て、天狗の仕業ということで……』という、至極詰まらぬ結論だった。








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