削る彼ら

佐伯 安奈

削る彼ら

 吉水よしみず氏は生前、不思議な仕事について話していた。ある実業家が、長い間個人的に引っかかり続けていた、気持ちの上での「ささくれ」を解消しようとして人を雇ったそうなんですがね。それはポスターを削り取っていく作業なんです。その人は自分の経営する会社の新商品の広告が大きなターミナル駅に貼り出されるたびに、いずれこれを剥がさなければならない日が来るのを内心残念に思っていたそうです。というのも、いかに大きな会社の広告とはいえ十年、二十年と貼り続けていることなどできませんからね。掲示期間というのはどんなポスターでもちゃんと決められているわけで。それで何を悔やんだのかと言えば、別に外見上傷んだわけでも色褪せたわけでもないのにポスターを撤去しなければならないことですよ。つまり「モノ」としてのポスターはまだ現役で使えるのに、あえてその生命、というと大げさですが、まあそのポスターの存在を無効としてしまうことに対して釈然としない思いがあったんですね。それでその人が考えたのが、ポスターというのは人の目に触れることに意義があるのだから、人の目に触れるたびに少しずつ削り取っていけば、本当にそのポスターがポスターとして存在した甲斐があるんじゃないかということです。

 その考えを実行に移すために、その人はSとかTとかいう大きな駅に貼られた自社製品のポスターの脇に何人か(最低でも二人と聞きましたが)人を立たせて、それで道行く人の目がそのポスターに留まった、と思ったら視線が命中したと思われる部分を少しずつカッターで削っていく、ということをやり始めたんです。

 これだとだんだんポスターの表面は磨り減ったようになっていって、しまいには何の広告だかわからなくなってしまうのでしょうが、でも少なくとも取り外す時に、これだけボロボロになったのだからもう十分お役御免だ、と心から納得できるというわけですよ。ただ実際に始めてみると、いくら利用者の多い駅でもああいうポスターというのは見られているようでいて案外それほどでもないみたいなんですよねえ。要はあまり削る必要性がなかったそうなんです。だけどそれだとせっかく大きなポスターを大きな駅に貼り出したのにそんなに注目されないなら売り上げにも影響しないかもしれない。ならわざわざポスターを削るために人を雇う理由もないという話につながりかねませんからね。実際かつてその仕事をしていた人に聞いたことがありますが、誰かがポスターに目を留めたか否かに関わらず、一日中ポスターを削っていたそうですよ。それももう十年くらい前の話ですけどね。

 え?今でもこの仕事が残っているかって?実はこれを思いついた実業家の会社では、その後、「駅の構内でカッターを持った男たちがいる」と通報されて騒ぎになったそうなので、現在はもう廃止したそうです。ただ賀詞交歓会か何かでその話をしたところ、自社製品のポスターについてその人と似たような感情を抱いている人が何人もいた、と言っていましたからね。もし今でもどこか大きな駅で、妙に磨り減っているポスターを目にする機会があるとしたら、それを削る作業をなりわいとしている人たちがまだいるということかもしれませんね。

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削る彼ら 佐伯 安奈 @saekian-na

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