ちゃんとシナリオを書いてくれ! ~転生先はガバガバフリーシナリオゲーム~
@ikazuki_shizuka
第1話 せめてチュートリアルをくれ
強くなりたい。男なら、誰でも一度は考えたことがあるのではないだろうか。かく言う俺も、その例に漏れず何度も強くなりたいと願ってきた。まぁ、願っているだけで何をしたわけでもないから強くはなれかったのだけど。
しかし、それは今までの話だ。俺は今、願うだけで強くなれる空前のチャンスを目の前にしている。異世界転生――そう、最近流行りのあれに巻き込まれたのだ。転生するということは、その際に何かしら有用なスキルを授かることができる……はず。ということで神様、お願いします。俺を最強の男にする、最強のスキルを授けてください。
心の中でそう唱えると、まばゆい光に照らされ、宙に浮いているような心地良さに包まれた。そして、次第に身体の感覚が曖昧にぼやけていく。薄れゆく意識の中、とんでもなく美しい女神様が微笑みかけてくれたような気がした。
目を覚ますと、そこは草原のど真ん中だった。いや、ど真ん中と言って良いのかは地理を把握していない俺からすると判断できることではないのだが、とにかく、周囲を見渡しても一面の草しか見当たらない、そんなところで目を覚ました。
「さて、早速いろいろと確認させてもらいますか」
願いが通じたなら、きっと強力なスキルを授かっているはず。その効果を見て運用方法を考えるのだ。
「ステータス! おっ、開いた開いた。いやぁ、テンプレ通りで助かるわ」
大抵、ステータスだのオープンだの言っておけば画面みたいなものが浮かび上がってくる。そんなよく見る展開をなぞると本当に目の前に半透明の画面のようなものが出現した。そこで真っ先に目に入ってきたのは明らかに数値が低いステータスだった。
「全部『1』!? 最強になれるんじゃなかったのか!?」
攻撃力も、防御力も、項目分けされたステータスのすべてに「1」と書かれている。余程特異な表記方法をしているのでなければ「1」という数字は最低値。つまり、俺のステータスは最弱ということだ。信じられない、なんてものじゃない。こんなことになるなら俺は転生なんてしたくなかった。女神様の微笑みも、今となっては嘲笑だったのではないかと思えてくる。
あまりにもひどい、そう言うしかないステータスに膝から崩れ落ちる。こんなステータスでは最弱と名高いスライムにも、ゴブリンにも勝てない。この草原で襲われて、第二の人生を終えるんだ。絶望と、女神への怒りが混ざった感情が胸の内でぐるぐると渦巻く。現実を受け入れられないまま、俺はしばらくその場でうなだれていた。
それから、どれくらいの時間が経っただろうか。どうにかして生き延びる術を考える中で、まだスキルを確認していないことを思い出した。
「クソ……いや、待て、そうだ、スキルがあるじゃないか。ステータスの枷がある分、強力なスキルを用意してくれてる。そういうパターンだ、これは」
最低値が並んだ衝撃的な絵面に気を取られて確認していなかったが、ステータス画面に書かれている情報は他にもたくさんある。それを読まずに諦めるのは気が早い。俺はスキルが最後の希望だと、縋るような気持ちで再度ステータス画面を確認した。
その中のスキル欄、そこに書かれていたのは「成長率up」の五文字。はっきり言ってその字面だけではどんな効果があるのかは分からない。そこで、文字の表示された部分を注視してみる。すると、ウィンドウがもう一枚、眼前にポップアップした。
『レベルアップ時のステータス上昇にボーナスが加算される』
ステータス画面の仕様を便利だなと思いながら、俺はスキルの詳細を読み上げた。つまりは、大器晩成型のスキルということだろうか。加算される具体的な数値などは詳細を読んだところで分からないし、強いスキルかと言われると疑問が残るところだ。
不明瞭なスキル詳細に文句を垂れるが、もはや頼れるものはこれくらいしか残っていない。最強は諦めるにしても、生きていくためにはどうにか経験値を稼いで、レベルアップをしなければならない。しかしこのステータスで、どう経験値を稼げというのだろうか。
