腹を空かせて

印田文明

腹を空かせて



 東側から商店街に入る。

 2つ目の交差点から右側の細い路地を30歩ほど歩いたところに、「英階堂」はある。

 寂れた古本屋「英階堂」の最奥、レジというかデスクというか、台があるだけの掃き溜めみたいな場所で、私は本をペラペラと流し見していた。

 読んでいるわけではない。一応検品をしているのだ。丁寧に検品しているから、ある程度文字が目に入ってしまってもしょうがないよね、という誰向けでも言い訳をしながら、今日も仕事をしながら時間を潰している。


 親父が開いたこの「英階堂」を引き継いだのは4年前。私が新卒入社した会社にどうしても馴染むことができず、転職先すら見つけることなくとっととやめてしまったときに、見かねた親父が私に店番をさせた。

 そうこうしているうちに親父は鬼籍に入り、辞めるにやめられない状況になってしまったのだ。


「斉藤! いるか!?」


 お茶でも汲んでくるか、そう思って腰を浮かしたところで、顔見知りが店に飛び込んできた。


「……なんのようだ須藤。頻繁にタダ飯を食わせてやるほど、うちに余裕はないぞ」


 須藤は顔見知りと言っても客ではない。たまにうちに来ては、飯を食わせろと厚かましくせがんでくるだけの迷惑なやつだ。こんなやつにも、親父は飯を恵んでやっていたらしく、渋々自分の食費を切り崩して飯をやっている。


「いや、飯は今日はいいんだ! 田代を見てないか?」


 田代? 知らない名だ。


「誰だそいつは」

「ほら、たまに商店街をぶらついてる、色黒で小汚いやつだよ! ここにも来るんじゃないか?」


 こう言っちゃなんだが、商店街を数分歩けば色黒で小汚いやつなんていくらでもいる。


「......知らないな、他を当たってくれ」


 裏から持ってきた茶を啜る。

 毎日ここで茶を啜ってるが見たことないな、茶柱。


「なら探すのを手伝ってくれよぅ...あいつがいないと食いっぱぐれちまうよぅ。お前が毎日飯を食わせてくれるならいいんだが」

「なんだ、そいつが飯の面倒見てくれてたのか」

「いや、タダ飯が食える場所を教えてくれてたんだ」


 そんなことか。

 世の中には、今日の飯すらままならないやつが結構いるんだなぁ。


「これまでに教えられた場所にはもう行ってみたのか? お前と同じような生活をしているなら、どこかにいそうだが」

「もちろん行ってみたさ! でも田代がいないどころか、これまで飯をくれてやつも俺を除け者みたいに扱うんだ。早く新しい場所を教えてもらわないと、どこも……」


 心底重大そうに言うが、そこまで困っているなら人に頼らず、自分の食い扶持ぐらい面倒見れるようになれよ。


「最後に会ったのはいつだ」

「2、3日前かな。そこの惣菜屋がだって教えてくれてさ」

「ん?……狙い目ってどういう意味だ」

「店番の婆さん、日中は店の奥に引っ込んでるんだよ。店の外に並べてる食いものは全く見てないから、1、2個無くなっても気づかないのさ」


 はあ、と須藤に聞こえるように大きくため息をついた。

 誰かに恵んでもらうというならいざ知らず、盗みまで働いているとは、救いようがない。


「バチが当たったんだろう。田代ってやつも捕まって連れて行かれたんじゃないか?」


 須藤は何か言い返そうとしたが、悪いことをしている自覚はあったのか、しゅんと俯いてしまった。


 ……父の生前、実家に帰れば父は飯をねだりにくる奴の話をしていた。妻にも先立たれ、息子である俺も早々に家を出た。

 もし父が死ぬまで寂しい思いをせずに済んだのなら、それは須藤や田代のような奴のおかげなのかもしれない。


「……他に何か思い当たることとかはないのか。どういう気質のやつだったとか、どういう場所を好んでいたとか」

「……田代はさ、半年前ぐらいにこの界隈に現れたんだけど、本当にいいやつなんだ。俺みたいなやつは飯にありつける場所を見つけたら、誰にも言わずに独占するのが普通だが、田代は飯がないやつに自分が知ってる場所を教えては、俺はいいから、なんて言ってさ」


 涙ぐみながら、須藤は田代について語る。


 しかし、私の頭の中は似たような小説があったような、と頭を働かせていた。

 乱歩? クリスティー? ドイル? いや、違うな。


 確か、アントニー・バークリー。


「……なんとなく、どういうやつなのかはわかってきた。それで? 田代がいそうな場所に心当たりはないのか」

「うーん、心当たりのある場所は大体探しちまったからなぁ」


 程よく覚めたお茶を一気に煽る。なんとも言えない渋みが喉の奥まで伝った。


 これ以上考えても、素人が見つけるには限界がある、が……。


「……そもそも、なんで私に聞きにきたんだ。私は田代なんてやつ知らないのに」

「てっきり名前を知らないだけかと……。だって田代のやつ、この店もよく飯がもらえるって言って回ってたぜ」


 だからか、と合点がいった。

 親父が面倒を見ていたのか知らんが、近頃飯を食わせてくれとせがむやつがやたらと増えた。一応恵んではやっていたが、最近は懐事情も芳しくなく、ただただ迷惑に思っていたんだ。


