第4話 現場の瞬間

「迅、下持って」

「はい、ここっすか?」

「そう。はい、せーの!」


フックに吊るされた着ぐるみを、健太郎、堀内と3人がかりで持ち上げる。着ぐるみの背中のジッパーを下げると中からガムテープでできたマネキンが現れた。表面はガムテープで、ラップの膜と、中に『プチプチ』と呼ばれる緩衝材が入っている。これがこの間、健太郎を元にして作った、健太郎サイズのマネキンだった。


「はい、取れた、このまま持ってっちゃって」

「はーい」


備品小屋から外に出ると、澄み切った青空が広がっていた。

桜の葉は青々と繁り、学校の周囲を新緑に染めている。

夏の訪れはまだ先だが、日に日に高くなる入道雲にその足跡が近づいていることを感じられる。

日差しは厳しいが、定期的に吹くカラッと乾燥した風が心地よい。

健太郎がガムテープでグルグル巻きにされてから一ヶ月後。ゴールデンウィーク真っ只中の平日。

出来上がった着ぐるみを健太郎と二人で抱えながら、校舎裏の駐車場に向かって歩く。

駐車場にはすでに撮影メンバーが集まっていた。岡部と烏丸が二人で大きな机を運んでいる。


「おおっ、来たな」

「お疲れ様でーす」

カメラの設定をしていた光里が振り向きつつ苦笑いしながら。

「当たり前のようにこき使ってるじゃん、ほりい」

「え、別にいいっしょ」

「あ、もうだいたい事情は聞きました」

「てか、全然説明してないべーさんの方が問題でしょ」

「あれ、俺言ってなかったっけ?」

「この子達、何も知らずに型取り付き合わされてましたよ」

「あー、ゴメンゴメン」

「とりあえず、俺の方でざっくりした説明はしといたけど」

「いつも悪いねー烏丸」

「ま、いいけどね、慣れてるし」

そう言いつつ烏丸はショルダーバッグを漁り、僕らに一枚の用紙を手渡してきた。

「これ、今日の分のコンテね」

「ありがとうございます」

手渡された用紙には、漫画のような絵でコマ割りと撮影内容が記されていた。

「ちょっと見せて」

「ほい」

健太郎はいつも通りの落ち着いた様子である。烏丸から聞いた話では、当初予定していた、着ぐるみを着て演技をする人いわゆる『スーツアクター』の人の代打として健太郎が選ばれたとの事だった。

