ある作家志望者の場合 その4

 みんなの作品を見ていて、否応なしに理解させられたことが一つある。みんな、自分の青い城を持っているのだ。自分が何をしたいのか、どう在りたいのかをちゃんと分かっていて、それに正直に生きている。だからこそ、ああいった作品を作ることができるのだと思う。

 翻って、わたしには何があるのだろうか。ヴァランシーは、真に自分を必要としてくれる相手の存在によって、本当の意味で変わることができた。わたしは、そういった存在に出会ったことはあるだろうか。一体、わたしの青い城はどこにあるのだろう。

 最早、一人で考え込んでいてもどうにもならないと思い、湖春先輩に相談することにした。彼女は、以前と同じ喫茶店に、わたしを連れて行った。甘いものがほしい気分だったので、わたしはミルクティーを注文し、角砂糖を溶かした。湖春先輩が飲んでいるアールグレイの独特の香りが漂う中、わたしは相談を切り出した。

「ある程度の構想はできたんですけど、いざ文章を書き始めると、どうしても納得がいかなくて、続きが書けなくなってしまうんです」

 わたしは、小説の構想を説明した。昔のアイデアを練り直したもので、魔法の学校に通う内気な少女が、師匠や友だちとの出会いによって、次第に変わっていくという成長の物語だ。以前のわたしなら、人との出会いを話の主軸に据えようとは考えなかったと思う。変化は確実に、この数か月に起こったものだ。文芸部で過ごした日々が、わたしにそれをもたらした。

 話を聞き終えた湖春先輩は、静かに思案していた。書きかけの原稿を持っていたことを思い出したので、それも見せた。彼女は真剣な眼差しで原稿を読んだ。

「書くものは決まっているけれど、書き進められない。ということでいい?」

 湖春先輩はわたしの悩みを簡潔にまとめた。

「はい。文章力の不足を痛感するばかりで――」

「笑止よ、瑠璃ちゃん。完璧を求めすぎているわ。今のあなたに、そこまでの実力はないでしょう?」

「でも……」

「読む力が優れている分だけ、自分が書いたものの粗も目に付くでしょうね。けれどね、それで続きが書けなくなるのなら、小説家になるのは無理だと思うわ」

 小説家になりたい、というのは、わたしの密かな夢だ。そのことは、誰にも話していないはずなのに。

「どうして、わたしが小説家志望だって知っているんですか?」

「本気で目指していなければ、今みたいに悩むはずがないわ。だから、推測できたの」

「でも、無理だと思うんですね……」

「今のまま、最初から完璧なものを書こうとしていたらの話よ。まずは出来の良し悪しなんて気にせずに、たくさん書いて練習しないと」

 そう言えば、山梨さんからも似たようなことを聞いた。絵を描くのは地道な作業で、それを淡々と続けるのだ、と。それに、立浪君はよく、また没になった、と嘆いているが、それだけいくつもの作品を描き上げているということでもある訳だ。

「瑠璃ちゃんは、文章や言葉を、大抵の人よりも深く読み解くことができるわ。編集長に推薦したのも、それが理由よ。でも、自分が書いているものに対しては、それを封印した方がいいわ。一通り最後まで書いてから、推敲すればいいのよ」

 要するに、湖春先輩は、細かいことは気にせずに最後まで書くように、と言っている。出来に納得できず、書き進められないというわたしの悩みは、気にするようなことではない、と片付けられてしまった。

「以前とは立場が逆ね。自分が悩んでいることを、わざわざ悩むようなことではない、と言われてしまうと、何だか呆然とするでしょう?」

 湖春先輩の言葉に、何のことだろう、と怪訝に思っていると、彼女は愉快そうに笑った。

「まあ、私からのアドバイスは、とにかく最後まで書いて、の一言に尽きるわ」

 湖春先輩はわたしの原稿を指して、

「このまま続きを書けばいいと思うわ。書き終えたら、また読ませてね」

と付け加えた。


 わたしは滞っていた執筆を再開した。湖春先輩の助言に従って、細部を気にせずに書き連ねた。元より、結末までの筋書きは考えてあったため、自分の文章の拙ささえ無視してしまえば、最後まで書くこと自体は、そこまで難しいことではなかった。

 一通り書き終えた後は、ひたすら推敲に励んだ。何度読み返して、どれほど修正を加えても、始めに思い描いていたような面白さが伝わる文章になっていないように感じられた。自分で書いて、繰り返し読んでいるせいで、客観的に見ることは難しい。みんながわたしに原稿の確認を頼んできたのも、同じ理由なのかも知れない。一読者の視点で自分の作品を読むことができなくなってしまい、助力が必要だったのかも知れない。

 週末中かけて推敲を続けたものの、結局、自分で納得できるような作品にはならなかった。わたしの取り組み程度では、プロの作家には及びもつかないのだろうけれど、おそらく、どれほど続けたところで、もう十分だ、と思える状態にはならない。一先ずの完成として、湖春先輩に読んでもらうことにした。