再びステータス画面に目を向けると、今度は「所持品」と書かれたタブがあることに気付いた。注視してみると、またもやもう一枚ウィンドウが現れた。
「おぉ? これはもしかして……」
そこには二つのアイテムと、その所持数が書いてあった。「旅の指南書」が一つと「レベルアップ薬」が五つ。
「レベルアップ薬……! こんなものがあるなら希望が見えてきたぞ。よっしゃ、一本飲んでみるか」
所持品を目線で選択し、念じるとそれが空中にパッと出現した。細かな装飾がなされた小瓶に入った液体は半透明のピンク色で、蛍光ペンのインクのようにほんのり光を帯びている。しかし、それでいて毒々しさはなく、見ていると非常に美味しそうだとすら思えてくる。その魅力に吸い込まれるように、俺は瓶の蓋を取り、液体を一気に口の中へと流し込んだ。
甘い。味も香りもひたすらに甘い。少しだけトロッとした液体は俺の口内、鼻腔を甘さで満たして胃の中へ落ちていった。それなのに、その甘さがどこにも残っていない。後味スッキリ、とかそんな次元ではない。味のついていない水を飲んだのかと錯覚するくらいに液体は何も残さずに流れていった。そして、身体の奥から熱が湧き上がってくる。
「これが、レベルアップ……!」
初めての感覚に戸惑いながらも、レベルが上がったという確かな感触に喜びを覚える。感動していると、ステータス画面に似たウィンドウが目の前に現れた。見ると、ステータス割り振り画面のようである。割り振れるポイントはどれくらいあるのだろうかと画面の中を探すと、一番上に「100」と書かれていた。
「……ひゃくぅ?」
割り振り前のステータスが「1」のままだったから、それなりに数字が大きいのだろうとは思っていたが、まさかここまで大量のボーナスがあるとは。俺が授かったスキルは案外、大器晩成型ではなく簡単に最強になれるトンデモスキルだったのかもしれない。嬉しい想定外に頬が緩むのを感じる。
「これだけあればいくらでもカスタマイズできるな。さて、どうするか……」
まず、これだけ数字に余裕があるなら上げておきたいのはHPだ。これがなくなるとゲームオーバー。つまりは死が待っている。そう考えると、何かが掠っただけで消し飛ぶような現状は看過できない。普段やっているゲームだったら真っ先に攻撃力を上げるのだが、さすがに一度死んだら終わりの世界で危ない綱は渡れない。まずは死なないことを優先に、体力や防御面に数字を割り振った。
「問題は、レベルアップ薬を何本飲むかだな……」
レベルアップ薬の効能は現状の取得経験値量を考慮せずに、とにかくレベルの数値を一つ上げるというもの。つまりは、レベルが上がってきて、次のレベルまでに必要な経験値量が多くなってから使う方が効率が良いのだ。一方で、現状のステータスは貧弱そのもの。ここで出し渋って死んでしまっては元も子もない。最低限のレベルアップをして、いつか必要になるタイミングまで保持しておく。それがこの薬の正しい使い方のはずだ。
俺はひとまず、もう一つくらいは飲んでおこうと思った。しかし、所持品を見ようとしたそのとき、不意に後方からガサゴソと草をかき分ける音が聞こえた。驚いて振り向くと、そこにはいわゆるスライムがいた。直径三十センチほどのゼリーの固まりみたいなモンスターだ。
思ったより小さい。そんな感想が頭に浮かぶ。しかし相手はモンスター。負ければ死ぬ。小さいからと言って決して無視できないプレッシャーが俺にのしかかった。
そして、戦闘が始まる。
すると、視界の下の方にウィンドウが表示された。「たたかう」「にげる」と表示されている。
「ターン制コマンドバトル!?」
こんなに広大なフィールドで、クラシカルなターン制を強いられるなんて全く想定していなかった。反射神経や武器の扱いで差が生まれない分、武術も何もやっていない自分からするとありがたくもあるのだが、ターン制は平等な殴り合いだ。攻撃特化にしてワンターンキルできる場合でなければ、戦闘を繰り返す度にじわじわとダメージを受ける。回復の手段がない今、ターン制バトルなのは非常に厄介な問題だった。