いきなり、着ぐるみを着てキャラクターを演じろと言われて僕だったらこんな冷静ではいられないだろう。

「急に頼まれて、緊張とかしないの?」

「部活やってた時、入ったばっかで急に試合出させられたりしてたから」

「あー、やっぱそういうのって活きてくるもんなんだね」

「迅こそ大丈夫なの?」

「何が?」

「操演部ってのやるんでしょ?」

「え、何それ聞いてないんだけど」

「倉庫で、堀さん言ってたじゃん」

「ツッチー!」

急に名前を呼ばれて振り返る。烏丸がどこから借りてきたのか、バイクのエンジン部分のようなものを引きずって来た。

「コンプレッサー、借りてきた」

岡部がまじまじと眺めながら、「よく借りて来れたな」

「ここに来て親父のツテが役に立ったわ」

「じゃあ、ツッチーよろしく」

「ツッチー?」

「ああ、土田だからツッチー」

「なるほど」

「烏丸さん」

「うん?」

「マジで、僕、コレやるんすか?」

「うん。あれ、堀内さんから聞いてない?」

「あれ、私言ったよね?」

「いや、え、いつ言ってました?」

「さっき。『ホコリよろしく』って」

「あれって、掃除しとけって意味じゃないんですか!?」

「土『ぼこり』よろしくって事」

「…マジか…」

「まあまあ、ほら、やり方教えるから」


僕が任されたのは、セメントの粉を圧縮した空気で吹き飛ばし、土煙を演出するというものだった。

コンプレッサーと呼ばれるいわゆる空気圧縮機は、本来自転車の空気入れや塗装などに使われるものらしい。

近くで見るとエンジンとはまた違っていた。円柱状のタンクと、あとはよくわからない計器がいくつか。

コンプレッサー本体から繋がった細いホースには、小さなスプレーのような部品が付いている。

これを着ぐるみの動きに合わせて引き金(トリガー)を引いて、圧縮した空気を打ち出し、あたかも大きな物体が動いて巨大な土埃が発生したかのようにみせるのだ。


「ここの目盛りで、圧を見て、ここまでいったら満タンだから」

「はい…」

「ま、使って覚えた方が早いし、一回やってみようや」

「わかりました」

「あ、マスクしといた方がいいよ」


僕が烏丸さんから、コンプレッサーの使い方を教わっている間、健太郎は岡部さんらと動きの確認をしていた。

健太郎が着る着ぐるみは、ぱっと見ゆるキャラのようだった。モチーフはうなぎだろうか。どこかとぼけた表情が愛らしい。ゆるキャラのようにぬいぐるみのような素材ではなく、どこか生物感を感じるざらざらした素材だった。この間、堀内さんは、ラテなんとかと言っていたが、どうやらゴムの一種のようだ。

それにしても、岡部さんがデザインしたのだろうか。人となりが都会的で、洗練されてるだけにそこのギャップが違和感があったが。


実際に健太郎が着てみる。着せるのも一苦労だ。左右に一人ずつ補助が入り、それぞれの肩を借りて体を浮かせる。浮いてる状態で他の補助の人が着ぐるみの足を通す。それを両足分行ってやっと下半身が着ぐるみの中に入る。その後片手ずつこれまた同じように補助に協力してもらいながら上半身を通し、最後に背中のジッパーを閉めてもらう。


