悪役令嬢のマイ・フェア・レディ

菜花

浮気者な婚約者

 平民の娘であるエラは成績が優秀であったことから、貴族の子女も通う魔法学園に入学を許された。16になったばかりの少女らしく、期待に胸を膨らませての入学であったが、現実に起こったことはそれ以上の出来事だった。


「ごめん! 考え事をしていて。後輩を転ばせてしまうなんてとんだ生徒会長もいたものだな」


 入学して数日、廊下の曲がり角で体格のいい青年と衝突し、押し負けて転んでしまったエラだが、何とその青年は三年生の生徒会長であり、この国の王子ローガンだった。自己紹介されなくても、王族しか持たないと言われる金髪に赤い目は何よりも雄弁だった。


「ん? 君は……もしかして噂の奨学生の……?」

「は、はい。エラ・オルコットです!」

「元気がいいね。僕の周りにはいないタイプだよ」

「そうなのですか?」

「ああ。皆堅苦しくて、僕の機嫌を伺っているような人間ばかりさ」


 人一倍重い立場にいる方だから、人一倍気に病むこともあるんだろうな、最初はそれくらいで簡単な愚痴を聞いていたエラだったが、ローガンの王子というスペック。完璧ともいえるその容姿に惹かれるのは若い女として仕方がないことだったのかもしれない。ローガンもまた平民のエラに新鮮味を感じて惹かれていった。



「貴方がエラ・オルコット?」


 エラはある日とんでもない美人に呼び止められた。それが誰かは一目で分かった。少しくすんだ金髪にピンクの目。王族に近い色合いだが王族とは似て非なる者。公爵家の令嬢、シャーロットだ。


「最近、ローガン様とよく一緒にいるようね。私の耳にまで噂が入るほどですわ」


 エラは咄嗟に黙ってしまう。悪いことをしている自覚はあった。何故ならローガンにはシャーロットという婚約者がいることは周知の事実だ。ただローガンから「政略的なものだし、彼女に好意を抱いたことなど一度もない」 と言われているから何となく安心していた。恋に浮かれていたとはいえ平和ボケだったと思う。

 シャーロットはつかつかとエラの前に歩み寄った。そして値踏みするような視線で上から下までエラを見る。

 エラはその身分コンプレックスから、ローガン様に相応しくない平民娘だとか思っているんだろうか、そんなこと思ってもローガン様の愛は私のものよと考えて睨みつける。


「……なるほど。ローガン様が気にいるのも無理はありませんわね」

「え?」

「ああ、勘違いなさらないでください。貴方達の邪魔をするつもりはありません。将来の王ともなれば愛人の一人や二人普通ですもの。ただ……」


 怒鳴られるかと思ったが、シャーロットは案外友好的だった。


「ローガン様が貴方をどうするつもりなのか、お考えによってはこちらも対応を変えなければなりません。ローガン様とはこの後お会いになるの? ……そう。では彼に一つ質問してごらんなさい。貴方も将来の立場が明確になるのは早い方がいいでしょう?」



「王妃にはシャーロットを選ぶのか、だって? そんなことは考えていない。あの女とは考えが合わないんだ。王妃は君を選ぶつもりだよ」


 それをローガンから聞いたエラは浮かれた。平民の娘が王妃に。まさにシンデレラではないかと。

 だが脳裏にシャーロットの姿がよぎる。彼女の不幸の上に立つ身分は本当に嬉しいものになるのだろうか? そう考えて慌てて首を振った。

 シャーロット様だって牽制のつもりであんなこと言ってきたに違いない。それに彼女は他の生徒から『悪役令嬢』 って呼ばれてるのだって知ってる。想い合う二人を邪魔する存在だって。貴族からはどうか知らないけど、同じ平民の生徒からは私の人気は絶大なんだから負けはしない。



