第2話本文


 七月某日。1DKの狭いアパートの一室は、太陽の熱とパソコンのファンの熱でサウナ状態だった。

 Tシャツが汗で湿り、肌にへばりついてくるのが気持ち悪い。出来る事なら今すぐにでも銭湯に行って、湯船に浸かりたかった。しかし、今ここで部屋を出るわけには行かない。

 理由はただ一つ。

 推しが、そこにいるからだ。

 デュアルモニターの片面で、最推しのVTuver、現想げんそうミライが配信中なのだ。

 銀色に輝く髪に、未来を見通すかのような水色の瞳。

 女神とさえ評される容姿から発せられる声はどこまでも透き通っていて、いつまでも聴いていられる。

 VTuver。近年ネット上に現れた次世代型配信者で、Live2Dで作られた立ち絵を動かしながら、ゲームの実況や雑談配信などを行う二次元上の存在。令和の時代となった今、その人気は急上昇し、様々な場所で話題になっている。

 数年前、当時高校生だった俺は友人に勧められて以来、その可愛さに惹かれ、見事にVTuverの沼へと沈んだ。

 特に現想ミライへの愛は、貯金を崩しながらスパチャを投げ続けるほどに大きい。  

 最推し、といったものだ。

 ……いやね?分かるよ?さすがに沼りすぎてるってのは。でもさあ?可愛い推しが!頑張って配信をしているのなら!応援したくなっちゃうやろがい!!

 謎の語り部口調も面倒臭くなったのでやめよう。一人謎テンションとか、一人脳内語りとか、訳の分からんことをついしちゃうのは職業病なんだ、許してくれ。などと虚空にぼやいても、あと1ヶ月も経てば言えなくなってしまう。

 二年前、なんとなくで応募したネット小説の大賞企画で何故か銀賞を取った俺は、高校生ながらも小説家としてデビューしてしまった。

 初めこそなあなあで始めたことだったけれど、そこから二年ほどは順調に巻数を積み上げることができた。

 しかし、ついに先週その怠慢が自分の首を絞めた。

 ある日担当編集者さんから来た電話が、全てを終わらせた。


「来月発売予定の四巻をもって、打ち切りとします」


 その言葉を聞いた瞬間、俺は文字通り膝から崩れ落ちた。

 元々趣味の延長で書いていた小説。新しい話など一文字も考えておらず、次回作で生存もできない。しかも、順調とは言っても底辺のラノベ作家。ファンからの熱い応援で生き返り、なんていうことも無い。

 残されたのは底が見え見えの預金通帳と、絶望だけ。

 実家暮らしではないので親の手は借りられない。というか、あの親から逃げたくて無理矢理一人暮らしを始めたのだ。今更帰って頼る事なんてできないし、野垂れ死んでもしたくない。

 そんな無職になった俺は、仲の良い友人の紹介で今流行はやりのウーバーなんちゃらのアルバイトを始め、無職引きこもりニートからバイト暮らしニートへのクラスアップに成功した。

 そんな昔のことは縦置き横置き隅に置き。今、最低限の食い扶持ぶちは保たれた俺は、余ったバイト代で今日も今日とて愛と情熱の赤スパを推しに投げるのだ。推し可愛いサイコー!\(^p^)/


「こらぁかいにい!そろそろバイトの時間でしょ……って、まーたVTuverの配信見てる。今日は誰?ミライちゃん?」


 インターホンを鳴らさずに我が物顔で部屋に乗り込んできたのは、このアパートの大家さんの娘の汐見しおみ亜紗梨あさりちゃん。

 中学三年生の彼女は、今年で二十歳の俺を完全に見下し、なめ腐った態度をとる。大家さんが持つマスターキーを使って勝手に遊びに来るので、厄介この上ない。

 まあ、特に何かしてくるわけではないので、来る分には一向に構わない。あったとしてもせいぜいお菓子を勝手に持っていく程度だし、そのぐらいなら全然可愛いもんだ。限定コラボスイーツを勝手に食われた時は泣いたがな。

 