「オノケン、どう?」

岡部が着ぐるみの首あたりの前で手を振る。

「大丈夫です。見えてます」

少しくぐもった声で健太郎が答える。

「よし、ちょっとでも怖かったらすぐ言ってね」

「わかりました」

机の方に健太郎を誘導しながら、光里がフォローを入れる。

「サウナみたいでしょ。ごめんね、大変なとこ任せちゃって」

「確かに、温度と湿度ヤバイですけど」

「けど?」

「なんか、これちょっと落ち着きます」

「マジか?」

「うそ、初めてでそんな事いう人初めて見た」

「なんか、余計な情報が少ないからかもしれないですけど」

空気圧が十分になったのを確認して、僕らも合流する。

「すげえな、実際に見ると」

「これ、夏にやったら死ぬな」

「だろうな」

「タイミング、ミスらないでね」

「…はい、頑張ります」

「よし、とりあえずテストしてみようか」

「はーい!」

健太郎を大きな机の上に乗せる。高さは1メートルくらいだが視界が悪い状況では危険が伴う。

「オノケン、立てる?」

「はい」

「光里、どんな感じ?」

「ちょっと待ってね」

光里は、少し離れて体制を低くする。

「うん、いいんじゃない?」

「どれどれ?」

二人で、小さな一眼レフのカメラのモニターを肩を寄せ合って見ている。

光里は時折隣の岡部の方を気にするが、岡部の視線はモニターにしか向いていない。

「オノケン、その位置で一回倒れてみてくれる?」

健太郎は声を出さず、右手を上げてリアクションをした。

着ぐるみの巨体が、机の上にドスンと倒れ込んだ。

「はーい、起こすよー」

烏丸が机にヒョイと飛び乗り、健太郎を抱き起こす。一人では立ち上がることも困難だ。

「よし、じゃあ、これで飾ろうか」


アングルが固まったのか、岡部がこちらに声をかけてきた。

光里は三脚を組み始めた。今の位置でカメラを固定するのだろう。

「ツッチー! ごめん、あそこの小さい机持って来てー」

烏丸が、健太郎の上半身を脱がせながら叫ぶ。

「はい! これですか?」

「そう、それ、カメラ前に」

「こうですか?」

モニターを見ていた光里が細かい位置を修正する。

「ツッチー、まだ見えちゃってるから、もうちょっと奥かな」

「この辺ですか?」

「うん、その辺」


置かれた机の近くに、堀内がいくつかの段ボールを抱えて持って来た。

段ボールの中身は、電柱と道路標識のミニチュアだった。

サイズはそれぞれ30センチくらいだった。

「すげぇ…これ、堀内さんが作ったんですか?」

「まさか。私は造形しか出来ないから」

「今度会わせるよ、榊にも」

始めて聞く名前に、疑問の表情を浮かべた僕に、岡部が解説する。

「そういうの作る専門のやつがいるんだけど、あんま学校来てないんだよな」

「じゃあ、撮影のメンバーって基本これで以上ですか?」

「今日はね。多い時はもっといるけど」

「ベーさん、ちょっとレイアウト見てくれる?」

「ああ、ごめんごめん」

さっき置いた小さい机の上に堀内が、電柱のミニチュアを立てている。

「うん、もうちょっと右かな」

「こっち?」

「ごめん、ほりいから見て右だわ」

「『下手』ね」

「そうそう、そこで」

「はーい、じゃあ、これで留めちゃいます」


堀内が、グルーガンでミニチュアを固定する。

グルーガンは、工芸用の銃の形を器具で、柔らかい棒状のプラスチックを熱で溶かして物を接着するときに使う。


「ツッチー、これ押さえてて」

「はい。ここでいいですか?」

「うん。10秒くらいしたら固まると思う」

「てか、これ、机に直接付けちゃって大丈夫なんですか?」

「捨てちゃう机らしいから大丈夫。あと、乾いてもとれるから、それ」

「へー!」

「…面白い?」

「へ?」

「いや、楽しそうな顔してたから」


意図してない所を指摘され、恥ずかしくなり思わず顔を背ける。

深い意味はないのか、堀内は手を動かしながら続けて聞いてくる。カメラから離れた、健太郎が倒れこむ机の前にもミニチュアを飾っていく。


「ツッチーさ、ぶっちゃけ最初聞いた時どう思った?」

「何がですか?」

「特撮作ろうとしてるって聞いた時」

「ぶっちゃけ言っていいっすか」

「どうぞ」

「なんで、岡部さんがって思いました」

「その心は?」

「似合わないなって。特撮って聞くと、その、やっぱ子供っぽいじゃないですか」

「うん」

「あと、古いというか…僕らには関係無い、おじさんとかが好きそうというか」

「なるほどね」

「岡部さんって、こう、陽の感じするし、どっちかというとまだバンドとかやってて、古いにしても洋楽とか、そっち系のイメージだったから」

「なんか、美化しすぎじゃない?」

「いや、僕からしたホントにそんな感じなんですよ」

「そっかー」

「堀内さんは?」

「うん?」

「どうして、このメンバーに入ったんですか?」

「私は昔から特撮好きだったし、それに」

「それに?」

「おおーい!そんくらいで、飾りオッケー」

割って入って来た岡部の声に会話が中断される。

「はーい!」返事をした堀内は、振り向きながら話を続ける。

「やってみたらわかると思うけど、特撮って、古いどころか、めっちゃ今っぽい」

「今っぽい?」

「うん、なんかねー、エモい」


「じゃあ、本番いこうか」

「はーい」

岡部の号令で、全員が位置につく。

光里はカメラのモニターを覗き、岡部は机の上に上がり着ぐるみを着る。それを補助する烏丸。

堀内は何やら発煙筒のようなものを準備していた。

僕は、さっき烏丸さんに教わった通りに大机の端にしゃがみこむ。

カメラに映らないように頭を隠しながら、コンプレッサーのノズルだけ頭上に出す。大机の端にはセメント粉と呼ばれる灰色の粉末が山盛りになっている。これに空気を当てて、粉を舞い上がらせるという仕組みだ。