「そう……。では私は将来は貴方の臣下となるのでしょう」

「え」

「王国で一番尊い女性は王妃ですもの。でも、ローガン様はそういう考えなのね、早めに分かって良かった。直接お話を伺えれば良かったのだけれど、私はあの方に嫌われているようだから……」


 シャーロットは意外なほどあっさり身を引いた。エラが拍子抜けするくらいに。


「これから口さがないことを申す輩も出るでしょうが、そういう人間は無視するのが一番ですわ、エラ様」

「え、あ、はい……って、シャーロット様はその、悔しくないの?」

「? 王家の意向には従うだけですわ。もともと愛情もなかったのだから……」


 エラの気分は複雑だった。王子様に愛されて、邪魔な存在になる女性も妨害する気はこれっぽっちもないと判明した。万々歳じゃないか。それなのに、なんだか、心の奥から湧き上がるこの不安はなんだろう? 話が上手くいきすぎていて怖いのだろうか。


「エラ様?」

「え!? あ、はい。っていうか、どうして急に様付け……」

「未来の王妃なら当然でございましょう」


 そういうものなのか、と勉強は出来るが根は単純なエラは受け入れた。


「ただ……無礼を承知で申し上げますと、エラ様が王妃になるにはこれから猛勉強が必要になりましょう。礼儀作法、外交、政治……。失礼ですがエラ様はその心得がお有りで?」


 エラはぐっと黙った。そんなものが平民育ちにある訳がない。ないんだったら学ばなければいけない、それは分かる。でもどこで? 誰に? 平民には好かれていても貴族には嫌われている。


「よろしければ、私がエラ様の力になりましょうか?」

「え?」

「王妃を支えるのは臣下の務め。どうか遠慮なさらないでください」


 単純なエラはそういうものなのか、とこれも受け入れた。



 王妃教育を一通り受けたシャーロットの教育は平民育ちのエラからすると厳しかった。

「猫背になっています。もっと胸をそらして。ドレスに着せられているようではいけません。ドレスを着こなすのです」

「地理は完璧に覚えていただきます。近年大きな戦争はありませんが、小規模な小競り合いくらいなら毎月のように報告されていますから。また自然災害などの対処にも重要です。どこの地方で起こったのか、そこに兵士を向かわせるのにはどれほどの時間と労力がかかるか。一瞬で判断できるくらいにならないと国難に対応できません」

「各国の情勢も頭に入れておきましょう。まず我が国では東の隣国とは同盟を結んでおりますが、北の隣国とは仲が良いとはいえません。また西の隣国は北と組んで物資の横流しやら人身売買やらと黒い噂が……」

「我が国では発音の違いから平民と貴族は言語が違うとまで言われているようですね。発音の先生を雇いました。上流階級風に矯正しましょう」


 厳しかった。だがエラがそれでも全て耐え抜いたのは、愛しのローガンに喜んでもらいたかったからだ。平民を王妃にしたいなんて並大抵の覚悟ではないはず。だったら自分も並大抵ではない努力をしてあの人の隣に並ぶのだ。噂ではローガンもエラを王妃にするために根回しをしていて忙しいと聞く。しばらく見ない間に王妃らしい所作を身につけたらびっくりするだろうか。