「またとはなんだまたとは!推しが配信をしている。それだけで毎日上限までスパチャをする理由には充分だろ!」

「うっわ、ガチ恋勢キッモ。無職のフリーターになったってのに、いよいよ救いがないね……もし野垂れ死んだらお仏壇には来てあげるよ。手は合わせないけど」

「そこまで来たなら線香のひとつぐらい立てて行けよ……」


 見ての通りVTuverへの理解が全くないのは、全然可愛くないが。全く、最近の若者は配信は長くて見ていられないとか倍速視聴最高だとか、我慢が利かないもんだ。

 だがしかし、亜紗梨ちゃんの言う通り、時計を見ると十八時過ぎ。そろそろ担当時間になる。まだ配信は続いているが、仕事をサボるわけにはいかない。

 毎日コツコツ働き、銀行への貯蓄を貯めていく。これからの人生を再建するため。いや、何よりも大切なのは……


「可愛い推しに貢ぐため!」

「キッショ」


 勢いよく椅子から立ち上がると、汗でぐっしょりのTシャツを脱ぎ捨て「こっち投げんな汚い!!」タンスから新しいTシャツを取り出し着替える。

 自転車で動きやすいようにウエストポーチを身に着け、ペットボトルのお茶を入れる。

 最後にウーバーなんちゃらのロゴが入ったキャップを被り、専用のリュックを背負えば準備完了。


「それじゃあ亜紗梨ちゃん、バイト行ってくるからカギ閉めといてね」

「ふぁ~い。うぃってらっひゃ~い」


 新発売のポテチを勝手に開けていたが、無視して玄関を出る。

 真夏の西日に照らされる住宅街は家に帰る子供たちの声で響いている。昔は俺も元気に走り回ってたなあと思いながらも、今の引きこもり生活を止める気はしない。

 ポケットからワイヤレスイヤホンを取り出すと耳に着け、玄関先にある自転車にまたがる。

 YouTubeを開きミライの配信を流す。今はスパチャ読み雑談タイムなので、画面を見なくても声が聞こえるだけで充分楽しめる。

 早速注文の通知が入ってきた。

 注文内容は弁当屋チェーン店で、麻婆丼(激辛)が二つ、とんかつ弁当が一つ、インスタント豚汁が三つ、ペットボトルのウーロン茶一本にお子様プリンが五つ。

 内容からして三人分の注文らしい。プリンが多いのは麻婆豆腐が辛いからだろう。

 

「さて、今日も精一杯働きますか!」


 キャップを深く被り直すと、自転車のペダルに力を入れ夕暮れの住宅街を駆けていった。



     □ □ □



「ありがとうございましたー」


 弁当屋で注文の品を受け取り、自転車に跨る。

 大通りを道なりに進み、目的地である新築の高層マンションを目指す。


「さて、それでは今日はこの辺で終わりたいと思います!最後にひとつ、ブイスタ公式さんからお知らせがありまーす!」


 イヤホンから聞こえる推しの声が、楽しいひとときの終わりを知らせる。

 ただ、ブイスタ公式からのお知らせとはなんだろうか。

 ブイスタとは、ブイスターズというVTuverグループの略称だ。

 多くのVTuverが界隈で生存するために尽力する中、考案されたのが「企業として雇って、企業全体でバックアップをしていく」というグループ制度だ。

 ブイスターズもその中の企業のひとつであり、今話題沸騰中のグループである。

 そんなブイスタには現在四名のVTuverが所属しており、その中でも現想ミライはエース級の人気を誇っていた。

 そんな偉大なるブイスタ公式様からのお知らせとは、一体何だろうか?

 ちょうど赤信号で止まったので、スマホを取り出して画面を見る。

 ミライの立ち絵が消え、画面が暗転する。

 しばらくすると、PVが流れ始めた。ダイヤ、サファイア、ルビー、エメラルドが淡く浮かび上がり、それぞれの宝石の中に、人のシルエットようなものが描かれている。宝石達はそれぞれピックアップされ、砕け散り、中にいたシルエット達があらわになる。


「おお!?」


 まず最初にエメラルドの子が出てきた。

 薄い緑色のふわふわショートヘアーにエメラルドの髪飾り、穏やかそうなおっとりとした垂れ目。そして何より目を引くのが、頭の上についている猫耳。緑の毛色の耳は体の動きに合わせてピクピクと動き、自然と目を引き寄せられる。表情からも感じられる緩い雰囲気がより一層猫っぽさをかもし出していて、それがまた可愛すぎる。