 わたしの作品を読んだ湖春先輩は、頬を緩ませた。……その表情は何なんですか。

「まだ、納得のいく仕上がりにはなっていないの?」

 どこか呆れたような声で、湖春先輩が言った。

「はい。自分ではまだまだだと思うんですけど、正直、どこまで続けても果てがないように思えて」

「それで、一旦、人に見せようと?」

「はい」

「私の意見を言わせてもらうと、文集に載せる作品としては、もう十分よ。何なら、出版されていても驚かないわ」

 褒められているのだと思うけど、先輩が面白がるような表情をしているせいで、何だか釈然としない。

「瑠璃ちゃんはこういうことを考えているのか、ということが色々と分かって、読んでいて楽しかったわ」

「小説は作者の意見の表明ではありませんよ」

「それを踏まえた上で、ね。あなたほどではないにせよ、私もそれなりに読める方のつもりよ」

「……自称『読める方』の湖春先輩から見て、わたしの作品は面白かったですか?」

「ええ、もちろん、いい作品だと思う。特によかったところを挙げるなら、

『わたしは、心得違いをしていたのだと思う。本当の魔法とは、自分の中にある不思議な力などではなく、人と人との間に生まれる絆なのだ。そのことを理解せず、他者との交流を絶って研鑽を積んだところで、わたしは何者にもなれはしない』

というところね」

 読み上げるのはやめてほしい。わたしは慌てて、他の質問をした。

「その部分がいいと思う理由は何ですか?」

「瑠璃ちゃんは、一人でも平気で生きていけると思っているように見えてね、ちょっと心配だったの。まあ、前は私もそうだったんだけど。……ともかく、あなたが変わったからこそ出てきた文章だと思うと、感慨深くて」

 その後も湖春先輩はわたしの作品を褒め続け、非常に気恥ずかしい思いをさせられた。文集用のものはこれで完成にして、長編として書き直してみてはどうか、という彼女の提案に、考えておきます、と答えた。新人賞に応募しようと思ったら、今回の何倍の苦労をすることになるのか、想像もできなかった。

「次回作にも期待しているわ」

と言う湖春先輩に、わたしは曖昧にうなずいた。何はともあれ、わたしは一歩目を踏み出した。いずれは、その先にも進むことができるだろう。


 全員の作品が出そろい、文集は完成した。文化祭まで、まだいくらか期間があるので、確認用に七部だけ印刷された。部員五人とウグイ先生、山梨さんの分だ。わたしたち七人は、部室で黙々と文集を読んだ。お互いの作品について、意見や感想は言わない、という暗黙の了解があった。否定的なことを言う人はいないが、褒め合いになるのも面映ゆいので、その方が安心して読めるというものだ。

 山梨さんが描いた表紙は、柔らかな色彩が目に心地よい、温かみのある作品だった。描かれているのは、読書会をしている最中の文芸部だけど、実態に比べて、だいぶ美化されているような気がした。山梨さんから見ると、そのように見えるのだろうか。

 最初に載っているのは湖春先輩の作品で、次が本郷先輩の作品だ。二人とも、わたしが事前に読んだものから変更していない。わたしは修正の必要はないという意見を伝えたので、その通りにしてくれたのは、わたしへの信頼の証のようで、嬉しかった。

 三番目は玲花先輩の作品で、以前の手紙の内容がそのまま、詩になっていた。相変わらず、砂糖のように甘い内容だけど、愛についての普遍的な詩になったように思えて、手紙形式のときよりも読みやすく感じられた。

 次はわたしの作品が載っている。わたしが書き上げた初めての小説だ。昔からの目標がようやく叶って、小説を書くことができた。読む人のことまで考える余裕は全くなかったけれど、楽しんでもらえるといい。

 立浪君の作品は、文集全体のバランスを考えて、最後に掲載されている。おそらく、文芸部で彼が経験したことを基にして描かれた漫画なので、今年度の文芸部の総括という意味でも、順番は最後にするのが相応しい。

 全員が読み終えるまで待ち、ウグイ先生が話を始めた。

「みなさん、素晴らしい作品でした。まず、山梨さん。素敵な絵をありがとうございます。水瀬さんの本の紹介は、どれも興味を惹かれるものばかりです。国語教師として、僕も見習わなければいけませんね。本郷君は、辛い経験を乗り越えて、見事に昇華してくれました。早霧さんの作品からは、君の愛情の深さが伝わってきます。そして、真白さんと立浪君。君たちが将来、プロの作家になっていても驚きません。それくらい、引き込まれる作品でした」

 先生の掛け値なしの賞賛に、わたしたちは思わず拍手をしていた。そのとき、わたしは唐突に悟った。ここが、文芸部が、わたしの青い城だ。


 わたしが小説を書くことができたのは、文芸部に入って、みんなと出会ったからだ。入部することを決めたとき、わたしは旅に出るような気持ちだった。わたしはこの旅で、自分一人の世界から抜け出して、変わることができた。

 小説家になることを夢見ていながら、そのために行動することができずにいたわたしの背中を押してくれたのは、みんなとの読書会の日々だった。あの経験を糧にして、わたしは今回の作品を書き上げた。わたしを目標に向けて進ませてくれた文芸部が、わたしにとって、青い城でなくて、何だと言うのだろうか。

 そのときには偶然に思えた出来事が、振り返ってみれば運命だった、ということは、もしかしたら、よくあることなのかも知れない。わたしが文芸部に入ったのは、色々な巡りあわせによる偶然だったけれど、今思えば、それは運命だった。

 文芸部はわたしの青い城だ。しかし、わたしには、もう一つの青い城がある。それは、どこかにあるのを見つけ出すのではなく、わたし自身の力で作り上げなければならないものだ。これからも小説を書き続けることが、わたしのもう一つの青い城になる。

 きっと、先は長いけれど、わたしの作家人生は、まだ始まったばかりだ。それに、少なくとも六人は、待っていてくれる読者がいる。

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