 王妃教育を受けて数か月。エラが長期休暇の際にうちに帰ると母親から「どちら様?」 と言われた。エラだと言うと驚いていた。

「うちの娘はこんな物腰が上品じゃなかったし、言葉遣いも綺麗じゃなかったわ」

 二人の弟も「知らない人が家にいる」 とざわざわしていた。容姿は全く変わっていないのに、だ。

 さすがに王子様と結婚するつもりだからその婚約者に色々教わっている、と正直に言うと話が拗れそうなので、「学園で磨かれたの」 と曖昧にはぐらかす。

 その夜、エラの母は泣いた。

「こんなに、こんなに立派になって。あんた、今ならどこにだって嫁にいけるよ、王侯貴族だって夢じゃないよ。自慢の娘だ」



 ローガンと会う日がやってきた。彼は学園には通っているものの、未来の国王としてあちこち出向く必要があり、また最近はエラの件の根回しもあるのかほとんど会えなかった。

 二人の密会はいつも生徒会室で行われていた。今回は成果を見てもらうためにシャーロットにも同行してもらう。

 扉を開けて現れたローガンにエラは思わず見惚れるようなカーテシーをして「御機嫌よう、ローガン殿下」 と挨拶をする。

「エラ、君……」

 ローガンは洗練された女性になったエラに驚いた様子だった。エラはこのあときっとローガンは感動してくれるんだろうと疑っていなかった。だがローガンは冷たい声でこう言った。


「随分つまらない女になったんだな」

 

 エラは耳を疑った。今なんて? つまらない女?


「そういういかにもな貴族が嫌だから君と付き合ったのに、何で君がそういう女になるのかな。幻滅だよ」


 エラは衝撃が受け止めきれなくて言葉が出ない。そんなエラの横でローガンを非難したのは、シャーロットだった。


「なんてことを……なんてことを仰いますの! エラ様は貴方のためにここまで努力されたというのに!」

「誰がそんなことを頼んだ? というか、シャーロット、君の嫌がらせかこれは?」

「貴方がエラ様を王妃にすると仰るから、私は臣下としてエラ様を王妃に迎えても恥ずかしくない令嬢にしたつもりですわ。それなのに貴方という方は!」

「余計なお世話だよ。本当に君とは気が合わないな。エラの魅力が全部無くなってるじゃないか」

「ならばあえて申し上げます。以前のエラ様のままで一国の王妃としてやっていける、本気でそうお考えでしたの?」

「……」


 ローガンは黙った。それは肯定したのと一緒だ。


「否定されないのですね。……ローガン様。私は愛人を何人迎えようが構いません。けれど、それは国を傾けない範囲なら、ですわ。最近の貴方は異常です。平民に気さくと言えば聞こえはよろしいですが、平民のご友人方と付き合っておかしな価値観に染まっていません? 友人は選んだほうがいいですわ。国王になる者として軽率な行動は」

「うるさい!!!」

 突然の怒鳴り声にシャーロットは押し黙った。身分が上の者の怒りはさすがに恐ろしい。

「黙って聞いていれば臣下の分際で生意気な……婚約破棄だ、シャーロット。エラ、君も僕を放ってこんな女の言うことを真に受けるなんて同罪だよ。二度と僕に関わらないでくれ」


 エラは振られた。ローガンのために頑張ったことを全て否定されたうえで。

 一瞬、これがシャーロットの策略なら、と考えた。馬鹿真面目にシャーロットの言うことを聞いて見事に振られたこのざまはさぞ面白いネタだろう。

「エラ……ごめんなさい」

 だが悲しい顔でそう謝るシャーロットを見てその考えは霧散した。それどころかエラは自分が何て嫌な人間だろうと自省した。

 私とローガンの仲を引き裂くのが目的にしても、結果的に自分も婚約破棄されてるし。

 ローガンが否定した時に真っ向から立ち向かってくれた。私に悪意があったらそんなことするだろか?

 淑女教育は本物だった。だって母さんがあんなに喜んでくれたし。

 何より、自分が成長するのを実感した時は誇らしくて嬉しかった。

 今はもう平民育ちと馬鹿にしてくる人がいない。それが何よりの答えじゃないか。

 シャーロットはただ、国のため未来のために頑張っていただけ。何も悪くない。それどころか立場を考えれば私につらく当たっても仕方ないくらいの人なのに……。

「私こそ……ごめんなさい」

 そんなシャーロットを最初は敵意を燃やして、下手に出てきてからは侍女のように扱った。振られて当然じゃないか、と今となっては思える。

 シャーロットは見た目こそ迫力系の美人だが、中身はこんな平民にも親切な聖女だった。



 学園を卒業後、エラはシャーロットのいる公爵家で侍女筆頭となっていた。しょせん人に仕える身分、と言う人間もいたが、平民生まれ平民育ちが由緒ある公爵家の使用人のトップになれるとは、と感嘆する人間もいた。口さがない人間はご令嬢とは人に言えない仲で、だからあんなに出世できたのだと言う者もいた。その邪推が大当たりだった。