「初めまして~。ブイスターズ二期生の、猫崎ねこさきエメで~す。皆さん、よろしくね~」


 『猫耳来ちゃあ!!』『ブイスタ初じゃね?』『耳可愛い』と、ブイスタに所属しているライバーで、初のケモミミ持ちにコメント欄ではもうお祭り騒ぎだった。

 大発表に釣られ、スパチャも投げられる投げられる。俺も投げたいけど、もうすでに上限まで投げてしまっている。こんなことなら、少しぐらい残しておけばよかった。

 大盛況の中、続いてサファイアの子が出てくる。

 背格好は高校生ぐらい、群青の中に白のインナーカラーを添えたストレートヘアーにサファイアを型取ったヘアピン。綺麗に整った表情からは、可愛いよりもクールでカッコイイという印象が強い。


「ブイスターズ二期生としてデビューする、青空あおぞらサフィアと言います。皆さん、サフィと気軽に呼んでくださいね。呼ばないと……どうなるか、分かってますよね?」


 『PVで脅してくるの草』『ヤンデレ最高』『こりゃ喜んで豚になるブッヒー』と、コメント欄での反応も大盛り上がりブッヒー。

 初見でここまでインパクトを与えてくると、数か月後のデビューまで記憶に残り続けるだろう。サフィアは今後のV界隈での人気カースト上位もあり得るかもしれない。活動を開始してからの活躍が楽しみ過ぎる。

 続いて、ルビーの子が前に出る。

 宝石のような透明感を帯びている赤髪を短く揃え、例に漏れずルビーを型取ったヘアバンドを手首に着けている。クラスに一人はいる陽キャ女子というよりは、いつまでも男子と一緒に遊んでる感じのザ・元気を象徴するような姿に、蒼い春を過ごした非リアとしては期待が高まる。


「初めまして、ブイスターズ二期生の、ほむらルビィだ!皆よろしくな」


 『赤髪来たアアア!!』『八重歯可愛い』『おいルビィ!』

 これまたブイスタにしては珍しい元気タイプだ。ブイスタは可愛い子だらけってイメージが通っていたけど、これは新規ファンも多そうだ。あと『焔』って名前が最高に厨二心をくすぐってきやがるのも最高だぜ!

 そして、最期にダイアモンドの子の番になる。

 四人の中ではロリ枠である彼女は、銀色に輝く髪をツインテールにし、ダイヤモンドの髪飾りで留めている。宝石のような碧眼へきがんでこちらをまっすぐと見つめながら笑顔を浮かべる。


「初めまして!今回ブイスターズ様から2期生としてデビューします、星宮ほしみやダイヤです!皆の毎日を、ダイヤモンドみたいに輝かせます!」


 ダイヤがお辞儀をした瞬間、俺は完全に見入っていた。冗談抜きで、惚れた。先程現想ミライが最推しだなんて言ったが、それが揺らいでしまうほどに好きになっていた。

 配信のコメント欄は『可愛すぎ』『推し確』『ブイスタマジ神』などのコメントが嵐のごとく流れている。推しを共有できるのがここまで嬉しいものかと、改めて実感する。人類皆友達。

 そんな冗談めかしてみるけど、頭の中はダイヤでいっぱいだった。亜紗梨ちゃんにガチ恋勢キモッと罵られたが、これは更に罵倒を受けることになりそうだ。

 赤スパも一瞬で流されてくほどの大歓声の中、「Coming Soon」の文字と共に配信が終わる。わずか三分程度のPVで、大満足過ぎる内容に未だ興奮は冷めない。

 ふと見上げると信号が点滅しているのを見て、急いでペダルを漕ぐ。

 さあさあ、気合を入れ直せ。最推しが増え、楽しみなことが増えまくる。財布の中身も寒くなる!


