閉じた町で生きる私たち

夏希纏

閉じた町で生きる私たち

 この町に生まれた子どもは、大抵近所の公立中学校に行き、そのまま近所の公立高校へ進学する。とても優秀だったり、金持ちの子どもは東京など大都市の大学へ進学するが、そうじゃない大勢の人は地元の工場に就職する。一般人でも中の上に位置する、もし都会だったら名門私立大学に行けていたような層は、ここか近くの県内の役所に勤務する。


 そうやって地元に残った人々は30にならないくらいのときに結婚し、また自分たちと同じような生活を送る子供を作る。


 この連綿と続くレールからはみ出してしまった何の取り柄もない人は、嘲笑われながらひっそりと姿を消す。自ら命を絶ってしまったのか、この町の外へ出て行ったのかはわからない。


 私が生まれたのは、そんな面白みのない町だった。生まれて16年目になり、私もみんなと同じように町内にある、自宅から徒歩15分ほどの公立高校に通っている。顔ぶれは幼稚園のときからさほど変わっておらず、ちょくちょく転職・転勤で来た新しい顔が見え、逆に目立っていた子が消えている程度だ。


 工場と農業がこの町の主な産業で、田舎町にしては人口も飲食店も多く、活気づいている。大企業の工場だからか、一般的な工場勤務に比べて賃金は高いらしい。基本的に町内の人は満ち足りた表情をしている。


 工場の密集している地域は居住区から離れていることもあり、特に学校周りなんかは自然豊かだ。……それなのに、どうして。


 学校の窓から外を見やる。遠くにある灰色の地域と、緑や花や家々。ビルなんて建っていない色彩豊かな町なのに、この町が灰色に覆われているような感覚を抱く。


 この感覚は最近芽生えたものではない。物心ついたときから、何なら生まれてからの16年と少しのあいだ、この町の光景はくすんで見える。


 再び黒板に視線を移すと、4月からあまり進んでいない内容が黒板に書かれてあった。あまり言及しないようにはしているが、近所なだけで選んだこの高校は偏差値が高くない。同じく近所というだけでやってきた人が多いから、荒れているわけではないけれど。


 理解の範疇を超えない授業。見慣れ切ったクラスメイト。どこか閉塞的な雰囲気の漂う教室。


 何も新しいことなんて起きないまま、きっと私たちはここを卒業する。近くに大学なんてないから、町外のオフィスワークなんて望めない。私たちは見慣れた顔の人ばかりが勤務する工場で働き、その中でも親しい人と結婚し、子供がこの町に溶け込んでゆく様を見届ける。


 ──それで、いいのかな?


 考えて、苦笑する。よくないと結論を出したところで、何ができるというのだろう? 一人暮らししながら大学に通えるようなお金なんて、我が家にはない。都会どころか、他の地域で就職できる保証なんてものもない。


 この町で一生を過ごすことが、私に課された運命なのではないか。ふとそう思うことがある。


 そうだったら、まるで奴隷みたいだ。生まれながらに、大企業の歯車として人生を捧げることを強制されているなんて。


 教壇に立つ先生が、とても自由な存在に見えた。


   ◆


堀北ほりきたさんも、就職希望でしたね。今から対策すれば市役所や町役場への勤務も可能かと思いますが、第一志望は工場とのことで?」


「はい。やっぱり女の子だと、すぐ結婚するじゃないですか。それなのにわざわざ特別に勉強させるのもどうかと思いまして。高校生らしい思い出を作ってほしいんです」

「なるほど」


 中学校のときもそうだったが、やはり三者面談は居心地が悪い。私の進路のはずなのに、私じゃない『町の子供』としての未来を選ばされているような気がする。


 お母さんは私がその未来の幸せに疑いを持っているとも知らず、ニコニコと話している。先生も淡々とうなずいていた。きっと他のクラスメイトも、大半はこんなことを言っているのだろう。


「……私は、町を出たいです」


 私は、この町が好きではない。みんながひとつの未来へ歩いてゆく姿には、気味の悪さを覚える。工場に勤務するのも、結婚するのも、私じゃなくてもいい、ということが気に食わなかった。