「エラの淹れてくれた紅茶が一番美味しいわ」

「有難うございます、お嬢様」

「もう……二人の時はシャルって呼んでって言ったでしょ?」

「え、ええと……シャ、シャル……」

「いつまでも初々しいんだから」


 初めての恋愛体験を無残に打ち砕かれたエラは異性に好意を抱けなくなった。変わって親身になってくれたシャーロットに深い愛情を持つようになってしまった。

 けれどシャーロットが優しくしてくれたのはローガンが未来の王妃にするなんて言ったから、それが無くなった今はもう何の縁もない……。そう思っていたのだが。


『ローガン様のことを悪く言えないわ。私も貴方と話しているのが楽しいと思っているの。このまま一緒に居られたらいいのにって思うほど……』


 断る理由なんてなかった。それからはシャーロットの専属侍女としてずっと傍にいる。

 家族は貴族のご令嬢と友人になってその家に奉公できるようになったと聞いて大喜びだ。何せ給料がいい。奨学金は早めに返したかったし、二人の弟も結婚して子供を大勢つくったが、毎日カツカツの暮らしをしているようで、エラの仕送りがなければ干からびているかもしれない。母親からは結婚しないのかと言われるが、自分が結婚するにしても相手は平民だろうし、そうなったらここを辞めなければいけなくなるかもしれないし、そうしたら家族が皆共倒れかも、と思うと踏み切れない。何より……。


「エラ、今日は舟遊びをしましょう」

「まあ、シャルったら子供みたい」

「本当の子供の時はしなかったのよ? あの頃は未来の王妃だからと毎日勉強漬けだったわ。……結局、全部無駄になったけれど」


 シャーロットの視線が宙を舞う。ローガンのことを考えているのだろうか。

 あれからローガンはというと、平民とのお付き合いが度が過ぎて、どこからか病を貰ってきたらしい。それを隠そうとするあまり人に見せられない顔になるまで放置。今は病気療養の名目で実質的に王家から追放された形だ。あのまま付き合っていたらと思うと中々ぞっとする。けれど、それは婚約者だったシャーロットのほうがもっとそうだろう。

 そんなシャーロットも今や女公爵として名をはせている。エラも誇らしい。


「エラ」


 先に船に降りたシャーロットがエラに手を向ける。エラは迷わず飛び込んだ。

 結局のところ、エラがシャーロットと居たいのだ。



 シャーロットは子供のころからローガンが大嫌いだった。それは自分が異性に興味を持てないからというものあるだろう。だが王族のくせに平民と付き合う自分素晴らしいと思ってるローガンにナルシスト臭を感じてたから性格がそもそも合わなかったのかもしれない。

 それなのに、好きになる女性の容姿だけは同じなのだ。同族嫌悪もあったのだろう。


 平民と付き合う自分を凄い王子だと思ってるらしいローガンだが、エラのような美少女や取り巻きには美少年としか付き合わないあたりお察しだった。

 平民の少女を王妃にねえ。だったら、私が王妃らしく教育しても問題ないはずよね? 貴族らしい淑女ってあんたの一番嫌いなタイプでしょうけど。

 目論見どおりローガンは失望してエラを振った。ああ可哀想なエラ。

 綺麗な女の子の絶望する表情って可愛い。悪感情が反転して一気に私を好きになる様子はもはや快感!

 昔侍女の失態を庇って心酔された時から癖になってるのかもしれない。まあその侍女は結婚して子供もいたから私だけのものには出来なかったんだけど。

 でもエラは違う。

 そのままだと近くに置けないから理由をつけて淑女キャラにさせるのとっても苦労したんだから。

 これでずっと、ずーっと私のもの。ふふ。

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