「おりゃあ!稼ぐぞおおお!!」


 気合のままに近くの駐輪場に自転車を止めると、手際よくチェーンを絡め、マンションのエントランスに入る。指定された部屋番を押してインターホンを鳴らし、「どうも~ウーバーなんちゃらでーす」と滑舌良く言うと、遠隔操作でセキュリティロックのドアが開かれる。

 エレベーターを見ると丁度今行ったところらしく、五階を越え昇っていく。

 ふと、エレベーターの横にあった非常用階段が目に付く。ご注文のお届け先は四階。そのままエレベーターが下りてくるのを待っていてもよかった。けれども、今の俺は止めらんねえぜ!とノリノリで階段を一段飛ばしで駆け上がり、注文主の待つ部屋に辿り着く。

 身嗜みだしなみを整え、深呼吸を一つしてから呼び鈴を鳴らす。

 「はーい」というくぐもった声の後、部屋の中からドタドタと足音が鳴り、玄関の扉が開かれる。

 中から出てきたのは、ハーフだろうか?あまり整えられていない銀髪に綺麗な青い瞳。でも顔立ちには日本人ぽさはあった。

 そんな特徴だらけの容姿に、何かが引っ掛かった。どこかで会ったことがあるような気がする。けど、それがどこだか思い出せない。

 じっと顔を見ていると、小さい彼女は怪訝そうに見上げてくる。それに気付いてすぐに営業モードに入る。


「ウーバーなんちゃらです。ご注文なさった岩垣いわがき詩音しおん様でしょうか?」

「はい、詩音は私の事です」

「それではご注文して頂いた商品の確認をさせて頂きます—————」


 そこから事務的な対応を続けながらも、ずっと考えた。絶対どこかで会ったことがある気がする。会ったというか、見たというか。声も、つい最近どこかで聞いた気が……


「あ」

「?」


 詩音が料金の受け渡しのために財布を開いたタイミングで、ある事に気付く。

 もう一度彼女の顔を見る。

 そして、ついさっき見た配信を思い返す。

 いやまさか、二次元と三次元だぞ?コスプレイヤーでもこうも似ることはないだろ。

 そう自分自身をさとしてみるが、心が否定してくる。


「あ、あの~?」


 見上げてくるその顔が、決定打になってしまった。


「もしかして、星宮、ダイヤ……さん?」


 疑心暗鬼気味に俺が尋ねると、わなわなと詩音は肩を震わせ、涙目で見つめ返して来た。


「な、なんで知ってるんですか……?」


 その日、しがないVTuverオタクのはずの俺は、液晶画面を通してでしか出会う事の出来ないはずの推し、星宮ダイヤ—————岩垣詩音と、出会ってしまった。



     □ □ □


 

 どうも皆さんこんにちは。石巻峡いしまきかいです。僕は今、ブイスタ公式事務所の社長室にて、ソファに座って番茶を啜っています。死ぬほど怖いです。もはや番茶の味が狂って感じます。なんで湯呑に入ってるのは緑茶なのに紅茶の味すんだよ。味覚障害かよ。

 こういう時はあれだ。いつものノリだ。


 ……事は1時間ほど前にさかのぼる。

 とあるVオタの俺は、今日も熱心にスパチャ代を稼ぐためにバイトに勤しんでいた!だが、VTuverに熱心し過ぎていた俺は、とある注文主のお客様の本業を声から見抜いてしまった!!

 慌てる俺!電話をする推し!そして5分後にはマンションに現れた謎のスタッフ!有無を言う間もなく黒いミニバンに乗せられ、どこかへと向かう一行。

 怯える推し、半泣きの俺、ヤバい顔してる黒服!はたして俺は、無事に1DKのボロアパートに帰れるのか……!?次回!「石巻峡、死す」デュエルスタンバイ!


 と、脳内意味不明劇場を繰り広げてみたりするけど、やっぱり湯呑の味は緑茶になってくれなかった。というか、もはや紅茶を通り越してドクダミ茶になっていた。早くおうちに帰りたい。

 一人騒がしく自分の世界に入り浸っていると、背後でガチャッと扉が開かれる音がした。

 

「すみません。急ぎの用があったものでして。お待たせしてしまいました」


 そう言って入って来たのは、爽やかなイケメンフェイスに紺色のスーツを着こなしている若い男だった。その顔を見るや否や、全身から否応なく汗が流れ出てくる。今度は冷房が暖房になったらしい。感覚器官が仕事を放棄しやがった。だが今ばかりはしょうがない。だってこの男は——————