「クソ、でもやるしかねぇ! 『たたかう』だ!」
それから先の行動を選ぼうとする。しかし「こうげき」「ぼうぎょ」以外のコマンドが選択できないようになっていた。
「魔法も戦闘スキルも最初は覚えてないってことか……。アイテムも、戦闘中に使えるものはない、と」
この二択となると、実質、選択肢なんてないようなもので、選べるのは「こうげき」だけだ。というか「ぼうぎょ」コマンドは仲間がいるならともかくとして、一人で戦うときには相手の大技が来るタイミングでしか使えない。つまりこの戦いは、スライムと俺が殴り合って、どちらが先にくたばるかという戦いなのだ。
「さて、俺のすばやさは初期値のまま。同値なら運ゲーだが……」
お祈りむなしく、先に動いたのはスライムだった。突進というか、体当たりというか、勢いをつけてこちらに飛び掛かってくる。避けるという選択肢はなく、足が地に貼りついたように動かない。
「うぐっ……!」
来ることが分かっているなら、ほぼ液体みたいな生物がぶつかってきた程度の衝撃には耐えられる。思わず声が漏れてしまったが、俺はスライムの攻撃を受け切った。
「今度はこっちの番だ」
すかさず、足元に転がり落ちたスライムめがけて蹴りを放つ。サッカーボールを蹴るような感覚で足を振り抜いた。しかし、スライムの中身は空気ではない。流動性の物質で形作られたそれは思っていたよりも重く、バランスボールを蹴った時のような確かな抵抗感が足に伝わってきた。
蹴り飛ばされたスライムが少し離れたところに転がる。目も口もないから分かりづらいが、ぽよぽよと揺れているのを見るにまだまだ元気そうだ。そこでふと気になって自分のHPを見る。具体的な数字が表示されないタイプのHPバーが、目測でおよそ半分になっていた。
「えっ、半分も!?」
正直、そんなにダメージを食らった感覚はなかった。たった一撃もらっただけだし、それで怪我をしたわけでもない。自転車で転んだときの方が痛かった。それなのに、HPは半分になっている。
攻撃手段に関わらず、ダメージ計算が行われる。ならば恐らく、派手に飛んで行っただけでスライムにはダメージが入っていないのだろう。本来なら地面に落下した際の衝撃でもダメージを受けてほしいものだが、蹴りの瞬間だけがダメージソースなのだ。
と、なると、この殴り合い、勝てない。先行が取られている以上、俺が勝つ可能性を残すには二撃目を耐えなければならないが、耐えられるパターンはさっきの一撃が高乱数を引いていて、次の一撃で低乱数を引いたときだけだ。HPがゼロになるとどうなるのかは分からないが、ゲームオーバーイコール死と考えるのが妥当だろう。俺はこんなところで死にたくない。
「こうなったら、もう『にげる』しかないのか……?」
できれば倒したい。倒して、経験値が欲しい。レベルアップ薬があと四つしかない現状、それ以外の方法で経験値を得てレベルアップをしておきたいのだ。しかし、いくら考えても勝てるビジョンが浮かばない。あるいは、チュートリアルの負けイベントである可能性も考えたが、負けイベントだとしたら『にげる』が選択できるようにはなっていないはずだ。チュートリアルと言うほど何かを教わった覚えもない。
俺はしばらく考えた。コマンド選択にいくら時間を使っても良いのがターン制コマンドバトルの特徴だ。この間は向こうから攻撃されることはない。だから、じっくり考えた。そして、遂に結論を出した。
「『にげる』だ。勝ち目がねぇ」
コマンドの中から「にげる」を選択した瞬間、目の前のスライムがスーッと透過していって、目の前から消えた。良かった。逃げるのに失敗していたら、確実に命はなかった。俺はとりあえず命をつなげたことに安堵した。
それから、消えていったスライムを思い出す。てっきり、逃げたところで目の前にいるスライムは消えないと思っていたから驚いた。あの消え方をするということは、この世界の戦闘はランダムエンカウント方式なのだろうか。そうならば、あまり無暗に動き回らない方が良いかもしれない。