 おとなしい子もいるが、基本的にみんな気心の知れた仲だから、休み時間は大いに盛り上がっている。そのなかで閉ざされた空間に馴染めない私は、いつもひとり本を開いて『ここじゃないどこか』『私じゃなきゃできない何か』がある世界へ思いを馳せていた。


 そんな疎外感を、これから先死ぬまで味わわなきゃいけない。そう考えたら途方もない絶望を感じて、人生なんて早く終わってしまえばいいのにと願わざるをえなかった。


「そうですか。堀北さんの成績であれば、県内の国公立大学進学も狙えますよ」


 先生の助言と、『やりたいこともないからとりあえず』と無駄になることを自覚しながらも、勉強していた日々がつながる。


「ちなみに、どこの分野を学びたいなどはありますか? 具体的に検討している大学があれば教えてください」

「文学に興味があるので、その分野を学びたいです。それとここよりももっと広い世界に興味があるので、外国語に強いところがいいです」


 するりと分野が出てきたのは、以前からこの町の異常性について考えていたからだろう。


 この町には5万人程度の人が居住している。それなのに皆一様に、同じ生き方しかしないのだ。まるでひとつの生命体のように、同じような言動を取っている。たまらなく不気味で、早く逃げ出したいと思っていた。


 不気味さに確信が増し、逃げたいという願望が熱意に変わる。

 そうだ、私は大学に行ける。もっと自由な場所で飛び立てる力なら、あるはずだ。


「なるほど、それでしたら──」


 先生は県内だが、家からは到底通えないような場所にある大学を言った。しかし政令指定都市にある公立大学だ、貿易が盛んだった歴史もあるし、きっとここより自由な空気が吸えるに違いない。しかも公立大学だが、文系4科目で受験できるらしい。


「ここの英語教師もその大学出身ですし、詳しい受験話も聞けると思いますよ。同じくその大学を志望している子もいますし、何より堀北さんの成績ならばじゅうぶん狙えます」


 かすかに、希望が芽生える。くすんで見えた教室が、少しだけ色彩を取り戻した。

 しかしこの町で、そんなうまくいくはずもなかった。


「ちょっと待ってください、先生も、佳澄かすみも。大学に行って、どうなるんですか? この子が都会で生きていけるとは思いません。それにうちはきょうだいもいますし、この子を大学に行かせられる余裕なんてないんです。佳澄、こんなところで勝手なことを言わないでちょうだい」


 お母さんは早口でまくしたて、「工場でいいじゃない。他の子たちも行ってるわよ」と付け加える。他の子たちと行進するように同じ場所へ向かうのがしんどい、と言ってもお母さんにはわからないだろうか。


「堀北さんの負担にはなってしまいますが、貸与型奨学金という手もありますよ。……個人的な意見ですが、せっかく学力が高いんですし、工場勤務を選ぶのはもったいないです」


 先生がきっぱりと言い切ると、お母さんは黙ってしまった。怒っているのか、混乱しているのか、はたまたその道も検討しているのかはわからない。わかっているのは『特別優秀ではない女の子が一人暮らししてまで大学に進学する』というのが、お母さんにとっては奇異に映るということだけだ。


 お母さんとお父さんはこの灰色の町で生まれ、楽しく公立中高に通い、工場に就職して23歳で結婚した。いわばこの町の『もっとも幸せなロールモデル』そのものである。つまり、私と感性が真逆だ。


「まだ2年の夏ですし、これからも検討する時間はあります。ひとまず堀北さんの希望である大学進学を第一希望として預かりますが、よろしいでしょうか?」


 先生の問いに、お母さんは「わかりました」とうなずき、私を席から立たせた。

 教室の外へ出て、次のクラスメイトとその母親が入室すると、お母さんは重い口を開いた。


「大学なんて、お金持ちの優秀な人が行くところなのよ」


 ぽつりと放たれた言葉に、呆然とする。やっぱりお母さんは私の言葉なんて検討してくれなかったらしい。


 たしかに昭和は、昭和に取り残されたようなこの町ではその価値観が当たり前なのかもしれない。しかし今は令和で、大学進学率は50パーセントを超えている。決してエリートのための場所ではないはずだ。