 男は身嗜みを整えると、ローテーブルを挟んだ反対側に座る。


「それでは。初めまして。私は株式会社スタジオカラー、ブイスターズプロジェクト代表取締役の浜里はまりすぐと申します」

「ええ、とてもよく知っております。いつも大変お世話になっております」


 男——————浜里は丁寧な仕草で名刺を差し出して来た。それに深々とお辞儀しながら恐る恐る受け取る。

 ヤバい、代表取締役が出てきちまった。ガチのやつが、現れてしまった。

 ブイスターズプロジェクトの創始者にして最高責任者、浜里直。東大卒業後スタジオカラーに入社。新人ながらも目覚ましい活躍をし、新事業として話題のVTuverに目を付け、25歳という若さながら、会社の看板を背負う一大プロジェクトを生み出した男。

 ファンからは「神」と呼ばれる浜里が、今自分の目の前に座っている。

 ガクガクブルブルで名刺を受け取ると、次はそちらがどうぞと視線で促された。それにならい、居住まいを正してこちらの名を名乗る。


「初めまして。石巻峡と申します。『シェル』というペンネームでライトノベル作家として活動しております」

「あ、ラノベ作家さんなのですね。初めてお会いしました。どのような作品を書かれているのでしょうか?」

「過度可愛文庫で、『ミリオタな俺は魔法ありのファンタジー世界でなお銃を握る』を第3巻まで出版させていただいております」

「ああ、今度4巻が発売されるのですよね。おめでとうございます」

「いえいえ、ありがとうございます——————」


 帰りてええええええええええええええええええええええええ!!!!!!!

 小説家になって3年。いくら経っても未だに慣れないこの自己紹介。恥ずかしい!恥ずかしすぎる!!もうちょっとどうにか出来ないかなこの挨拶・・・生きて帰れたら新しいものを考えよう。

 というかこの男、事前に俺の素性を調べ上げて来てるな?自分で言うのもなんだけど、自分の書いてる小説はあまり売れていないどころか、極少数のニッチなファンによってのみ消費されてきた作品なのだ。

 ミリタリー系を題材に置いていることや、昨今世の中に溢れかえっているなろう系に属することもあり、新規層が全く入ってこない。浜里がいくら見聞が広くても、そうそう知ってるものではない。

 というかそれ以前にどこで俺がラノベ作家だと気付いたんだろうか?


「堅苦しい挨拶も済んだことですし、ゆっくりなされて大丈夫ですよ」

「それではお言葉に甘えて」


 こちらの緊張っぷりを見てか、少し笑った後にお茶を勧められた。もはや無味無臭の緑の液体を飲みながら一息つく。

 秘書っぽい女性の人が出したお茶を浜里も飲むと、「さて」っと切り出した。


「それで、どこで我が社の所属ライバーの住所を特定したんですか?」

「ごふっ」


 聞かれるとは思っていたが、こうも直接的なのかとお茶を吹いた。ゲホゲホとむせながらも呼吸を整える。


「いえ、住所を特定してリア凸したわけではありません。私はただのウーバーのアルバイトで注文先にお届けに上がったところ、そこがたまたまライバーご本人宅だっただけです」

「それじゃあデビュー前の星宮ダイヤが彼女だと何故分かったんですか?」

「直前に新2期生のPVが公開されましたよね?それを見てたからです」

「おや?それでは貴方は、仕事中に動画を見ていたってことですよね?職務怠慢なのでは無いでしょうか?」

「あ……」


 指摘されて初めて墓穴を掘ったことに気づいた。バカなのか俺!?

 汗をダラダラと流し、視線をせわしなく動かし慌てる俺を見て、浜里は声を上げて笑った。


「いや、すいません。少し意地悪をしてみたかったんです。彼女が言う君がどんな人か。試すようなことをして申し訳ありません」

「は、え?……は?じょ、冗談……?」

「ええ。驚かせてすみませんでした」


 頭を下げる浜里に、理解が追い付かない。冗談?神が?俺に?何で?

