第9話

 別れの日は、その次の日だった。いつに出る、ということをフラれてすぐに教えてもらい、いつもの時間に、いつもの場所で、最後の待ち合わせをした。

 午前十時。このベンチで。

 この絵はあげるよ。と言われた。そしてその言葉の通り、スケッチブックを丸々一冊、貰ってしまった。

 そんな、悪いですよ、と私が言うと、良いんだ、と彼は笑った。

 僕が、君に持っていてほしいんだ。

 そう言われてしまったら、もう言い返せなかった。彼はそれを、分かっていたのかもしれない。

 友人には、描けなかったとでも伝えておくよ。と彼は付け足した。あの、どこか偉そうな友人に。

 怒られるんじゃないですか? と聞いたら、かもね、と彼は返した。きっと許してくれるよ、とも。

「……私、何があったか、とか、そういうことは無いんです」

 彼がそろそろ去る、という時、私はそんな風に切り出した。

「嫌なことがあったわけじゃありません。私は、どちらかと言うと真面目な方ですし、勉強も、まあ頭が良い寄りですし、親との関係も、人並みに勉強しろ、と少し口うるさく言われるくらいで、良好な関係だと思っています。友達も皆いい人ですし、仲間外れとかそういうことも無くて……」

 でも。

「何故かそれが、突然嫌になってしまって」

 だから私は、学校をサボってしまった。

 目に映るもの全てが色あせて見えてしまって。つまらなく思えてしまって。無性にイライラして。

 そんな時に。

「貴方に出会うことが、出来ました」

 そしてこんなに、誰かを「好きだ」と思うことが出来る喜びを、知ることが出来た。

 好きな人と一緒になれない、悲しみも知った。

 私は、貴方に、沢山のものを、貰うことが出来た。

「私、また学校に行こうと思います」

 また理由もなく、逃げてしまいたいと思う日が来るかもしれないけど。

 貴方とこうして過ごした日々が、私の記憶に、心に、残っているから。

 きっと大丈夫。

「うん、それがいいよ」

 私の意思を後押ししてくれるように、彼が頷いてくれた。強い瞳で、微笑んで。

「僕たちは離れてしまうし、もう会うことは無いかもしれない。……けど、どこにいても、応援してるから」

「……はい、ありがとうございます!」

 私は笑う。彼が微笑み返してから、腕時計を見た。……今度こそ、行かなければいけない時間なのだろう。

「じゃあ……」

「はい……気を付けて、帰ってくださいね」

「……うん」

 彼は頷いて、踵を返す。そしてゆっくりであるものの、しっかりとした足取りで、去って行って。

 私は、その背中をただジッと眺めていた。今私は、どういう気持ちなのだろう。自分の胸に問いかけてみたけれど、答えは出そうになかった。

 なかった、けど。


「また会いましょう!!」


 その背中に向け、私は叫んだ。

 弾かれたように、彼は振り返った。そして、しばらく私の顔を見つめた後……困ったように眉をひそめて、笑う。

 その口が、動いた。またね、と。

 再び歩き出した彼を見つめながら、私は思う。

 ……なかった、けど。……私の心は、心地いい風が通ってるみたい。とても清々しくて、鼻歌でも歌いたい気分。

 だから私も、彼に背を向けて歩き出した。一緒に踊ってくれる存在も、涙を拭ってくれる存在も、もう私の傍にはいない。

 でも大丈夫。

 スキップするみたいに歩いて、鼻歌も歌っちゃって、足元の赤と黄を蹴り上げて。

 私は一人でも、強く歩いていけるよ。


 これからあと何回、季節が巡るだろう。

 それでもきっと、私がこの秋を忘れることは、決してない。



【終】

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午前十時。このベンチで。 秋野凛花 @rin_kariN2

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