なんてことを考えていると、ふとまだ使っていないアイテムがあることを思い出した。その名も「旅の指南書」。このアイテムこそが本来のチュートリアルではなかろうか。俺はそんな重要なものに目を通さずにいたことを後悔しながら、所持品の欄から「旅の指南書」を取り出した。
出てきたのは数枚の紙がまとめられた束だった。表紙に「旅の指南書」と書いてあり、ページを繰ると女神様からのメッセージが書いてあった。
『強くなりたいというあなたの願いを叶えます。この世界で好きなだけ強くなりなさい。スキルを与えますが、他のことには関与しません。世界を救おうが、世界を滅ぼそうが、私はただそれを見守ります。あなたの人生が幸せなものであることを祈っています』
滅ぼす、なんてことをするつもりはないが、救う選択肢があるということは世界の危機が訪れていると考えた方が良いのだろうか。それとも、恒常的に問題がある世界なのだろうか。いずれにしても、今の俺からしたら不都合である。今を生きるので精一杯なのに。
更にページを繰ると、この世界における戦闘システムや、アイテムの仕様など、いろいろな情報が書いてあった。指南書と言うよりはゲームの説明書のような気がするが、それは気にしないでおく。それより、気になったことが一つある。それは、レベルアップについてだ。
一定の経験値が溜まるとレベルアップする。その点については疑いようがない。そこでステータスの割り振りを行うのも体験したから理解できる。どうやら、それ以外にも数値の変化があったらしく、どうにもレベルアップ時にHPやMPといった可変ステータスを全回復してくれるようなのだ。回復手段がないと嘆いていたが、俺の手元にはあと四つのレベルアップ薬がある。この薬をエリクサーとして使うには抵抗があるし、そうでなくても後半に残しておきたい薬であることは確かだ。しかし、スライムともまともに戦えない現状、ここで出し渋るわけにはいかない。
俺は二本目のレベルアップ薬を飲み、得られたポイントの半分をHPに、もう半分を攻撃力に注ぎ込んだ。ちゃんと増加した分までHPが回復し、こころなしか活力が湧いてきたような気がする。
それからもう一つ、気になった記載がある。それは経験値についてだ。どうにも、自身のレベルだけでなく技能や耐性にもレベルがあるらしい。俺はまだ何も獲得していないが、戦闘の中で特定の行動を繰り返すとその行動をスキルとして手に入れられるらしい。俺が手に入れられそうなスキルは今のところ蹴りくらいなものだが、それがレベルアップすれば成長率upの補正がかかる。ひとまずは地道にスライムを倒して、そういった技能を獲得していくのが良いだろう。
それ以降のページには、ステータスの説明が書いてあった。しかし、特別面白い新情報が載っているわけでもなく、ただ字面通りの説明が書いてあるだけだったから、すぐに閉じてしまった。
「どうしたもんかな……」
指南書、なんて書いてあるからある程度生活が整うくらいのアドバイスが書いてあるのかと思ったが、結局、システム面の話がちょっと理解できただけだった。レベルも上がったからもうスライムに負けることはないだろうが、このままだと俺は一生この草原で暮らすことになってしまう。人の住んでいる町は、一体どこにあるのだろうか。
見渡しても草原しかないなら、もう好き勝手歩くしかない。あてずっぽうで歩き回って、運に頼るしかない。そんなことなら運のステータスも上げておけば良かったかな。なんてことを考えながら、俺はついに冒険への第一歩を踏み出した。
次の瞬間、モンスターにエンカウントした。やはりランダムエンカウントをリアルで採用すると心臓に悪い。さっきまでいなかったはずのモンスターが急に現れるのだから。
「しかもこんなデカいのどこにいたんだよ……」
目の前にいたのは、俺の倍ほどの体躯がある緑色の化け物だった。いわゆるオークと呼ばれているモンスター。豚のような顔をしていて、右手には棍棒を持っている。そのパワフルな姿からは強いプレッシャーが発せられていて、普通に戦って勝てる気が一切しない。あまりの恐ろしさにターン制バトルで良かったと心の底から思ったくらいだ。