 脳がパンクした俺は、常套手段『思考破棄』を発動。

 一息ついて番茶を啜ると、初めて緑茶の味がした。なにこれめっちゃうまいやんけ。絶対高級な奴だ。一杯飲んどこ。


「落ち着いたようで何よりです。これで住所特定云々うんぬんの話は終わりなので安心して大丈夫ですよ。ところで石巻さん、話は変わりますが、ひとつお願いしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」

「ん?なんでしょうか?自分にできることでしたら何でもしますよ!」


 美味しいお茶を飲めて気分が良くなった俺は笑顔で頷くと、浜里は「おいで」と誰かを部屋に呼んだ。

 「失礼します」と開かれた扉から現れたのは、星宮ダイヤ、もとい岩垣詩音だった。


「峡さん、宜しければこの後、このの家に泊まってもらってくれませんか?」

「ふぇ?」


 緑茶がまたドクダミ茶になった。



     □ □ □



「えーっと、ほ、星宮さん?」

「……」


 ブイスターズ本社出てから、詩音は一切口を開かなかった。送迎のワゴン車の中でも、マンションのエントランスに入っても、玄関の鍵を開ける時も、ずっと下を見て一言も口にしなかった。

 これは、相当怒ってるんだろうか……?

 ウーバーの配達員がいきなり職業言い当てて来て、さらに会社も関わる大事になったら、そりゃあ怖いし迷惑もいいところ。気付けば時刻は10時過ぎ。したかった用事も丸つぶれで、愚痴のひとつでも叫ばなきゃやるせないに決まってる。

 玄関を上がるとリビングに入ると、詩音はソファを指さす。

 