「犯人はその田代だったのか」

「犯人なんて言い方はよしてくれ。実際、いつも何だかんだ言いながら飯をくれるじゃないか」

「こちとら、自分の飯のことで手一杯なんだよ。親父が喜んでたのかもしれんが、私にとってはいい迷惑……」


 悪態を吐こうとして、踏みとどまる。何か大事なことに気づきそうな予感がしたからだ。



 田代というやつが失踪した。

 田代は周りの連中に飯が食える場所を教えて回った。

 近頃この辺りでは飯が食える場所が少なくなってきている。

 親父はこいつらの面倒を見てやっていた。

 田代はこの店のことも周りに言っていた。



 ならばきっと、こういうことなんだろう。



 @@@@@@@@@@



 須藤が田代に聞いたという惣菜屋にきた。

 私の仮説が正しいのか確かめるためだ。


「俺はツラが割れてるからな。陰から見てるよ」

 須藤は颯爽と私から離れ、20メートルほど先の電柱の影に座った。


「あの」

「ああ! 英階堂のぼっちゃん! 珍しいねぇいつも引きこもってるのに」


 愛想笑いを返すことしかできない。

 須藤の言っていた通り、店番のおばさんは店頭に椅子を置いて新聞を読んでいた。


「そちらこそ、いつもはもっと店の奥にいたのに」

「近頃店先の商品をくすねるやつが増えてね。ここで見張ることにしたのさ」

「……この店だけですか、被害に遭っているのは」

「この辺りの店はどこもそうさ。そこの魚屋なんか、あまりにも被害を受けるからを買ったらしいよ」

「……そうですか。ありがとう、またきます」

「ちゃんと飯食わなきゃだめだよ!」


 おばさんは私の背中に向かって言葉を投げかける。飯なら食ってるさ、あいつらと一緒にな。


「……結局、何を確認してたんだ?」


 ひょっこり現れた須藤が不思議そうに首を傾げる。それを無視するように、自分の店までスタスタ歩き、いつもの椅子に座った。


「……まず、田代がどこにいるかはわからない」

「?」

「ただ、この状況がどういう状況なのか、説明してやる。不本意だけどな」


 須藤は私のレジ兼作業台のちょこんと座ると、まっすぐ私を見た。


「まず田代。そいつはお前たちに飯のありかを教えていたわけじゃない。適当に飯がもらえそうなところを言ってただけだ」

「いやいや、実際飯にはありつけてたし……」

「でもしばらくすると邪険に扱われてたんだろ? そもそも好意的ではなかったんだ」

「……なんのためにそんなことを?」



「……お前らみたいなやつをうちに集めるためだ」



 実際、日に日に増えるこいつらを疎ましく思いながらも飯をやっていた。親父がそうしていたなら、俺もそうすべきだと思ったからだ。


「なんでここに集めるんだ?」

「それは……」


 不本意ではある。が、親父なら、きっとこうする。


「私が、寂しい思いをしないように、だ」


 須藤はああ、と得心いった顔をすると、ゆっくりと目を閉じた。こいつも、父ならそういうことをするだろうと思い至ったのだろう。


「田代は親父さんから、自分が死んだ後お前が寂しい思いをしないで済むように、ここにを集めるように頼まれた。でも素直にここに集めてしまうとお前が嫌がるから、自然とここに集まるように仕向けた、ってことか。他に食うところがなくなると、みんなここに集まるしかなくなるし」


 須藤の顎下を指で掻いてやると、ゴロゴロと小気味のいい声を出した。


「じゃあ、田代はどこにいるんだろうな」

「……ただの推測だが、おまえらは死期が近づくと、人目につかないところへ行くそうだな。親父も、同じく死期を悟っている田代にシンパシーを感じてこんなことを頼んだんじゃないか」


「ごめんくださーい」


 珍しく、若い客が2人入ってきた。


「最近SNSで、このお店に猫ちゃんが集まるって話題になってて……あ! ほんとにいた!」


 須藤を見つけた客が声を上げる。

 私の方を見ると、須藤は意地悪そうな笑みを浮かべ、「にゃあ」とわざとらしく鳴いた。


 おもむろに、SNSで「英階堂」と調べてみる。店の前で大量の猫が飯をがっついている写真に、いいねが12万件ついていた。


 親父よ、おかげさまで、しばらく寂しい思いはせずにすみそうだよ、まったく。



 了








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