「当然『にげる』っと」
しかし、こんなに恐ろしいモンスターでも逃げが成功すれば脅威ではない。登場から数秒にして消えていったオークを少し哀れに思いながらも、これが俺の生きる術なのだと自分を納得させた。いや、別に悪いことをしたとも思っていなかったのだが。
なんてことを考えていると、新たにウィンドウがポップアップした。このタイミングで何の用事だと見てみると、そこには『スキル獲得』の文字があった。
「えーと、なんだこれ。『にげる補正Lv.1』だって?」
見ないで変な勘違いをしたままになってしまうのも良くない。俺は詳細を確認すべく、スキルの名前を注視した。追加で出てきたウィンドウ曰く『「にげる」コマンドを選択したときの成功率に補正がかかる』とのこと。これが本当なら、今までは補正のかかっていない状態で運試しをしていたわけだ。そう考えると肝が冷える。
そもそもの成功率がどのように設定されているのかが分からない以上、スキルの文言を信じるしかないのだが、迷信だとしてもすばやさを上げておこうかな、と思った。
その後も町を探して歩き回っていると、何度かスライムに遭遇した。相変わらず受けるダメージ量は変わらないが、攻撃力を上げておいたお陰で蹴り一撃で倒せる。しかも、三体目を倒したときにレベルアップして、そこですばやさを上げられた。先手を取って一撃確殺。これでスライムからダメージを受けることはなくなった。
さらに、そのタイミングで戦闘中に使えるスキルを獲得した。「ローキック」という低い位置への蹴り技だ。通常の「こうげき」よりも威力が高いのと、相手を転ばせる効果があるらしい。とはいえ、スライムに転ぶという概念はないし、通常の「こうげき」一撃で倒せるので、今のところ使う場面は見当たらなかった。
「TP……ってのも消費するみたいだしなぁ、使いどころは考えないと」
新スキルへの不満は少しある。とは言え、着実に強くなっているのは確かだ。スライムが基準だから浮かれるにはまだ早いのだが、それが分かっていても湧き上がる高揚を抑えることはできなかった。
「さ、どんどん出てこいスライム。俺の経験値となれ」
しかし、次にエンカウントしたのはスライムではなかった。先程も遭遇した巨体――オークだ。俺はすぐに「にげる」を選択しようとして、そこで踏みとどまる。もしかしたら、勝てるのではないか。そんな考えが脳裏をよぎってしまったのだ。
「すばやさも上げたんだ。先手を取って、ローキックで崩せば……いける!」
俺はここで初めて攻撃スキルの「ローキック」を選択した。面白いことに勝手に体が動いて、オークのすねを蹴りつける。対するオークはそれに怯んだ様子で、片膝をついて痛がった。
これが転倒なのだろうか。想像していた映像とは違う現実に戸惑いながらも、コマンド選択画面が表示されたのを受けて、俺は今のが転倒だったのだと認識した。TPがある限り、続けて「ローキック」を選択する。
完全に素早さでは上回っているようで、このターンも先手を取れた。しかし、蹴りを入れても流石に連続で転んでくれるほど甘くはない。オークは痛がりつつも手に持った棍棒を横薙ぎに振り切った。
「オゴッ……」
スライムの体当たりとはけた違いの衝撃が脇腹に突き刺さる。肋骨が何本か折れているような気がする。いや、折れたことがないから感覚的に分かるわけではないのだけれど。
「アガッ……! ゲホッ、ゲホッ……」
何度か地面をバウンドしながら転がり、そこで立ち上がろうとするも、全身に痛みが走って上手く動けない。肺が勝手に動いて咳が出る。苦しい。痛い。
こんなことなら戦わなきゃ良かった。軟弱な精神が早くも戦うことを諦めて後悔を始める。頭だけを動かしてオークの様子をうかがうが、草が視界を塞いで良く見えなかった。
相手の姿が確認できない上に、動けない。これがフィールド上でのフリーバトルだったら、確実に殺されていただろう。しかし、この場で行われているのはターン制のコマンドバトル。俺が次の行動を決定しない限り、相手の攻撃も飛んでこないのだ。とりあえずは今すぐに死ぬことがない安心感から、俺はゆっくりと息を整えることができた。呼吸が整えば、身体も徐々に動くようになってくる。急に立ち上がらずとも身体を起こすと、既にオークが目の前まで迫っていて、スタンバイ完了といった面持ちでこちらを見下ろしていた。