「座れってことで、いいですか?」

「んっ」


 勧められるがままソファに腰かけると、いきなり膝上にまたがって来た。


「あなた、ラノベ作家ってほんと……?」

「ふぁ!?は、はいそうです私がラノベ作家のシェルですッ」


 何が何やらアッチョンブリケ。女の子に突然跨られたことが何より意味不明だけど、容姿がアイドル顔負けに可愛いのと推しにそっくりなことが理性を壊してくる。 

 というか、そっくりどころか今自分の上に跨がっているのが推し本人という事実がさらに意味が分からなくなる。

 正面を見たら触れてしまいそうなぐらいの距離に推しの顔があるせいで、どこを見ればいいのか分からず目を閉じるしかなかった。もはやどうにでもなれの精神だった。

 小さな手がそっと頬に触れる感覚が暗闇から訪れる。あまりにもくすぐったくて、でも逃げることができずに身悶もだえる。

 すうっと息を吸う音がして、吐息が肌に触れる。


「初めて、会った……!本当の、ラノベ作家!!」


 恐る恐る目を開けると、トトロを見つけたかのような笑顔ではしゃぐ少女がいた。

 詩音は膝から降りると、リビングから出ていき別の部屋に駆け込む。すぐに戻って来ると、手に持っていたのは、俺の書いた本だった。



「それ、俺の……」

「あ、えっと、私ラノベとか大好きでっ!いつも色々読んでて、えっと、ファンです!握手してくださいっ!」

「え、えええええええ!?」


 もじもじ照れながら打ち明ける彼女に、ただただ開いた口が塞がらない。

 自分でニッチなとか極少数とか言ってたファンが、目の前に居た。しかも、推しのVが、ファンだった。今までの人生でこれほどまでに嬉しいことがあるだろうか。

 詩音から恐る恐る手を差し伸べられたので、俺はすぐに起き上り、笑顔で握り返す。


「今まで読んでくれてありがとう!これからも楽しんでくれると良いな」

「は、はいっ!次巻も楽しみにしてます!」

「……うん、楽しみに、して、て……」


 ダメだ。実はもう打ち切りだなんて、言えない。この無邪気な笑顔を壊すようなことは、俺には出来ない……。

 俺が暗い顔で俯いたのを気にしてか、詩音はテレビからSwitchを持ってきて、ジョイコンを渡して来た。


「えっと、先生さえ良ければ、一緒にゲームしてくれませんか?」


 詩音は緊張しながら俺にリモコンを差し出した。年下に気を使わせてちゃったな。 

 推しが一緒にゲームをしようと誘ってくれたんだ。断る理由なんてあるはずない。


「良いよ。それじゃ、何しよっか。マ〇オカート?」

「テトリスしよ!」

「おおう、絶妙なチョイス……」


 新刊を出せない事へのせめてもの罪滅ぼしになればいいと思いながら、俺はテレビに向いた。



     □ □ □



 カーテンの隙間から、やわらかな木漏れ日が差し込んでくる。心地良い光が、ぬくもりと共に俺の眠りに寄り添って……


「暑い!!」


 ソファからガバッと起き上がる。窓も開けずに真夏の日差しを直に浴びるなんて、そりゃあ熱くなりますわ。何故か冬物の毛布被ってるし。

 と、自分と毛布の間に何か居る。めくってみると、詩音が俺の服を掴みながらすぅすぅと静かに寝息を立てていた。

 同衾どうきん、という言葉が脳裏をよぎる。

 如何にも未成年の詩音と今年20歳の男が、同じ毛布にくるまって一夜を共にする。誰がどう考えたって犯罪臭しか漂ってこない文字列に、冷や汗が止まらない。

 俺、手出したりしてないよね?変な事してないよねえ!?と、心臓がバックバク騒いで鳴り止まない。やわらかい体と甘いシャンプーのにおいが死ぬんじゃないかってほどに鼓動を速めてくる。

 そこに突然、スマホの着信音が鳴り響いた。


「ほわあ!」


 驚いて大声を上げると、「ううん……」と詩音がうなる。慌てて口を抑えると、出来る限り起こさないように机に手を伸ばす。

 なんとかスマホを手に取ると、急いで電話に出る。


「は、はいもしもし」

『あ、もしもし。石巻峡さん?』

「はいそうですけども」

『私ウーバーなんちゃらの責任者なもんなんですけど、君昨日仕事してないよね?』

「え、ちゃんと商品をお客様までお届けしましたけど……」

『君昨日タイムカード切ってないから働いたことになってないのよ。商品発送完了の報せも入れてないし』

「あ……」


 そう言えば昨日は自転車に乗った時に、現想ミライの配信をつけただけでアプリで今から働くという一報を入れていなかった。しかもその後もブイスターズ本社に足を運んだりで商品お届け完了を通達していなかった。


「す、すいません。昨日はうっかりしておりました。本日からはまた……」

『いや、君はもういいよ。このアルバイトなんて外国人留学生とかもたくさん働いてるし、代わりの人なんていくらでもいるんでね。今日をもってクビだよ。今までの給料は振り込んでおくから。それじゃ』


 乱雑に通話が切られ、ただ呆然と固まる。

 こんな短期間で2回も解雇通知を受ける人も珍しいと思う。もはや笑いたくなるが、現実は何一つ笑えない。やっと見つけたアルバイト、それすらも失った俺は、ついに微かな食い扶持を完全に断たれた。

 死んだ魚の目で天井を見つめる俺の上で、小さな天使が目を覚ました。


「ふぁあ~。どうしたの、せんせ」

「仕事をクビになっただけだよ……」

「ふぅん」


 口から魂が抜けている俺は包み隠さず話した。

 すると、詩音があくびをしながら提案してきた。


「じゃあうちで働く?」

「は?」


 つい素で返してしまったが、改めて考えても「?」だ。詩音はピシッと部屋を指さす。それに釣られ、辺りを見渡す。

 視線の先にあるのは、曜日を過ぎた可燃ゴミのゴミ袋、無造作に脱ぎ捨てられた衣服の数々、積まれまくったマンガの山。足の踏み場が辛うじて残っている程度で、呆れるほどに立派な汚部屋だった。俺が今まで内装について触れてこなかったのは、これのせいでもある。

 そこから分かることは、詩音の圧倒的な家事力の無さ。

 腕を下ろしこちらを見つめてくる詩音は


「ご飯作って」


 とそれだけ言うと、毛布を引きずりながら、奥の部屋へと消えていった。何の音もしてこないから、多分二度寝を始めた。

 仕事を失って路頭に迷うところで、やることを与えてくれた詩音には感謝しかない。

 ソファから起き上がり、グッと背伸びをする。給料がいくらもらえるかは知らないけど、要はハウスキーパーをして欲しいってことだろう。だったらお安い御用だ。


「よし、飯作るか!」


 その前に、まずは顔を洗うために、洗面所を探そうかな。


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②最推しの推しが俺だったんだが スモアmore @ooonotkm

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