伝説のビラ配り

香久山 ゆみ

伝説のビラ配り

 最寄り駅に現れたという情報を得て、急行した。

 果たして、いた。一目でそれと分かった。――彼女こそ、伝説のビラ配りだ。

 ネット動画でしか見たことがなかった。どこかの誰かがこっそり遠くから撮影したような映像。性別も分からぬくらい小さくしか映っていないのに、それがふつうでないということは明確に分かった。その人物は街頭に立つや、あっという間にビラを配り終える。まるで魔法みたいに、その人物のそばを通った人々の手には漏れなくビラが渡されている。しかもその効果たるや尋常でなく、依頼主は再びビラ配りをかの人物に願うもその時にはもうその地にいないのだという。瞬く間に話題となり、ネットでは目撃情報の投稿が相次いだ。生ける都市伝説。……僕は、彼女に憧れてこの世界に入ったのだ。

 実物の彼女は、ネットで見たよりも素晴らしかった。駅前、人の流れの真ん中にすらりと立つ彼女の両手には大量のビラ。空気を抱くように、おもむろに両手を腰の高さで広げたかと思うと、さっと両手のビラが扇状に披く。人混みの中をまるで舞うように流れ、駅に入る人出る人、すべての人に無駄のない動作でビラを配る。声掛けはまるで唄うようだ。両手のビラはあっという間になくなった。無論、足元も綺麗なものだ、受取ったビラがその場で捨てられるようなこともない。これが。極楽鳥の求愛ダンスと称される、伝説のビラ配りの業か。すっかり魅入ってしまった。

 そうして、早や撤収にかかる彼女に声を掛けた。今を逃すと、こんな機会は二度とない。彼女は流しのビラ配りなのだ。明日またここにいるとも限らない。

「あの、弟子にしてください」

 彼女はビラ配りの時とは打って変わってクールな瞳を興味なさげに向ける。「明日は隣駅にいるから」、返事はそれだけだったが、拒絶でないことは確かだ。

 翌日隣駅に行くと、彼女はすでにビラを配っていた。今僕に許されるのはひたすら観察することだけだ。

 発見の連続だった。僕自身ビラ配りにはそれなりの自信があったが、彼女には到底及ばない。短時間で配り終える効率性。だが、無差別に配っているのではない。少なからずその情報を必要とする人に配っている。相手の興味を刺激するささやかな言葉とともに。「日々の疲れを癒す甘いスイーツを」「目にも美味しい映え空間でお友達にリード」「お得意様に話題の手土産で商談成立」。だから即座にビラが捨てられることもない。散らかさないから、ふつうでは許可取りできないような場所でもビラ配りが許される。そして何より、彼女にビラを配られた店は、来店率が格段に違うのだ。

 時には複数店のビラを同時に配布していることもあった。相手に応じて配り分けているようだ。僕自身で彼女のビラを受取ってみた。まるで渡されたことに気づかぬくらい自然にビラを手にしていた。でも! 渡されたのは、エッチな店のビラ。赤面する僕に、彼女はにやりと笑った。配るビラに貴賎はないというのが彼女の口癖だが、その一方で自らの理念に反する仕事は決して受けないことも知った。

「飲みにいく?」

 ビラ配りを終えた彼女から声を掛けられたのは、一週間ほどしてからだった。もちろん。

 誘ったわりに自らあまり語らぬ彼女に、マシンガンの如く質問した。師に聞きたいことは山程ある。例えば、なぜ流しをしているのか。彼女はふふんと唇の端を上げるばかり。きっと自分を高めるために、新たな場を求めているのだ。彼女ほどになってもなお高みを目指す姿勢に打たれる。心酔。

 彼女は真っ直ぐに僕の目を見る。人間観察が道を窮める術だと知りつつも、照れる。居酒屋に来ながら、あまり飲みもせず揚げ物も控える彼女。ビラ配りに適したスタイルと声を守るためだという。プロ意識に感服。

 翌日からは共にビラ配りをすることを許された。ついに認められた――のか?

 それから三日間ほど並んでビラ配りした。彼女の動きについていくのに必死だったが、徐々に上手く呼吸を合わせられるようになった。ネットでは「まるで舞踏会のようだ」と囁かれもして有頂天だった。油断していた。

 その日は、駅前の大きな陸橋の上でのビラ配りだった。僕も彼女と同じスピードで手元のビラを捌いていく。ああ。視線を送ると、彼女も静かに微笑んで小さく頷いた。そして。その手に持ったビラをばっと宙に放った。視界が真っ白なビラに遮られる。まるで花吹雪みたいで、思わず見惚みとれた。その間わずか数秒。目の前のビラが消えた時には、もう彼女の姿はなかった。どんな魔法を使ったのか、はっと足元を見た時には、彼女が放ったはずのビラもまるで消えてしまっていた。ただ、僕の手には一枚のビラが残されていた。

 ――語っている間も、少年は熱い視線を送ってくる。弟子志願だという。孔雀と称される僕のビラ配りに憧れているのだと。自分の若い頃を思い出し、つい昔話をしてしまった。

「でも、どうして流しに?」

 少年の質問に僕は微笑む。彼女を探している。ずっと彼女の背中を追いかけている。それは、今や僕の生きる目的であり、かつ、不安の種でもある。

 彼女が全国各地を転々とする理由も僕と同じだとしたら。そう思うとちくりと胸が痛む。けれど、直接会って聞いてみなければ分からない。何も。この道を突き詰めるにつれ、その考えは強くなる。人は皆どこから来てどこへ行くのか。ビラ配りでの刹那の接触。それだけでは何も分からないのだ。この深遠なる不思議の世界。その入口に彼女は立たせてくれた。真髄は、どこまでも深く遠い。僕も誰かに同じものを見せてあげられるだろうか。そうすることで、また彼女に近づけるだろうか。

 明日から一緒に配ってみるかい? そう聞くと、少年はきらきらと顔を輝かせた。

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