「お金が足りないなら奨学金を借りるし、できる限りアルバイトもするよ」


 私の反論に、お母さんは即座に反応した。まるで聖書の矛盾を突かれた信者のように。


「それだけじゃないわ! 大学を出て就職して慣れたころには、もう20後半でしょ? 幼いころから知ってる人ばかりじゃないんだし、新しくいい人を探す必要も出てくるわね。その過程が面倒臭いのか、都会では子供を産まない人が増えていると聞くわ。あなたも子供に囲まれて過ごしたいでしょ?」


 それが幸せだと思えないから、私はあの手この手でこの町を出ようとしている。あわよくば市役所や町役場勤務なんてものじゃなく、もっと壮大な、色々な人がいる都会で学んでみたかった。


「お母さん、一人寂しく暮らすあなたなんて見たくない。この町で幸せに暮らしましょうよ。いいわよ、結婚して子供がいるって。工場があるから、働き口にも困らないわ」


 お母さんのようにこの町の風習に慣れることができたなら、きっと子供とたわむれる自分の姿が想像できたのだろう。しかし私は違うから、子供を世話する自分の姿なんて想像すらできなかった。


 きっとそれは、この町に溶け込んだ自分の姿だからだろう。


「私は、この町が嫌い。ほとんど全員が同じ学校を卒業して、工場に勤めて、結婚して子供を作って一生を終えるなんて、おかしいと思ってる。もっと人の人生は多様であるはずなのに、どうしてこの町は全員に同じ生き方を強いるのかわからない。だってそれじゃ、誰だってやることが同じじゃん。……子供の世話をする自分の姿なんて想像できないし、特に願ってるわけでもないけど、少なくとも私はこの町で子供を産みたくない。その子供にも、工場勤務以外の道がないんだもの」


 お母さんは私の意見に顔を真っ青にさせている。学校のまわりには田園風景が広がり、空には工場の灰色の煙が見える。そんなアンバランスな町で、お母さんは常識を叫ぶ。


「どうしてそんな子になっちゃったの? この町は失業率も低くて就職もしやすいし、顔見知りが多いからすぐに結婚相手も見つかるのに……。勉強する必要がないなら、他の思い出を作ることもできるのよ? 子供だってみんな協力しあって育てられるし、受験戦争とは無縁でのびのび過ごせるわ。こんないい町他にないのに、どうしてわざわざ都会に出ていこうとするの?」


 お母さんは涙を流して、私に語りかけた。どうしてか、お母さんの言葉はひどく薄っぺらいもののように思える。


 それとも、都会に行こうとする私が愚かなのだろうか。たしかに都会には華々しい仕事は多いけれど、その分人が多く仕事にありつけないこともあるし、過労死や残業代未払いなどの問題もある。


 この町ではそういった話は聞かないし、いさぎよく町の奴隷でいるほうがいいのだろうか。子供だって、のびのびと過ごせることには変わりない。


「平穏に、健康に、幸せに暮らしましょうよ。ここでは何の苦労もしなくていいの」


 お母さんの声が、視界から色彩を奪う。空にはもくもくと灰色の煙が上がっていた。あの煙のもとである工場では、誰かの母親や父親が働いている。もちろん大学も出ておらず、勉強に対して苦労をしたことがない人々が幸せに暮らせている。


 学校の周りでは夏休み中の子どもたちが元気に声を張り上げながら、道を走り回っていた。都会では見られないかもしれない、日焼けした肌の満面の笑顔。


「都会でボロボロになった我が子を見るのは辛いわ。自由には責任が伴うもの、ひどい会社にこき使われてもあなたの責任にされるだけ。結婚できなくて後悔にさいなまれても、自業自得の一言で一蹴されてしまうわ。……それに比べてここは、たしかに工場以外の働き口は少ないかもしれないけれど、その分責任を問われることはないわ。一緒にこの町で暮らしましょう」


 インターネットで見た都会の景色が霞んでゆく。東京の壮大な夜景が、ひどく残酷な景色のように思えた。


 自由が幸せなのだろうか。それとも堅実な未来が幸せなのだろうか。


 常識が蜃気楼のように揺らぎ始め、精神がゆっくりと町に閉じ込められてゆく感覚を、まるで他人事のように味わっていた。

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