安全と分かっていても、目の前に来られると恐怖が勝つ。ただでさえどこが痛いのかも分からない痛みに苛まれているのだ。この状況で叫び声をあげて泣きわめかなかったことを褒めてほしい。
もはや何に対する苛立ちなのかも分からない。そんな感情を押し殺して、俺は次の行動を決定するべく、状況の整理をする。HPバーを確認すると、およそ八割が削られていた。あれだけの衝撃があって、これだけ痛いのだから、一発で削り切られなかっただけましだと思おう。TPは十分にある。果たして今の身体で「ローキック」が放てるのかは甚だ疑問ではあるが、コマンド選択をするだけなら問題はない。
問題なのはオークのHP残量だ。元気そうに見えてもHPがなくなると急に倒れるのは自分の身体でも、スライムでも実証済みだ。だから、目の前にいるオークが瀕死の可能性は大いに考えられる。むしろ、俺の最大火力を二回も食らったのだからそれくらいになっていてもらわないと困る。だが、これでもし倒せなかった場合、俺は殺されるだろう。冒険が始まったばかりの草原で、人間に一人も出会うことなく、この世界での人生を終えるのだ。
やはり、それだけは嫌だ。どうしたって危ない橋を渡るべきではないのだ。いつかリスクを負う必要があるとしても、それは今ではない。最初の草原で大博打を打つ必要はない。生き延びて、回復して、地道に強くなるんだ。
「『にげる』……だ。俺はまだ死なねぇぞ……」
しかし、コマンドを決定した瞬間、目の前に見たことのないウィンドウが現れた。そこには『逃走を試みた!』なんてことが書いてある。
「おい、これって……」
俺はこの文言を見たことがある。戦闘から逃げようとして、失敗したときのテンプレだ。テキストを送ると、失敗を告げる言葉に続くのだ。
逃走失敗。スキルで補正がかかっているから、こんなところで失敗するとは予期していなかった。迫る死の恐怖に、身体が震え始める。血の気が引く。頭の中が、空っぽになったような、白く染まるような、冷えて動かなくなるような、奇妙な感覚に取りつかれた。
『しかし、逃げられなかった!』
非常なことに、テキストは時間経過で勝手に送られる仕様のようだ。俺がその文字を認識した瞬間、眼前に棍棒が迫る。
「やめ――」
――グチャ。
聞こえないはずの、頭が潰れる音が聞こえたような気がした。
気が付くと、真っ暗な空間にいた。目の前に、何やらウィンドウが浮かんでいる。
『ヒント:世界各地に隠されたレベルアップ薬を探そう!』
一体、何を――
言っている。そう繋ぐ前に、俺の意識は草原へと戻された。
「……は?」
ついさっきまでいた草原。俺が殺された草原と全く同じ景色だ。
状況が理解できず、ステータス画面を呼び出す。見ると、すべてのステータスが「1」と表記されていた。
「やり直し、ってことなのか……?」
所持品を見てもレベルアップ薬が五つに戻っている。どうやら、はじめから再スタートということらしい。
「な……んだよ、そうか……ははっ、死ぬわけじゃねぇのか……」
ゲームみたいな世界だとは思っていたが、本当にコンティニューできるとは。力が抜けてしまって、俺はその場に座り込んだ。やり直しが効いて、ヒントももらえた。ならば、どう動くのが最善か、考えなくてはならない。
しかし、一体何をすれば良いのだろうか。やり直しが効くと言えば聞こえは良いが、要は死ねないということなのだから。この世界での人生を終えるには、ゲームクリアをしなければならないということだろうか。全く情報もないのに、どうやって。
死への恐怖とは違う種類の恐怖が、俺の中で静かに顔を持ち上げた。
ちゃんとシナリオを書いてくれ! ~転生先はガバガバフリーシナリオゲーム~ @ikazuki_shizuka
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