「じゃあ、『よーい、はい!』聞いたら、倒れてくれる?」

「わかりました」くぐもった返事が頭上から聞こえる。

「はい、じゃあ、本番!!」


「「本番!!」」


先ほどまでとは違う先輩たちの怒鳴り声にビクっとなる。

なんだこれ、まんま運動部みたいじゃん。

やっていることは、俯瞰してみたら滑稽に見えるかもしれない。

だが真剣な先輩たちの熱量を感じ、思わず肩に力が入る。

堀内が、発煙筒に火をつける。シューという音と共に、白い煙が吹き出してくる。

それを、持ったまま大机の奥側を走り回る。散らばった煙は薄い層になり、背景がぼやける。


「よーい…」

『い』を聞いたタイミングで素早くしゃがみ込む堀内。

「はい!!!」


急に来た、『はい』の声で、思わずトリガーを引いてしまう。

ブシュウ! と音を立てて、圧縮された空気が解き放たれる。

粉が舞い上がると同時に、健太郎が倒れ込んできた。

舞い上がった粉が、視界を灰色に染める。

マスクをしていても、どこかセメント粉のツンとした匂いを感じる。


「はい、カットー!」


岡部の声で、止まっていた時間が動き出す。

「ちょっと、チェックしようか」

全員が、光里の周りに集まってくる。


「ツッチー、ちょっと早かったな」

「え?」


確かに僅かに早かったという認識ではあったが、誤差の範囲内だと思っていた。


「見てみ」


カメラを受け取って、自分の目で確認してみる。

堀内がゆっくり動いている。その姿が消えて、岡部がゆっくり動きだす。

巨大な物体が、ゆっくりこちらに倒れ込んでくる。

地面に着く、よりも前に画面下から土煙が舞い上がる。

それから、ワンテンポ遅れて、健太郎の巨体は地面と接触する。周りに飾られたミニチュアがその振動で揺れ、巨大な物体が道路に落下して、地震が発生したかのように見える。


無造作に並べられていたかのようなミニチュアは、実際は計算された配置で遠近感を強調し、あたかも画面の手前から奥に道路が続いているかのように見えた。

初めて見る、特撮の映像に思わず声がでる。


「すっげ…」

「もう一回やろうか」

その声で、自分がタイミングを失敗していた事を思い出す。

「あ! すみません、俺」

「まあ、このくらいの仕掛けならすぐやり直せるから大丈夫」

「10倍だからね、難しいよね」

「はい。ってか、スローになると全然違いますね」

「あ、そっか! ごめん、これ、ハイスピードなんだわ」

「ハイスピード?」

「あとからスローにするために、撮影する時にコマ数を変えるんだけど」

「?」

「まあ、ざっくり言うと、撮影するときに1秒かかったものは完成した映像だと10秒になるのね」

「これを、コマ数10倍っていうの」

「はい」

「だから現場で1秒のタイミングを合わせるには、1/10秒の世界でタイミングを合わせないといけないの」

「1/10秒って、タイミング合わせられるものなんですか?」

「プロの現場だと、よーい『はい』の、『は』なのか、『い』なのか、『は』の『H』を聞いてなのかとかやってるらしいよ」

なにそれ、アスリートじゃん。と思ったが、失敗した手前口にも出せず。

「えっと、頑張って合わせます」

「うん。ま、日当たりの関係あるから、次で決めてね」

いつになく真剣な岡部の表情に萎縮しつつも。


「はい」気を引き締めて返事をする。

「風止んだ! 今ならベスト!」

発煙筒を持った堀内の声が轟く。

「じゃあさっきと同じで、はいを聞いたら倒れてくれる?」

「わかりました」

「よし、本番!! 」


「「本番!! 」」


元々は騙されて参加したとは言え、流石に何回も失敗するのは申し訳ない。

真剣な人たちの邪魔にはなりたくない。

岡部の声に、頭上の健太郎の動きに、耳の神経を集中する。


「よーい…」


周囲の雑音が消える。

マスク越しに自分の呼吸の音だけが聞こえる。


「はい!! 」

『い』の音を聞いて、健太郎が倒れる。

一秒に満たない僅かな瞬間、一瞬だけ間をあけて、全身で健太郎が地面に着くまでのコンマ数秒を待って。

「っ! 」

トリガーを、引く。

ドサッ! と、健太郎が倒れ込むタイミングにドンピシャで煙が舞い上がる。

再び、全身が粉まみれになる。


「カット! 」


遠くで岡部の声が聞こえる。

呼吸を止めていたのか、息が荒い。

いけた気がする。が、どうしても先ほどの失敗が頭をよぎる。

期待と不安を織り交ぜながら、カメラの元に向かう。

カメラを受け取って、小さなモニターを凝視する。

ゆっくり巨大なうなぎの化物が倒れる、地面に触れる、その瞬間、画面の下から灰色の砂煙がブワッと広がった。

舞い上がる砂煙と、揺れるミニチュアの看板。

カメラ前に巨大な物体が倒れ込んだ衝撃波が見事に表現されてた。

とても小さな机の上の出来事とは思えない、完全なる非日常の世界がそこにはあった。


岡部の顔色を伺う。

僕が不安そうな表情をしていたのか、いつもより晴れやかな笑顔で親指をぐっと上げて。

「ツッチー、完璧!」

それを見て、思わず声が出る。


「っし!」


モニターの向こうの非日常の世界。

そこは、僕らが自分の手で、身体で、全身で作り出した空想の世界。


この時僕が感じた高揚感は、例えば僕が普通に運動部に入って、チームメイトが出来たら経験できたことなのかもしれない。

いや、運動部でなくても、例えば吹奏楽とか、かるたとか、軽音とか。


でも、なぜか僕にとっては、この場所が、

みんなの熱量が一つの画になるこの瞬間が、とても新鮮で、印象的で、なんというか。


そんな僕の方を見て、堀内が笑いながら言った、

「ね、けっこう、エモいでしょ」

という言葉だけがとても記憶に残っている。

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